没入

@PrimoFiume

第1話

あずまさん、あなたが初めてよ、私ともう一度会いたいと言ったのは」

「そうかい? これまでのお見合い相手は見る目がないね。しおりさんみたいな美人とのお近づきチャンスを棒に振るなんて」

「見た目の話をしてるんじゃないの」

「美人ってのはそのまま受け取るんだ」栞の反応に東は笑みを見せる。

「私は馬鹿じゃない。自分の容姿が一般的に見てどのレベルにあるかは分かっているし、謙遜するのも感じ悪いでしょ?」

「そう、そういうところさ。栞さんはその辺にいるコ達とは違う。日本人は特に人目を気にする。みんなに合わせようとするんだ。キミにはそれがない」

「そうね、そのせいで学生時代からずっと孤独だった。気味悪がられたこともあった。でもいじめられたわけじゃないし、そこに不自由も感じていなかったから別にいいんだけど」

 栞は氷が溶けてすっかり薄くなっていたアイスティーのグラスを手に取りストローで一口啜った。

「東さんも変わってるわね。あなたも一般的に見て十分魅力的な人だと思う。結婚相談所なんて来なくても引くて数多じゃない?」

「まぁね。正直いえば、女性関係に不自由してきたわけじゃない。でも中身が皆同じだと分かると、なんて言ったらいいかな、冷めちゃうね」

「ひどい人ね」

「勘違いはしてほしくないな。遊んだあと捨ててるって意味じゃない。僕は行動心理学というものが好きでね。早い話人間観察さ。それで、振られちゃうんだよ」

「あなたも変な人」

「よく言われるよ、変人ってさ。それより気味悪がられたってのはなんでかな?」

「趣味のせいね」

「詳しく聞きたいな」

「読書よ。私は本の世界に入ることができるの」

「是非詳しく聞かせて欲しいね」東は瞳を輝かせる。

「あなたは本当に変わってる。これを聞くと大抵の人は去っていくわ」

「それは超能力のようなものかい?」

「深く考えたことはないけど、そんな感じ。でも私自身よくわからないの。単に他の人より没入しているだけかもしれない」

「それは、漫画でも?」

「それは無理ね。他にもドラマを観たあと原作の小説を読むのもダメ。多分イメージに引っ張られて没入できないからだと思う」

「ジャンルとかはどうだろう」

「そうね、絶対ではないけどファンタジーとかゲームの世界をテーマにしたものとかは相性が悪い気がする」

「海外の作品は?」

「難しい質問ね。日本語に翻訳されたものは場合による。多分訳し方の問題だと思うの」

「翻訳者のレベルが関係してるんだね」

「そういうことではないと思うの。直訳に近い形をとっているか、意訳してあるかの違いじゃないかしら。原文をイメージしやすいといいみたい」

「他には?」

「そうね、私は帰国子女だから英語は大丈夫なんだけど、例えば原作がフランス語で、日本語版と英語版があるなら、英語版の方が入りやすいかな」

「言語的親和性かな?」

「そうだと思う」

「何かリスクとかあったりするかな」

「まずは、感情が流れ込みすぎることね。例えば大切な人を失ったなら涙が止まらなくなったりとか、暴力シーンが多いとしばらく攻撃的になったりとか」

「なるほど、それで周りが引いちゃうんだね」

「そう、私は作中の誰かになるんだけど主人公とは限らなくて、殺された時は悲鳴を上げたわ」

「それはキツイね」

「でもある程度予測はつくの。その本を手に取った時にイメージカラーが浮かぶの。黒とか赤は読まない方がいいサイン」

「それで全部?」

「強いて言えば、没入していると周りが見えなくなることと、多分本質を読み違えると弾き出されるくらい」

「お水のおかわりいかがでしょうか」ウェイトレスが巡回にきた。

「ありがとう。大丈夫だよ」東はウェイトレスが去るまで待った。

「この話をここまで真剣に聞いてくれたのはあなたが初めてよ。おかしな女だと思ってるでしょ?」

「そんなことはないよ、もしかしたらこの世界が本の中で、僕たちが本の中と思っているのがリアルな世界かもしれない」

「水槽の中の脳ね」

「ああ、知ってたかい。そう僕たちは単に電極をつけられて水槽に浮かんでいる脳なのかもしれない。送られてくる電気信号がこの世界の正体ってね。そんな感じの映画もあったね」

「哲学、いえ科学といったほうが正しいかしら」

「どちらでもいいよ。科学の土台にあるのが哲学だからね」

「あなたは私の話を信じてくれるの?」

「場所を変えようか。ちょっと確かめたい」

 二人はホテルのラウンジを後にした。


「ここは?」

「見ての通り本屋さ、カフェスペースを備えたね。心ゆくまで没入できるよ。時間無制限でフリードリンクとスナック類を好きなだけとれるから僕はお茶しながらキミを観察させてもらうよ」

「悪趣味ね」

「よく言われるよ」

 東は受付を済ませて、栞を席に案内した。

「適当に飲み物でも飲んでて、僕はちょっと本を見繕ってくるよ」

「ええ」

 栞は東に勧められるまま、トレイに飲み物と幾分かのお菓子をのせて席についた。

 本当に東は変わった人だと栞は思った。今までこんなことはなかった。普通の男は最初のうちこそ自分に興味を示すが、ちょっと普通と違うところが見えるとたちまち去っていく。でも彼は違う。むしろ知るほどに関心を高めているようにすら見える。栞自身も東という男に興味が芽生えつつあった。

「お待たせ」東は数冊の本を抱えて戻ってきた。

「まずこれはどうだろう?」

 栞はさしだされた本を手に取る。

「これはダメね。真っ黒だわ」

「なるほど、じゃあこれは?」

「そうね、夕陽のようなオレンジが見える。行けると思う」

「なるほど、いいセンだと思うよ。それでいってみようか」

 栞は軽く頷き、表紙を開いた。



「サライ! またお前か! この盗人が!」

「わ、待って待ってピエロ」

「何がピエロだ! マスターと呼べ、マスターと!」

「ごめんなさいマスター、もうしません」

「お前のような大食漢の嘘つきが言うことを信用できるか! 罰として葡萄畑の手入れでもしてこい!」

「はい!」怒り心頭に発するマスターに逆らうことなどできるはずもなく僕は畑へと走った。

「だってしょうがねぇじゃん。住み込みつっても金ねぇんだし」僕は畑を耕しながらグチる。

 それにしてもマスターにも困ったもんだ。芸術家としての才能は世界一だと思う。マスターはフローレンスにいた頃芸術だけでなく医療も対象としたギルドに身を置いていたと聞く。以前金目の物を見繕っていた時、人体解剖のスケッチを見つけた。それを見た時、人体研究のために捧げられた、いけにえを腑分けしていたのかと身体が震えたけど、すぐさまその美しさに目を奪われた。気持ち悪いはずなのに視線を外すことができなかったんだ。完璧主義というか探究心が強いというか、気に入らなければやめては色々試してばかり。たまっていくのはスケッチばかりで作品の大半は未完成。僕はマスターから手ほどきを受けて、そこそこの絵画を描けるようになった。でも学べば学ぶほどマスターとの埋めることのできない才能の溝を感じさせられる。ちゃんと作品を完成させれば、このミラノで富と名声を得られるだけでなく、若手の後塵を拝することもないだろうに。


 でもやっぱりマスターはすごい。ミラノ公より、パレードの準備や大聖堂の設計だけでなく、巨大騎馬像の制作を任された。

 元となる粘土像は素晴らしい出来だった。フローレンスの生意気な芸術家はできるはずがないなどとマスターを侮辱してるらしいが今に見てろ、必ずマスターは最高傑作を作ってみせるに違いないんだ。


 だけど結局、騎馬像は完成しなかった。用意していたブロンズはフランスの侵攻に対抗するための大砲の材料として流用されてしまった。それも報われることなくミラノは陥落し、僕たちはベニスへと逃れた。



 東は、取り憑かれたように信じられないペースで読み進める栞をじっと観察した。なるほど確かに単なる没入とは違うようだと、コーヒーを啜った。栞が時々ぶつぶつ呟きながら一心不乱にページを捲る様子に、ある種の恐怖を感じたのか気がつけば周りのテーブルから他の客の姿が消えていたが、東は動じることなくむしろその瞳は好奇心に満ちている。

 その本は東がかつて読んだことがあるものだ。残りページのボリュームから栞が今”どこ”にいるか検討はつく。この後、ベニスからミラノ、フローレンスを転々とし、フランスでその偉大なる芸術家は人生に幕を下ろす。



 マスターが亡くなった。何度も盗みを繰り返した僕を追い出すことなく最期まで側に置いてくれただけでなく、葡萄畑の半分といくつかの絵画を遺してくれた。マスターは口には出さなかったが、身の回りの世話をした僕に恩を感じていたのかもしれない。その絵画に描かれた女性の微笑はまるでマスターが笑っているように見えた。でも、その絵は4000エキュと引き換えにフランス王に譲ることになった。これで良かったのだろうかと、僕は自分の手の中から消えた報酬に思いを馳せた。



 突如、栞は大きく頭を後に反らし、その動きに離れていた客たちの視線を集めたが、東は落ち着いた様子で語りかける。

「読み終えたみたいだね」

「違うの、最後まで来たと思ったけど、私が出る前に弾き出されたみたい」

「どれ」東は栞から本を受け取り、最後のページを確認した。

「ここかな」東はページ上で指を指し示してみせた。

「消えた報酬?」栞は不思議そうに言う。

「この原書は英語でね。repaymentを報酬と訳したんだね。その前に”恩”とあったから、ここは、消えた恩返しと訳すべきところだったんじゃないかな」

「原書が英語だったのは気づいてた。フィレンツェがフローレンスだったり、ヴェネツィアがベニスだったから。でもそこは気づかなかったわ」

「この本の主人公はレオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ。故郷はドゥオーモ(大聖堂)はじめ、オレンジの屋根が並ぶ街並みのフィレンツェ。キミが感じた色はそれだろう。でも、どうやらキミはダ・ヴィンチではなく、弟子のサライになったようだね」

「あなたって不思議な人。私が没入してるところを見ると皆んな気味悪がるのに、本当に信じてくれてるの?」

「そうだね、それを答えるにはまだまだデータが足りない。これからもキミを観察してもいいかな?」

「もしかして、それってプロポーズ?」

「ちょっとキザだったかな? それで是非ともキミの答えを聞かせて欲しいね」

「やっぱり私は、科学じゃなくて哲学だと思うの。ねぇ、哲学って英語で何て言うか知ってる?」

「philosophyかな」

「そうね、それはギリシャ語のphilosophiaからきてるんだけど、語源はどうかしら?」

「philoは愛する、sophiaは知、知識を愛するといったところだね」

「さすがね。でもそこは、愛することを知るとしたらどうかしら?」

「OKと受け取っていいのかな?」

 栞は初めて笑顔を見せて本を閉じた。

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