三話 私の未熟 貴女の理由
「お恥ずかしいところを、お見せしました。申し訳ありません」
「んー?」
両手で可愛らしく湯呑を持ち、こくりこくりと飲んでいる彼女に向け、己は頭を下げた。
ちゃぶ台と額が接するほどに。
「ぷふぅ。……何を恥じることがある。全ては儂の説明不足が招いた結果じゃ。お前さんが謝る必要はない」
「分を弁えぬ狼藉を働きました。自分は糾弾されるべきです」
「それを言ったら儂、不法侵入からの半泣き扉ドンドンじゃぞ。よっぽど儂のほうが狼藉者じゃろ」
「しかしそれは、何か理由があってのことで」
「だったらお前さんも同じじゃ。其方にもきっと理由があった。ならば儂だけが許される謂れはない」
「そんなものは」
「あるのじゃよ、孝仁」
きっぱりとした、力強い肯定。
何故分かる。
そう言おうとして、しかし口を噤んだ。
これでは、親に我儘を言う子供か。
宥められている。気を遣われている。
申し訳なかった。
己は酷く、手を煩わせていた。
「……」
「……あー、また変なこと考えとるな? もし儂に迷惑をかけているとか思っとるなら、今すぐやめよ。それお前さんの勘違いじゃから」
「あ、いえ、その、はい。分かりました、すみません」
「うむ」
彼女が満足そうに頷く。
ふぁさふぁさと尻尾が揺れた。その気分を表すように、右へ左へと。
ご機嫌の様子。
反対、此方は顔から火が出る思いだった。
何から何まで見透かされて。
暫くは不用意な思考を止めようと、固く誓った。
「にゅふふ。全く、最初から素直にすればいいものを。社畜とは皆、お前さんのように難儀な性格なんかのぅ?」
「……どうでしょうか。自分は社畜ではないので、存じ上げませんが」
「にゅはは、そうかそうか。……え、嘘じゃろ?」
突然表情を無くし、ごそごそと懐を漁りだす。
やがて取り出したのは、やや細長い紙、だろうか。表面には読めない文字か何かが書かれていた。
それを掌に置く。すると、独りでにくるくる回り始める。
奇怪な光景。
そして十周ほどか。
回転していた紙が、不意にぴたりと止まった。
その先を示すものは。
「あの、これは」
「ちょいとお前さん、立って歩いてみよ」
「はい」
未だ理解が及ばぬが、歩けと言われたので歩く。
狭い部屋を右往左往。
変化はすぐに気付いた。
「……紙が、動いて?」
「おお、何じゃ驚かせおって。やはり社畜ではないかお前さん」
「そうなのですか?」
「む、そうではないのか?」
お互いに首を傾げる。
現状分かるのはただ一つ。
己がどこに行こうと、紙は此方の方向を指す。
磁石に吸い寄せられる方位磁針のように。
ぴったりと先を向ける。
だが疑問だ。
それがどうして、社畜と繋がるのか。
「自分は、己を社畜などと思ったことはありません」
「じゃが札がお前さんを指しておる」
「納得しかねます。大体にして、その紙、いえその札は一体何なのでしょうか」
「これか? これは社畜探しの札じゃ」
社畜探しの、札。
何だそれは。
そんな限定的な札があるのか、本当に。
いや、己が無知なだけだ。世界は広い。ないとは言い切れぬ。
疑うのは失礼だ。
失礼、だが。
「……なる、ほど」
「す、すまん! 冗談じゃ冗談! だから無理に納得せんでよい。ほんとは探しものを見つける札なんじゃよ」
「なるほど」
「便利じゃぞー? これがあれば大体は何とかなるからのぅ。正に万能札じゃ」
「それは凄い」
「そうじゃろそうじゃろっ? どれ、お前さんにも分けてやろうか。儂ならいつでも……」
素直に驚嘆する。
言葉のニュアンス的に、具体的でなくても探せるのだろう。お世辞なしに凄まじい札だった。
また彼女の言葉からは信頼が感じられる。
使ったのは一度や二度ではないはずだ。
であれば恐らく、今回も。
その対象は。
「……またの機会に、是非。ところで、いくつか確認しても?」
「ふにゅぇ? あ、ああ、別に構わんが」
話の大筋が見えてきた。
探しものを見つける札。
社畜。
妖狐。
ブーム。
ばらばらだった単語が結びつく。
答えを急ぐように、己は問うた。
「貴女様は社畜を探していた」
「まあ、そうじゃな」
「その理由は、妖狐界で社畜ブームが起こったから」
「うむ、そうじゃ」
「……そして札を使い」
「その結果、ここに来たというわけじゃな」
まとめるとそういうことらしい。
思わず、目元を抑える。
安物の電球が瞼を照らした。
……どうしてそうなる。何故己が選ばれた。己以外にも、もっと働いている者はいる。社畜とは到底言えない。そもそも社畜ブームとは何だ。どんなブームだそれは。あっていいものなのか。
「っ、ふぅぅ……」
「あぅ……その、なんかすまん」
「いえ、気になさらず」
今日はよく頭痛がする。それも多種類の痛みだ。
努めて無視をし、口を開く。
「この際、細かい質問などは致しません。ですが一つ、どうかお聞かせください」
「う、うみゅ……うむ」
これだけが分かっていればいい。
であれば、他の雑多な疑問は直ちに塵となる。
これだけを知りたかった。
先のやり取りで芽生えた、もう一つの本心。
彼女の言葉を聞いて、思ったのは。
「貴女様は、本当に望んで、会いに来たのですか?」
「……? どういう、意味じゃ」
「自分は一度だって聞いていません。貴女様が真にそうしたいという、理由を」
「じゃから、それは」
「それは理由になっていません。ブームが来たから、どうなのです。貴女様は一度も言っていない。貴女様自身が、何を思っているのかを」
「……っ」
己は妖狐界について知らない。
それが何だ。
社畜ブームとか、そんなものは知らない。関係ない。
彼女の心が聞きたい。
ここに来るに至った、決意に至った理由を。
他ならぬ彼女の口から。
……もし、この優しき少女が、望まぬ行いを周りに強制させられているのなら。
覚悟は決まっている。
さあ、どうか。
「お聞かせください。貴女の本当の理由を。どうか、どうか」
「……」
顔を伏せている。
己は待つ。
耳が垂れている。
ただ待ち続ける。
やがて、ぽつぽつと話し出す。
小さな声だが、聞き逃すことはなかった。
「……聞いても、幻滅せぬか?」
「無論です」
「……ぜ、絶対、笑わぬか?」
「約束します」
「嘘ではないなっ?」
「違えたならば、腹を切ります」
「そ、そこまではいいが……うみゅぅ。分かったのじゃ。ちょっと待っておれ」
ごそごそ。
再度手を懐に入れ、札を取り出す。
見た目は先程の札と似ているが、一体何をするのか。
そう考えた矢先だった。
『ねえ見てよ
『白姉の価値観はおかしい。鞄なんて美味しくないのに、喜んでる』
『いや黒江の方がおかしいからね!?』
『うふふ。ほんとに二人は仲良しさんねぇ』
「……これ、は」
声がしている。
複数の女性の声。明るい声、気怠げな声、優し気な声。
それだけではない。
四角い、横長の長方形が浮かんでいる。
中に映るのは、五名の人影。
否、彼女らは……。
『人間はご飯作ってくれる。私はお腹一杯。人間喜ぶ。正にウィンウィン』
『社畜ちゃんに奉仕させてるの黒江くらいだよ……まあ、喜んでるならいっか』
『そうねぇ。私もどっちかというと、尽くし尽くされみたいな関係だし。
『あ、確かに。えー、じゃあもう、私達が社畜ちゃんを甘やかす時代じゃないのかなぁ。えーやだ~』
『白姉は昔からそう。やっぱり頭がおかしい』
『だって可愛いじゃん! 社畜ちゃんって健気でか弱くて……』
『はあ。また始まった』
尾が生えている。
獣の耳が生えている。
尻尾はゆらゆらと。耳はぴこぴこと。
金色の者。白色の者。黒色の者。茶色の者。
そして、銀色。
尾の数も様々だ。九本ある者もいれば、四本だったり一本だったり。
間違いない。
彼女らは。
『み、皆さん凄いです……! 私もいつか、あんな妖狐に……』
妖狐だ。
『ふふふ、
『きょ、恐縮です……』
『うんうん! 管奈ちゃんは大丈夫! こんなに可愛いし、小っちゃいし、もふもふだし!』
『きょ、恐縮です……?』
『白姉。それ理由になってない』
『大事なことだよ!?』
『今日一番の大声。凄くうるさい』
『……』
話しているのは四名。
金色の毛並みで、尾が九本ある妙齢の女性。
白色が眩しい、尾が四本の活発な少女。
転じて黒色の、同じく四本である落ち着いた少女。
最後に親しみのある茶色で、尾が一本の真面目そうな少女。
彼女ら四名の人外が仲睦まじく会話をしていた。
さて己は初め、五名の人影が見えると言った。
今でもそれは変わりない。
つまり残りの一名は、会話に参加していないということ。
否、消去法で求めずとも己は見えている。
一人静かに、煎餅を齧る少女を。
美しき銀色の、愛らしき少女を。
ぽりぽり。
『天狐様も迷惑そう』
『……ふぇ!? わ、儂!?』
ばきり。
その少女はいきなり話を振られ、困惑していた。
煎餅の欠片が宙に浮く。
『え~そうなのー? ごめーん、天狐様!』
『い、いや別に気にしとらんが……』
『申し訳ありません、天狐様。私達だけで騒いでしまい。煩かったでしょうか』
『ご、ごめんなさい……! 天狐様……!』
『いや、あの、ほんと、全然大丈夫じゃから……お構いなく』
その少女は顔を引き攣らせ、再び煎餅を食べようとし。
『あ、そういえば天狐様! 前回の集会で言ってた、社畜ちゃんの件はどうなったの?』
『ぶぇ!?』
ばきゃり。
今度こそ煎餅は粉々になった。
小さな破片がふよふよと浮かぶ。
その少女は哀れなほど、顔が真っ青になっていた。
『確かに気になる。天狐様、とびっきりの社畜を養うって言ってた』
『過去最強の社畜、とも言ってたわねぇ』
『空前絶後の、とも言ってました』
『そそそそ、そんなこと、言ってたかのぅ?』
『うん』
『言ってた』
『そうねぇ』
『言ってましたね』
『ふ、ふぅん……?』
ぽりぽりぽりぽりぽりぽり。
新しく取り出した煎餅を高速で食べる。
平然を装っているが、焦りは如実に表れていた。
視線があっちこっちに泳ぎ、手も震えている。
まるで天敵に怯える小動物のような、そんな姿だった。
『……も、勿論見つけたとも! ああ、そりゃあもうすんごい社畜じゃっ。だからこの話はこれで』
『わあ! じゃあ今度連れてきてくださいよ! 私見てみたいなぁ、天狐様の社畜ちゃん』
『かひゅっ』
目を瞑る。
もう、見ていられない。
『私も見たい。天狐様が見定めた人間なら、美味しいご飯作ってくれそう』
『あ、あの、白狐様、黒狐様。流石にそれ以上は……』
『まあまあいいじゃない、管奈。本当は貴女も気になっているのでしょう? あの天狐様が、どんな人間を養っているのか、ね?』
『きゅ、九尾様! そ、それは、その……』
一拍の静寂。
見ずとも分かる。全員が彼女に視線を向けている。
やがて明るい声が、どこかおずおずと聞いた。
『……あ、あれ? 天狐様、もしかしてまだ』
『で、できらあ! 過去最強で空前絶後の社畜、連れてきてやらあ!』
『やったー! じゃあ次の集会で――』
ぷつん。
声はそこで途絶えた。
目を開ける。
前にはぷるぷる震えながら、両手で顔を隠している少女がいた。
己は何も言わず立ち上がる。
買い物袋を漁った。
次に向かうは冷蔵庫。
目的のものを手に取る。
「これからうどんを作ります……お召し上がりになりますか?」
「……お揚げは?」
「安物でよければ」
「……なら、食べる」
「畏まりました」
冷凍のうどんをレンジに入れ、その間にお湯を温める。
二人前入れたのは初めてだった。
器を二つ用意するのも、多めにお湯を温めるのも。
チーン。
その日、己はここに引っ越して初めて、誰かと一緒に食卓を囲んだ。
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