第21話

 八月二日。泣く泣く浅木に残った清巳は壮大な数奇屋すきや門を見上げていた。白壁に掛けられている表札には『万里小路』と書かれている。

 ネットで確認した工房の外見には立派な門はなかった。――恐らく、この敷地内にあるのだろう。

 じりじりと肌を焼くような日差しに滲む汗を腕で拭う。手でパタパタと仰ぎながら辺りを見渡すが、静の姿はまだ見えない。

 刻一刻と時間が迫る。

 時間になっても現れず、清巳は諦めて呼び鈴を鳴らした。


『はい』

「知り合いに今日の十時にここへと言われて来ました。伊地知という者です」

『お知り合いの方に、ですか? 失礼ながら、その方のお名前をお願い致します』


 清巳は頬を引き攣らせた。

 まさか、話が通っていないのか。

 彼女の名前を出そうとして、しかしフルネームを知らないことに気がついた。

 視線が泳ぐ。


「静という女性なのですが」

『静様、ですか。確認致しますので、少々お待ちください』


 清巳は遠い目をした。

 もうやだ帰りたい。弟と妹に会いたい。いくら通話で二人の声を聞けているとはいえ足りない。可愛い弟のご飯が足りない。可愛い妹の笑顔が足りない。

 待つこと十分ほど。木造の門扉が開かれた。


「やっぱり兄ちゃんやないか! どうしたん、誰に用事なん」


 聞き覚えのある快活な声に目を見開いた。


「一ノ瀬? なんでここに」

「じーちゃん家なんよ、ここ。あ、オフレコで頼むな」


 清巳は首肯した。

 有名税を厭う気持ちはよく理解できる。人間国宝の孫娘ともなれば、ソロで金青ランクを取った清巳の比ではないほどの被害になるだろう。


「それで、静になにを言われて来たん?」

「これを渡されただけだ」


 数日前に渡されたメモ用紙を広げてみせる。

 佳弥は呆れを隠しもせず悪態をついた。


「これでどないせ言うねんあのアホ。結局パープルダイヤも見に来んかったし、なに考えとるんやろ」


 清巳は軽く目を見開いた。

 あれほど興奮を露わにしていた静が見に行かなかったのはおかしな話だ。剣を気にして素直に見に行けなかったのか、あるいは研究機構での一件でとりやめたか。

 どちらにしても清巳にも一因がありそうで、胸中にさざ波が立つ。


「まぁええわ。入り。工房はこっちや」

「お邪魔します」


 清巳は小さく頭を下げて門をまたいだ。正面のお屋敷へ続く道から右に逸れ、奥へと入る。

 先日、ネットで見たのと同じ建物の扉を佳弥はすぱんと開け放った。


「じーちゃん、入るで。あんな、静に来るように言われたっちゅう人がおるねんけど、うち知らんのよ。なんか知らん?」


 建物の外で逡巡していると、話ながら中に入った佳弥に手招きをされた。恐る恐る足を踏み入れて彼女の後を追う。

 台の上で剣を磨いていた源治が顔を上げた。


「来たか」


 磨いていた剣を置いて源治が言う。

 その言葉に反応したのは佳弥だった。


「じーちゃん、知ってたんなら話くらい通しておいてや。うち、静が最近来とったことも知らんのやけど」

「言っておろう、あれは簡単に縛れるものではない。佳弥に会いに来たわけでもないのに、娘御が門から入るわけがなかろう」


 それが当然と言った口調で告げて、源治がすっと目を細めた。

 どことなく居心地が悪くて、清巳は愛想笑う。


「お主も気をつけなさい。あれに魅入られれば連れて行かれるぞ」


 それは忠告だった。だが要領を得ない内容に清巳が反応に困っていると、佳弥が抗議の声を上げた。


「じーちゃん、うちにはともかく、にーちゃんにまでようわからんこと言わんといて」

「必要な事じゃ。魅入られて失ってからでは遅い。時に、お主、名はなんという」


 源治の誰何に背筋を伸ばした清巳は、丁寧に頭を下げた。


「初めまして、伊地知清巳と言います。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」


 沈黙が降りた。


「じーちゃん?」


 訝しむ佳弥の声に清巳はそっと頭を上げた。


「……いや。万里小路までのこうじ源治だ。ついてきなさい」


 工房の奥へと源治が身を翻す。


「にーちゃん、ほんまアホとじーちゃんがごめんな。お茶を用意してくるさかい、話進めたって」


 手短に謝って佳弥が踵を返した。その背を見送り、清巳は源治の後をついて工房の奥へと進み、鍛冶場に足を踏み入れた。

 思ったよりも中は整然としていた。炉に火がついておらず、暑中も終わりに近いとはいえ、少し寒いくらいの空気が室内に満ちている。

 源氏の姿を探して首をめぐらせた清巳は、布に包まれたものを台の上に置く源治のもとへ足を向けた。

 ゆっくりと開かれた布の下から、見慣れた紫色を帯びた暗い青色の刀身が露わになる。

 清巳は息を飲んだ。


「あの娘御が持ってきたこれは、お主のもので相違ないか」

「……触れても、よろしいでしょうか」


 喉に力を込めて、努めて平静に尋ねる。


「構わん。そこのスペースならば試しに振るくらいならできよう」

 清巳は緩慢に柄を握りしめ、剣を持ち上げた。源治が指し示した場所に移動して、深呼吸をひとつ。気を研ぎ澄ませた清巳は、一度、剣を振り下ろした。

 以前よりもやや重いが、振り回せないほどではない。手になじむ柄も、鍔の意匠もよく知っている。

 二ヶ月程前に手放したはずの自分の剣に、清巳はどうしようもなく声を震わせた。


「間違いありません」


 震える声を恥じるように清巳は口元を覆った。

 静が後をつけ回したり、ポストに花を置いたりしていたのは、きっと剣の修繕が終わるのを待っていたのだろう。

 確かにオリハルコンは他の鉱石と異なり再鍛造しても強度は落ちないが、それには特殊な条件が必要と聞く。その詳細を清巳は知らないが、人間国宝と言われる鍛冶師の手によるものならば、こうして修繕されたことにも納得がいく。


「――お主は、なんのためにダンジョンへ行く」


 唐突な問いかけに清巳は顔を上げた。

 じっと自分を見据える目を見つめ返しながら答える。


「弟と妹を食わせるために」

「それを使いこなせる……といっても武器に頼ることが多いようだが、食い扶持などとおに貯まっておろう。なぜ、まだダンジョンへ赴かんとする」


 懐かしい感触に何度も柄を握りって確かめながら、清巳は思案するように目を伏せた。

 彼の言うとおり、ダンジョンに行かなくても生きていける資産はある。それでも命を賭して、家族の心配を置いて、ダンジョンに潜るのは。

 ゆるりと瞼を押し開き、清巳は力なく笑った。


「ふたり以外に、俺の手に残ったのが、探索者という道だけだったので」


 ほかにも大切なものはあった。ただ、気づけばその多くは零れ落ちてしまっていた。


「それがあるから、俺はまだ、あいつらの兄でいられるんです」


 夢も希望も日常さえも奪われて、必死に足掻いた自分に残ったものを手放せるはずがない。それがあったから生きられたのだ。だから、ダンジョンへ行かなければならない。


「そうか。道隆も、隆志くんも逝ったか」


 悼むように静かな声に清巳は大きく目を見開いた。





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