第19話

「きよ兄ー!」


 朝六時半。家に響く高らかな叫び声にふさわしい勢いで扉が開かれた。

 清巳は重い瞼を押し上げて、ひらりと手を振った。酔いのピークは過ぎたこと、寝て起きたのもあり理性は戻っている。欠伸をかみ殺しながら緩慢に身体を起こした。


「どうした……?」


 訪室者である妹に胡乱に聞き返す。


「しず姉がいなくなった!」

「しず……ああ。いないのか?」


 申し訳程度にかけていた薄布団を剥いで立ち上がった。

 窓から差し込む明るさが目に刺さる。寝られないことには慣れているが、毎朝の身体の重さだけはどうにもならない。


「かっつんが起きたときにはいなかったって。リビングが大変で、早く下に来て!」


 しびれを切らしたらしく、明美がベッドの傍らに立ち腕を引く。


「わかった、わかった」


 清巳は自分の足で立ち上がり、妹の後を追った。

 消えていることに驚きはない。ただ、大変な事ってなんだ、とぼんやりする頭で考えながらリビングへ入り、目を丸くした。


「いや、程度ってものがあるだろう」


 ソファの前に置かれている小テーブル。それ文字通り覆い隠す魔宝石の山。夕食のお礼に魔宝石の山は常識外れも甚だしい。

 あまりの驚きに眠気が飛んだ。


「触るのは怖いから見て」


 朝食の準備をしながら克巳が促す。

 明美は輝かしい宝石の数々に瞳を輝かせているが、触れようとはしない。


「これ、全部魔宝石?」

「たぶんな」


 天然宝石とは異なり、魔宝石にはなんらかの魔法が付与されている事がある。依頼の報酬として貰ったネックレスとブレスレットがそうだ。二つは守護に特化しているが、付与できる魔法は結界に限った話ではなく、探索者向けに攻撃魔法が付与された魔石が販売されていることもある。値は張るが、お守り代わりに持つ人は少なくない。

 紛れ込んでいてもおかしくはなく、鑑定書さえない宝石に触ることなく自分を呼んだのは英断だ。

 ラグの上に転がる魔宝石をひとつつまみ上げて、光に翳した。淡い水色の宝石が光の加減できらりと輝く。

 魔石の鑑定は清巳の専門外だが、危険か否かを勘に任せて判断することはできる。ダンジョンで生存競争をしているため、その勘の精度は二人よりも鋭い。

 同じようにいくつか検分して、清巳は遠い目をした。


「今日はこれの確認で終わりそうだな」


 淡い水色。薄い桃色。深い紫色。確認した三つの魔宝石を手のひらにのせて、じっと見つめてくる妹に差し出した。


「諦めが悪いから夕食代で手を打つとは言ったが、これはなぁ」

「そんな夕食代があってたまるか」


 手のひらの魔宝石を見つめていた明美が顔を上げ、身体の前で両手の指をからめてもじもじと動かしながら口を開いた。


「ねえ、きよ兄。保留にしてた誕生日プレゼント、その魔宝石を使った簪とか、だめ?」

「いいぞ」


 可愛い妹の可愛らしい上目遣いでのおねだりを断る道理はない。なにより、今年も家事当番十回交換券になるより、兄としては喜ばしい。

 魔宝石の値段は最低六桁だ。それを誕生日プレゼントにねだることへの多少の遠慮があったのだろうけれども、かわいい。


「しず姉とお揃いだと、もっと嬉しいんだけど」

「わかった」


 即答した。ぱっと顔を輝かせた妹が可愛くて頭を撫でる。


「このクソ甘兄貴……。愚妹も、なんであのストーカーに絆されてるんだよ」


 兄と妹に引いた視線を送りながら、克巳がテーブルに目玉焼きを並べた。

 整えられた食卓に着いた明美が呆れたように反論した。


「猫みたいでかわいいのに、それがわかんないなんて、かっつんかわいそう」

「一生わかんなくていい」


 心底嫌そうに顔をしかめる克巳に苦笑して、清巳も二人にならい椅子に着席する。

 両手を合わせて通例の挨拶を行い、茶碗と箸を持つ。


「きよ兄、しず姉は一緒にいかないの?」


 明美の問いに目を瞬かせ、清巳は視線を彷徨わせた。


「そういう話はしてないな」

「……なぁんだ」


 肩を落とす明美に申し訳なく思いながらも清巳は納得していた。

 夏期休暇は長期旅行に行こう、と話をしている最中のことだから連れて行くものと思い込んでいたのだろう。


「じゃあほんとうに彼女じゃないんだ」


 拗ねたように呟いて明美は口を閉ざした。

 だから言っただろ、と言わんばかりの視線が痛くて無理矢理話を変えた。


「克巳はなにか欲しいのあるか?」

「ない。それよりあれ全部貰うの?」

「それは流石に気が咎める。まぁ、一部は貰ってあとはどうにか返すさ」


 そんな話をしながら朝食を終えた。

 登校時間になった二人を清巳は玄関先で見守る。


「いってらっしゃい」

「……行って来ます」

「おう」


 いつものようにとはいかず、不貞腐れてしまった妹にそわそわしながら見送って、魔宝石をなんとかすべくリビングに戻る。――玄関の扉が開く音がした。


「クソ兄貴。ポストに変なもの入ってたから」

「わかった」


 すぐに踵を返し、清巳はポストへと向かった。

 書類が電子でやり取りされるようになった時代、本来、ポストはなくてもいいのだが、これまた祖父の趣味で伊地知家には設置されている。

 ただ、使われることなんてないのに、克巳は一体なにを見たのか。

 一見変哲のないポストの口を上に開いて、清巳は渋面を作った。

 花の形を模った黄色の魔宝石がぽつんと置かれている。

 その魔宝石も案の定、危険はない。が。


「あいつに明美の誕生日が今日だって、言った覚えはないんだけどな……」


 静が魔宝石をポストに置いた理由に、全く検討がつかなかった。





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