#42

 テーブルナイフ同様に色気も素っ気もない、なんの装飾も施されていない銀のナイフをアヤメは手癖で雑に振る。刃を濡らす血液が払い落とされ、不規則に散った飛沫は床にまるでモダンアートを描いた。


 ナイフの素材はシルバー925、いわゆるスターリングシルバー。

 ――ではなく・・・・、純銀だった。


 ゆえに脆く、およそ武器には向かない強度だ。

 それにも関わらず立ち尽くすアヤメの周囲には、複数の武装した猟幽會が横たわっている。非常に高い技量なしには実現不可能な光景が一階廊下に広がっていた。


「ひぃ、ふぅ、みぃ……十一名。エントランスへ向かう者が一名。あと二名ほど足りない気がしますが」


 返り血を拭おうともせず、逃げた一人の男の背をアヤメはつかつかと冷徹に追う。

 全力疾走しているのになぜか引き離せないアヤメを振り返ると、猟幽會の男は唇を噛みしめた。


「化物が……っ、狼戻館は【骨断ち】と【フルード・ロア】だけじゃなかったのかよくそが! 一旦アイナや絶苦と合流して立て直すしか――!」

「お待ちくださいませんか、猟幽會の方。一箇所でまとまって死んでいただかなければ、お掃除も大変なのです」


 殺伐とした声音でそんなことを嘆願されて止まる馬鹿はいない。男の状況は絶望的でも、悲観や恐怖よりもアヤメに対する怒りが上回っていた。逆襲を胸に誓いながら、勝つために一時撤退を選んだのだ。



「はあ、はあ……お、重い」


 一方トーテムポールを担ぎ、未だおぼつかない足取りで階下へ向かっていたエイイチ。

 燃え上がる闘争心はそのままに、逃げの一手を打った猟幽會の男と中央階段の踊り場で鉢合わせる。


「おいどけ小僧ッ!!」

「え? どけって言われても急にはちょっと無理――!」


 エイイチが武器として選んだトーテムポールは、重量を鑑みても到底振り回せる代物ではない。

 段差を駆け上がる猟幽會の男は怪訝にトーテムポールを見やるものの、脅威はないと判断して強引にエイイチを突き飛ばす。


「おわ!? ――っとと! ちょっとあんた階段で危ないだろ!?」


 よろけて手すりに衝突したエイイチは、落としそうになったトーテムポールを肩へ担ぎ直した。

 呪いの彫刻柱は半回転し、裏側の鳥面を男は間近に直視してしまう。


「なあ、聞いてんのか!」


 トーテムポールを見つめて硬直していた男は、淀んだ目をエイイチへ向けて緩慢に首を振る。


「ぁ……ああ、すまない。たしかに……危なかったな……」

「い、いやまあ、わかればいいんだけどさ。それよりあんた大丈夫? 顔色めっちゃ悪いけど」


 猟幽會の男の闘争本能は、丸ごとトーテムポールに奪われていた。階下に姿を現したアヤメに対しても、男が怒気をぶつけることはなかった。


「そう、だな……もう、帰るとするか……」


 呆然と呟いたのち、顔を悲痛に歪めてエイイチに同意する男。だが非情なアヤメの瞳はとても見逃すつもりなどないようだ。


「帰るだなどと、寝言は遠慮してもらいたいものです。エーイチ様、その男をこちらへ引き渡してもらえますか?」

「でも本当に調子悪そうだし……辛そうだから。帰してやってよ、アヤメさん」


 エイイチのことを一目置いているとはいえ、アヤメはツキハ――ひいては狼戻館に仕える身である。敵対者たる猟幽會を見逃す道理もなければ、所詮はヒツジに過ぎないエイイチの願いを聞いてやる義理もない。

 ただ。


「ほら、一人で帰れるか?」

「あ、ああ……」


 アヤメは不可解だった。己の立場や現状をすべて理解しているようでありながら、エイイチはこうして猟幽會相手にも好意的に接する。幾度となく殺されそうな場面があったはずだ。

 そしてエイイチに牙を剥くのは狼戻館も同じ。何度も死に目に遭い、けれどやはりアヤメを含め狼戻館住人に疑念を持つようなところも見られない。

 博愛主義の善人か。いや、決してそれだけではないはずだ。


 猟幽會の男が正面扉より出ていくところを見届けて、アヤメはエイイチへと歩み寄る。


 アヤメの隻眼は、エイイチの奥へ眠る底知れない野望を見据えている。何かがある・・・・・、と。その何かを見抜くため、今は自身に向けられたエイイチの信頼を利用するのだ。

 つまり男を逃がしたのは、命に従ったわけでも、アヤメの甘さでもない。


「賊の無力化、お見事でした。しかしながら、猟幽會の二名の行方がまだ掴めていません」

「あ、そうなんですか? 二人……ていうと、執事みたいなおっさんとセンジュちゃんの友達かな。たぶん」

「なるほど、すでに素性も把握済みでしたか」


 エイイチならばそれくらいやってのけるだろう。と、ある意味アヤメは納得していた。おそらくエイイチは果てしない大きな目的のために動いているのだろうが、それが狼戻館に害をもたらすものなのか見極めなければならない。


「……提案がございます。私はツキハ様の周辺を警戒したいのですが、残り二名の猟幽會の捜索。エーイチ様にお任せしてもよろしいでしょうか?」

「そりゃもちろん、任せてください! 銃なんか持ち出して猟友会もなりふり構わなくなってきたから、アヤメさんも気をつけてくださいね!」

「はい。お嬢様方をよろしくお願いいたします」


 快諾するエイイチに頷き、アヤメは目を細める。

 現状はまだ狼戻館に敵対するとは考えられなかったが、もしエイイチがそのつもりなら――。

 マリとセンジュの犠牲でエイイチの本性が暴けるならば安いもの。アヤメの無慈悲で冷酷な秤は、独自の価値観で常に均衡が保たれていた。


「ところでアヤメさん、料理でもしてたんですか? 血だらけだけど……」

「料理……ええ、簡単なものでした。エーイチ様の分を残しておけばよかったですね」

「はは。肉を切る感覚も楽しいですもんね。今度俺にも料理手伝わせてください」


 ここでシリアルキラーな側面を覗かせるとは、豪胆なのか思考をかき乱すことが目的なのか、アヤメは測りかねる。いずれにしても一筋縄ではいかない男という印象が深まる。

 無論、エイイチはツキハと猪肉を叩き切った光景を思い浮かべながら発言したに過ぎないのだが。


「そうですね。そのときが来れば、ぜひに」


 二人が正しく噛み合う日は訪れるのだろうか。


 銀のナイフをガーターベルトに納め、アヤメは踵を返すとエントランスの中央階段を静かに下りていった。



◇◇◇



 バルコニーや封印された部屋を渡って巧みに身を隠しつつ、絶苦とアイナは狼戻館の深くまで侵入を果たしていた。

 今しがた駆け抜けてきた無人の部屋を振り向き、アイナが呟く。


「あらためてさぁ、うちらこんなにヤられてたんだぁ。……あいつらもみんな無事かなぁ」


 猟幽會の者が狼戻館で命を落とすと、そのバトルフィールドには封印が施され狼戻館住人の立ち入りを拒む。凶悪なトラップは猟幽會の同胞には発動することなく、こうして無事に出入りすることが可能となる。

 アイナが気にかけているのは当然、同時刻に侵入した十二名の猟幽會メンバーのことだ。


「いずれも歴戦の兵ばかり。問題はないでしょう」


 応じる絶苦は、実のところ他の面子が敗走、もしくは死亡しようともなんら思慮するところはない。目眩ましとして機能すれば十分であり、所詮は異形共を引き寄せる餌としか認識していなかった。

 絶苦の狙いは、あくまでもただ一つ。


 二階西側奥の居室を捜索中、ふいに壁面が有機的なうねりを見せ山型に膨張する。


「来たか。どうやら私の目的は達成された模様。神皮は任せました、I7アイナナ

「だぁからぁうちは“アイナ”だッてんだろ耄碌もうろくじじぃがッ!」


 激昂したアイナが部屋を飛び出した。

 直後、真っ赤な風船の如く膨れ上がった壁が臨界を超える。バシャンと弾け割れ、派手に血飛沫が舞う。


「絶苦ーーッッ!!」


 物理的な障壁を無視して現れたセンジュは、ロケットのような推進力を纏い絶苦へと飛びかかる。引き絞る拳に全力を乗せ、一撃で終わらせるべく解き放った。

 およそ人体同士の接触で発生するものとはかけ離れた、まるで雷鳴を思わせる乾いた高音が鳴り響く。


「……なんだ? それは」


 センジュの全身全霊の拳は、絶苦に片手で受け止められていた。

 白手袋がセンジュの小さな手を握り込む。


「ぎ……ッ!? ぎぅああ……!!」

「貴様、X10。これまで何をしていた? 鍛錬を積んでいたのか? 私の教えはどこへ捨てた」


 手の骨がメキメキと軋み、苦痛に顔を歪めたセンジュは逆の拳を絶苦のみぞおちへ打ち込む。しかしそれすら軽く捌かれ、絡め取られて後ろ手に拘束されてしまう。

 絶苦の腕が蛇のように、センジュの首を絞めつける。


「か、は……ッ……あ゙が……ッ!」

「この私が育て上げたのだ。なんだこの体たらくは。見るに堪えぬ。貴様は本当にX10か? ほら、こんな時はどう切り抜けるのだ」


 意識が遠のくセンジュの脳裏にふと、つい先日の出来事が思い浮かんだ。今と酷似した状況。ある男がくれた妄言に過ぎない言葉が、なぜか鬱屈とした現状を打破してくれるような気がして自然と口が開く。


 ――“魔法の台詞だ。これで必ず敵の魔の手から逃れることができる”――。


「が……ぐ……ぃ……ぃ、“い”」

「なんだ? 言葉ではなく行動で示せ、X10」


 顔に汗の玉を浮かばせながら顎を上げ、息も絶え絶えにぱくぱくと口を動かし、酸素を取り込んだセンジュは薄く笑った。


「い……“痛く、しない、で? なんでも言うこと、聞くから、乱暴しないで、やさしく、して?”」


 絶苦は呆気にとられてセンジュを見下ろした。

 あきらかに拘束力が弱まる。センジュは歯を食いしばって頭突きをかましたのち、振り向き様に左右の拳を絶苦の腹に叩き込んで窮地を脱する。


「はあっ、はあっ、はあっ」


 獣のような低い姿勢で口端のよだれを拭い、絶苦を睨め上げるセンジュ。

 かつての愛弟子とも呼べる存在だったが、絶苦がセンジュへ向ける視線はゴミクズを見るそれと同様だった。


「……なるほど。よくわかった。X10、貴様は弱くなったのだな。もはや猟幽會にはいらぬ。ここで死ね」


 言われるまでもなく、センジュ自身がよくわかっていた。“神皮かんぴ”が復活した以上、件の黒狼は衰弱しきっていた力を徐々に取り戻してきている。

 エイイチが・・・・・選んだのだ・・・・・。それでいい。消えるのは自分でいいと、センジュは居室に差し込む月明かりへ目を向ける。


「さっきから、X10、X10ってうるせぇんだよ。あぁ?」


 ここが命の際だ。かなぐり捨てろ。全部燃やし尽くして、自身の存在をここに証明する。

 面を上げたセンジュの金の髪は逆立ち、炎の如く――。


「あたしは“センジュ”だ……!」

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