第二章 フルムーン・メメント【センジュ】
#29
狼戻館滞在八日目、正午過ぎ。
エイイチは地下室にこもっていた。ひび割れた冷たい地べたにあぐらをかいて座り、後ろ手をついて白熱電球を無気力に見上げている。
「はぁ……やっぱこうなったかぁ」
例のローションプレイの一件。ツキハの呼び出しをくらって突きつけられたのは、マリの私室への滞在を正午から16時までと制限すること。家庭教師の都合上、完全に接触を絶たれたわけではないが厳しい処遇だ。
そもそもエイイチは自らの仕事を地質調査と認識している。日中は裏庭で作業に勤しまなければならず、これでは実質マリルートの頭打ちである。何より寝床をまた石室に移さなければならないことが憂鬱だった。
「まあ、念願のローションえっちは済ませたんだし」
記憶がないとはいえ、マリの攻略はほぼ完了したと言えなくもない。【洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡】においても多くのアダルトシーンは物語の後半に集約されている。今は環境の進展を待つべきなのだろう。
膝に乗せられた黒狼“ガンピール”の前脚を握り、肉球を揉み揉みしながらエイイチは次のルートへ気持ちを切り替えていく。ガンピールは前脚を持ち上げするりと拘束を逃れると、エイイチの太ももを左右の脚で交互に激しくストンプする。
「痛て、痛てて。はいはいわかってるって」
巨体の足踏みは思いのほか重く、エイイチは観念したかのように隠し持っていた猪肉を投げた。アヤメに頼んで頂いた生肉であり、本当はもっとガンピールの毛並を堪能したのち与えようと考えていたものだ。
「話聞いてくれてありがとな。また来るよ、ガンピール」
日課の餌付けを終えたエイイチは、猪肉を夢中で貪る黒狼へ別れを告げた。
地下から三階の石室へ戻ってくると、部屋の壁に背を預けたセンジュが腕組みをしてエイイチを睨みつける。
「……やっぱりガンピールのとこ行ってんだな。なんで食い殺されないんだおまえ」
黒狼は一見すっかり懐いているようにも思えるが、エイイチはガンピールの牙が届かない距離を絶妙に維持しながら接していた。それでも前脚にはふれているのだから、爪で引き裂かれないだけの関係性は築いているとも言える。
「センジュちゃん、俺に何か用事?」
疑問には答えず、エイイチはセンジュの立ち姿を無遠慮に眺める。小柄なセンジュはオーバーサイズの服を好んで着ているらしい。今日もプルオーバーの白セーターにショートパンツという出で立ちで、首にぶら下げたヘッドフォンには片側結びの金髪がふわりと乗っかっている。
しかしそうかと思えば夜にはメスガキチックにベビードールを着用したりもするのである。共通しているのはどちらの格好のときでも羊のぬいぐるみを必ず抱えているという一点。次の攻略対象とするのなら、いまいち掴めていないセンジュの二面性を把握する必要があるとエイイチは考えていた。
「ここには来るなって言ってんじゃん。どうして言うこと聞かないわけ?」
「そう言われても、マリちゃんの部屋には泊まれなくなったし……」
「それはおまえが待雪マリと、その……不純なことやってっから!」
「だから今はここが俺の部屋なんだって」
センジュは片足をくの字に曲げ、石壁を苛々と足裏でがつがつ蹴っている。二人の不純なローションプレイをツキハに告げ口したのは他でもないセンジュであり、行き場を失ったエイイチが石室を利用する正当な理由はあるのだ。てっきり解雇されるだろうというセンジュの目論見は外れてしまった。
「……あたしが用意してやる」
「え?」
「住む部屋だよ。ついてこい、エーイチ」
舌を鳴らして踵を返すと、石室を出ていくセンジュ。慌てて後を追いつつエイイチは、これはセンジュの部屋で一緒に住む流れがきたと確信する。秒でヒロインとの距離が縮まっていくエロゲー特有の展開。恩恵に預からない手はない。
道中センジュの背に投げかけた、趣味や好みの男性のタイプなどというエイイチの質問はすべて無視された。
「ほら。ここ」
案内されたのは三階西側、中央エントランスにほど近い部屋だった。ちなみにこれまで住んでいたマリの部屋は東側にあたる。
扉を開けたままセンジュが中へ入るよう促すが、室内は物置の如く使い古しの服や壊れた電化製品、クッション類が散らかっていた。
「文句あるなら掃除して使え」
「いや、まだ何も言ってないけど……ここなんの部屋?」
「今は物置。一応あたしのナワバリだから、増えてきた荷物片付けるのに都合よかったんだよね」
やっぱり物置じゃないか、とげんなりエイイチは肩を落とす。マリに引き続いてセンジュとの同棲はどうやら叶わないらしい。
それはそれとして、エイイチは一つ気になることをセンジュへたずねる。
「ナワバリといえば、センジュちゃんは三階の廊下を平気で歩くんだな」
名目上、昨日の決戦で三階廊下はマリのナワバリとなったはずである。厳格にナワバリやマーキングのルールを守るマリとは違い、センジュはこの一家総出の遊びをかなりアバウトに捉えているようだ。
「……まあ。気にすんな」
エイイチはあくまでただの遊びだと認識しているが、狼戻館においてナワバリは絶対的な支配力を発揮する不変の掟。先のセーフティゾーンであるはずの石室へ出入りしている件といい、【豺狼の宴】主人公ならばセンジュに対して深く疑念を抱いていく場面。
けれど残念ながらこの男はエイイチなのだ。攻略対象が気にするなと言うならば素直に頷くのだった。
「ところで、センジュちゃんの部屋はどこ?」
「え? 隣だけど」
物置部屋の横へ並ぶ扉をセンジュは指差す。なるほど、なるほど。と同じ台詞を二度呟きながらエイイチは、笑顔で足を踏み入れる。
「気に入ったよ。俺ここに住むよ」
壁一枚隔てた隣り合わせにセンジュがいるのなら、それはもう同棲と同義であるとエイイチは判断した。散らかった部屋は得意の掃除で片付ければいいのだし、冷たい石室に比べればずっといい。
それに相手は年頃の女子。薄い壁の向こうから一人遊びに興じる聞こえてはいけない声が届いたとしても不可抗力というものだ。例のエロゲーで該当するシーンはメイドによる一つのみだが、そっち方面での差異差分は歓迎するところだった。
「じゃ、これでもうあの部屋には行くなよ」
センジュが雑に扉を閉めると、物置部屋にエイイチは一人残された。さっそく散らかった物品を整理にかかるが、部屋に捨て置かれた物はどれも年季の入ったガラクタ――もとい骨董品ばかりだ。
箱にブルワーカーと書かれたこれは筋トレ器具だろうか、詰め込み切らず段ボールから溢れた服は某戦闘服のように肩幅が広く、果てはミラーボールや黒電話なども出てくる。
「これはなんだろう……?」
薄汚れた水槽には、かわいらしい字で“まりも”と書かれた紙が貼ってあった。水は濁っていて中に何がいるのか判別できない。積み重ねられた雑誌を手に取ってみると、劇画タッチのエイイチの知らない漫画ばかりが載っていた。
「……趣味は人それぞれだしな」
センジュは懐古趣味でもあるのかもしれない。緑色のゲル状のおもちゃをむにむに揉みつつ、部屋を見渡すエイイチ。奥の段ボール群の下にはベッドの木枠があり、ここも元はゲストルームや誰かの私室だったのだろうか。
――と。ふいに部屋へ聞き慣れた電子音が鳴り響き、エイイチはガラクタを掻き分けるとコードレスフォンを探り当てる。ここにも内線が繋がっているらしい。
「はい? もしもし」
『ア! オイヒツジィ!! ソンナトコニイタノカサガシタゾ!』
「ああマリちゃん。ちょっと今部屋の片づけしてて」
『マリデハナイ! テイウカ、アレ、ソコドノヘヤダッケ!?』
「センジュちゃんの――」
『ハ!? センジュダトッッ!?』
「う、うん。センジュちゃんの部屋の隣の物置。貸してくれるらしくてさ」
『トナリ――! トナリカ……! ウゥン……』
謎の声は悩ましげに唸っていた。何か気に入らないのか、苛立たしそうに爪でコツコツと机らしきものを叩く音がエイイチには聴こえる。
『ムゥゥ――ソレヨリヒツジ! シゴトハドウシタシゴトハ!』
「仕事? いや、ある程度片づけてから庭へ行こうかと……」
『ニワァ!? キサマノシゴトヲオモイダセヒツジヨ! マリトイウムスメハタイソウゴリップクダ!』
「もしかしてパンツ? 朝洗ったけど」
『アサハアサ! モウキガエタ!』
「その……あとでもいい?」
『ナラヌ! オヤツモマダ――』
コンコン。と部屋をノックされ、エイイチは受話器を手に扉を振り返る。
「マリちゃん、来客みたいだからまたあとで!」
『アッ、チョッ、コラ――』
通話を切り、エイイチは扉へ向かう。しかしどうやらノックをされたのは隣の部屋だった。くぐもった声が微かに聞こえ、エイイチは自然と壁へ耳を寄せていく。
『……あたしに客?』
『はい。――どうぞこちらへ』
一人はセンジュ、もう一人はアヤメの声だ。二人とも声の抑揚が特徴的なので、エイイチが聞き違えることはない。けれど。
『……久しぶりぃ。エック――……今は“センジュ”だっけ』
『…………アイナ』
もう一人の声はエイイチも初めて聞く人物だった。女性、それもかなり若い。おそらくはセンジュと同じ年頃か。
「アイナ……?」
呟いて、エイイチは記憶を辿る。
たしかに【洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡】でも三女に友人がいたはずだ。メイン絵師ではないが立ち絵もあり、攻略は不可ながら本編クリア後のエクストラで三女との3Pシーンは存在する。
主役級ではないからこそ、本編では攻略できないからこそ、その興奮は時にメインシーンをも凌駕する。エイイチも気分転換的にお世話になったものだ。
アイナというまだ見ぬ女の子が非常に気になる。だがエイイチのエロゲイヤーをもってしても、詳しい会話の聞き取りは難しい。いっそガラクタの処分をどうするかたずねる振りして突入してみるのはどうだろうか、と。
「……いける!」
思い立ったが行動のエイイチである。意気揚々と扉を開け放ち、そして――。
「ひいいい!?」
壁一面にびっちり張りついた蛾の大群を目の当たりにしたエイイチは、慌てて部屋へ引っ込んで扉を閉めた。
『……なんか変な声したぁ?』
『……隣に頭のおかしい奴が住んでんだ。気にすんな』
十数分が経過したのちにそっとドアを開けるもまだ蛾が居座っていたので、エイイチは黙々と部屋の片づけに勤しむのだった。
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