第6話 そして一生懸命少女、東雲 明香里がやって来た。


 

「……シ、シゲさん、い、いつの間にっ!」




 俺は姿勢を保ったまま両手と両足をばたつかせて後ろへ後ろへ後退する。

 

 

 

「……バカね」




 急にシゲさんの口調が変わった。

 そしてザンバラ髪を両手で持ち上げると中から後ろ髪をまとめた黒髪が見えた。

 そして眼鏡とマスクを取ると、そこには……。

 

 

 

「げ、五祝成子っ!」




 俺は肩でぜいぜいと息をする。

 

 

 

「わかったでしょ? これが私の正体」




「わ、わかった。今、俺は完全にわかった。そして思い切り動揺している」




 俺はやおら立ち上がる。そして歩き去ろうとした。

 

 

 

「待って」




 鋭い声が俺を呼び止めた。もちろん五祝成子だ。

 

 

 

「理由とか訊かないの?」




 俺は五祝成子に背を向けたまま気をつけの姿勢で返答する。

 

 

 

「俺、今日からひとりで暮らす。それがいいと思う」




「……それってクビってこと?」



五祝成子のきれいな顔が歪んだ。その泣きそうな表情に俺は動揺してしまう。




「……あ、いや、そ、そういう訳じゃないんだけどさ」




「そうなの? クビじゃないなら、今まで通りでいいじゃない?」




 俺は勢い込んで振り返る。

 

 

 

「そ、そりゃマズイだろ」




「どうしてかしら?」




 俺は返答に困る。だって考えてみろ?

 俺はまだ中学生だ。

 それなのに同じクラスの女子と同棲しているなんて、どうやって世間様に説明するつもりだ。

 

 

 

 それにだ。俺はシゲさんが中年女性だから安心してたんだ。

 それがよりによって五祝成子なんて断固断る。

 自宅にいてもちっとも落ち着けねえじゃねえか……。

 

 

 

 俺は瞬時のここまで考えた。

 だがそれを正直に言葉として伝えるのはやはりためらってしまう。

 五祝成子と同じ屋根の下で暮らすのは問題でも、シゲさんならいて欲しいのだ。……うーん。

 

 

 

「あなたにはあなたの事情があるでしょう。でもね、私にも事情があるの。まずはそれを聞いて欲しいな」




 幾分いつもより柔らかい声で五祝成子がそう告げた。

 

 

 

「事情?」




「そうよ。私もなにも好きこのんで家政婦をした訳じゃない。ちょっと言えない事情があるのよ」




 すると五祝成子が手招きをした。俺は辺りを見て、やっぱり誰もいないのを確かめると素直に横に腰掛けた。

 

 

 

「ちょっと長めの話よ。ちゃんと聞きなさいよねっ」




 やっぱり五祝成子は五祝成子だった。俺に命令調でそう告げると空を仰いだ。

 

 

 

「私、住む家がないのよ」




 いきなり五祝成子がそう言った。俺は意味がわからずしばらく口がきけなかった。

 

 

 

「……家がない? ど、どういう意味だ?」




「文字通りよ」




「文字通りって、どういう意味だ?」




 すると五祝成子は俺を見て自嘲的な笑顔を見せる。さみしそうな表情だった。

 

 

 

「……え、だって住所はあるだろ?」




 俺はクラス名簿を思い出す。今手元にはないがクラス全員の住所が記載されていたのは間違いない。

 空欄があったらそれは目立つはずだし。

 

 

 

「形だけよ。住所不定だと学校に入学できないでしょ?」




「ま、まあ確かにそうだろうな」




 俺はそう返事をするが五祝成子の言わんとすることがわかった訳じゃない。

 それからの五祝成子は無言だった。

 

 

 

 ときおり言葉を見つけたようで口を開けるが、またすぐに閉じてしまうのだ。

 俺もそれにつきあって無言でいた。

 

 

 

 風が流れ五祝成子の長髪を揺らす。遠くから昼休みの喧噪も聞こえてくる。

 俺はこの時間がなんだろうな、と思っていた。

 

 

 

 今まで誰とも話すことのない五祝成子と女嫌いで必要に迫られなければ女子とは話をしない俺たちがたった二人で会話をしている。

 こんなことは俺の中学生活ではなかったことだし、これからもあるとは思えない。

 

 

 

「ちょっと、ごめん……。まだやっぱり言えない」




 久しぶりに聞いたまともな言葉はそれだった。

 本人は長い話になるなんて偉そうに言っていたくせに、いざとなって尻込みしたのかも知れない。

 

 

 

 いや、違うな。

 俺と五祝成子はまったくと言って良いほど親しくない。

 そんな俺にいきなりすべてを告白しようなんて無理に違いないのだろう。

 

 

 

 シゲさんの中の人が五祝成子とわかっていても、俺だって五祝成子にあれこれ話せないのと同じだ。

 たぶんそんなところだろう。だから俺は納得することにした。

 

 

 

「そうか」




「ええ。……今夜、話す。それまで岩井シゲとしてあなたの家にいてもいいかしら?」




「わかった」




 断れるはずがなかった。

 それは単に家事や夕食のことばかりじゃなかった。

 理由も聞かずに追い出せるなんて、さすがに女嫌いな俺でもできない。

 

 

 

 それに五祝成子はシゲさんとして格好も立場も通してくれるはずだろう。

 それならば学校や、まして近所からとやかく噂されることもないだろう。

 

 

 

「昼休み。終わるぞ」




「そうね。私は教室に帰るけど、今日はあなたとは会話しないことにするわ」




「それがいい。クラスの目もあるし……」




「権藤くんのこともあるでしょ?」




「ああ」




 そうだった。

 確かに五祝成子に思いを寄せている権藤の手前、気軽に会話なんかできるはずがない。

 

 

 

「ひとつだけ訊きたい」




「なにかしら?」




 すでに歩き始めていた五祝成子が振り返る。

 

 

 

「どうして権藤がお前を好きだと知ったんだ? ……それにどうして権藤のメアドを知ってたんだ?」




 すると五祝成子は俺がびっくりするくらいな晴れやかな笑顔を見せた。

 それにはまるで大輪の花が急に開花したような錯覚を覚えた。

 

 

 

「私ってこう見えても情報通なの」




「情報通?」




 意外だった。交友関係などなさそうなのに、どこで情報を仕入れているんだか不明だ。

 

 

 

「……それも後で話すわ」




 それだけ答えると五祝成子は颯爽と歩き出してしまった。

 残された俺は時間をずらすためもあってひとり屋上の風に吹かれていた。

 

 

 

 そして教室へ帰ってきたときだった。

 

 

 

「どこ行ってたんだ? っていうか、誰と飯食ってたんだ?」




 さっそく権藤が尋ねてきた。

 

 

 

「あー。実はひとりで食ってた。なんかたまにはひとりで弁当食いたくなって中庭のベンチで食ってた」




 俺はとっさに嘘をついた。親友をだますだけに心がちくりと痛む。

 

 

 

「そうか。ま、たまにそんな気分になるのもわかる気がするな」




 納得してくれたようだった。俺は安堵のため息をつく。

 

 

 

 そしてクラス全員が席に着いたときだった。

 教室のドアががらりと開いてナイスガイの須藤先生が顔を出したのだ。

 

 

 

「そうか、今日は臨時のホームルームだった」 




 俺は今日の午後に転校生が来るのを思い出した。もちろんその転校生とは東雲しののめ明香里あかりだ。 

 東雲とはどんな少女なんだろうか?

 

 

 

 スポーツ万能と聞いているので、俺はマッチョな雰囲気を連想した。

 骨格が男みたいに発達していて、背が高く日に焼けた健康的な少女なのかもしれない。

 

 

 

 まあ、だが本来女が苦手なので外見なんかどうでも良かった。

 同じクラスで同じ部活になることだけはわかっているので、最低限のコミュニケーションが取れれば構わない。

 

 

 

 ……クラスの中はすでに騒然としていた。みんな転校生に興味津々なのだ。

 そして真新しい女子の制服を着た少女が登場した。

 

 

 

「嘘っ! すごいかわいい……」




 教室中からため息が漏れた。東雲明香里は俺たちの想像を遙かに超越したくらい、かわいい少女だった。

 東雲明香里は色白で背は低い。おそらく百四十センチ代。

 そしてサイドにしばった長いさらっさらな栗色の髪が特徴だった。

 

 

 特筆すべきはベビーフェイスな顔からは想像できないようなグラマラスなボディ。

 遙か昔にトランジスタボディと呼ばれていた体型だ。

 

 

 

「さあ、お前らお待ちかねの転校生だ。仲良くするように」




 須藤先生が黒板に東雲明香里の名前を書いてそう告げた。

 

 

 

「東雲明香里です。今日からみなさんのお世話になります」




 さえずるカナリアみたいな声だった。かわいいのは姿形だけではないようだ。

 俺は周囲を見回す。すると男子生徒たちは食い入るように東雲を見つめているのがわかった。

 

 

 

「一部の生徒は知っていると思うが、東雲はスポーツの天才だ。

 テニスも陸上も水泳でもなんでも都大会の入賞記録を持っている。

 だがこの学校では本人のたっての希望で剣道部に入る」




 すると、おおっ、とどよめきが起こり、視線が権藤と俺に集中した。

 なんだか照れくさいような気まずいような居心地の悪さを俺は感じた。

 

 

 

「と、言う訳だ。権藤、お前が空き教室から机と椅子を持ってこい」




「わ、わかりましたっ!」




 権藤が弾かれたように立ち上がる。そして百メートル走のようなダッシュで教室から出て行った。

 

 

 

「……あれが剣道部の主将だ」




 須藤先生がそう説明すると東雲の顔がパッと明るくなる。

 

 

 

「はい。良さそうな人ですね」




 そしてよせば良いのに須藤先生は俺にまで指をさす。

 

 

 

「で、あれが副将の剣崎つるぎざきだ」




「ど、どうも」




 俺はなんとなく紹介されたことからいちおう立ち上がって頭を下げた。

 

 

 

 やがて権藤が机と椅子を持ってきた。

 権藤はえらい張り切りようで机と椅子を二回に分けて運ぶのではなく、

 机に椅子の座面を重ねて一度で持ってきた。

 

 

 

「で、先生。ここでいいんスかね?」




 権藤は自分の隣に無理矢理隙間を作ってそこに机を並べた。

 

 

 

「権藤。気持ちはわかるがさすがにそれは狭いだろう。……んー。そうだな、剣崎の横にしろ」




 須藤先生はそう言った。

 

 

 

「……げ」




 俺は小声で叫んだ。

 確かに俺の隣には空間がある。生徒数が半端なので俺の机だけが飛び出した状態なのだ。

 だからと言って俺の隣かよ。

 

 

 

 俺は重ねて言うが女は苦手だ。

 勝手でわがままで場当たり的な事しか眼中にない迷惑な存在だからだ。

 しかもよりによって転校生が俺の隣だと?

 

 

 

 俺はあれこれ想像する。

 きっと教科書もまだそろってないから俺のを見せなければならないし、

 クラスメートの紹介や学校のあれこれ細かいことなんかも尋ねてくるに違いない。

 

 

 

「なに、苦虫をかみつぶした顔してんだ。そこがいちばんレイアウト的に最適なんだぞ。

 それともなにか? これから授業時間をつぶしてまでクラス全体の席替えでも俺にさせるつもりなのか?」

 

 

 

 須藤先生は俺に最後通告を突きつけた。

 

 

 

「わ、わかりました」




 俺は渋々と立ち上がると権藤から机を椅子を引き継いだ。

 そして準備が終わると先生の指示で東雲明香里がやって来た。

 東雲は俺の横に立つ。するとかなり身長差があるのがわかる。俺と頭一つまるまる違っていた。

 

 

 

「東雲明香里です。明香里ちゃんと呼んでくださいねっ」




「はいっ?」




 いきなり度肝を抜かれた。自分の呼び名を指定してくるやつなんて初めてだった。

 

 

 

「あ、ああ。じゃあ……明香里ちゃん、よろしく……」




「はいっ。剣崎さんですねっ? 部活でも宜しくお願いします」




 丁寧なやつだと思った。

 だがその丁寧さは俺の予想以上だった。なんと東雲は頭をぺこりと九十度下げたのだ。

 

 

 

「……あ、そ、そこまでしなくても」




「いえいえ、剣崎さんは副部長さんなんですから、これから宜しくご指導ご鞭撻をお願いします」




 なんて言うのだ。完全にこの場は東雲のペースだった。

 

 

 

 ……どうもやりにくい。

 それが俺の東雲の感想だった。

 スポーツ万能と言うからには体型はもっとデカくて男っぽいと思ってたし、

 性格だって他人を寄せ付けぬオーラでもまとっているんじゃないかと思っていたからだ。

 

 

 

 だが、東雲は違った。

 小柄だが大きな目をくるくるさせて俺を見つめる様はまるで小犬だ。

 おまけに純真無垢な雰囲気で元気いっぱいで愛嬌もいっぱいだ。

 

 

 

 俺は助けを求めようと辺りをうかがう。

 するとなぜだか五祝成子と目が合った。

 だがヤツはその瞬間になぜかプイとそっぽを向いてしまったのだ。

 

 

 

「とりあえず席に着いたらどうだ?」




 助け船を出してくれたのは権藤だった。

 さすが主将と感心した俺だが、その顔を見ると微妙に不機嫌に見えた。

 おそらく俺がこの美少女の隣なのがうらやましいのだろう。

 

 

 

 まあ気持ちはわかるが、しかしだな。

 ……五祝成子が好きと言って置いて、なんなんだ?

 

 

 

 俺は心で舌打ちをしたが、結局は権藤の言葉で東雲が座ってくれたので感謝せざるを得なかった。

 

 

 

「じゃあ授業を始めるぞ」




 須藤先生がようやく落ち着いたクラスを見回してそう告げた。

 そして担当教科である社会の時間が始まったのだった。

 

 

 

 社会の授業は公民だ。法律がなんたらや政治がなんたらと言った社会のシステムの話で、

 俺は正直言うとあまり興味が持てない範囲だ。

 同じ社会科でも一年生で習った地理や二年生で習った歴史の方が好きだった。

 

 

 

 だが三年生は受験生でもあるので、とりあえずは真面目にノートに書き込む。

 そして俺の教科書はくっつけられた隣の机の境界線を半分越えて置かれてある。

 もちろん東雲明香里がまだ教科書を手に入れていないからだ。

 

 

 

「ありがとうございます」




 授業の内容が進む度に俺がページをめくるとその都度、東雲はお礼を言う。

 

 

 

「別に大したことじゃないだろ」




「そんなことありません。転校初日なのにこんなに親切にされて、私、うれしいんです」




「……そ、そうか」




 万事こんな調子だ。

 

 

 

「ここはテストに出るから線引いておけよ」




 須藤先生がとある項目をそう告げたので俺が赤ペンで適当に線を引こうとすると、

 東雲明香里は筆箱から定規を取り出してラインマーカーできれいに直線で線を引いてくれる始末だ。

 

 

 

「迷惑でしたか?」




「べ、別に」




 俺にとって赤ペンで適当に引こうときちんとマーカーでラインしようと全然かまわない。

 だがアクションの度に俺の腕に東雲の小柄な肩が当たるのがなんともこそばゆい。

 

 

 

 おまけにシャンプーだかリンスだか知らないが良い匂いまで漂ってくるので、

 どうにも意識が集中できないのだ。それに上目遣いのくるくる目もなんだか直視できない。

 

 

 

「教科書、閉じろ」




 須藤先生がそう告げた。

 

 

 

「……で、五月三日が憲法記念日だってのはみんな知ってるよな? 

で、この賛否両論ある日本国憲法だが何年の五月三日に施行されたかわかるか?」




 それまで主に一人で語っていた須藤先生がいきなり授業を質問形式に変えた。

 

 

 

「権藤」




 権藤が指名された。権藤はあわてて立ち上がる。

 

 

 

「昭和ですよね。えーと、昭和五年くらいでしょうか?」




「あのな。この憲法は戦後になってからのものなんだぞ。そのころは大日本帝国憲法だ。

……じゃあ、そうだな東雲、わかるか?」




 あわれ権藤は立ちっぱなしのままで、今度は転校生が指名された。

 

 

 

「はいっ。昭和二十二年です。千九百四十七年です」




「お。正解だ」




 途端にクラスがざわめく。

 わかっているやつはわかっているんだろうけど、俺は全然わからなかった。

 大したもんだと俺は少し東雲に感心した。

 

 

 

 だがやつの博識はそれだけじゃなかった。

 その後、話題は議会政治へと流れ、内閣のことや議会の定数、

 はたまた裁判所の役割なども見事に答えたのである。

 

 

 

「東雲はあれだな。正に文武両道で我が校に相応しい生徒だ」




 と、須藤先生は手放しに褒めた。これは珍しいことだった。そして授業が終わった。

 

 

 

「おわっ」




 気がつくと俺の周りには人垣が出来ていた。もちろん目当ては俺じゃなくて東雲明香里だ。

 やつが気安い人物だけじゃなくて、勉強もできることからクラスのやつたちの興味を一身に集めたようだ。

 

 

 

「え、え、ち、違います。名門校じゃありません。わ、私が通ってたのは普通の区立中学校ですっ」




 一度に大勢の質問攻めにあっているのだが、東雲はその全部に一生懸命全力で答えている。

 もちろん愛らしい目をくるくるさせて愛嬌もサービス全開だった。

 

 

 

 そしてよく見ると集まっているのは男ばかりではなかった。女子も大勢集まっている。

 どうやら東雲は性別を問わず好かれる性格のようだ。

 

 

 

 そのとき、俺はふと視界の隅に写った人影に心を奪われる。

 物憂げに窓の外を眺めているそいつは五祝成子だった。




 やっぱり五祝成子は今までのクラスメートだけじゃなくて、

 新しいクラスメートにも関心がない様子に見えたのだった。

 

 

 

 それから放課後のことだった。 

 俺は掃除当番だったことから一足遅れて部活に向かうことになった。 

 そして昇降口を降りて下駄箱に到着したときだった。辺りには人影もなくひっそりとしていた。

 

 

 

「……え?」




 俺が角を曲がり自分の下駄箱に到着したときだった。

 そこの背を向けた女子が立っているのが見えたのだ。

 振り向かなくても俺はそいつが誰かわかっていた。

 

 

 

「……どうしたんだ?」




 俺は仕方なく話しかけた。すると長い髪を翻して振り向くのは五祝成子だった。

 

 

 

「今日、学校では話さないつもりだったんだけど、ちょっと気が変わったのよ」




「へえ」




 俺は無視とは言えないまでも、それに近い動作で上履きを脱ぎ靴を取り出した。

 部室に向かうには一度下足にならなきゃならないからもあるからだ。

 

 

 

「隣の席に女子が来たわね」




「ああ、東雲か。……気になるのか?」




 すると五祝成子はプイと横顔を見せる。

 

 

 

「別に」




「なら、いいだろう。俺、部活行くからな」




 俺は立ち去ろうとした。すると五祝成子が両手を組んで振り上げて俺の前で振り抜く。

 

 

 

めんっ」




 どうやらエアー素振りをしたようだった。手元に竹刀があれば確かに俺は一本取られていただろう。

 

 

 

「あの子、剣道部なんだってね」




「ああ、そうだ。……気になるのか?」




「別に……」




 先ほどと同じ会話で先ほどと同じ横顔を見せた五祝成子だった。

 が、やがて手をひらひらさせて去って行った。

 

 

 

「な、なんなんだ?」




 俺は意味不明だった。

 いったいなんのために五祝成子は今まで下駄箱前にいて、

 そしてなにが目的で俺を待ち伏せしていたのかさっぱりだったのだ。

 

 

 

「変なやつだなあ……」




 俺はだんだん小さくなる背中を見てそうつぶやいた。

 

 

 

「あ、やべ。行かなきゃ」




 俺は小走りで部室へと向かった。

 道場に近づくと建物の外でも激しい竹刀のぶつかり合いの音が聞こえてくる。

 

 

 

 俺はこの音が好きだ。なんだか胸がわくわくして気分が高揚してくるのだ。

 

 

 

 そして部室に飛び込むと、さっさと道着に着替えて小脇に防具を持って道場へと降りていく。

 

 

 

「……な、なんだ?」




 俺は眼下に広がる光景に目を見張った。

 道場の中央で同輩の三年生と向かい合って竹刀を構えている小柄な姿を見つけたからだった。



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