第7話 少年エリク

 呪いを治す、といっても昨日とやることは変わらない。

 針を刺し、呪いの源である魔力を打ち消す。たったそれだけだ。


「……退屈だ」


 部屋の中に香の甘い匂いを焚き、私は一人メイドたちの様子を窺い続ける。


 肉体に広がった呪いを形作る魔力を全て打ち消すのに時間がかかる。その間、呪詛魔法の誤差が発生したときの際に対処できるようにしている。


(【療病銀鍼】の本数は10本。一人2本ずつ使っているわけだから単純計算でアイビー様の5倍の時間がかかるか)


 例え退屈な時間を過ごすとしても、解呪専門の魔法師である以上手を抜くことはできない。


「ん……?」


 年配のメイドの額を清潔なタオルで拭っていると扉から視線を感じる。


 視線を向けてみると、扉の僅かに開けて覗いているヒュームの少年の姿があった。

 明るい茶髪のくせ毛を短く切った髪。

 貴族然としたシミ一つ無く質の良い服を身に着けており、貴族の子息であることが伺える。

 何より、童顔ながら将来有望さを感じさせる整った顔立ちをしている。


(目元がアイビー様に良く似ているな)


「……エリク様ですか?入ってきてもいいですよ」


 私はタオルの動かしていた手を止め、エリクに体を向けた。

 エリクは扉を開け、キョロキョロと周りを廊下を見回し、


「し、失礼します……」


 少年はおずおずと部屋の中に入ってくる。

 エリクは年若いメイドの一人――ちょうど、エリクと年齢の近い少女の様子を窺い始める。


「彼女を心配なされているのですか?」

「うん……」


 視線を合わせるため膝を曲げて目線を合わせるとエリクは顔を赤くして顔を視線そらす。


「アイシャは僕の側付きのメイドなんだ。お母様と一緒に僕を庇って……それで……怪我をしてしまったんだ」

「……そうでしたか」

「うん。昨日は大丈夫だったのに、今日の朝からこんなふうに……」


 涙を流しそうな目で私を見つめてくるエリクに私はできる限り優しげな笑みを浮かべ、頭を撫でる。


(このアイシャというメイドは痩せ我慢をしていたな。幼いのによく我慢したものだ)


 ひとしきりエリクの頭を撫でると再び茶色い瞳に目線を向ける。


「大丈夫、みんな良くなります。だからエリク様は心配しなくてもいいですよ」

「うん……あの、名前は……」

「ああ、言っておりませんでしたね。私の名前はカトレア。カトレア・ヒノデランでございますエリク様」


 膝を伸ばし、できる限りの礼儀を持って頭を下げる。するとエリクもまた頭を下げる。


「うん、ありがとう。僕はエリク。エリク・クードルーン。クードルーン伯爵家の、今のところ唯一の跡取りだ」

「そうですか。よろしくお願いしますね、エリク様……と」


 エリクが立ち眩みのように蹌踉めいたと同時に前に出てエリクを抱き止める。


「大丈夫ですか、エリク様」

「う、うん!大丈夫!大丈夫だから離して……顔がおっぱいに……!!」

「ん……ああ、なるほど」


 エリクの頭を比較的大きな胸に押し込めるような形で抱き止めたことに気づき、エリクを解放する。

(ふうむ、実に初々しい)


 顔を真っ赤にし私から離れるエリクは予想していた以上に初々しく、同時に胸に温かいものが込み上げてくる。

 その感情を完全に無視し、私は笑みを浮かべる。


「エリク様、ここは香炉から薬の匂いが充満しています。慣れていないと少々居ることが辛いと思いますのでお外に出られたらよろしいかと」

「う、うん。わかった……」


 顔を真っ赤にして部屋を出ていくエリクを見送り、私は再びタオルを手にとって体を拭き始める。


(エリク様……小さくて幼い、けれど誰かの身を案じることができる優しい少年。全く持って私とは正反対の人間だ)


 私は人族社会の片隅に生きているが本質そのものは根っからの魔族だ。

 己の欲望に忠実で偏執的なまでに執着し、欲望を満たすためならいかなる邪法にも手を染める。

 それが私であり、僅かにでも方針がズレていれば人族社会ではなく魔族社会で今も暮らしていた。そう思えるほどに人族の精神性からかけ離れている。


(だからこそ、ああした根っこから優しい人間というのは狂気に堕ちやすい)


 善人であればあるほど、狂気に堕ちた時に醜い狂人に成り果てる。

『禁忌』の収集の過程で得た記録をつけた呪詛師たちは総じて元は善人で、そうであったからこそ大切なものを守るために狂気に堕ちていく。

 一通りの作業を終えると椅子を手に取り座り込むと息を吐く。


「あの少年がこちらの道を歩ないことを願うばかり、か」


 常人は狂気の世界に来てはならない。

 だからこそ、真っ当な道を歩むことを願わずにはいられない。









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