第3章

第123話 温泉

庭で深呼吸を一つ。

土地神の穢れを(結果的に)祓って以降、閉じられた楽園の聖域と違い、開かれた清浄なだけの浅葱の世界は、空気が心なしか美味しい。


聖域は魂を癒し、浅葱は身体を癒す。

そんな定義が、なんとなく頭に浮かぶ。


庭に拵えてある小動物ゾーンではウサギもモルモットもリスも、みんな芝生に丸くなって寝ている。

思い切りお日様の下で、よく眠れるな。

一応、日差し避けにケージも置いてあるけど誰も中に入らずに、種類に関係なく頭を寄せ合っている。

ミニ豚なんかみんなお腹を見せてるし。


しかしね。

どうしよう。


結果として、しずさんは自分の身体を取り戻す事に成功した。

玉といつでも逢える様に1,200年前の本物の自宅ではなく、浅葱の水晶に作った偽物(コピー)の自宅を選んだ。


選んだのはいいけど、住めるのかな。

陽が沈まない世界で、生活リズムを乱さない生き方って難しいぞ。

普通に昼働いて夜寝てる青木さんですら

遮光カーテン買ってたのに。


あ、そうか。

家に、遮光カーテンを付ければ良いのか。

あ、でも、遮光カーテンは買った事も、利用した事もないなぁ。

青木さんちの遮光カーテンに触ればコピー出来るかな?

んんと。

今のところ、しずさんは僕の義母(仮)らしいので、ちゃんと買った方がいいかな。


ついでに、布団とか座布団とか。

玉が頑なに


「要りません。無駄遣いはめっですよ。」


だったから、無理にどうこうしなかったけど、住むのは玉じゃなくしずさんだしなぁ。


………


わんわん。

『お布団は欲しがってるよ』

おや、ちびちゃん。

『いざ暮らす準備を始めてみたら、ムコドノんちとあまりに差があるから』

…だから玉が、元の生活を維持しようとしてたんだけどね。

ほら、しずさん、僕んちにも来てるから。便利なの、気持ちいいのはわかってるもん。

うちの布団は羽毛布団しかもダブルだから。玉が寝ぼけても、布団から剥がれないくらい大きいから。

(物理的に身体が僕と重ならないから、ベッドから落ちるって事は無いらしい)


『お母さんちのお布団はぺちゃんこだし、あんまりあったかく無いから』

まぁ、昔の布団なんか、大抵綿を詰めた煎餅布団だ。


『あと、座布団と箱膳も』

修繕したり塗り直したり、大切に使ってるねって褒めて、玉が感激してくれたエピソードが全部台無しだ。  


『あと、お風呂も』

お風呂はなぁ。

今でも玉が入ると、小一時間出てこないし。肩までお湯に浸かるって、昔の人にはもの凄い贅沢だったんだろうなぁ。


とはいえ、ここは水晶の中。

浅葱の屋敷を見る限り、時代設定は明治から大正で、インフラなんてものはない。

ガスや水道はそろそろ整備されている筈だけど、熊本のど田舎の農家なんかに、そんな文明は来なかったのだろうか?


かと言って、五右衛門風呂とか、ドラム缶風呂というのもねぇ。

しずさん女性だし。

薪を炊くのも大変だろう。


…一応、お伺いを立てるか。

因みにぽん子はどうしたね。


『お母さんが離して来れなくて、お母さんの胸の中でジタバタしてた』

強えな、母。

ぽん子は執拗に家に上がる事を遠慮する仔なのになぁ。


★ ★ ★


ちびを連れてトコトコと。

向かうは目の前の、土地神の社。

そういえば、ここの巫女は玉としずさん、どっちになるんだろう。 

玉の成長を見極めて、しずさんを荼枳尼天の巫女から移すって、言ってだよな。


『どちらでも構わない。巫女の娘は荼枳尼天の眷属と心を交わしているんだろう。だったら荼枳尼天の巫女として充分合格だ』

…呼ぶ前からほいほい顕現するかな。

土地神、いや一言主さん。

『お主相手に今更遠慮はいるまい。ささっ、中へ参られい』

神様だか武士だか、わかんないぞ、もう。

『ずぅっと中へ』

「本殿一間しかありませんが。」

神様が落語を語り出してどうすんの。


一応、御供えと御神酒は上がっているけど、お茶とお茶菓子をご馳走します。


『風呂か』

まんじゅうを齧りながら一言主さん。

「前にね、棒坂ってとこで温泉を掘った事があるんですよ。そこは薬草や蜂蜜が取れた事で、病を治す湯治の場に成長しました。(素麺とか名物も作らせたし)でも現在歴史上、弘法大師ゆかりの名水の場になっていて、温泉だった事はなかったってなってます。そこら辺はまぁ、歴史的辻褄合わせって事で。」

『馬頭観音がおるしな』


あぁ、やっぱりあの馬頭観音絡みだったのか。


「で、まぁ。ここなら温泉湧いても誰の迷惑にもならないし、浅葱の力で沸くかなぁって。」

『沸くぞ』

それまたあっさりと。


『ただし、この地に沸く温泉はアルカリ泉ゆえ、廃湯をそのまま川に流すわけにはいかん、魚達が死ぬでな』

神様からアルカリ泉とか言葉が出ると、違和感凄えな。

『何を言っとる。お主の知識を検索して当て嵌めただけだ』

「いくら神様でも、人の頭ん中を勝手に覗かれたく無いんですが』

『許せ。神ゆえに人の考えは勝手に入ってくる。お主も浅葱の娘に、神前で嘘は通用しないと警告した事があったろう』

浅葱の娘とは、青木さんの事かな?

あの人は、うっかりさんだから、そんな注意をしたの、一度や二度じゃないなぁ。

『廃湯を鑑みてくれるなら、我が力も貸そう。母巫女に伝えるがよい。お主は一言主の巫女を娘より引き継げと』


順番が逆の様な気がしますが、確かに玉は、おととい一言主及び恵比寿の巫女として、冠を授かったばかりだ。

おとといって。

忙し過ぎない?僕ら。


ー 大祓えの祝詞を唱えよ、それで通じよう。


それだけ言うと、一言主さんは鏡に消えていっちゃった。

なんだかなぁ。

『神様に伝言を頼まれる人も、殿くらいだね』

ちびちゃん。

君まで僕を殿と呼ぶか。


★ ★ ★


さて、排水を考えなさいか。どうすっかね。

穴掘って落とす?

んんと、地層の隙間に入って地震の原因になった事があるらしいな。

だったら川をもう一本作るか。

温泉場を流れる川は、少しずつ希釈されていって、無害な川になっていくらしい。

湧水とか支川の合流とかで。

 

だったら、最初から井戸掘って一緒に流せば良いか。

長屋門の北に古井戸があった筈。

今は牛小屋(空っぽ)になってる離れを風呂場にしちゃおう。

玉が山羊を飼いたがってたけど、ちびをここに案内した白いメェメェや、杢兵衛さんとこの牛がその内来る気かしてんだよね。怖いというか厄介そうだな。


その時はその時だ。

蔵を少しズラそう。


『殿が言ってる事わからないや』

呆れるだけだから、わからない方が良いよ。


………



という事で。

古井戸を掘り返して井戸水を復活。

源泉かけ流しのお湯と攪拌させて、特に弄っていない東の山沿いに、排水路をこさえます。

この川がどこに行くかって?

知らない。

ただ、改めて顕現した一言主が太鼓判くれたから、まぁ良いんじゃないかな。

この道の先って、どうなってるか知らないけど。


「殿?」

「なんですか?」

「なんで殿は、ちょっと目を離すと温泉を掘ってるんですか?」

「温泉は玉さんの希望でしたよ。」

「そうですけど。そんな事、昔聖域の池に足を付けてて言いましたけど。」


別にさ。

始めてじゃないんだから。

あと、しずさんが手拭い持って嬉しそうに離れに走って行ったし。

手拭いだけじゃあれだな。

バスタオルを出しとこう。


「玉、石鹸とシャンプーとコンディショナーも出しておくので、しずさんに届けてください。」

「わかりました、じゃありません。」

おお、玉のノリツッコミだ。

「殿はお母さんに甘すぎます。」

「下穿きの洗濯は頼みましたよ。身体が戻れば汗や垢も出るでしょう。」

「まったくもう。まったくもう。殿は玉の弱点を知り過ぎです。断れないじゃないですか。」


さすがに洗濯機は無いからなあ。

こっちは電気が来てないし。

タライと洗濯板を使うか。

でも洗濯板って、何処に売ってんだろ。

アパートに持って帰って洗おうか。

あ、でもそもそも替えはあるのかな。


これは一度戻って買い物に行かないとな。

あと、玉の家は板の間一間だから、畳とマットレスが必要になるだろう。


灯は、まぁ夜にならないから良いか。

あと、生活用品が結構足りない。

コピーだから、そこら辺は色々不備がある様だ。

いっそ、しずさんも一緒に来てもらうかな。

肉体があるならそれも出来るでしょ。


鍋釜箸茶碗お椀。

色々なかった気がして来た。

あっちは正式に玉さんちになるのだから、僕が勝手に覗く訳にもいかないしな。


「殿。」

「なんですか?」

「………玉も温泉に入りたい…です。」

「入ってらっしゃい。」

脱衣カゴはアパートの洗面所にある奴をコピーして。

石鹸類はシンク下の引戸に、タオル類は上の引戸に入っているはず。

みんな浅葱の力でひとまとめだ。それ。


ぽいぽい。


「わ、わ、わ。」

「垢すりとバスタオルはこれね。早く行ってらっしゃい。しずさんが上がっちゃうよ。」

「う、うん。」


「殿。」

「なんですか?」

「ありがとうございます。色々ありがとうございます。玉は殿の事が大好きですよ。」


それだけ、顔を真っ赤にして言うと、玉はお母さんと叫んで、牛小屋改め湯屋に飛び込んで行った。


あぁ。多分。

今の玉の大好きは、昨日の玉の大好きと違うんだろうな。

朴念仁(誤用)の僕でもわかるわ。

頭をカリカリ掻いて、僕は庭で目を回しているぽん子のところに歩いて行った。

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