24:平穏な日常と変化の兆し!
平和な日常。
マオはこのゆっくりとした時間の流れを、かつては退屈だと思っていた。
しかし今は、この時間こそがかけがえのないものだということを実感するようになっていた。
授業にも、以前より少しだけ真面目に取り組むようになったマオ。
友人のエナやレイレイ、そして先輩のヴァリアと共に学ぶ日々に、彼女は充実感を覚えていた。
ベルカナンは倒され、この日常が崩壊する心配はない。あの戦いから数週間が経ち、マオの心は安堵に満ち溢れていた。
放課後。いつもマオとレイレイはベンチで他愛もないお喋りをするのが日課となっている。
しかし、今日は少し違った。
教室を出ていこうとする二人に、先生が呼びかける。
「マオ、レイレイ。ちょっといいか?」
「何ですか?」
真っ先に反応したのはレイレイだ。彼女は先生の言うことをよく聞く、真面目で優しい少女だった。
一方マオは、先生の呼びかけを無視して教室から出ていこうとしている。
「……おーい。俺の言葉が聞こえないのかー?」
先生は呆れたように言う。
「――えーっ!? 学生の放課後は忙しいんだよー」
マオは不満げに返答した。
「学園のベンチでのお喋りがそんなに忙しいのか?」
「うん。喋りっぱなしは意外と疲れるもんだよ」
「マオちゃん。先生のお願い、聞いてあげようよ」
レイレイが優しく諭す。
彼女の言葉に、マオは渋々先生に向き直った。
「数十分で終わる?」
「お前たちの歩く速さ次第だ。本を資料室に運んでほしいんだ」
先生が棚を指差す。そこには、数十冊の古書が並んでいた。
「先生が運べばいいじゃん」
「俺はまだ調べものがあるんだ! あれは読み終わったから、元の場所に戻してほしいんだよ」
「もー、しょうがないなぁー」
マオは溜息をつきながら、棚に向かって古書を積み上げる。
レイレイも同じように、古書を抱えた。
「お礼はいつかするよ。ありがとうな、二人とも」
「すっごいお礼、期待してるからねー?」
古書を胸に抱きながら、廊下を歩く二人。
レイレイは古書の表紙を見つめ、興味を示している。
だが、そこに書かれた文字は彼女には読めなかった。
「マオちゃん、これ、何て書いてあるんだろう?」
「ん? むぅ……私にも分からないや」
古い書物だ。つまり、魔王の記憶を呼び起こせば解読できるかもしれない。
だがマオは、そうした力に頼ろうとはしない。
自分はマオであり、魔王ではないのだから。彼女は、なるべく特殊な力を使わずに生きていきたいと願っていた。
資料室へとたどり着いた二人。分厚い扉を開け放つと、紙の古い匂いとインクの香りが鼻をくすぐる。
ここは日常の喧騒から切り離された、静謐な空間だった。
床から天井まで届く高い書架が、幾重にも並んでいる。その棚には、古ぼけた書物や巻物が所狭しと並べられていた。
マオとレイレイは持ってきた古書を、重厚な木製の長テーブルに置いた。
テーブルの上には緑色のランプシェードが乗った読書灯が置かれ、柔らかな光を放っている。
「ねぇ、レイレイ」
「ん? どうしたの?」
「私たち、なんか場違いな場所にいるみたい」
マオの感想に、レイレイはクスクス笑う。
「マオちゃん。私たちはこの学園の生徒だよ? この部屋に入る資格は十分にあるよ」
「そ、そうかな……」
差し込む光の先を見やるマオ。窓からはステンドグラスを通した光が注ぐ。
赤や青、黄色のガラス片が描き出す抽象的な模様が、部屋に神秘的な雰囲気を与えている。
静かな資料室では、彼女たちの会話さえ静寂を破る騒音に聞こえる。
だからこそ、二人の存在に気が付いたのかもしれない。
「――マオに、レイレイか」
「……あれ? ヴァリア先輩」
資料室にいたのは、ヴァリアだった。
制服の上から革製のエプロンを巻き、埃と汚れから衣服を守っている。
そして、手にはめた白い綿手袋は、古書を傷めないための配慮だ。
「さすが先輩。資料室で勉強してるんだね!」
「ん? いや、これは掃除と編纂の仕事だ。今日は資料室の番なんだよ」
「先輩は学園からそのような仕事も任されているんですね!」
「ああ。これは私に与えられた大事な役目なんだ」
ヴァリアは、二人が置いた古書に目を向ける。
「これは……先生が持って行った本か」
慣れた手つきで、彼女は本を持ち上げ、迷いなく書架へと歩みを進める。
どこに、どんな本を収めればいいのか。ヴァリアにはよく分かっているようだった。
彼女の仕事ぶりを見つめながら、マオとレイレイは改めてこの場所の特別な雰囲気を感じずにはいられない。
ここは知識の宝庫であり、先人の英知が積み重なった神聖な空間。
そう実感させられる瞬間だった。
ヴァリアと別れた二人は、そのままベンチへと移動する。
マオは本当は資料室で話したかったが、常識外れだと思い、それは止めた。
楽しい会話に夢中になっているうちに、いつの間にか太陽が沈んでいた。
オレンジ色に染まった空を見上げ、マオが言う。
「……今日はもう帰ろっか」
「そうだね。また明日、楽しもうね。マオちゃん」
レイレイは元気に頷いた。
二人は寮へと向かって歩き出す。
学園に併設された寮にも、クラス分けが存在する。
しかし、部屋の内装はどちらも同じだ。ただ、場所が異なっているだけだった。
余計な争いが発生しないようにとの、学園側の配慮だった。
「そういえば」
マオが口を開く。
「ヴァリア先輩って、上級クラスから私たちのクラスに編入したけどさ、部屋ってどうなったのかな?」
「うーん……」
レイレイは考え込む。
ヴァリアがどこの部屋に移動になったのか、彼女にも分からなかった。
その事実に今さら気づき、レイレイは自分の不注意さを恥じた。
「ねぇレイレイ! 今度さ、先輩の部屋で遊ぼうよ!」
マオが提案する。瞳を輝かせ、レイレイの返事を待つ。
「うーん……先輩に迷惑じゃないかな?」
レイレイは躊躇った。先輩の私生活に踏み込むのは、失礼だと感じたのだ。
「そこはまあ、先輩が嫌がらなければって条件付きだけどさ」
マオは気にする様子もなく、明るく言う。
そんな二人の会話に、暗がりから人影が近づいてくる。
それに気が付いたマオは、歩みを止めた。
「――あれ? マオにレイレイか。今日はよく出会うな」
その人影はヴァリアだった。
資料室での仕事を終えたのか、彼女はマオたちに手を振っていた。
街灯の明かりに照らされ、ヴァリアの笑顔が浮かび上がる。
「あっ! 先輩!」
「こんばんは、ヴァリア先輩」
各々、先輩に挨拶する。
寮までの短い帰り道。三人が並んで歩く。
ついでだ。マオはヴァリアに寮の部屋について尋ねることにした。
「ねぇ、ヴァリア先輩。先輩の部屋ってどこなの?」
「私の部屋か……」
ヴァリアは少し考え込む素振りを見せた。
その反応に、マオは好奇心を抑えきれない。
「先輩が良ければだけどさ! 今度先輩の部屋で遊ぼうかなって思って!」
マオが勢いよく言う。
「うーん……私の部屋は広くないからな」
ヴァリアが言葉を濁す。
自分の知識と、ヴァリアの発言に齟齬が発生したことに、レイレイは疑問を持つ。
部屋の大きさは寮内で同じでは?
数人が座るには十分な大きさを担保しているはずの部屋。ヴァリアは荷物が多かったのか。
レイレイは素朴な疑問を脳内で反芻している。
(まあ、些細な問題かな……?)
しかし、レイレイの疑問は至極当然のことだった。
レイレイとマオ、ヴァリアの歩く道が違ったからだ。
「……あれ? ヴァリア先輩。そっちに寮があったっけ?」
マオが不思議そうに首を傾げる。
周囲を見回すと、見慣れない風景が広がっていた。
木々が生い茂り、自然の息吹を感じさせる場所。ここは寮からは離れている。
ヴァリアは苦笑しながら、説明する。
「ああ。私の部屋はこっちなんだ」
「へぇ! もしかして、先輩だけ特別な部屋だったりするの!?」
マオの瞳が輝く。特別扱いされる先輩に、憧れを抱いたのだ。
「まあ……特別と言えば、特別だ」
ヴァリアは曖昧に答えた。その言葉の奥に、何かを隠しているようにも感じられた。
「すっごい! やっぱり底辺クラスでも先輩は先輩だ! 私の憧れの先輩だよ!!」
マオは興奮気味だ。先輩への尊敬の念が、彼女の中で高まっていく。
地理に詳しいレイレイはヴァリアが向かう先を正確に把握している。
だからこそ、レイレイは嫌な予感がしている。
これは、寮とは違う場所。自然の中に佇む、別の何かへと向かっているのだ。
「良ければ、ちょっとだけ覗いていくかい?」
ヴァリアが誘う。その言葉には、何かを見せたいという意志が込められている。
「いいの!? ありがとう先輩!」
マオは喜んだ。先輩の私生活を垣間見られることが、彼女にとっては特別なことなのだ。
「マオちゃん……私、何か嫌な予感がするんだけど……」
レイレイは不安を隠せない。普通ではない状況に、彼女の警戒心が働いていた。
「大丈夫だよ! 先輩を信じよう!」
マオは疑うことを知らない。無邪気な笑顔で、ヴァリアの後を追う。
レイレイは苦い顔をしながら、マオとヴァリアについていく。
先輩を信じるマオの姿勢に、彼女も逆らえなかった。
そして、たどり着いた先で、マオは目が点になるほどの驚きを見せていた。
「……これ、先輩の部屋?」
「ああ」
ヴァリアは肯定する。
マオの目の前に広がっていたのは、自然の素材で作られたテントだった。
大きな木の幹を中心に、4本の丈夫な枝が放射状に伸びている。その枝の先端には、しっかりと削った杭が結びつけられ、地面にしっかりと打ち込まれている。
枝と杭の間には、厚手の麻布が張り巡らされている。その布は、太陽の光を遮り、風を通すのにちょうどいい織り方がされている。テントの入り口には、同じ麻布で作られた幕が垂れ下がっている。
テントの周りには、木の根元から切り出した平らな板が敷き詰められ、土の上に置かれている。これにより、テント内に雨水が入り込むのを防いでいる。
テントの天井部分には、別の枝が交差するように結びつけられ、頂上で一点に集まっている。そこから麻布が垂れ下がり、テント全体を覆っている。この構造により、テント内は外の天候の影響を受けにくくなっている。
マオとレイレイは、その光景に言葉を失っていた。
これが、ヴァリア先輩の生活の場だったのか。
「マオ……やっぱり狭いと思わないか?」
ヴァリアが恥ずかしそうに言葉にする。
テントの中を覗くと、ギリギリ一人が横になれるスペースがあるだけだった。
三人で入ろうとしても、身動きが取れないだろう。
「セマイノ……カナー?」
マオは呆然とつぶやいた。
思っていた物とは別物が出てきたことで、マオの思考は停止する他なかった。
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