第3話
ギリアムは将軍だった。騎士としていくつかの戦場をくぐり抜け、いまの立場に収まっている。
しかし彼とて無傷ではすまなかった。
ギリアムは最後の戦場で呪われた。疫病や災害をふりまく邪教徒たちとの戦いだった。魔女と呼ばれる強い呪術を扱うものによって。
張本人である魔女を殺すも、呪いは解けず。四方八方、手を尽くすも無駄であった。呪いは解けないまま、今もその両腕をむしばんでいる。褒美に与えられるはずだった姫には逃げられ、臆する女性はみな近づかず、そんな中、社交界で「悪役令嬢」と噂される女性との婚約が決まった。
(この婚約もきっと破談になるだろう)
ギリアムは当時、そう思った。もはや他人事のように自分の結婚を
面倒な相手であればギリアム本人も気乗りはしないが、好奇心には勝てず、逆にどのようないけ好かないご令嬢かと、たしかめに向かった矢先……、それはもうコロッとギリアムは考えを改めた。
マリアンヌは噂に違わずまた噂に反し――美しい女だった。
高嶺の花という賛美は伊達でも酔狂でもない。賛辞の言葉はぴたりと当てはまるように彼女を言い表していた。
絹の滝のように流れるブロンドの髪を耳にかけ、彼女は本を読んでいた。文字を追う瞳は庭先で咲き誇るオールドローズのように見事に輝いている。陶磁器のようなつやのある肌は、本物とはちがってなめらかな質感を頭の中で想像させた。細い指先も、すらっとした体躯も、整った姿勢も、天使の肖像画でさえ顔負けの美貌であった。
庭園のガゼボは彼女一人かとおもえば庭師が作業をしていた。彼女は、時折聞こえてくる庭師の話に耳を傾けていた。時折品のいい笑い声が聞こえてくる。
ギリアムは制服のネクタイを引き締めた。
足音に気づいたのか、物静かにページをめくっていた指先がはたと止まる。
一陣の風が抜けた。
額の髪が揺れるのを直しながら目を開ける。
気づけば、透き通った瞳にギリアムはみつめられていた。
急激に体温が上がっていくような感覚。
マリアンヌは眉をひそめる。
彼女に近づいたギリアム。
「婚約を申し込みに参りました」
いっそ冷淡とさえ思えるような声で申し込まれた求婚。片膝をつくも少々強引なやり方だった。及第点、といったところだろうか。貴族のマナー講師がみていたらさぞ怒り狂う場面に違いない。
婚約は当日中に決まった。両家の家人たちも了承し、ギリアムとマリアンヌは正式に未来の伴侶という関係に収まっていた。
それから何度もギリアムはマリアンヌのもとを訪れていたが通った回数に反し、話した回数は極端に少ない。
ギリアムは不思議であった。彼女の社交界の噂が。
雨が降る日も、暑い気温のなかでも、マリアンヌはよくガゼボにいた。それも屋敷内では順序の低い庭師と話している場面を何度も目撃している。
侍従たちには来訪を内緒にするよういいつけた。その日も死角になる場所からマリアンヌを眺めて。
「ねぇビクトル。どうしてもバラのつるは触ってはだめなの?」
「だめですよお嬢様。わしみたいな老いて締まった手でもあのトゲには敵いませんよ。やつらの反抗的な態度ったらそりゃもう痛いのなんのって」
「そう……そんなに……」
「しかしなんでお嬢様はバラのトゲなんかに興味が?」
「ふふ、わたくしね」
そこで会話が途絶える。どうも庭師とひそひそ話をしているようだ。
「だっ、はっは! そりゃだめだあ! お嬢様みてぇのが、ひひ、庭いじりなんて。無理無理。すぐ音をあげますよ」
「もお、ひどくってよ。あんまり笑いますと本日のお菓子、あげませんのよ!」
(――庭いじり?)
庭師の内容から察するに、マリアンヌは園芸をやりたいとでも言ったのだろうか。しかし生粋のお嬢様たる彼女にそんなこと許されるはずもない。だがそんなことをいうということはつまり。
ギリアムは悟った。
(花を愛でる、
ぷりぷりと怒るマリアンヌの目にはギリアムは欠片も入っていない。
数日後ギリアムは一等希少な花を一輪携えてマリアンヌのもとへやってきた。
「これをやろう」
無骨な戦士らしく、彼は言った。
マリアンヌは目を白黒させる。彼女はお礼をいいながら受け取った。
(まあ、ありがとう、ギリアム様!!)
そんな風にはにかんで笑う姿を、脳内で幾度となく想像していたが、次の反応を待てど暮らせど、予想していたような姿は見られない。
ギリアムは困惑し、そしてある考えに行き着いた。
(せめて一輪ではなくブーケに。もっというなら万人受けする花を用意すべきだったか!)
自分の落ち度を痛感した。
うなだれるまま場を去ろうとした、その時。
マリアンヌは暗いバラを受け取ると一言つぶやいた。
「やっぱりとげ抜きはしてありますのね……」
瞳を伏せてバラのつるに触れる彼女。
細い指だった。思わず自分の手を見比べてしまうギリアム。
騎士と令嬢、存在があまりに遠いとギリアムには思われた。
あの日以降、贈り物をするのはためらわれた。勇気を出しても赤っ恥をかくだけでは、と。
周囲からよこされる「お似合いカップル」という表現。
腑に落ちないギリアムは眉間を揉んだ。
悩ましいのは、彼女が自分をどう思っているのか、それだけだった。
(問題を抱えているのは私だけだと思うが――)
庭師に熱心に質問し今日も指示をあおぐマリアンヌ。植物図鑑を取り寄せてベンチで読みふけっている。
庭園でのぞき見しマリアンヌの様子を眺めるうちに、水差しに落ちた一滴の色水は日に日に増し、インク壺のようにやがてどす黒い感情でいっぱいになった。ただの政略結婚、それも破談間近と思われたそれに恋心と呼ぶには強い執着が生まれていた。
そして、現在。
和やかな雰囲気で始まった式だが、マリアンヌの異例の登場に、場は凍り付いた。
張本人であるマリアンヌがギリアムのもとへとたどり着いた。
彼女は箱を開ける。
中から漆黒の石がはまった指輪がお目見えする。
ギリアムは、マリアンヌに猶予を与えていた。式の前日だ。自分の真心を込めたリングケースを彼女に託していた。もしも自分から逃げたいのなら逃れられるようにと。最後のチャンスのつもりで。
リングケースに収められているのは紛れもなくギリアムが託した黒曜石の結婚指輪だった。
「お返ししますわ」
マリアンヌは凜とした声で宣言した。
突き返されている指輪の箱をみて頭がまっしろになっていく。ギリアムは、愚かな自分を呪いながら思っていた。
(強引にでも、奪ってしまえばよかった)
己の浅はかな人の心を、紙切れのように残った一片を、今頃ながら悔いるのだった。
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