五話 儂の臆病 貴方の苦しみ


「自分は、元宮孝仁と申します」


 元宮孝仁は変な人間だ。


 どこがと言われれば困る。

 だが、知らない者が家にいて。それを追い出さず、逆に自分が出て行ってしまうのは変だと思う。

 おかげでみっともなく騒いでしまった。

 その後、酷く申し訳なさそうに謝るのも、何だか変だ。

 ましてや土下座をするなんて。

 あの時は本当に驚いた。

 やっぱり孝仁は変な奴だ。

 でも、悪い奴ではない。それだけは、決してない。


「しかし、天狐様に献上するにはあまりに不相応かと」

「け、献上て、お前さんなあ。……別に儂、そこまで偉くないからの?」

「はは、御冗談を」

「いや言ってないが!?」


 天狐様と、そう呼ばれた。

 いつものことだ。別に違和感はない。

 ただ何故か、彼にはそう呼んでほしくなかった。

 天狐だからと、遜らないでほしかった。

 自分は。

 天音は。

 皆が思うような、偉大な存在ではない。

 勘違いしているのだ。

 周りの妖狐達も、この者も。

 自分は単なる臆病者だ。

 傷付くのが怖いからと、千年間山に籠っていただけの、ただの狐だ。

 

 結局、彼もそうなのか。

 緩やかな諦観が心を包み。


「んー、あー、その、なんじゃ。まずお前さんは、天狐という存在についてどれほど知っておる?」

「……今日初めて耳にしました」


 全てが、弾けた。


 衝撃だった。

 頭を鈍器で殴られたような、そんな驚愕。

 知らない。

 この男は。

 元宮孝仁は、自分を知らない。


「ふむ、そうか。……え、そうなのか?」

「はい、浅学の身を恥じるばかりです」


 胸の奥がぐるぐるとなった。

 これは、恐怖だろうか。それとも、期待だろうか。

 気付けば彼に問うていた。


 ならば何故。

 名前だと思っていたから。


 その口調は。

 昔からの癖である。


 何故、自分を敬う。

 特に意図があるわけではない。


「そ、そうか……」


 聞けば聞くほど、天音は恥ずかしくなった。 

 一体、何を誤想していたのか。

 彼に身勝手な欲望を押し付け期待するなど。

 情けない。

 視線を落として頷く。


 もう、よそう。

 彼の言葉が遠くなる。

 

「ですがそんな習慣に関係なく、貴女様は敬うべきお方であると認識しています」

「……へ!?」


 凄く聞こえた。

 一言一句、取りこぼすことなく。

 何とも現金な耳であった。


「どうか御自覚下さい。貴女様は、極めて尊い存在であると」

「ぁ、ぇ、尊、い? 儂が?」


 生きていて初めて言われた。尊い存在などと。

 力を讃えるでもなく、容姿を褒めるでもなく。また畏れるでもなく。

 天音を。その存在自体を。

 彼は尊んだ。

 顔が赤くなるのを感じる。

 胸がざわざわとして、どうにも落ち着かない。

 

 天音には嘘が分かる。

 それは彼女が騙されんとするために生み出した術だったが、今回ばかりは裏目に出た。


 彼は本当に、自分を。

 ただの天音を。

 天狐だからではなく。

 心から、敬ってくれている。


 そう考えると、何だか慌ててしまい。

 言葉がつっかえたように、出なくなって。


「ええとな、それで天狐というのはじゃな、ええっとぉ」

「焦らずとも自分は聞きます。おや、お茶がもうありませんね。お代わりは?」


 それは嘘だった。

 湯呑にはまだ半分ほど中身が残っている。

 術を使うまでもなく、それが嘘だと分かった。 

 でも、不快ではない。

 彼の嘘は、お日様のように温かかったから。  


「……まあ、あれじゃ。長生きな狐のことじゃよ、天狐とは。うむ」

「……」

「じ、冗談じゃ冗談! だからそんな目で見るでない!」


 軽いやり取りが楽しかった。

 友人と話すなら、こんな感じなのかなと思った。

 ご機嫌を伺わず。見栄も張らず。

 自然体で話せるのが楽しかった。


「いえ、十二分に凄いと思いますが」

「ふにゅ? ……そ、そうかの? 儂、凄いかの?」


 凄いと言われたのが嬉しかった。

 聞きなれた言葉であるのに。

 千年生きた事実など、どうでもよかったのに。

 彼がそう言ってくれるだけで、頬が緩んだ。


 自分のありのままを尊重されて。

 気軽に言葉を交わして。

 何気ない行動の一つ一つに、深い気遣いを感じて。


 だからきっと、天音は勘違いしてしまったのだ。

 目の前の男が。

 真面目を絵に描いたような、不器用な男が。

 まるで物語に出てくる。

 聖人か何かだと。

 

 そんなわけ、あるはずがないのに。



「ならば何故っ、貴女はここにいる。こんな身窄らしい部屋に、醜穢な男の前にっ、何故だ!」

「……」



 男は。

 元宮孝仁は人間だった。

 彼もまた、苦しみながらに生きる、ただの人だった。


「貴女は本来、ここにいるべきではない。私のような存在に、笑いかけてなどはいけない。私のような、汚らしい者に……!」


 そんなことを言わないほしい。

 そんな、悲しいことを。

 血を吐くように、掻き毟るように。声を荒げて。

 傷付かないで。

 どうか、傷付けないで。

 

「っ、貴女だって、本当は分かっているはずだ。目の前の男は、自分と相対するには不相応だと。これは酷く、醜いものだと」

 

 彼が口を開く度、ずきりと胸が痛んだ。

 感じたことのない痛みだった。

 苦しくて、切なくて、悲しくて。

 何処も怪我していないのに、涙が滲んで。

 不相応なんて、思ってない。

 醜いなんて、あるはずがない。


 だって孝仁は、こんなにも。


「は、ぁっ、ぁあ……!」


 止めなければ。

 思考が一色に染まる。

 足りない頭を捻って言葉を作る。

 これ以上、彼を苦しめないように。少しでも救われるように。

 何か言わねば。

 何か、決定的な何かを。

 

 考えろ。


 何か、何か。



『わあ! じゃあ今度連れてきてくださいよ! 私見てみたいなぁ、天狐様の社畜ちゃん』


 

 ……あ。


 口を、開いた。



「妖狐界では今、空前の社畜ぶーむなのじゃ」



 我ながら、馬鹿だと思う。

 何だ社畜ぶーむって。空前とか、絶対言う必要なかったろうに。

 彼も茫然としていた。

 突然意味不明なことを言い出した自分を見て、言葉を失っていた。

 恥ずかしい。

 もうどうにでもなれ。

 やけくそになって続けた。


「……何ですか、それ」


 案の定、彼は呆れて。

 へなへなと座り込んでしまった。

 羞恥を覚える。

 頭のおかしい奴だと、思われただろうか。

 それでもいい。

 彼が傷付かないなら、それで。


 思わず笑う。

 臆病者の自分も、随分と絆されたものだ。

 いや、だからこそ、か。


 浮かんだ笑みを隠すように、お代わりを求めた。

 どこか冗談めかして。

 あんなことを言ったのだ。

 大して期待はしなかったが。


「……はい。少し、お待ちを」


 薄く。

 本当に薄っすらと。

 枯花よりもなお儚く。

 彼は笑った。

 

 ……何だ。

 そういう顔も、出来るのではないか。














 天音は臆病な狐だ。

 生まれついての性か、それとも環境がそうさせたのか。

 千年経った今では最早分からぬが。

 いつも何かに怯えて生きてきた。身を潜め、隠れ、息を殺して。

 波風を立てぬよう、災難を避けるよう。

 誰とも関わらずに生きてきた。

 彼女はそれで幸せだった。

 少し寂しくもあるが。裏切られるよか、ましである。


 そんな彼女が、千年の時を生きて、ぽんと。

 唐突に。

 貴女様は天狐となりました。どうか妖狐達をまとめてくださいと言われて。

 勝手に社に入れられ。

 狐の最上位と慕われ。

 かと言って、抵抗するのも怖くて出来ず。

 逃げることも可能だが、この先ずっと追われるのも嫌だし。

 結局、山に訪れた妖狐達の言われるがままになってしまった。


 天狐様。天狐様。

 私達の偉大なる天狐様。

 

 天音はその呼び名が苦手だった。

 まず自分は、そう呼ばれるに値する存在ではない。

 千年間食っちゃ寝の生活をして。傷付くのが怖いから、偶に術を研磨して。

 やたら増えた尻尾も、木に引っ掛かって邪魔だからという理由で一本にして。

 特に努力もせず。

 野望も持たず。

 そんな長生きだけが取り柄の、おばあちゃん狐。

 それが天音だ。

 少なくとも彼女はそう思っている。


 別に、彼女らが嫌いなわけではない。

 自分を慕う心に、嘘がないことも分かっている。

 ただ怖いのだ。

 どうしても、あの日のことを思い出してしまって。


 七百年前。

 今とは違う山で暮らしていた天音の元に。

 実は一度、妖狐達が集ったことがある。

 そこには天音よりも高位の狐もいた。

 代表が言う。


『これから人間達と戦を起こす。お前も妖狐ならば、手を貸せ』


 冗談ではなかった。

 人間と言えば、あれだ。

 昔、天音がただの狐だった頃。銀色の珍しい毛皮だと追い回された記憶がある。

 あれは怖かった。

 だから普通に、断った。


『え、無理』


 天音は追い回された。

 妖狐の面汚し。意気地なし。恥を知れ。

 後ろから火やら氷やらがびゅんびゅん飛んでくる。

 もうめっちゃ怖かった。

 生き延びたのは正に奇跡だった。

 天音は例え同胞でも、安易に気を許してはならぬと悟った。

 

 その日からか。

 天音は術を学ぶようになった。

 勿論、教える師はいない。

 前回襲われたときの見様見真似で、色々やってみることにした。

 なに、時間はある。

 気長にやろう。


 そうして、現在。

 彼女を傷付けられる存在は、神を除けばいなくなっていた。

 その神も、天音を善性であると認めている。

 天狐になるとはそういうことだ。

 神に認められし神獣。

 奇跡の体現。

 絶対的上位者の約束。



 それでも、天音は臆病だった。



 考えずにはいられない。

 もし自分が力を失えばどうなる。

 今は大丈夫かもしれない。なら明日はどうだ。

 天狐と呼ばれる内はいい。地位が落ちればまた襲われるのでは。

 彼女達は自分を慕ってくれている。

 じゃあ、全員が同じ土俵に立ったら?


 黒江は気遣ってくれるだろうか。

 白愛は変わらず話してくれるだろうか。

 管奈は敬語をやめないだろうか。

 九瑠璃は笑いかけてくれるだろうか。


 何処にでもいる妖狐となった自分に、果たして。 

 彼女らは変わらず接するだろうか。


 ……答えは、否だ。


 推測ではない。事実だ。

 天音には千里先の未来が見える。

 あまねく可能性、或いはひょっとした結末。

 あれが無ければ。これがあれば。

 人が一度は思うような仮想を、彼女は見ることが出来る。

 だからこれは事実だ。


 力を持たなかった天音の周りに。


 彼女らはいなかった。


 たった一匹。

 山でいつものようにのんびりと。

 空を見上げながら。

 天音は孤独に生きていた。


「……」


 特段、悲しくはない。

 そんなものだろうとは思っていた。

 怒りも落胆も覚えない。

 全く予想通りの結末だ。

 答えは出た。

 天狐でない自分に、態々関わろうとする物好きはいない。

 

 ……いや、一人いるか。


「……」


 その男は、変な奴だった。


 天音が九尾でも。

 黒狐でも。白狐でも。管狐でも。

 仙狐でも。

 金狐でも。

 気狐でも。

 空狐でも。

 銀狐でも。

 野狐でも。

 人間の女だったとしても。


 その男は玄関で土下座した。 

 

 そして尊ぶ。

 天音の全てを。

 それが当然の義務だと言って。


「……ふ、ふふ。にゅふふ」


 笑いが溢れる。

 おかしくて堪らないと。我慢出来ないと。

 愛らしい少女が、妖艶な女の色を見せながら。


「大丈夫、大丈夫じゃよ」


 少し強張った、黒髪を撫ぜる。

 優しく、優しく。

 よく眠れるように。怖い夢を見なくて済むように。

 彼の頭をゆっくり撫でる。


「……全部。お前さんの怖いもの、ぜーんぶ儂が」


 天音が孝仁の家に来て。


 三週間が経った、ある夜の一幕。







「壊してやるからの」

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