サメの色

七倉イルカ

第1話 沖合


 わたしを見るユウジの顔は、血の気が失せて白くなっていた。


   ◆◇◆◇◆◇◆

 

 「このあたりで大物が釣れるんだよ」

 夫のユウジは、沖でクルーザーを停めた。

 結婚して三年。

 ユウジは、本人曰く『前途有望な青年実業家』と言うことだが、わたしはあまり興味がなかった。


 知り合ったのが海であったため、今でも時々、こうして二人で海に来る。

 四方は水平線で、すでに陸地は見えない。

 帰りのことが不安にならないのだろうかと思ったが、GPSで現在地が分かるから、問題は無いらしい。


 二人で並び、舷側から海を眺めた。

 「あ、魚の群だ。

 ほら、見えるかい?」

 ユウジは右手の方向を指さした。

 「どこ?」

 わたしは目を凝らしてみるが、波が揺れるだけで、よく分からなかった。

 「見えにくいよな。

 魚の背って黒っぽいだろ。

 上から見ると、海の紺色に溶け込んで、見えにくくなるように黒っぽくなったんだよ」

 「へ~~」

 わたしが感心した声をあげると、ユウジが話を続けた。


 「逆に魚の腹の部分が白いことにも理由があるんだよ。

 海中から海面を見上げると、太陽の光で、海面がゆらゆらと輝くだろ。

 あの海面の光に溶け込むために、白くなったんだ」

 「博識なのね」

 わたしはユウジの自尊心をくすぐった。


 「背景に溶け込む体色のことをカウンター・シェーディングって言うんだ」

 ユウジは気をよくしたのか、話を続ける。

 「昔は、弱い魚が、大きな捕食者から見つかりにくくするために進化した体色だと言われていたんだけど、今じゃ、その説は否定されているね」

 「どうして?」

 「だって、海の捕食者の頂点にいるサメやシャチも、体の背中側が黒く、腹側が白いだろ」

 「ああ、そう言うことね」

 わたしがうなずいたとき、海面で魚が跳ねた。


 さっき、ユウジが指さしたあたりで、無数の魚が跳ねはじめたのだ。

 次々と海面に飛び跳ねる小魚の群が、こちらに近寄ってくる。

 「……何かから逃げているのかしら?」

 わたしはハンドレールをつかみ、上半身を海に向かって傾けた。

 「サメだよ」

 後でユウジが答えた瞬間、いきなり腰を抱え上げられた。

 「……え?」

 状況が理解できないまま、わたしは海に向かって大きく放り投げられてしまった。


 悲鳴をあげる間もなく、派手な水しぶきを上げて落水した。

 ちょうど近寄ってきていた魚の群の真上である。

 わたしは海中で反転し、姿勢を立て直す。

 散った魚の群は、わたしから10メートルほど離れた場所で、再び群れをつくり始めていた。

 その群が、パッと四方に散る。

 そして、散った魚の群の向こうに、複数の大きなサメの姿が見えた。

 わたしは急いで、海面に向かって浮上した。


 「ユウジ!」

 海面から顔を出して叫んだ途端、頭上からドロドロしたものをかけられた。

 「!」

 顔をぬぐった手が赤い。

 頭からかけられたのは、大量の魚の臓物であった。

 上を見ると、引っくり返したバケツを手にしたユウジが見えた。

 あのバケツ一杯の魚の臓物をかけられたのだ。

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