第1章

第5話 散歩

翌朝。

んーん。良い芋焼酎は、寝覚めも良いね。

適度に酔ったみたい。いつもより、深い眠りと爽やかな目覚めを迎える事が出来た。

改めて、睡眠欲をトリガーにしちゃいけないとおもいましたまる。(←古い)


汚れ物を片付け無いまま寝てしまったので、朝イチはお皿を洗おう。

お皿洗いって好きなんだよね。洗濯は乾いたものを畳むのが面倒なんだけど。

僕の定番は、ママレモンとマイペット。湯沸かし器のお湯で、ママレモンの香りと泡立ちを楽しむ事が、マイルーティンの一つなんですよ。


朝御飯の為に、炊飯器にお米を入れて水を張って、お米に水を飲ませてあげる時間を取ろう。

そろそろ時計は8時になるけれど、無職の独身男には暇だけはたっぷりとあるからね。


あぁ、その間夕べ入れなかったお風呂にでも入ろかな。

うーん。シャワーでいいか。お湯を沸かす時間が何か勿体ないし。…この勿体ないの比較対象は多分、ご飯を炊くだな。

料理の時間に食い込む様な、別の用事をなんとなく作りたくないんだろう。


僕はこんなに、意地汚かったかなぁ?


シャワーを浴び終わり、バスタオルで髪を拭き拭き炊飯器のスイッチを入れる。

さて、たしか卵とベーコンがあったな。

あれで簡単ベーコンエッグにしよ…おかしい。

いつものパック5枚入りベーコンの他に、厚切りベーコンとベーコンブロックがある。また始まったかな。

でも、こんなにベーコンばかりあっても始末に困るな。

僕が好きなのはカリカリベーコンであってだね。

厚切りベーコンは、ハムステーキ的な利用法を思い付くけど、こんなまんが肉みたいなブロックベーコンなんかどうすりゃ良いのさ?


いつのまにか、この冷蔵庫の脇にある観音開きはなんだい?

…壺。

中に鎮座してましたものは、おっきな茶色くて、釉薬の垂れを模様にした壺。なんだろう。「信楽焼」って頭に浮かんでる。信楽焼ならば狸じゃないの?

そりゃ、陶器なんだから壺くらいは作っているだろうけど。それで中身は?

木の蓋を開けると、なんとも香ばしい香りが漂って来た。知ってる。僕知ってるよ。

これ、糠味噌の匂いだ。


糠漬けは、確かに僕の好物だけど!

前に住んでいた街にあった定食屋さんで、必ず注文してたけど。居酒屋のお通しがこれだったら、それだけでテンションが上がる安い男だったけど!

これ、僕がやれって事なの?糠床の世話って大変なんだそ。

無職の僕には時間があるけど!


折角だし、なんとなく糠床に手を突っ込んでみた。

掻き回してみた。手に何か当たった。

引っ張り出してみた。

…茄子と胡瓜のお漬物だぁ。しかも、状態からして、昨日くらいに漬け出した物。

包丁を入れてみた。ああもう、いい具合に萎れてて僕の一番好きな漬かり具合じゃないか。

醤油を使わず、和芥子だけで茄子を食べてみた。

………美味しいに決まってるじゃん。

ベーコンなんか要らない、絶妙過ぎる塩っぱさ加減じゃん。


という事は。野菜室に追加があるのかな?


ありましたよ。


泥付き葱が。

しかもまだ泥が乾いてないよぅ。


だとしたら、作るメニューは、…冷蔵庫を開けると、やっぱりあったあった。木綿豆腐だ。

味噌は?…種類が勝手に増えてるなぁ。

葱、木綿豆腐と来たら白味噌だよね。


葱は泥を丁寧に洗い落として、薄皮一枚剥くとまぁ、いやらしさすら感じる白さ。女の子みたい。これを笹切りにします。

木綿豆腐は半分にして、掌で賽の目状に包丁を入れます。さて、出汁は、と。

…だしの素だけじゃなくて、煮干しと花かつおが引き出しから出て来たよ。昆布は…ないか。

残念。僕は引き出しを閉じる。

と見せかけて!!開ける!!

…やっぱり、グルタミン酸ナトリウムの黒い塊が入ってたぁ。…便利だけど、この能力ってドッキリ要素がありすぎますな。


てなわけで、具なしの少し固めダブル目玉焼き醤油かけと、葱と豆腐のお味噌汁。茄子と胡瓜の糠漬けという、お爺さんみたいな朝御飯になりましたよ。ええ。

でもね、ご飯が美味けりゃおかずなんかどうでもいいって言う真理にも辿り着いちゃいましたよえーえー。


…蛋白質がもう少しあった方が良いかな。

これじゃ病院食だね。美味しかったから良いけど。 満足したから良いけど。 


★ ★ ★



食後の腹ごなしに散歩に出かけた。

ただ暇な人間の、ただの暇つぶしなのだけど、昨夜ご先祖様と邂逅した時の一連で、少し気になる件(くだり)があったから。


「土地の記憶」


的な事が必要で、ご先祖様は僕をこの地に導いたらしい。

ならば暇つぶしに、この地を散策する事に意味はありそうだ。

引越し先の散策は、新しい暮らしの組立計画を立てる上で必須な事であり、何より楽しい。


という訳で、手持ちのスニーカーからクッション性とグリップ性能がやたらと高い、リーボック製をチョイス。一部のマラソン大会で使用禁止になったとCM打っていた奴だよ。

今は他社の厚底系が主流になったせいか、カタログ落ちしているのか、なかなか売ってないのが難点だけど、ただ長距離歩く分には、このグリップ性能が足を勝手にどんどん前に出すから、最適なんだな。


玄関に鍵をかけるていると、お隣のなんだか髪の長い黒いドレスを来た、やたらと妖艶なお姉さんに頭を下げられた。こちらも頭を下げ返しいるうちに、さっさと部屋に入ってしまった。

まぁ、こちらは無職だしね。お隣さんがどんな仕事してるのかは知らないけど、僕よりはマシでしょう。

大家さん辺りに聞いていたのかな?

今度入る店子は無職だって。

そりゃ、最低限の礼儀以外には関わりたくも無いでしょ。


スマホのググる地図アプリを開く。デフォルトで航空写真にしてあるのだけど、車道以外の近道があるのを見つけた。

この辺は標高20mくらいある台地の端なので、階段がそこら中にある。その内の一つが、このアパート専用の階段になっている訳だ。


その階段をトコトコと降りようとしたら、少し錆びを浮いた鉄製なのでガンガンと音を立てて降りる羽目になった。

駅からは近道になるけど…夜は使えねえな。これ。

半分くらい下るとコンクリート製に変わるので、ホッとしながらアパート名が書かれたアーチを潜り、下の公道に出る。


この辺は、大雑把に言うと、北の台地(音だけ聞けば北海道だね)と、南の低地に分かれて、南はやがて埋立地を経て東京湾に至っている。

低地部には背骨の様にJR総武線と京成線、国道14号が動線の軸を作っている。


一方台地の方概略は、川からぐっと迫り上がった西の端にある城跡が公園となっていて、そこから東は寺院の敷地が台地端に沿って細長く伸びている。

その東端は、川が刻んだ広い谷により台地が東西から南北に方向を変えていく。その角に国分寺が残されていた。しかし、その参道は自転車では昇るのが困難な程の急坂となっている。歩いていても息が切れる。

台地の上は長閑な畑が広がり、国分寺の裏に尼寺の跡だけが残されている。


だいたい、こんな感じ。


日常生活品を扱う店は殆ど見当たらない。

一応、南北に伸びる幾つかの街道筋には、食糧店の看板が残るしもたやが見受けられるんだけど、昭和?昭和から閉まってるの?てな感じの古さ。木造平家建で看板建築みたいな洒落たものではなく、ただ板が黒ずんでいる。点在するコンビニに負けて行ったんだろうね。

美容院や介護施設が目立つのは、郊外の古い住宅街あるあるなんだろうか。車の通行量に比べて歩道が狭いただの路肩ばかりなのも、中に一本入ると道の狭さの割に路線バスがゴリゴリ走ってくるのも、都内で良く見かけた景色だな。


そんな感じで。

東京郊外の、繁華街では無い方の何も無い住宅街を歩く事半日。そろそろお腹も減ってきた。

初めての街の、初めての外食。それも繁華街じゃなくて住宅街。街道筋に出ればチェーン系のファミレスもあるし、たまにある(歩ける距離感の)スーパーでお惣菜を買うのも悪くない。公園は割とあるし、昼間だから人も元々居ない。見慣れない不審者が居るけど(僕の事だ)、小ざっぱりした格好をしているつもりだし、隅っこのベンチでおにぎりを齧るくらいなら、通報される事もないだろう。多分。


てな感じで、ここからは食べ物探しの放浪タイムとなる。

歴史的なフィールドワークは、今日のところはこれで充分でしょう。



ああ。住宅街の小さな商店街があったよ。酒屋とかクリーニング屋とかが並ぶ、…寿司屋と蕎麦屋があるな。

でも、やってない。夜から地元の人を相手に開けるんだろうな。しょうがないか。


などと、まだまだ腹の空き具合と体力に余裕があった僕は、なんなら帰宅して好きなもん食えは良いや、くらいの軽い気持ちで商店街を通り過ぎた。


台地に突き当たったT字路を左に曲がれば帰れる。

さっき、クッキングアプリをダウンロードして、鯨の料理の仕方、玄米の炊き方なんてのも調べ済だし、あ、ベーコン焼こうかな。


僕は、左に曲がるT字路を“直進“して行った。

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