第26話 #会いたい④
とぼとぼと隧道を進む。静のあれこれも心労の一つではあるが、それよりも弟と妹に心配をかけてしまったことのほうが申し訳なくて凹む。だから言わなかったのに。
[兄の惚気がない、だと?]
[落ち込みモードの中でもガチめなやつ]
[一番の新参ですけど、惚気がないのは逆に落ち着かないです]
そんなコメントを視界の隅に留めながら、清巳は右手を持ち上げた。だが、飛び出した静が一刀両断する方が早い。それをせっせと手持ちの鞄に詰めていくのを横目に清巳は先へと足を進めた。あまりやる気も起きなくて、惰性で魔物を倒して下へと潜る。
どうしよう。情けのないところを見せるわけにはいかないのに、不甲斐ない自分を消してしまいたくなる。ふたりが泣くからしないけど。でも、すぐには立ち直れそうにない。
「…………二人のごはん、食べたいなあ……」
自分のごはんなんて美味しいとは思えない。二人がいないのならば尚更。寝るのだってそうだ。ふたりがいない場所で寝るのは、満身創痍で気絶した時くらいだ。ふたりが世界の全てであって、ふたりが傍にいない現実に一体なんの意味があるのだろう。
「はやく週が明けないかな……」
乾いた笑いが零れ落ちる。
「もう少し、『エフィシア』と『みちのく』の便があれば、すぐにでも二人のところに飛んでいくのに。待つよりも危険区域進んだ方が早いよな? 魔物全部無視して進めば行けるよな? あぁでも二人が泣くか、泣くな。それはだめだよな。待つしかないのか……待てるか……?」
[危険区域はだめだって]
[そこは待て一択だ]
[強行突破したらしばらくトマト尽くしの刑な]
清巳は眉を落として首を横に振った。
「それはだめ。ほんとにだめ。トマトはやめて。待つからやめて」
最終手段を断ち切られて悄然とうな垂れながら隧道を歩く。
中層も五階を過ぎた頃、不意に腰の重みが増えた。足を留めて視線を落とすと、腰の鞄に鞄をくくりつけている静がいる。
先程まで通常個体とたまに変異個体のなきがらを詰め込んでいた鞄だ。確かに鞄に忍ばせてはないが、誰も鞄ごと欲しいと言った覚えはない。
「あのなあ……」
「あげたいからあげる」
悪くないもん、と言いたげに胸をはる静を振り返り、左手を持ち上げた。不思議そうに指を見つめている静の額を指で弾く。
「ぴゃっ⁉」
奇声を上げ、静は両手で額を押さえた。三歩ほど下がって不満そうに目を細める。
「あげたからね」
言い捨てて逃げるように静が前に躍り出る。五メートル前方で足を留めた静が振り返り、無言で来ないのかと訴える。
「…………ほいほいもらえるものでもないんだがなあ……荷物持ち、ということにしておくか」
いくら鞄に入れたところで、素材のやり取りであることに変わりはない。変異個体が出ている以上、映像データとしての提出は必須。受け取ったと思われるようなことは、極力避けたい。
預かっている荷物に魔物やら魔石が入れられるのは黙認しつつ先へ進み、中層八階に降り立った。
七階層とは異なり、空気が肌を刺すように痛む。
「――戻るか」
即座に踵を返して階段を上る。行きと違い、ボス部屋ではなくどこかの通路へ出た。左右を見渡して右へと進む。
出てくる場所は三箇所ほどで固定されており、覚えてしまえば場所の目途を立てることは可能だ。今回は左右に広がる隧道なので、右に行けば上に続く階段がある道へ合流する。
「ねえ」
珍しく静から声を掛けてきた。なにごとかと視線を落とす。
「その緋色の腕輪。とったらだめだよ」
左腕を指し示されて、清巳はぴくりと眉をあげた。左腕につけているのは妹に渡した緋緋色金のブレスレットだ。
泣く泣く二人を見送る際に、不安そうな顔で持っててと手ずから身に着けられて、固辞などできるはずもなかった。欲を言うなら明美に持っていて欲しかったが、可愛い妹のお願いと可愛い弟の無言の威圧には勝てない。
なぜブレスレットを清巳が装着できたのかはわからないが、多少弾かれるような感覚があるだけで強い拒絶はないので、そういうこともあるのだと細かいことは深く考えないことにしている。
「とったらだめ、というのは?」
静が口を開くと同時に、耳元で警報が鳴った。
咄嗟に左手を挙げて静を制止し、端末に触れる
[救助要請
浅木地下ダンジョン上層五階にて獣種の変異個体を確認
救助対象者:青銅ランク探索者五名、うち三名、赤
上層五階X24:Y6
変異種の概要 推定ランク:C 魔狼種の変異個体
現在の位置はこちら]
「悪い、話は後で」
全ての文字を追う前に踵を返した清巳は、しかし再び鳴り響いた通知音に足を留めた。
震える指で救助要請の情報を更新する。
[救助信号の全消失に伴う救助要請の取り下げ]と書かれた文言に清巳は唇を震わせた。
それが意味するのは救助対象者の死だ。今回の対象者は五人。魔物に、腕輪だけを破壊するほどの知能はない。腕を落とされて、生命兆候が正常に機能しなくなるケースもあるが、即座に要請が撤回されたということは、今回はそれに当てはまらない。
がり、と喉元を掻いた。ざわついて落ち着かない心を落ち着かせるように、爪を立てて何度も首を掻く。
遠慮がちに袖を引かれ、清巳は手を止めて視線を落とした。
「痒いの?」
「…………いや。大丈夫だ」
腕を引き抜いて来た道を走る。十分程度で上層五階に戻った清巳は、表示されていた座標の位置へと向かう。残っている地の後を追いかけて奥へと進む。
果たして、そこに死体はなかった。かわりにあるのはうち捨てられた武器だ。主人を失ったカメラが所在なさげに浮いている。おびただしい血の海からなにかを引きずるような痕跡が奥へと続いていた。
「仕留めて持って帰った……ダンジョンで? 習性の変化……というより知恵をつけてる……? 成長してる……?」
実に気の悪い話だ。野生に蔓延る魔物ならばともかく、環境の変わらないダンジョンで、習性の変化を起こすほどのなにかがある、ということなのだろう。
まるで、外に出るための予行演習のような。
清巳は眉間に皺を寄せ、首を振って疑念を追い払う。両手を合わせて短く黙祷し、鞄から回収袋を取り出した。剣を握ったまま落ちている腕、砕けた杖、内側が血に汚れた盾、誰かの片足、赤い土台の腕輪を装着している手首。そして、鋭い刃物で二つに斬られている魔動拳銃。最後に、配信中の表示のまま浮いているカメラ。
カメラを手にした清巳は機械を検分した。どうやら生体認証ではなく魔力認証による最新の高性能カメラのようだ。だが、生命力の停止に伴い体内魔力の活動も停止する。それによって認証した個体の追尾が不可能となり漂っていたのだろう。生体認証ならば原型を留めている限り追尾できるのだが、壊れるか魔力切れになるまでグロ映像が垂れ流しになるため、魔力認証が最近の流行なのだ。
「見ているやつがいるかは知らないが、電源を落とすぞ」
カメラに内蔵されているマイクに向けて告げ、清巳は電源を落とした。それを袋に収めて、袋ごと鞄に収める。
途中までついて来ていた静は五階に到着した時点で、ふらりと別行動をとっており姿はない。
清巳はぽつぽつと地面に残る暗赤色の道しるべを辿って走る。
[成り立ての中学生グループらしい……ごめんちょっと一回抜けるわ]
[わ、わたしも! 休んできます]
ダンジョン配信者に惹かれて探索者になった人は少なくない。協会できちんと講習を受けてパーティーで臨めば、上層ならば比較的安全に闘える。
配信探索者のほとんどは、習ったとおりのお行儀の良い戦い方をする。下に行くほど知能が上がる魔物やイレギュラー相手には、お粗末な実力しかない。
配信探索者になった者が命を落とすのは時間の問題とはいえ、死者が出たという事実は簡単に受け止められるものでもない。胃の不快感に唇を引き結ぶ。
嫌な空気だ。左手でごしごしと頬を強くこすり、前を強く見据えた瞬間。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
断末魔にも似た悲鳴が空気を震わせた。
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