第4話 治せない呪い
夜。家の書庫で本を読み耽る。
地上階の私室でランプの明かりだけを頼りに頁を一つ一つ捲っていく。
(ふむ……やはり、この魔法は廉価だな)
テーブルに置かれたナイフを手に取り、赤い刃紋のような魔力の流れに目を細める。
家から出立する前にアイビーから許可を取り、手元に置かせてもらったナイフを詳しく調べた結果ナイフに刻まれた【壊死の呪い】は非常に簡素な呪詛魔法であることが判明した。
最低限呪詛魔法としての形にはなっているがそれ以上のものではない。その事に私は確かな憤りを覚えていた。
(これを作った呪詛師は呪詛魔法を冒涜している)
呪詛魔法は己の欲望や願いを叶えるための手段として発展してきた。
それ故に、人の尊厳を冒涜したり人の社会に致命的な影響を与える魔法が多数存在している。『禁忌』指定が多いのはそうしたのが理由だ。
しかし、同時に人の尊厳を冒涜してまで叶えたい、満たしたい願いであることもまた事実。それを否定することは呪詛魔法の使い手――呪詛師として出来ない。
だからこそ、あからさまに手を抜かれることが許せない。
「……ん?」
呪詛師へと憤りを募らせていると家の戸をノックされる。
本を閉じ、扉を開ける。そこには暗闇の中、ランプの灯りを手にした黒い外套を少女が扉の前に立っていた。
少女の姿ははっきりと異常であった。
黒い外套の下には布一枚とつけておらず、体躯と反比例して大きな胸や臀部を晒していた。
背部から黒いコウモリの翼が生え、臀部から細くて長い、先端がハート型の尾が伸びている。
下腹部、ちょうど子宮の真上辺りにハートを意匠化した赤い文様が刻まれている。
女は私の顔を見てビクリと肩を動かし、その藍色の瞳で見上げた。
「……ここが解呪師の家で合っているだろうか」
「ええ、合ってますがどのような要件で?」
「この体を治してくれ……!!」
そう言うと、少女は外套のフードを外す。
少女の頭には小さな、しかしヤギのようき捻れた角が生えていた。
「サキュバスですか」
「いいや違う!!俺はサキュバスじゃねぇ!!」
少女の吠える様子に訝しみ、少女を部屋に入れる。
話を聞くと、少女の正体がわかった。
少女は元はヒュームの男性であったらしい。
仕事を出向いた洞窟に隠れ潜んでいた呪詛師に敗北。パーティーは壊滅し生き残った者たちも捕らえられ実験動物にされた。
少女も同様で気まぐれに魔法でサキュバスの少女に作り変えられたらしく、逃げて街に入ったは良いものの命を狙われたため私に呪いを解呪してもらいたいらしい。
泣きじゃくり、必死に訴える少女の話を聞き、飲みかけの紅茶を飲む。
(【種族変化の呪い】。おおよそ、使われたのは【堕落浄土】の類か)
種族変化の呪いは呪詛魔法でも比較的ポピュラーな代物だ。
無力化という側面でも、生殖行為という側面においても使いやすく実用性も高い。受精率が低く長い年月を生きる長命種族たちのコミュニティを維持するため殊更必要とされている。
少なくとも死者を蘇らせるより遥かに楽であることは事実であるだろう。
「ちくしょう……何で俺がこんな目に……。なぁ解呪師、アンタが魔族だけどこの際何だって良い。俺を治してくれ……!!」
ボロボロと涙を流す少女はテーブルに額をこすりつける。
「お気持ちは理解できます。……が、この呪いは解呪できません。そも、現状あらゆる解呪師でも不可能です」
「えっ……」
少女の顔に絶望の色が塗りたくられる。
私は少女の絶望に気づき、しかし気付かないフリをする。
「種族を変える呪い。これは生物を根本から作り変えるに等しい魔法です。そのため、『サキュバスの少女』という姿が正常である以上解呪不可能です」
「そん、な……」
愕然と、茫然自失と言わんばかりに虚ろな目を向ける少女を見ながら紅茶を啜る。
溶けた飴細工を元通りにすることが出来ないように、変わり果ててしまったものを元に戻すことはできない。それが解呪の限界でもある。
(何より、サキュバスは魔族だからな)
この世界の人間はは人族と魔族に大別される。
人族と魔族は価値観の違いや文化の違い故に遠い遠い昔から争い続けている。
サキュバスも、ダークエルフも魔族側であり、生まれつき魂に『穢れ』――古い神の呪いを有している。
現在の魔法技術に『穢れ』を取り除く方法は存在しない。そのため、『穢れ』ある種族になると『穢れ』のない種族になることは不可能なのだ。
「ですので、もう発想から変えましょうか」
「発想を……?」
「ええ。例えば、このように」
立ち上がり、少女に近づくとその腹に拳を打ち付けた。
「ガハッ……!?な、んで……」
「変わり果ててしまったものは直せない。でしたら、変化を許容してしまえば良いのです」
口から涎を垂らし、少女は気絶する。
床に倒れた少女を抱き上げると処置室のベッドに寝かせ香を焚く。香炉から出る甘ったるい花の匂いは地下に広まり、少女の意識を現実と夢の間で混濁させていく。
(種族も性別も違う彼女はヒュームの男であることを証明できない。なら、変化を許容させてしまえば良い)
処置室のテーブルに呪詛魔法に使う道具を揃え、笑みを浮かべる。
好きに弄っても良い検体というのは人族社会の片隅で生きている以上得難いものだ。だからこそ、全力で楽しめる。
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