第140話 筑波山
松が明けてしばらく経ち、世間様から新年とか正月とか、そんな浮かれポンチな空気が完全に消えた冬晴れの週末。
僕らは青木さんの運転で、茨城県をのんびりと走っていた。
街道筋を外れて走ると、時々企業の研究施設、のち田んぼって感じで、どちらかというと原野に戻っていた南部よりも、植栽緑豊かで、水を抜いた茶色い田んぼすら豊かに見える。
青木さんの愛車は、◯イハツムー◯のワンボックス。
ピンク色のストライプが目立つ女性向けのデザインに見えるけど、その皮を剥がしたら、ゴツいデザインだよこれ。
女性向けに売っているけどさぁ。
「これ私が選んだの。もっと小さくて可愛い車もあったけど、ほら、貴方達と一緒に居ると荷物増えるでしょ。買う物も大きいし多いし。」
「なんで若い女の子が、そんな実務的な事を優先するの?」.
「です?」
「突拍子のない貴方達について行くには、まずは実用性なの!例え形から入ってにしてもね!私は服に合わせて体型を変えていく人間なんです。」
それが出来るって事は、実はかなりの地力と努力(あと覚悟)が必要なんだけどな。
この人は、本当に無意識で自分も他人も動かしますね。
本人には言わないけど、自己評価が低い人だなぁ。
なんで時々あんなに残念な人になるんだろ。
この車は、まだ慣らしが終わっていないそうだ。
そういえば、週末に出かける時は、いつも僕の車だったっけ。
まぁ、僕か玉が主体となっての外出だから、青木さんはついてくる事ばかりだったしね。
青木さんがお隣に越して来た時に買ったものだから、それこそ引越しの足に使ってただけか。
しまったなぁ。
もう少し、気を使ってあげればよかった。
新車だもん、青木さんも、もっと運転したかったろうに。
何にも言わないんだもんなぁ。
さて今日は、前に一言主神社に参拝しに行った時に約束した筑波山に行きます。
利根川を渡る時に、前面に現れた筑波山に、車内が歓声に包まれましたね。
と言いますか、玉はすっかり忘れていたのに、青木さんが凄く楽しみにしていたんですな。
今朝の食卓でのひとときでした。
「ねぇ、いつ行くの?」
「ん?」
「お父さん、そこは今でしょでしょ。」
「お婆ちゃん、殿に流行り廃りを求めちゃダメですよ。」
「あらあら、まだ若いのに駄目ね。そんなんじゃモテませんよ。」
「ん?ん?」
「決めた。今日行きましょう。」
「ん?ん?ん?」
僕、置いてけぼり。
聖域産の蕎麦粉と山葵(もう出来た)を使って作った蕎麦と、浅葱畑で作った大豆を使った油揚げのお稲荷さんで、今日の朝ご飯は蕎麦御膳。
糠漬けじゃなく、きゅうりの梅漬という新技をネットで調べた玉さんが持ち込みまして、そのさっぱりとした風味が絶賛されました。
「うふふ。玉の勝ちです。」
「誰と勝負してたんですか?」
「お婆ちゃんです。」
「うふふ、玉ちゃん。これは私の負けね。今度は私の秘伝の漬物をお見舞いするからね。」
「玉だって、負けませんよ。」
夕べは3人で蕎麦を打ってましてね。
玉と青木さんは、顔を真っ白にして作ってました。
「殿上手いですね。玉のは厚みが不均等です。」
「麺棒に入れる力を均等にすればいいんですよ。」
「蕎麦切り包丁なんて、実物を初めて見るんだけど。どこで買ってきたの?」
「作ってみた。」
「簡単に作るなや!」
繋ぎのうどん粉と薬味の葱は畑で育てた作物。
茗荷は水晶の中なら、どこでも生えているので、玉が嬉しそうに抱えて来た。
最初は大嫌いだったのにね。
と言う訳で、麺つゆだけ市販品。
麺つゆは出汁の塊だから、我が家では結構出歩く範囲が広い。
勿論、羅臼昆布や鰹節もフル回転だけどね。
あとは全部手作り。
そんな朝ご飯を食べていて、青木さんが手を挙げたんですよ。
「筑波山に行こう!」
って。
突然過ぎて、大声過ぎて大家さんがびっくりしてたぞ。
………
レジャーのお出掛けなので、玉がしずさんも誘いに行ったみたのだけど。
「ちびちゃんの腹巻きがもうすぐで出来上がるんですよ。」
って、断られたそうだ。
とりあえずと、毛糸で編んでみた作品第一号は仔犬の腹巻きですと。
ちびは僕らと遊ぶ事が大好きで、僕らが笑っている事が嬉しくて仕方ない、優しい奴だから。
そしていつも、しずさんを隣で守ってくれている、頼りになる奴だから。
多分、その言葉を聞いて、力一杯尻尾を振っていたに違いない。
光景が目に浮かぶよ。
ぽん子は………首輪着けてもらって「ドヤ顔」してたし、おねだりするかもね。
明日行ったら、聞いてみよう。
「お母さんはお母さんで、楽しそうだから、無理矢理連れ出さなくていいですよ。」
「そうですか。」
まぁ、娘世代(3人結構歳の差があるけど)の邪魔をしたくないんでしょ。
気持ちはわかりますな。僕もおじさんだし。
………
で、いつもの3人で出陣です。
いつもと違って、運転をば青木さん。
普段、営業車に乗っている事もあり、丁寧かつ注意深い安全運転をしている。
ブレーキの踏み込みで、身体が前後に揺さぶれないのは、止まる直前にそっとブレーキを戻しているのだろう。
黙ってこれをする人は、そうは居ないよ。
助手席には玉。
久しぶりに地図を抱えているけど、さすがに看板と店構えで商売がわかる様になったし、信号についている交差点名をチェックするだけが増えたので、青木さんの話し相手を適度にこなしている。
なので僕は、後部座席に1人。
「また何か、面白い板があったら、持って来て下さいな。」
としずさんに頼まれているので、どうしたものかなぁとスマホで◯マゾンを睨みながら、後ろで1人粗大ゴミになる事にした。
しずさんの言う板ってのは、DVDの事。
全員集合も大爆笑も見終わったらしい。
漫画にDVDが好きな人でしたか。
意外とオタク趣味だったりして。
まぁ、玉のお母さんだから、凝り性なのは間違いないな。
さて、会話がよく分からなくても笑える作品かぁ。何かあるかなぁ。
◯村さまぁ◯ずとか、◯曜どうでしょうとか、中身を選べば、しずさんの知識でも大丈夫かな?でも、内◯まお得意の大喜利とかは現代知識が必要だしなぁ。
しずさんの事だから、前後の文脈で想像しちゃうだろうけど。
「ねぇ殿。」
「ん?なんですか?」
スマホから顔を上げると、棒付きキャンディを口に突っ込まれた。
玉さんお得意の車内びっくり攻撃だ。
シートベルトを外してまでしないで欲しいなぁ。危ないから。
見ると、玉も青木さんも口から白い棒が覗いてる。
「よしよし。」
「はひふぁ(なにが)?」
★ ★ ★
「貴方に言われるままに来たけど、ここどこ?」
途中でヒョイと思いついて、やって来たのは、とあるバスターミナルだ。
北を見れば筑波山に向けて、真っ直ぐに道が延びている。
双耳峰の日本百名山は、もう直ぐそこだ。鳥居が見えているけど、おそらくは筑波山を御神体とした信仰の名残だろう。
「トイレだよ、トイレ。漏れちゃうよ。」
「殿。女性に向かってシモの事は隠しなさい。」
「善処しまぁぁす。」
「あ、でも、玉もおしっこです。」
「貴方達ねぇ。」
青木さんは大丈夫らしい。
ハンカチで手を拭き拭き出て来たら、コンクリートの塊を興味深そうに眺めていた。
上屋があり、看板の跡が屋根からぶら下がっていた。
「ねぇ、これ、駅みたいね。」
「駅だよ。」
「は?」
「昔、土浦から鉄道が来ていたんだ。筑波山の観光客を運ぶ為にね。」
「……見に行ったの?」
「まさか。」
22まで熊本に暮らしていた人間が、茨城の廃線を知ってるわけないじゃん。
用も無いのに、知らない土地の廃線前の鉄道を見に行ったりはしませんよ。
………多分。
僕の事だから、明日行くかもしれないけど。
「そろそろトイレに行きたいなあって、場所を検索してたら出て来た。ほら、これ昔の写真。」
今より緑が少なく開けているけど、人通りも少ない静かな田舎の駅の写真が、何葉かネットに載せられている。駅前には暇そうに客待ちをしているタクシーが数台。
上半分が肌色、下半分が朱色に塗り分けられた列車もいくつか写真が残っている。(京成カラーらしい。京成グループのに車両に昔共通させたカラーリングなんだって。)
パンタグラフが見当たらないので、ディーゼル車だったのだろう。
「ふひぃ。」
幸せそうなため息をついて、玉もハンカチで手を拭き拭き帰って来た。
2人して、なに同じ格好しているんだろ。
「玉さん、お下劣ですよ。」
「まだ大丈夫だと思っていましたけど、いっぱい出ました。」
「男にそんな報告しないの!どんな破廉恥な女の子ですか?」
「ぷっ。貴方達、いつもそうなの?」
「佳奈さん。男性と女性が毎日ずっと一緒に居れば、こんな風にもなります。」
「わ、私もそうなるのかなぁ?」
「そこ、僕の顔をチラチラ見ない様に。」
そりゃ、綺麗事で済まない事もみんな知ります。
それが家族ですから。
★ ★ ★
筑波山筑波山言う割には、登山なんかもってのほかだそうで、のんびりロープウェイで空の旅です。
登山道も整備されていて、小学生にも気軽に登れる、巨石が面白いコースなんですが。
笠森山や棒坂をほいほい登る僕や玉と違って運動不足を明確に主張する本日のリーダーが。
「ヤダヤダ。どうしてもと言うなら、ハイヒールで行くから。」
と、筑波山に行くと宣言しておきながら、登山は頑強に拒否したのです。
出発前に。
ハイヒールで登山、いやそれ以前に車の運転をされたら困るので、1日の計画は全部お任せという事で。
まぁ、ロープウェイで登ってケーブルカーで降りてくるという体験を玉にさせるというのも悪く無いし。
いひひひひ。その内、鋸山に行ってやろう。
あの階段地獄は、笠森観音どころじゃ無いぞう。
テレビで見ただけで、行った事ないけど。
「あれに乗るんですかぁ?」
ロープウェイは山麓東側にある、つつじが丘駅から女体山山頂を6分で結ぶ、真っ赤な車体のロープウェイだ。
その赤い籠が滑らかに空を登って行く姿に、まず玉がビビった。
そりゃまぁ。空を飛ぶなんて非常識な事、僕と暮らした数ヶ月で知識として身につけてはいても、いざ自ら体験となると、尻込みもするだろう。
玉は電車にも飛行機にも、乗った事無いし。
「とのぉ~。」
「大丈夫だよ。」
こんな玉の情け無い声、初めて聞いたぞ。
「はいはい。玉ちゃん、手を繋ご。」
「佳奈さん、大丈夫ですか、落ちませんか。」
勿論、ロープウェイが落ちた事故なんか日本で聞いた事無い。(あとで調べたらイタリアで死亡事故があったけど内緒)
「いざとなったら、水晶に逃げればいいでしょう。」
「あ、そっか。」
「そんな瞬間的に、判断出来るのかな。」
青木さんが疑問を呈して来た。
けど大丈夫。
何故なら、僕がお嫁さんを連れて、死ぬ前のお袋に逢いに行く未来、というか、過去が確定しているから。
そもそも、神の巫女であり、かたや神に認められたOLなんだから、簡単な事故死や病死をするわけない。
…神に認められたOLだと、かなり属性が弱い気もするけど。
週末ホリデー(重複)の割に客は少なく、その便は僕らだけで貸切状態だった。
これから数分の空の旅。
玉はガッチリ青木さんの手を握りながらも、窓ガラスにべっとり張り付いている。
例え初体験で恐怖感を抱えていようと、有り余る好奇心が勝る女の子だからね。
空から眺める地表の風景が面白いみたい。
でもね。
僕らが到着した駅は、女体山山頂ではなく、雲に覆われた白い世界だったんだ。
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