第16話

 隠れるつもりはないらしく、たとえ振り返ろうとも平然とついてくる鋼の精神。今までダンジョン内しかつきまとってこなかった彼女が、外まで追いかけてくる理由は。

 ふと、気配が止まった。

 肩越しに振り返れば、空を見上げて両手を空に突き出している。母指と示指だけを立てた両手で長方形をつくり、その中に景色を収めているようだった。


「オレンジガーネット」


 正面を向いた清巳の耳に、そんな呟きが届く。

 しばしして、我に返ったのかぱたぱたと足音が追いかけてくる。

 やはり家までついてくる気だろうか。態度が百八十度変わったことを思えば、弟妹に直接の害は及ぶとは思えない。会話をしたいわけでもないらしい。

 彼女にとってこの行為に一体なんの意味があるのか、それを確かめるのもありか。

 祖父から受け継いだ家に辿り着いた。

 門を通り抜け、玄関に入る。僅かに扉を開けて外の気配を伺う。


「きよ兄、おかえりなさい。どうかしたの?」


 リビングから不思議そうに明美が顔を覗かせた。

 そんな妹に、立てた人差し指を口元に当てて見せ、聴覚を研ぎ澄ませる。


「ここだって。あってる? ……そっか、わかんないか。橄欖石かんらんせきの子の気配がはっきりわかればいいんだけど」


 他に人の気配はない。それにも関わらず会話をするような声が聞こえる。一体誰と話をしているのか。

 清巳は廊下に出てきて不安そうな顔をする妹に片手をあげて告げた。


「悪い、ちょっともう一回出てくる」

「かっつんハンバーグ焼きはじめたのに」

「ごめん」


 唇を尖らせて俯きがちになる妹に謝罪を告げ、押し開いた扉の隙間から身体を滑らせるようにして外に出た。


「伊地知、か」


 なにかを懐かしむような柔らかな響き。やはり、態度を変えた理由は苗字らしい。

 地面を蹴って、塀の前で音もなく着地する。

 もう一度地面を蹴り上げ、塀の上部に手を掛けて飛び越えた。


「ぴゃいっ⁉」


 上を見上げた静が目を剥いて硬直した。

 地面に降り立ち、表札から手を離して逃げようと背を向けた静の首根っこを掴んだ。


「うちになんの用だ?」

「なんでもないっ」

「なんでもなくないだろう」


 静が首を横に振って少し声を大きくして叫んだ。


「ダンジョン帰る」

「ダンジョンは家じゃないが……?」


 あれはあくまで突然変異で生まれた迷宮。魔物を生み出し住まわせる魔の領域だ。


「とりあえず、詳しい話はよそで」

「ほんとだって! 女の人の声がしたもん! きよ兄の彼女だよ彼女!」

「ぴっ!」


 明美のはしゃいだ声に驚いたらしい静が鳴いて動きを止める。

 清巳もまた、耳を疑うような内容に首をめぐらせた。

「あのな、そもそも兄貴に彼女ができるわけ」

「帰る、もう帰るから」

 活動を停止していた静が、克巳の声に我に返り手を引き剥がそうと足掻きだした。

 だが、ダンジョン内にいるように身体強化はしていないらしく、指が引き剥がされることはない。地上では使わないと制限を課しているのか、はたまた忘れているだけなのか。

 ぱたぱたと足掻く静から目を離して振り返ると、玄関から出てきた克巳が大きく目を見開いていた。


「まじで彼女?」

「違う」

「連れてきたから絶対彼女だよ」

「っ、違う」


 きらきらと輝やく妹の目に反射的に頷きかけて、清巳はごまかすように首を横に振る。

 指を引き剥がそうとしたり、腕をぺしぺしと叩いていた静が、不意に声を上げて動きを止めた。


「えっ」


 静が首をめぐらせた。門扉より内側にいる二人を見つめている。

 清巳は二人を隠すように、一歩、横に身体をずらした。


「どうかしたか」


 全てを見透かすようなまっすぐな瞳を臆することなく見つめ返す。

 先に視線を逸らしたのは静だった。


「ダンジョン帰る。離して」


 手を引き剥がそうとする指には、やはり身体強化は使われていない。

 使えばすぐにでも引き剥がせるし、なによりこうして捕まることもなかっただろうに。

 ささやかな疑念は脇によけ、清巳は足掻く静を無言で見つめる。


「確認したから帰るの。ダンジョン帰るの」


 腕を掴む手をばしばしと叩かれた。


「じゃあ――」


 道中で良いから話を、と言うより早く、明美が静に声を掛けた。


「お姉ちゃん、帰る所ないの?」


 門扉から出て横に立とうとする明美から逃げるように、静が清巳を挟んで反対側に回り込んだ。

 隠れたかったのだろうが、残念なことに掴んだ腕はそのままである。


「寝床は確保してある。ダンジョンで過ごす常識」


 清巳の身体の影から顔を半分覗かせた静がかたい声音で返答した。


「ダンジョンはホテルでもないんだが。明美、克巳、先に話を済ませてくるから先に」

「そうだ!」


 ぱっと妙案を思いついた顔で明美が手を叩いた。

「お姉ちゃんの帰る場所、今からうちにしたらいいんだよ!」

「はあ⁉」


 克巳が驚きの声を上げた。

 様子を見守っていた克巳も門扉から出て、びしっと人差し指で家を指した。


「愚妹、寝言は布団の中で言え。不審人物を簡単に家にあげようとするな!」

「起きてるもん! ねえきよ兄、だめ?」


 胸の前で手を合わせておねだりのポーズを取る。

 激しく首を横に振る静を一瞥し、妹を見て。


「クソ兄貴、考え直せ」


 克巳の重々しい声に、清巳はそっと視線を上に背けた。


「まだなにも言ってないぞ」

「こいつがいうなら、って首を縦に振ろうとしただろ、今、絶対」


 断言する克巳の顔を見る勇気はなく、清巳は顔を背け続けた。


「……………………………………………………だって明美のお願いだし」

「それで許すな馬鹿」


 頭を縦に振って同意を示していた静が克巳の睨みを受けて『ぴ』とか弱く鳴いた。逃げだそうと再び抵抗を始める。


「だいたい、そいつ配信でもストーカーしてたやつだろ? ここまでついてくるとか普通に考えてやばいだろ」


 紛うことなく正論である。

 だが、明美が負けじと食い下がった。


「大丈夫だよ。だって、きよ兄が連れて来たんだよ。ね、お願い、お兄ちゃん」

「分かった」


 間髪入れず清巳は頷いた。


「えっ⁉」

「やった――――!」


 明美はその場で二、三度飛び上がる妹に目元を和め、鬼のような形相をしている弟からすっと視線を逸らす。

 驚愕の声を上げていた静もまた目を剥いていて、清巳は気まずさを覚えながら鈍色の雲が漂う空を見上げた。

 いい天気である。


「お姉ちゃん、こっちこっち!」

「え、えっ、……えぇぇぇ……」


 裏切り者を見るような目で明美に引きずられていく静に、清巳はそっと合掌した。


「このクソ兄貴。許すなって言ったそばから陥落しやがって」


 鋭い視線を投げつけられ、清巳は頬を掻いた。


「明美の〝お兄ちゃん〟に逆らえるとでも?」

「あいつの常套手段だろ。逆らえ」

「できたらこんなことにはなってない」


 開き直る長兄に克巳が深々とため息を吐いた。





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