六話 儂の卑しさ 貴方の温もり


「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまなのじゃ。んー、美味かった!」

「お粗末様です」


 手を合わせ、糧となった食材に感謝する。

 やっぱりお揚げは最強だ。

 この世の食物はお揚げと煎餅だけでいいのではないか。

 多分、戦争とか無くなりそうだし。

 知らないけど。


 先程の痴態を忘れ、天音は上機嫌になっていた。

 ちょろいと言ってはいけない。

 彼女なりの生存戦略であった。


「食器を洗います。少しお待ちください」

「あ、じゃあ儂も」

「お心遣い感謝します。ですが、どうかお休みを」

「そういう訳にもいかん。飯を作ってもらったんじゃ。相応に働かねばな」

「……分かりました。それでは、一緒に」

「うむ!」


 まあ、洗い物などしたことないが。

 千年も生きてきたのだ。

 なんとかなるだろう。

 

「天狐様、それは醤油です」

「ふにゅ? じゃ、じゃあこれは?」

「お酢ですね。洗剤は此方です」


 なんとか、なるだろう。


「んしょ、んしょ」

「お気をつけて。あまり力をお入れになると」


 バキン!


「……そのように、割れます」

「す、すまんのじゃ……儂、そう言えば天狐じゃったな」

「お怪我はありませんか?」

「う、うむ」


 なん、とか。


「……ん、よし! 出来たのじゃ!」

「ありがとうございます。では、そちらの湯呑を食洗器に」

「む、これか?」

「そこは電子レンジです」


 なん……とか……。


「つ、次は箸じゃな。見ておけい、今度は完璧に」

「天狐様」


 ズバン!


「にゅおおお!? 何故か真っ二つに!?」

「天狐様」


 そっと、肩に手を置かれ。

 聖母のような顔で、彼は言った。


「箸を洗う際に、包丁は使いません」


 戦力外通告を受けた瞬間だった。

 

 結局、残りは自分がやると言って。

 昨日の分もあるから、どうか先にお休みをと。

 優しく気遣われてしまって。


 天音は、とぼとぼとちゃぶ台に向かった。

 そのまま腰を下ろす。

 少し硬い座布団の上に座りながら、何とはなしに彼の背を見る。

 頼りない背中だった。

 瘦せ細って、今にも折れてしまいそうな。

 本当にちゃんと食べているのか。運動はしているのか。

 倒れはしないか。

 そんな心配が浮かんでは消えていく。

 ただただ、ぼーっとして。

 天音は彼の背中を見続けた。


 ふと、呟く。


「本当に、笑わんかったな……」


 思い出すは先刻の絵。

 しどろもどろに見栄を張る、情けない自分を。

 会話に混ざらず、一人孤独に煎餅を齧る自分を。


 こんな、理不尽な理由を。


 彼は一度も笑うことなく、怒ることなく受け入れた。

 ばかりか、一緒にご飯を食べようと誘って。

 厚かましくうどんを啜る自分を嬉しそうに見つめて。

 そっと、あの顔で微笑むのだ。


 本当に、元宮孝仁は変な人間だ。

 元宮孝仁は、本当に。


 元宮孝仁。


 孝仁。

 

「……孝仁」


 何気なく、彼の名前を口にする。

 四文字の音。

 二文字の漢字。

 それだけなのに、不思議と笑ってしまう。

 孝仁。

 たかひと。

 柔らかな響き。


「孝仁、孝仁……にゅふふ。たーかーひとー」


 口にする度、ふわふわ嬉しくなって。

 ついつい何度も彼の名を。

 ああ、全く、どうかしてる。

 千年生きた自分が、こんな風に。

 熱に浮かされた乙女のように。


「孝、仁……」


 彼を。


「はい。いかがしましたか」

「……ふにゅぇ?」


 熱が冷める。

 冷水を頭から被せられたが如く。現実が助走をつけて殴りかかってきた。


「先程から、自分の名を呼んでいたようで。……何か、失礼を?」

「さっ、いや、しつれ、じゃなくてっ。あぅ、あぅ」


 次いで理解する。

 さっきまでの自分は、酷く。

 酷く、恥ずかしいことをしていたと。

 恋仲でもないのに、彼の名前を。

 何度も、何度も。

 うっとりと、呼ん、で……。


「ああああああああ!! 何でもない何でもないのじゃ!」

「しかし、そんな様子には」

「うるさいうるさいうるさい! 早く洗い物を済まさぬか、馬鹿もん!」

「今しがた終わりました」

「にゅああああああああ!?」


 死にたかった。

 千年生きて、初めて天音はそう思った。

 臆病さが取柄の自分が、何と迂闊なことを。

 恥ずかしい。恥ずかしい。

 きっと気持ち悪いと思われた。

 死にたい。

 

「落ち着いてください。大丈夫です。何も心配ありません。大丈夫です」

「うっ、うっ……儂の阿保ぉ、馬鹿ぁ」

「どうか自責なさらず。悪いのは自分です。配慮の欠ける行いでした。申し訳ありません」

「違うんじゃぁ。儂が、儂がぁ」

「……失礼します」

「……っ、ぁ、あぁ」


 違う。

 彼に非は一切ない。

 ただ声をかけただけだ。名前を呼ばれ、どうしたかと。心配してくれただけだ。

 何処に謝る必要がある。

 だからそんなことも、しなくていい。

 される資格は自分にはない。

 やめてくれ。


 そう言いたかった。

 でも、彼の大きい手が、優しく背中を摩って。

 大丈夫、心配ない。貴女は悪くないと甘やかして。

 あまりにもそっと、温かく撫でるものだから。

 

 つい、天音は。

 

「大丈夫、大丈夫です」

「ん、ん……ぁ、っんぅ。んん……」














「……落ち着かれましたか?」

「うん……もう、平気……じゃ」

「……」


 頭がふよふよする。

 さっきの比ではないほどに。

 疲れたからだろうか。無理もない。今日は色んなことがあった。

 孝仁と出会って。自分は叫びっぱなし。

 彼だけ余裕そうで、少し不満。

 あれ、でも、違うか。

 彼もそう言えば、立ち上がって、叫んだっけ。

 ならいいか。お揃いだ。


「本当に大丈夫ですか、天狐様」

「……」


 天狐、様。

 

 ……いやだな、なんか。

 孝仁にはそう呼ばれたくない。

 何故かは分からないが。孝仁が自分をそう呼ぶのは、凄くいやだった。

 天狐じゃなくて、自分は。


 気付けば口を動かしていた。

 

「天音」

「……? 何を」


 天音。

 それは彼女を形作る根柢の扉。

 絶対防衛線。存在格の境界。

 通常なら自分と同格か、格上にしか絶対明かしてはならぬ。

 彼女の真名。


 時として己の命よりも重視されるそれを、あまりに呆気なく彼女は教えた。


「儂の名前じゃ。儂の名は、天音、じゃ」

「天音……様」


 天音様。

 悪くはないが、もう一声。


「だーめーじゃ。天音、と呼んでおくれ」

「しかし」

「孝仁」


 彼の名を呼ぶ。

 胸の奥がぽかぽかと温かくなった。

 願わくば彼も、自分の名を呼ぶときに同じ気持ちを抱いてほしい。

 だから。

 

「お願い、じゃ」

「……」


 数秒の沈黙。

 天音は何も言わず待ち続ける。


 やがて消えかかるように、彼が呟いた。


「天音、さん。これ以上は、譲渡しかねます」

「うむ」


 天音さん、ご満悦。


「にゅふふ……そうじゃ、儂は天音じゃ。忘れては、いかんぞー? ふわぁ、ぁ」

「……どうやらお疲れのご様子。今日のところはお帰りになられては?」

「んー? ここに泊まればよいではないか」

「よろしくありません」


 今度はきっぱりと断られる。

 しかし困った。自分はすっかり泊まる気で来たのだ。

 さて、どうやってこの堅物を説得したものか考えていると。


 ……ん?

 泊まる気で来た?


 そうだった。

 元より、自分がここに来た目的は。


「でも儂、お前さんを次の集会で紹介せんといかぬし」

「……そう、でしたね」


 いや、全く忘れていた。

 自分は彼女らに社畜を連れてくると言ったのだった。

 幻滅されぬよう、見栄を張って。

 正に怪我の功名。

 得意になって口を開いた。


「という訳で、これからよろしくのぅ」

「お待ちください。次の集会とは、いつ開かれるので?」

「ふにゅ? ええ、と……一ヶ月後、くらいじゃったか」

「なるほど。であれば、当日だけ紹介すればよいのでは? こんな前から、態々泊まる必要などありません」

「あー」


 確かに。頭いい。思いつかなかった。

 別にそれでいいのか。

 んー。

 でもなー。


「……さっきの映像に、九尾がいたじゃろう?」

「九尾……はい」

「名を九瑠璃と言ってなぁ。あ奴は、人の嘘が分かるのじゃ」

「なんと」


 嘘である。

 彼女にそんな能力はない。

 天音は孝仁に噓をついた。理由は本人にも分からない。

 ただ、そう言った方がいいと思った。

 理由はやっぱり、分からないが。


「じゃから、ちゃんと儂が世話をせんとなぁ。まあ、家事なんて、したこともないが……」

「しかし、それでは。それでは自分でなくとも。こんな、愚昧な男でなくとも」

「む」


 また彼の頭が俯き始める。

 本当に孝仁は堅物だ。

 それにちょっと、分からず屋だ。

 何度言えばいいのやら。

 孝仁。

 お前さんは。


 彼の顔を両手で包み、胸に抱く。


「孝仁。儂は、お前さんがいいのじゃ」

「……!」

「紹介するなら、お前さんがいい。儂がそうしたい。それでは、いかぬか?」

「天音、さん……」


 彼の顔は見えない。

 代わりに整えられた髪の毛が見える。

 何だか嬉しくなって、ふわりと髪を撫でた。

 少し硬い感触。

 これが、孝仁の感触。


「っ、すみません。とんだ無礼を」

「ぁ……」


 彼が体を起こす。従い離れゆく手の温かさ。

 まだ触り足りないのに。

 残念だ。


「……宿泊の件、しかと承りました。集会までの一ヶ月間、どうぞよろしくお願いいたします」

「おー、そうか。よろしくなぁ」

「はい」

「……にゅへへ」


 やったー。泊まれるー。わーい。

 

 天音の眠気は限界に達していた。


「……普段……訳には、いかないか」

「んー?」

「……天音さん、今からベッドなどを買ってきます。それまでどうか、暫し我慢して」

「べっど? あー、敷布団のことかぁ。それなら、大丈夫じゃ」

「……?」


 朧げに懐から札を取り出し、ただ現れよと念じる。

 すると。


 ぽん。ぽん。ぽん。


「もふー」

「なんと……これは、凄い」


 軽い音を立て、幾つもの寝具が現れる。

 マット、シーツ、枕、布団などなど。寝るために必要なものが全て揃っていた。

 今使ったのは収納の札。

 好きにものを出入りさせることが出来る、彼女お手製の札だ。


 気付けば天音の服装も変わっており、もう寝る準備万端である。

 いそいそと布団に入り、天音は言った。


「孝仁も、一緒に寝よぉ?」


「――」


 その後、同じ部屋で寝るのは不健全問題が勃発し。


 最終的に天音が駄駄を捏ねて孝仁を言いくるめ、戦いの幕は閉じた。





 









「……明日の食事を買いに行きます。天音さんは先にお休みください」

「んぅ? んー」


 ぽわぽわする。

 たかひとの声がした。

 何をいってるか、よくわからないけど。


「決して、家から出ないように。ないとは思いますが、もしインターホンが鳴っても、開けてはなりませんよ」

「んにゅ」


 なんとなく、お願いされてる気がして。

 こくり、と頷いた。


 パチリ。


 視界が暗くなる。


「それでは……おやすみなさいませ」

「ぁ……」


 行ってしまう。

 たかひとが、とおくに行っちゃう。ひとりで、どっかに。

 いわなきゃ。

 やくそくしたから。

 お見送り、するって。

 やくそく。


 ガチャリ。


「たか、ひと」


「……っ!? 天音さん、どうしましたか? 何か異常でも? それともお加減が優れませんか?」


 とってもあわてた顔。

 もしかして、しんぱいしてる?

 うれしい。

 だいじょうぶだよ。

 しんぱいしないで。

 やくそく、守りにきたの。

 

 天音が微笑む。



「いって、らっしゃい……孝仁」



 だから孝仁も。

 ちゃんと戻ってきてね?

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