宇宙のマチ子

マキシ

目指せ! ロケット打上げ成功!!

 私は、手に取った宇宙飛行士面接の合否結果通知を見て、暗い気分になった。

 また落ちた……。これで28社目だ。


 私は、季実子、28歳。これでも、宇宙飛行士候補の資格保持者だ。

 アメリカで宇宙開発を行う民間企業が増えてきたことなどをきっかけに、2040年頃から、日本でもロケットを開発し、打ち上げまでを行う企業が増えてきていた。


 ただ、その企業の数は、決して多くない。ロケット開発には、様々な壁が立ちはだかる。資金、技術、施設、人材などなど、様々な問題をクリアすることは、非常な困難を伴う。ましてや、有人ロケットを作っている会社などは、ごく一握りだ。そんな中、私は、有人ロケットを作っている企業を回り、宇宙飛行士の口がないか探していた。要するに就職活動だ。状況は芳しくない、というか、はっきり言って最悪だ。


 普通に考えれば、宇宙飛行士などは、エリート中のエリート。私が憧れてやまない、日本人初の女性宇宙飛行士、千秋さんなどは、スキー大会で優勝する程の身体能力を持ちながら、医学博士号も持っていたという。医学博士号よ?


 今は、千秋さんの頃から比べれば、宇宙飛行士の条件はずっと緩くなったが、それでも、学術試験、身体能力試験に受かった後、耐G訓練、宇宙服での水中活動訓練など、多くの過酷な訓練を修了しなければ、宇宙飛行士候補の資格がもらえない。


 それほどの過酷な条件をクリアしようとする奇特な人間自体、多くはないのだが、実際に宇宙に出られる機会を掴める人間となると、ごく一握りだ。私はため息をつきながら、今年度最後の面接先となる研究所へ向かった。


「予備員ですか?」

 私は、思わず聞き返してしまった。宇宙飛行士、予備員と分けて割り当てられるということは、ロケット打上げのプロジェクトが既に動いているということだ。普通、プロジェクトが動き出すまでは、企業と契約している宇宙飛行士候補者たちにその区別はない。


「そうだ。現在進行中のプロジェクトでは、宇宙飛行士は既に決まっている。しかし、本来なら予備員として割り当てられるはずだった奴をクビにしちまったもんでな。君には、できれば、宇宙飛行士予備員としてプロジェクトに参加してもらいたいと思っている」


 そう私に言ったのは、この業界でも有名人の啓介さん。伝説とも言われているロケット設計士だ。啓介さんは、フレームを含むロケット本体、分離機構、メインエンジン、各種制御系システムから固体燃料補助ロケットまで、ロケット全体を設計できる、この国でも数少ないロケット総合設計士だ。


 その啓介さんが興したのがこの会社、K'sロケット技術研究所。

 国のロケット開発機関をはじめ、日本のロケット開発企業各社から、ロケットに関わる各種設計を請け負って収益としてきていたのだが、ついに自社で一つ丸ごと設計したロケットを作ることを発表し、必要な人材を募集していたのだ。


「実はな、もし君が予備員としてうちに来てくれるようなら、予備員として以外に、頼みたい仕事があるんだが……」

 少し言いにくそうに、啓介さんは言った。

「予備員以外の仕事、ですか?」

 私は、不思議に思って言った。普通、宇宙飛行士、宇宙飛行士予備員は、打上げに向けて訓練に集中するものだ。他の仕事を割り当てられることなど、ほとんどないと言っていいだろう。

「実はな、言いにくいんだが……、宇宙飛行士の訓練教官を兼任して欲しいんだ。実は、結構困っていてな。できれば、引き受けてくれるとありがたいんだが……」

 この時の私に、選択肢などなかった。少なくとも、そう思っていたので、私はその話を受け、宇宙飛行士予備員兼訓練教官として、K'sロケット技術研究所職員の一人となった。


「うちは、設計はするが、製造、組み立てなんかは外注なんだ」

 研究所内を案内してくれながら、そう話してくれているのは、このプロジェクトのプロジェクトマネージャ、雅之さん。啓介さんの懐刀とも言われる人で、啓介さんがこのプロジェクトを企画できたのは、この人の存在が大きいと言われている。


「今回のロケットでは、有人人工衛星が荷物ペイロードになっているのがポイントだな」

「そうですね。珍しいですよね、今時有人人工衛星なんて」

 私は、少し不思議に思っていたことを口に出して言った。通常、有人ロケットは、国際宇宙ステーションに人や研究機材などを運ぶことを目的にするものだ。

「そうだな……。まあ、色々あってな。結局資金の問題ではあるんだが」

 言いにくそうに、雅之さんが言った。


「はあ、資金……」

 ロケット開発に莫大なお金がかかることは常識ではあるが、Mr.レジェンドの啓介さんなら、出資する企業には困らないイメージがあった。

「啓介さん、前に国のお偉いさんからの設計依頼を断っちまったことがあってさ、コンセプトが気に入らんとかなんとかで……。それを怒ったそのお偉いさんが、うちの会社に出資しないようにって、あちこちに圧力かけちゃったらしくて……、このプロジェクトも、実は結構資金難なんだよね」


「資金難のままだと、この会社の行く末自体、厳しいままなんじゃないですか?」

 私は、少し自分の将来まで心配になりながら、雅之さんに聞いた。

「その状況を打開する手段が、今回のプロジェクトなんだ。まあ、その辺は、宇宙飛行士を紹介してから話すよ」

 ニカッと笑って、雅之さんが言った。私は、微妙に嫌な予感がした。


「紹介するよ。こちらが、このプロジェクトのパイロット宇宙飛行士、マチ子だ。隣にいるのは、衛星内環境部門技師兼保険医の亜沙子さん」

 パイロット宇宙飛行士と紹介された女性は、宇宙服の試着を兼ねた機能チェックの最中だった。紹介されて、こちらを向いて笑顔になる。


「マチ子でーす。よろしくぅ!」

 と、宇宙服のまま、Vサインをこちらに送ってきた。Vサインかー、ちょっと苦手だなー、こういうタイプ。

 努力して人見知りを克服した私のようなに人間にとって、呼吸をするかのように誰とでも仲良くなれてしまうこういうタイプには、どうしても苦手意識を持ってしまいがちだ。


「よろしくお願いします。パイロット宇宙飛行士予備員兼訓練教官を担当します、季実子です」

 自己紹介をした私に、その宇宙飛行士は、顔いっぱいを笑顔にして言った。

「聞いてるよぉー! お手柔らかにねぇ、キミちゃーん!」


 キミちゃん……。私が、ひきつった笑顔で応えていると、雅之さんが口を挟んだ。

「ああ、教官って言っても、季実子教官の主な仕事は、亜沙子さんと協力して訓練メニューを作ることと、メニューの実践管理だ。ムチを持ってメニュー消化を強要するまでのことは、期待してないよ」


「ひっどーい! あたし、そんなことされなくったって、ちゃんと訓練するもん!」

 ぷりぷりしながらそういう宇宙飛行士に、隣で困ったような声を上げているのは、衛星内環境部門技師兼保険医と紹介された亜沙子さん。

「マチ子ちゃん、あんまり動かないで……。機能チェック中なんだから……」

「はーい!」


 ここは、保育園か……。そうも思ったが、少々年配のこの女性、衛星内環境部門技師兼保険医? なんという肩書だろう。精密機械技師なのに、医師免許も持ってるってことか、化け物だな……。後で聞いたところによると、亜沙子さんは、啓介さんの亡くなった奥さん、美沙子さんの妹にあたる方なのだそうだ。

「あー、一応言っとくと、マチ子は啓介さんの実の娘だ、亜沙子さんは、叔母さんにあたる」

 ちょっと言いずらそうに雅之さんが言った。


「はあ?!」

 私は、思わず驚きを口にしてしまった。啓介さんが、身内びいきをするような人には見えなかったからだ。

「わかる。その気持ちは、すごくよくわかるんだが、頼むから俺の話を聞いてくれ」

 少し長くなるからと、空いていた会議室まで案内され、コーヒーを私の前に置いてから、雅之さんが話し出したのは、この会社を作るに至った経緯と、パイロットをマチ子さんにするまでのいきさつだった。


「この会社は、国の宇宙開発機関で働いていた啓介さんと亜沙子さんが、独立して興した会社なんだ。国の宇宙開発機関に嫌気が指していた啓介さんに、亜沙子さんが声をかけたんだ」

「嫌気?」

 私が聞き返すと、雅之さんは、肩をすくめて言った。

「啓介さんは革新的なことが好きだからな。保守的な上層部とは、折り合いが悪かったんだ」


「そんなところへ、マチ子が、アメリカの宇宙開発局で宇宙飛行士訓練を終えて帰国してきた。あっちでの成績は、トップクラスだったそうだ。マチ子にしてみれば、啓介さんのロケットに乗るのが夢だったようなところがあるからな。半ば強引に合流したんだが、マチ子の宇宙飛行士としての成績があまりにもよかったんで、啓介さんも断り切れなかったらしい。まあ、娘がパイロットなら、資金節約にもなるしな」


 なんとあの女、アメリカ帰りか……。アメリカ航空宇宙局の宇宙飛行士訓練は、世界でも屈指の厳しさで有名だ。あの女も化け物の一人か、とてもそうは見えないが……。しかし、私の疑問は、すぐに解消することになる。


 そういえば、と思い返して、私は雅之さんに尋ねてみた。

「資金難の打開策って、結局何なんですか?」

 雅之さんは、にやっと笑って言った。

「宇宙に挑む、美人宇宙飛行士! みんな、こういうの好きだろ? マチ子が宇宙から帰ってきたところを宣伝したら、どこの企業だってマチ子を広告に使いたがるはずだ。おまけにロケット資金もがっぽりってな!」


 ああ……と、私は思った。そういや、あの女、結構かわいい顔してたな。胸も結構あったような……。ち! これだから、男って奴は……。


「私のことは、先輩って呼んでね。あたしの方が、年上なんだからねぇ」

 訓練初日、私はマチ子さんからそんなことを言われた。私は、亜沙子さんと訓練メニューを作っているとき、亜沙子さんから、こんなことを言われていた。

「マチ子ちゃんと仲良くやってくれるとうれしいの。彼女、少し癖はあるけど、いい子なのよ」


 亜沙子さんは、尊敬できる人だ。その人から、そんなことを言われていれば、私も努力しないわけにはいかない。以降、私はマチ子さんを「マチ子先輩」、でなけりゃ「先輩」と呼ぶようになった。大学の部活生活が懐かしい……。


 マチ子先輩は、充分化け物だった。私は、訓練初日から、マチ子先輩の身体能力の高さに舌を巻いた。しなやかな体とバネを持ちながら、耐久力もずば抜けているのだ。どんな筋肉してんのよ……。私は、先輩についていくのがやっとだった。私が教官やる意味ってある?


 マチ子先輩は、今回のロケットについての設計、構造、機能についての知識も素晴らしかった。個々の部分については、各部門担当者にはとても及ばないかもしれないが、全体を俯瞰して理解する能力については、さすが啓介さんの娘であると感じざるを得なかった。


 私は、訓練の時とは逆に、ロケット設計などについては、マチ子先輩から講義を受けていた。

「このロケットのすごいところはね、なんと言っても運搬能力の高さにあるの。ロケット本体の重量が従来の2/3位しかないのに、運搬可能重量は、従来ロケットの1.5倍にもなるの」


 得意そうに、マチ子先輩が話す。

「それを支えるのは、フレーム、外壁に、軽くて柔軟性の高い新素材を使用しているところとか、燃焼効率が格段に良くなった新しい液体燃料なんかもそうなんだけど、一番重要なのは、新型メインエンジンのパワーによるところが大きいんだよね。これは、お父さんが既存エンジンをベースに0から設計したエンジンなんだよ!」


 私は、関心したように言った。

「随分、このロケットのこと、詳しいんですね。ロケット工学って、得意なんですか?」

 マチ子先輩は、珍しくはにかんだように言った。

「ううん。あたしなんか、体力バカだもん。ロケット工学なんて全然だよ。このロケットは特別なの、だって全部お父さんが設計したロケットなんだから」


 "体力バカ"のレベルが違うんだよな……。私は、内心苦笑しながら言った。

「啓介さん……お父さんのこと、好きなんですね」

「うん! 大好き! なんかね、あたし、ちっちゃい頃からずっとお父さんの背中を追っかけてた気がするんだけど、お母さんが死んじゃってから、その傾向が強くなったみたい」


 私は、慌てて言った。

「ごめんなさい、なんかあたし、変なこと言っちゃったみたいで……」

「んふふ、キミちゃんは、いい子だね」

 マチ子先輩は、なんだか、あたしの頭をいい子いい子した。

 私は照れ臭くなって笑った。マチ子先輩も、笑った。

 色々不安だったけど、なんだかうまくやっていけそうな気がして、あたしは嬉しくなった。


「はあ? 2kg太っただぁ?!」

 訓練教官である私の報告書を見て、啓介さんが驚いたような声を出した。

 太ったのは、私ではない。マチ子先輩だ。私は、それに応えるように言った。

「それだけじゃないんです。耐G訓練のレポートを見てください」

「なんだこれは……、血圧も心拍数も、許容値を随分超えてんじゃねーか……」

 私は、ほとほと困ったように言った。

「亜沙子さんと相談して、対策を打ちます……」


「頼むぞ。どうしても改善しないようなら、パイロットは、お前に頼むしかない。心構えはしておいてくれ」

 啓介さんが、プロジェクトの総責任者として必要なことを私に言った。

 私は、複雑な思いでそれを聞いていたが、言葉は出てこなかった。

「……」


 宇宙に行きたい、その思いに嘘はない。でも、今じゃない。私はそう思っていた。

「今、宇宙に行くべきは、マチ子先輩だ」

 私は、このことについて亜沙子さんと話し合うことになっていたので、亜沙子さんと連絡を取り、指定された臨時会議室へ向かった。

「マチ子ちゃんなんだけど、耐G訓練のことも、体重が増えたことも、多分原因は同じだと思う。実はね……」

 と言って、亜沙子さんは、2年程前、この研究所で何があったかについて話してくれた。


「レイプ未遂?!」

 驚く私の顔を見て、ため息をついて亜沙子さんが続けた。

「私も話を聞いたときは、信じられなかったんだけど……」

 亜沙子さんから聞いた話では、こう言うことだった。

 事件当初、このプロジェクトのパイロット宇宙飛行士は、マチ子先輩の他、もう一人の予備員の男性がいた。その男性は、どうやらマチ子先輩に思いを寄せていたらしい。そしてある時、仮眠室で眠っていたマチ子先輩を見かけ、衝動的に襲い掛かったらしいのだ。


「幸い、そばを他の職員が通りかかかって、事なきを得たんだけど、マチ子ちゃんは随分ショックを受けてね。しばらく部屋に引きこもっていたくらいなの」

 無理もない……。私は、自分がもし、その状況になったらと想像してみて、恐怖で全身が硬直した。女性にとって、行為を男性に強要されるということは、恐らく、男性が熊に襲われることと対して違いはない。圧倒的な暴力に翻弄されるしかない状況……。命の危険はないだろうって? そんなことわかるもんか! ……ごめんなさい、冷静じゃありませんでした。


 亜沙子さんは、話を続けた。

「私も啓介も、自分の油断を呪ったわ。パイロットは、マチ子ちゃん以外で探すことにしようって話していた時、マチ子ちゃんが部屋から出てきて、パイロットは自分がやるからって、絶対やるからって言ったの」

 なんて健気な……、マチ子先輩は、啓介さんのロケットに乗る権利を、どうしても他の人に譲りたくなくて、恐がる自分の気持ちに鞭を打って、二人の前に出てきたのだ。


「あなたに訓練教官を頼んだのは、マチ子ちゃんの友達になって欲しかったのもあるんだけど、あの子を守って欲しかったっていうのもあるの……。話していなくて、ごめんなさいね」

 申し訳なさそうに、亜沙子さんは言った。私は、首を振って言った。

「謝らないでください。私も、マチ子先輩は大好きですから。耐G訓練では、体の自由が奪われるような状況になると、その時の記憶が蘇るとかっていうことなんでしょうか。体重が増えたのは?」


「きっと、耐G訓練が始まってから、眠れなくなったんだと思う。気持ちを紛らわせるために、寝る前に大量の食べ物を口に入れることが習慣化したとか、そんなところじゃないかな……」

 余分なカロリー摂取さえ止められれば、マチ子先輩なら、体重を落とすことは難しくない。でも根本的に解決するためには、マチ子先輩が当時感じた恐怖に打ち勝つことがどうしても必要だ。

「私に、考えがあります……」

 私は、自分のアイデアを亜沙子さんに話した。

「そうね。差し当たり、それが一番いいかもしれない。大変かもしれないけど、マチ子ちゃんをお願いね」


 翌日から、私は、マチ子先輩と同室にしてもらった。マチ子先輩と私は、訓練所近くの寮に入っていたのだが、女性が少なかったこともあり、それぞれ個室だったのだ。訝し気に、マチ子先輩が訓練教官である私に尋ねる。

「えー、そりゃうれしいけど、急になんで?」

 私は、訓練教官らしく答えた。

「そりゃ、マチ子先輩に間食疑惑があるからです。ロケット打ち上げまで、もう3か月しかないんですから、カロリー制限が厳しくなるのは、当たり前なんですよ」

 マチ子先輩は、気まずそうに下を向いて言った。

「ごめんねぇ……。眠れなくて、どうしようもないの。食べると少し落ち着くんだよね……」


 私は、訓練教官モードを引っ込めて言った。

「はい、聞きました。私が先輩と同室にしてもらったのは、間食を止めるためだけじゃありません。先輩が、事件を乗り越えるお手伝いをしたいと思ったからです」

「ええ……、どうやって……」


 私は、頼りなげに視線をこちらにむけるマチ子先輩に向かって言う。

「一緒に寝ましょう」

「ええ! キミちゃん、そっちの趣味なの?」

 真面目にそんなことを言うマチ子先輩に、私は突っ込んだ。

「違いますって! 一緒に寝るだけです。一緒に寝るのって、いいんですよ。すごく落ち着くんです」


 私は、小さい頃、いじめられっ子だった。夜、昼間のことを思い出して泣いていると、お母さんが一緒に寝てくれたものだ。お母さんがその時歌ってくれた歌は、今でも忘れない。私は、お母さんが歌ってくれた歌を聴いていると、昼間のことは忘れて、ぐっすり眠ることができた。


 そういうわけで、私は、マチ子先輩と一緒のベッドに入った。ベッドはシングルだったので、女二人とは言え、結構寝づらかった。

「暖かいけど……、なんだか動きずらい……!」

 急にマチ子先輩の体が強張った。呼吸も荒くなっている。

「ふー! ふー!」

 フラッシュバックだ! 暗い部屋で、体の動きが制限されたからだろうか、図らずも私は、マチ子先輩にフラッシュバックを起こさせてしまった。

 落ち着け、私……、考えようによっては、この状況は悪くない、多少荒っぽいことにはなったが。


「マチ子先輩? 落ち着いて、私がすぐそばにいるんですよ、何も心配はありません。ホラ……」

 私は、強張ったマチ子先輩の体を抱きしめながら、マチ子先輩に語り掛けた。マチ子先輩の状態は変わらない。焦るな、私……。

「ラララ……、ララ……、ララ……、ラ……、ラ、ラ、ララ、ラ、ラ……」

 私は、子供の頃、お母さんが歌ってくれた歌を歌った。大人になって知ったのだが、この歌は、イギリス民謡の「Home Sweet home」という曲だった。日本でも、「埴生の宿」として歌詞がつけられ、知られている。


 私は、マチ子先輩を抱きしめながら、繰り返し、繰り返し、歌を歌った。マチ子先輩は、中々落ち着かなかったが、時間をかけて体から力を抜いていき、やがて眠ってしまった。マチ子先輩が眠ったことを感じて、私もいつの間にか眠ってしまった。


 それから打ち上げまでの3か月間、毎日毎日、私たちはそうして眠った。2か月もたつと、マチ子先輩は、暗くなった部屋で私に抱きしめられても、体を強張らせることがなくなったどころか、私に歌をせがむようになった。

「キミちゃーん、いつもの歌よろしくぅ!」

「はいはい……。ラララ……、ララ……」

 耐G訓練でも、血圧、心拍数とも、許容値を下回るようになった。体重もきっちり2kg戻してきた。

 きっと、これでもう、マチ子先輩は大丈夫だ。


 ついに打上げ当日になった。

 打上げは、国の打ち上げ施設を借りて行われる。資金難の民間企業は、どこもそうして自分たちの開発、製造したロケットを打ち上げるのだ。

 宇宙服を着て、人工衛星に詰め込まれるマチ子先輩を見て、私は少し不安になったが、マチ子先輩は、そんな私にVサインを送って見せた。なんだか敵わない、この人には、と思ってしまった。


 ロケットとマチ子先輩を残して、私やロケット打上げのスタッフたちは、そこから数キロ離れた管制室兼指令室に向かう。

 うちでは、打ち上げまでのロケット管制と、打ち上げ後のロケット観測などを分けて行わず、スタッフもそれぞれの役割を兼任していたりするので、多少大きいとはいえ、一つの部屋で全てをこなす。特に打上げまでのシステムチェック、ロケット打上げ管制は、啓介さんが開発したフルオートシステムを使用しているので、ロケット打上げ管制に必要な人員は、驚くほど少ない。


 AIによる音声のカウントダウンが始まっている。

 398、397、396……


 私は、その合間に打上げシーケンスの進捗状況を報告する。

「液体燃料、地上与圧開始」

 389、388、387……


「液体酸素、地上与圧開始」

 369、368、367……


「全チェックシステムセルフチェック、オールグリーン、機体チェックシーケンスに入ります」

 管制室兼指令室の正面にある大型モニタには、打上げの時を待つロケットが映し出されている。

 私は、自分の仕事に集中する。

「管理システムチェック、燃料系、燃料系システムチェック、燃焼系、燃焼系システムチェック、衛星本体、衛星本体システムチェック、オールグリーン」

 伝説レジェンド、啓介さんが娘のために丹精を込めて作ったロケットだ、卒などあるはずもない。


「ウォーターカーテン、散水開始」

 80、79、78……


「フライトモードオン」

 20、19、18……


「火工品トーチ点火」

 10、9、8……


「全システム発射完了、メインエンジンスタート」

 3、2、1……

「SRB点火、リフトオフ離床!」


 モニタのロケットが、ものすごい煙と炎を上げて、ゆっくりと上昇していった。

「マチ子先輩……」


 私は、管制状況がモニタされている画面を見ながら、打ち上げ後のロケット状況をレポートした。

「エンジンの燃焼は正常、制御系、飛行経路も正常」

 亜沙子さんが声を上げた。

「パイロットの血圧、心拍数が上昇しています」

 そんな……、やっぱり、本物のGには敵わないのか……。私は、背中に冷たい汗を感じた。


 啓介さんの声が上がる。

「パイロットの声は聞こえないのか?!」

 通信管制部門の担当者が声を上げる。

「まだ電波干渉がひどくて……、待ってください、何か聞こえる」

 部屋にいた全員が、スピーカから聞こえてくるノイズに耳を澄ませた。

「……ララ、(ノイズ)ラ、ラ……(ノイズ)」

 通信管制部門担当者が首をひねる。

「なんだ、これ、歌か?」


「パイロットの血圧、心拍数、下がっていきます……。正常値に落ち着きました。大丈夫そうです」

 ほっとしたような顔をして、亜沙子さんが声を上げる。


 ふーーーーーーーーーーーーっ

 啓介さん始め、全員が息をついた。私は自分の仕事に戻り、レポートを続ける。

「衛星フェアリング分離……、第一エンジン、燃焼終了」


 まだ途切れ途切れにマチ子先輩の歌が聞こえてくる。がんばれ、マチ子先輩……。

「第一エンジン切り離し成功、第二エンジン点火」


 第二エンジンの燃焼が完了すれば、あとは第二エンジンを切り離すだけ……。

「第二エンジン燃焼終了、第二エンジン切り離し成功」


「人工衛星は、衛星軌道に入りました。速度問題なし」

 よっしゃぁーー! なんて声が、あちこちから上がった。

 しかし、私は鋭く室内の人たちに声を上げた。

「待ってください! 何か聞こえます……」


 私の声を受けて、管制室兼指令室室内が静まり返った。

 静かになった室内に、マチ子先輩の声が響いた。

「……ぐずっ……ぐずっ……」

 泣いてる?! マチ子先輩! 何があったの?! 私は、考えられる可能性について知りたくて亜沙子さんに声をかけた。

「亜沙子さん!」


 亜沙子さんは、真っ青になって首を振った。

「……わからない、どうしたのかしら……」

 啓介さんが、普段では聞けないような、優しい声でマチ子先輩に話しかけた。

「マチ子? 大丈夫だ。何も心配することはない。何があったか教えてくれ、な?」


「……きれいなの……ぐずっ……」

 マチ子先輩が答える。え? 今、なんて?

「地球がすっごく、すっごくきれいなのぉ~、うえぇぇぇぇん!!」


 啓介さんは、深呼吸をしてから言った。

「マチ子……、体は何ともないんだな? ただ地球がきれいだから泣いてるだけなんだな?」

「はい、船内気圧、船内気密、ともに正常。衛星船内システムチェック、オールグリーンです、ぐずっ」

 泣きじゃくりながら、マチ子先輩が答える、と……。


「アホかぁ~~!! この馬鹿娘ぇ! そんなことで泣いてんじゃねぇ~~!! 心配するだろが~~!!」

 啓介さんが大声で突っ込んだ。管制室兼指令室内は、ほっとした空気に包まれた。雅之さんは……、おなかを抱えて笑っている。


「馬鹿って言わないでぇ。だって、海の青い色とか、雲の白い色とか、森の緑の色とか……、みんなみんな、すっごくきれえぇ~~! うえぇぇぇぇぇぇ~ん!!」

 室内を見渡すと、みんなもらい泣きして涙ぐんでいた。ここにいる人達で、マチ子先輩の気持ちがわからない人など、一人だっていない。


「マチ子ちゃん、ダッシュボードにタオルが入っているから、泣き止んでから、顔を軽く拭くのよ、バイザは、5秒間だけ開けることを許可します。すぐ閉めるのよ」

 さすが亜沙子さん、こんなことも、亜沙子さんにとっては想定内ということなのだろうか。


 その後も、啓介さんは怒声を上げながら衛星のコトントロールを行い、マチ子先輩は、泣きじゃくりながら衛星システムのモニタ推移を報告していた。やっぱすごいな、この人たち。こんな衛星観測、世界でもここだけなんじゃないだろうか。


 衛星は、3時間後には、地球を一周して、予定通り、発射場から200kmほど離れた海に落下してくるはずだ。

「マチ子を迎えに行かないとな。ね、所長?」

 啓介さんは、照れ臭いのか、そっけなく答えた。

「おう」

 そんな啓介さんを見て、私と雅之さんは、顔を見合わせてクスクス笑った。


 さあ、これからこの研究所も忙しくなる。

 このロケット打上げ成功を皮切りに、商業衛星打ち上げの依頼をこなして資金をため、いつかは国際宇宙ステーションへのドッキングミッションなんかもやってみたいものだ。


 待っててね、マチ子先輩、今迎えに行きますよ。

 私達は、衛星観測のために一部のスタッフを残して、マチ子先輩を迎えに行くための車に乗り込んだ。


Fin

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宇宙のマチ子 マキシ @Tokyo_Rose

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