世界が色づく、色気づく

まらはる

そういうお店

「本日は~ウルトラドスケベ講座、60分1万円コースを受講していただき、ありがとうございます!」

「オレは何でここにいるんだろう」

 数分前、キャッチのお兄さんに釣られて、路地裏のお店に入ってしまった。

 だからここにいるのだろう。

 主に仕事が原因でイライラしていたのが良くなかった。

 これまで"そういうお店"に一度も入ったことないのに、半分指運で選んでしまった。

 ちょっとテンションのおかしいお姉さんは、見た目はスーツ姿の似合う美人だが、エッチな気分は全然ない。

 スクリーンにはプロジェクターからパワポの資料が投影されており、俺はその正面にある椅子に座っていた。

「あの、ドスケベ講座、ですよね?」

「ウルトラドスケベ講座です! 日常生活が今後困難になるレベルのドスケベをその身に宿していただきます!」

「今からでも帰っていいですかね」

 まるで日常生活が困難になるレベルのドスケベはエロ漫画の中だけで勘弁していただきたい。

「それではまずこちらをご覧ください」

 俺の意思は無視して、お姉さん――先生なのだろうか?——は、さっそく講座を開始する。せめて自己紹介くらいはしてほしい。

「こちら、なんだかわかりますか?」

「……信号機?」

 パワポスライドは画面が切り替わり、車道側の信号機が映し出されていた。

「信号機。間違いではありませんが正解でもありません。こちらはプログラム多段式信号機で、あらかじめ色の変わる時間が曜日や時間帯などを基準にプログラムで設定されています」

「正式名称……ということですか?」

「いえ、まだまだです。それだけではありません。LEDを採用しており、光る箇所が横に並んだ横型灯器となっています。また、設置には自治体から要望を警察署に届けて、さらに設置予定地を調査の上で判断し、公共工事として入札が行われます。素材は主にアルミニウム、オーストラリアから輸入されたものが使われています」

「あの、それは……」

 話の方向性が見えない。

 信号機の豆知識というか、雑学というか。

「さて、ほかにもまだまだ言いたいことはありますが、信号機の写真を見たときに今言ったようなことが少しでも頭によぎられましたか?」

「え、いや、別に……」

 信号機は信号機だ。

 せいぜい、自分が安全に過ごすために何色の灯器が光っているのかしか気にならない。

「もっっっったいないィ!!!!」

「は、い?」

 お姉さんは急にでかい声を出してきた。

「信号機ひとつとっても、種類があり、設置経緯があり、素材や部品があり、かかわる人々がいる!! そこに思いを巡らせてみれば、街中でポツンとそびえたつ信号機すら愛おしくなりませんか?」

「そ、そうかもしれませんね……」

 特にそんなことはなかったが、反論すると面倒くさそうなので、やめた。

「では次ッ!」

 同意したからか、急に切り替えてきた。

「ラー、メン……?」

「ですが、ではない!!」

 今度はスクリーンにおいしそうなラーメンが映っていた。

 でも否定された。

「何ラーメン!?」

「え、醤油……?」

「生姜醤油! 生姜醤油ラーメンです。新潟発祥とされるラーメンで、当然ご当地に店が多くありますが、こちらはそんな新潟出身の方が東京の渋谷区で開かれたお店のものとなっています。店長は出身新潟で修行された後、師匠筋の伝手で東京にて開店。麵や鶏ガラ、生姜に、ダシとなる煮干しもご自身の足で舌で探して最適なものを選んで組みあわせられました。毎週火曜は大盛無料。あっさりした味わいの醤油味に生姜のアクセントが効いたスープが麺によく絡んで何杯でも食べれてしまう、大人も子どももおねーさんも大好きな味! 」

「お、おう……」

 おいしそう、ではある。

 生姜醤油ラーメン、というのはありそうで聞いたことない組み合わせだった。

「ねぇ興奮してきましたか!?」

「興奮は、して、ないですね……」

 テンションについていけず、気の抜けた返事をしてしまった。

「一杯のラーメンの写真だけでは、何も感じないでしょう。しかしどんな味なのか、どんな人が作ったのか、その情報があればあるほど、人は興奮できるのです!!」

 情報を食ってる、なんて表現がまさにラーメンの漫画であった気がするが、しかしそれは悪いことではないのだろう。

 知識があれば、些細な味わいに気づいて楽しめたり、サービスも選んで受けることができる。そしてそれらを食べる前から考えて、想像することも、また料理を楽しむ一環と言っても間違いないだろう。

 なるほど。

 興奮はしてないが、ラーメン食べたくなってきた。

「なるほ」

「ご理解いただけたので次へ参ります!!」

 食い気味に来た。

 とはいえ、ドスケベの意義は分からないが、ちょっと、わかってきた気がする。

 知れば知るほど、解像度は上がる。

 ふと、目の前のスクリーンには、すでに新しい画像に変わっていた。

 映っていたのは――

「ん、あ?」

「わかりますか?」

「分かる、けどコイツ……」

 男性。会社の隣のデスクの、1年後輩。そりゃもう見慣れている。

「彼のことを、どれだけご存じですか?」

「なんでコイツ……まぁ、多少ミスすることもあるけど仕事は基本的によくできるしミスも隠さずフォローも早いし……多少冗談も言うし、良いやつ、なのかな……」

 仕事をする上では、それで充分だ。

 ――充分なのだが。

「出身は千葉県の香取市。両親と、弟と妹と一緒に暮らしていて、成績は地元でおおむね中の上。高校ではちょっとグレて悪い友人といたときもあったけれど、両親と教師に説得されて、遅れていた勉強も取り返して、ついには志望していた東京の大学に入る。1年生では危うげなく単位を取得しつつ2年生になったところで同じサークルの女性と恋人に……」

「ダメだって!!!」

 ダメだって。これ以上聞いたらダメな気がする。

 もうちょっと身の回りの人のことを知ったほうが良いかな……と思ってた流れだけど、これはダメだって。プライベート!!プライバシー!!

「何がダメなのでしょうか。身の回りの人間のことを知るのは大事だと、ここまでの流れで思ったのでは?」

「思ったけど!実際モノローグもしたけど!」

「まぁ、いいでしょう……あなたの隣の何気ない人も、その人なりの人生を送ってきているのです。過去があり、経験があり、環境がある。それをお伝えしたかった」

「わかりは、します、が……」

「わかりましたね、じゃあ興奮しますね?」

「興奮はしません」

「ちゃんともっと真剣に向き合ってください!!」

 怒られた。

「あらゆる人間が、存在が、多くの情報を携えてその場にいるのです! 表面的な視覚情報のどれだけちっぽけなことか!! 路上のゴミすら、素材はどこかの大自然から採られて、工場で生成され形成され、小売業から顧客の手を経て必要な部分のみ使われて残りは無残に捨てられる……興奮しますよね!?ドスケベですよね!?」

 なるほどね、ようやく理解した。

 この人、というかこの店?情報量で興奮するタイプの人がやってるんだ。

「言いたいこと、伝えたいこと、……わからなくは、ない……ですが!!」

 ここで言わないと、ダメだと思った。

「俺はそういうので興奮しないんです!!!」

「なっ、ウソ、でしょ……!?」

「驚かれますか!? ぶっちゃこのお店、流行ってらっしゃいますか!?」

「いや、それが……お客様が今週……いや今月初めてのお客様で……」

「でしょうね!」

 ニッチがすぎる。

 意図は分かるが。

 需要もあるだろうが、物理の店舗を出すほどではないのでは?

「……ホントのところはもっといろいろ言いたいところはありますが、お話自体はためになったのでありがとうございます、ですが帰らせていただきます。時間もちょっと残ってますが、ここで切り上げさせていただきます」

「は、はぁ……その、……え、ホントに興奮、しないんですか?」

「ちょっと市場調査をもっとしっかりしてから、聞き直してください!」

 ため息をつきつつ、荷物をまとめて店を出る。

 料金は払った。

 背中に「ありがとうございましたー……」という呼び込みのお兄さんのあいさつを受けながら、「もう二度と来ないぞ」と思いつつ、一人、帰路についた。


 ――後日談。

「あ、おはようっす、先輩」

「おはよう、後輩」

 会社で隣の後輩とあいさつする。

 果たしてあの日の情報はどこまで本当だったのだろうか。

「そういやどの辺出身だっけ? この前の休み実家帰った?」

「千葉の方ですね。しばらく帰ってないですけど……」

「……」

 何気なく、教えてくれる。

 それくらいは別に隠すほどでもないのだろう。

「俺は、山梨の方でさ……」

 あの日から、ちょっとだけ周りの見方が変わっていた。

 ちょっと悔しいが、ふと目に映るものが、気になってしょうがなかった。

 家具、車、家電、文房具、植物、食べ物、工具、地形、本。

 そのほかにもいろいろ。

 せっかくスマホっていう文明の利器があるのだから、調べよう、という気になった。

 思ったより、世界は情報にあふれている。

 目に見えている色は、もっと複雑なのだ。

 そしてそれは俺自身も。

 今まではほとんどモノクロの世界を見ていたも同然だった。

 気づかせて、きっかけをくれたあの店には感謝をしている。

 ……まぁ、ぜんぜん色気はない店だったけど。

礼を言うために、もう一度行くぐらいは、いいかもしれない。

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