第15話
「蒼空ー、入るね」
すっかり、お見舞いが日常化している私は今日も蒼空の病室に訪れていた。
声をかけるとドア越しに「おー」と返事が聞こえ、ドアを開ける。
「あれ、樹くん!」
中に入ると珍しく樹くんが来ていて、私は驚いた。
「樹くんも来てたんだ」
「最近、勉強で忙しかったんだけど、そろそろこいつが寂しいと思ってさって、痛ってぇ!」
そう言いながら笑っていた樹くんを蒼空が軽く脇腹を殴り樹くんは顔を顰めた。
「お前がきもいこと言うからだろ」
最近はふたりのこういう風景を見ていなかったのでつい私は笑ってしまった。ふたりは相変わらず、仲が良さそうで良かった。
そんなことを思っていると蒼空が私を見ていたことに気づく。
「お前も忙しいよな。来てくれるのは嬉しいけど、無理してこなくてもいいからな」
「全然、今は蒼空に会いに来ることのほうが大切だから」
私は蒼空を見つめ返し、微笑んだ。
「あれ、これ俺、お邪魔だったりする?」
「よくわかってんじゃん」
冗談めかして会話に入ってきた樹くんは蒼空とじゃれ合うように肩を組んでいた。
楽しそうに言い合っているふたりを見てなんだか安心する。
しばらく、三人で話しているとドアをコンコンとノックされた。
「蒼空くん、検査の時間よ」
そう言ってドアから顔を出したのは森田さんだった。
蒼空は「はーい」と返信をするとベッドから体を起こした。
「わっ、大丈夫かよ」
「あぁ、悪い」
ふらついた蒼空を樹くんが支えた。
「蒼空くん、ゆっくりでいいからね」
蒼空は森田さんに手を返してもらいながら点滴と一緒に歩き出した。
「すぐ、戻るから待ってろよ」
「おう」
「うん」
私たちは蒼空がドアを出るまで見送った。ふたりきりになると、少しの間、静寂な空気が流れた。
「あいつの腕、細かった」
最初に口を開いたのは樹くんだった。顔を少し除くと樹くんは自分の手をじっと見つめていた。
「樹くんは蒼空のこと、知ってたんだよね」
私がそう聞くと樹くんは「あぁ」と短く答えた。
樹くんが祭りの日に「蒼空のこと知ってる?」と聞いてきたのはこの事だったのだと今考えばわかった。
蒼空のことを知っているのは学校でも私と樹くんだけだ。蒼空は樹くんをすごい信頼しているんだろうな。
「俺、何度か昔もお見舞い来てたんだけど」
樹くんは視線を自分の手から蒼空が出ていったドアに視線を向ける。
「あいつが弱音吐いてるところ、聞いたことないんだ。多分、美咲さんも」
樹くんの顔が心配そうに歪んだ。
「つらいはずなのにあいつ、いつも笑ってて、逆にそれが心配でさ。あいつは俺たちに心配かけないようにしてんだと思うんだけど」
ただえさえ、何もしてやれないのに話すらも聞いてやれない、と樹くんは言った。でも私はそうは思わなかった。
「蒼空は心配させないようにしてるかもしれないけど、樹くんのことをすごく信頼していると思うよ」
私がそう言うと樹くんは下を向けていた顔を上げた。
「それに蒼空さっき楽しそうに笑ってた」
あの蒼空の笑顔にきっと嘘はない。
「そうかな」
納得のいってなさそうな樹くんは笑いながらそう言った。
「美月ちゃんさ。七夕祭りで蒼空が短冊になんて書いたか知ってる?」
「あー、私たちお互いになに書いたか秘密にしてたから知らないんだ」
「俺あいつのこっそり見たんだけど、美月とずっといられますようにって書いてあったよ」
それ私と同じこと書いてる。蒼空もそう思っててくれたのだと嬉しくなった。
「蒼空には内緒な」
樹くんはそう言って意地悪げに笑っていた。
❋
それからトイレが終わった私はゆっくりと蒼空の病室に戻る。そろそろ蒼空の検査も終わった頃かな。樹くんはさっき、そろそろ帰らないといけないって、先に帰ってしまった。
蒼空によろしく伝えてくれと言われた私はしっかりそのことを頭に入れたまま病室に辿り着いた。
あれ、ドアが少し開いている。蒼空のほうが少し早かったみたいだ。
「そ、」
蒼空を呼びかけたとき中から聞こえた声に私はドアにかけた手を止めた。
「なんでなんだよ......」
再び聞こえた、押し殺しながらも漏れた声。奥歯をグッと噛み俯いている蒼空の姿に私は呆然と立ち尽くした。私はその場で凍りつく。心臓までが止まってしまったと思った。
「美月ちゃん、どうしたの?」
不自然だった私に心配して声をかけてくれた森田さんに私はビクッと肩を震わせた。森田さんの声で私は現実に引き戻される。
「いえ、あの大丈夫です」
私がそう言うと「なら良かった」と森田さんは私の前を通り過ぎて行った。声をかけられなかったら私はこの場から動けないままだったかもしれない。
「美月いるのか」
少しの間を置いて、蒼空が声を出した。やっぱり、バレてしまった。私は再び病室に足を向けて、ドアを開ける。
床からゆっくり顔を上げると蒼空からはさっきまでの様子は一切感じなかった。いつものように私を見て笑う。まるでさっき見ていた光景が見間違いだったと錯覚しそうなほどに。
「戻ってきたら、誰もいないから帰ったのかと思った」
蒼空は何も無かったかの様にいつもどおりだった。目の前の笑顔にさっきの蒼空はどうしても私の中で結びつかなかった。これ以上は立ち入ってはいけないラインな気がした。
「蒼空」
「樹は先に帰ったのか?あいつ待ってろって言ったのに」
「蒼空!」
私の話を遮るように話し出す蒼空に思わず、大きな声が出た。
「どうしたんだよ」
それでも蒼空は私に優しく笑いかけた。あぁ、いつもの蒼空だ。大丈夫、そのときの私はただそう思いたかった。
そう私はこのとき向き合わなきゃいけなかったのに目を背けたんだ。
それからも蒼空の症状がよくなることはなく最近では転けることが多くなった。よろけたときに体をぶつけ増えるアザ。副作用でつらいからと、ここ最近はよく寝ていた。
「大丈夫」そういう蒼空はなんだか自分に言い聞かせているように私には聞こえた。
今日も私は蒼空の病室に向かって廊下をまっすぐ歩いていた。
「美月ちゃんッ!」
すると、いつもなら走っている子を注意するはずの森田さんが急いで私のところに走ってきた。顔から血の気が消え真っ青の森田さんからは嫌な予感しか感じられなかった。
「蒼空くんがいないの!」
そう言われ私は急いで蒼空の病室に向かった。誰もいないベット横に倒れた点滴。
「病院中探したんだけど、どこにも居なくて美月ちゃん蒼空くんが居そうな場所わかる」
私は森田さんの質問に答えることなく病院を飛び出していた。どこにいるの蒼空。私は必死に思い当たる場所を探したけどどこにも蒼空はいなかった。
もう少しずつ暗くなり初め、どこにいるのか検討もつかなくなった私は我武者羅にただ蒼空の名前を叫んでいた。こんなところにいるはずないよね。冷静にそう考えた私は一度、立ち止まって限界の呼吸を整えながらもあたりを見渡す。
「蒼空ッ!」
見渡した先に目立つ青い入院服が視界に入り、私は目を大きく見開いた。急いで蒼空の元に駆け寄る。私はゆっくりと立ち止まった。ボロボロに汚れた服、手にはたくさんのキレ傷にズボンからは血が染み込んでいた。ここまでくるのに何度も何度も倒れ込んだんだろうとひと目でわかった。
「蒼空......みんな心配してるから帰ろ?」
何を言葉にすればいいのか。私は無難な選択をした。
「......」
黙り込んで顔も合わせてくれない蒼空に私はゆっくり手を伸ばした。
「やめろ」
伸ばした手を私は初めて振り払われた。
「副作用で毎日毎日、体中が痛くて吐いて、無理やり食べては吐いて、こんなに頑張ってもなんもよくなんかなってない」
「よくなるよ。大丈夫だから」
「大丈夫ってなにが大丈夫なんだよ!」
私が言葉を続けるよりも先に蒼空が怒鳴るように言い放った。激情のこもった言葉に私はあとずさりする。けれど腕を振り払われた私よりも蒼空は傷ついた顔をしていた。
「お前にはわからないよ......」
心の芯まで凍るような冷たい声だった。すると蒼空は、はっと自分が言ったことを後悔するように口をつむんだ。私はなんて言えばいいのかわからなかった。蒼空に言われたとおり私はドアを開けたとき笑って手を振る蒼空の姿しか知らない。
『つらいはずなのにあいつ、いつも笑ってて』
私は前に樹くんとの話を思い出した。私も騙されていた。笑っている蒼空を見て蒼空は大丈夫だって勝手に思い込んでいたんだ。りんごは内側から腐るなんて話をどこかで聞いた。蒼空もそうだったのかもしれない。
蒼空はとっくにダメになっていたんだ。でも蒼空は器用だから今まで誰にもこのつらさを言わずに隠してきた。
「もう嫌だ」
さっきとは違った弱々しく放たれた言葉に私は息を呑む。
蒼空は「ははっ」と力なく笑った。
「毎日痛いし、苦しいし、こんなにつらいなら死んだほうがましなんじゃないかって」
「そんなことっ」
「よくなるかもわからねぇのに、こんな治療続ける意味あんのかよ?正直なんのために今、頑張ってるのかもわかんねぇんだ」
蒼空は私に向かってそう言ったけど、蒼空の瞳は私を映していなかった。ただ一点に暗いなにかを見つめていた。
「俺はもう......」
蒼空が言葉の続きを言う前に私は蒼空を抱きしめていた。そうしないと私が耐えれなかった。私には自然とそのあと言う蒼空の言葉がわかったから。でも私はあなたにその言葉を言って欲しくなかった。
「お前といるときだけは、全部忘れれて幸せだったよ。だからこのまま終わりたい」
「蒼空ッ」
「生きてほしい」その言葉は声にならなかった。今の蒼空にとってこれほど残酷な言葉はないから。
生きていればいいことがあるなんて、無責任なこと言えない。だから私は言葉の代わりにぎゅっと蒼空を抱きしめた。ただぎゅっと、
どうして、蒼空なんだろう。どうして、蒼空がこんなつらい思いをしなければならないのだろう。
「ありがとう美月......。でも、もう限界なんだ」
蒼空は最後に優しく私に笑った。そしてまっすぐと迷いなく歩いていく。
「蒼空そっちは」
静かな中、踏切の警鐘がカンカンカンと力強く音をたてる。踏切の遮断棒がゆっくりと動き出したのに蒼空は歩く足を止めない。
私は血の気が引いた体を急いで動かした。蒼空の腕に飛びつき全力で引っ張った。それでも蒼空はビクともしず、私は必死に叫ぶしかなかった。
「蒼空ッ!早くこっちに来て!」
そんな私の叫びも虚しく私は踏切から押し出された。遮断棒が閉まり、私たちの間に線が引かれた。
「ごめん」
蒼空は目元を赤く染め今にも泣きそうな顔でそう言った。蒼空の手は震えてた。どうしよう、どうしよう。なんて言えば蒼空は救われる。どうした蒼空は......。
私は急いで走り出し踏切の中に入る。そして今度は蒼空を引っ張るのではなく強く抱きついた。
「おいッ!なにやって」
今度は振り払われないように強く強く腕に力を入れた。
「最後まで傍にいるって言ったから」
そう言って私は蒼空に笑ってみせた。最後まで傍にいる。これが私に唯一できることだったから。
「カンカンカン」
「離せって!」
「カンカンカン」
「頼むから!」
電車のライトに照らされても私は最後まで蒼空を離さなかった。音がすぐそこまで響いていたその瞬間、背中の痛みと共に地面に押し倒された。
「はっ......はぁっ...は」
ゆっくり閉じていた瞼を開けると目の前には私を険しい顔で見つめる蒼空の姿があった。
「よかった」
私は力なく笑った。それを見た蒼空は苦しそうに勢いよく拳を地面に叩きつけた。
「お前のせいだ。明日死のうって何度も何度も決めたのにお前が来る度に決意が揺らいで」
目から溢れ出た涙が私の頬にそって流れ落ちる。
「ここまで歩いてる間もずっとずっと......」
「私のせいでいいよ。だから私のために生きてよ」
きっと、一度溢れてしまったものはなかなか止まらない。私はゆっくり体を起こすと蒼空の背中に今度は優しく腕を回した。
「本当は怖いし、死にたくない。けど治療はつらいし、体が動かなくなっててるの感じて」
私は抱きしめたまま「うん、うん」と頷き蒼空の話を聞いた。そのときの蒼空の顔は見えなかった。蒼空は溜まっていたものを吐き出すように話し続けた。
少しして、落ち着いた蒼空はゆっくり私から手を離してまっすぐに私を見つめた。
「お前が俺のために生きてくれるなら俺もお前のために生きてみようかな」
覚悟を決めたように蒼空がゆっくり立ち上がり、私に手を差し出した。
「一緒に生きてくれるか?」
「うん」
つなぎ止めておかないと、どこかにいってしまいそうで私は蒼空の手をしっかりと握った。
❋
あれから一ヶ月程がすぎ、蒼空は治療を頑張っていた。
「うっ」
真っ青な顔で口を抑える蒼空に私はゴミ袋を差し出し、背中をさすった。
「大丈夫、大丈夫」
思い込ませるように何回も繰り返し言った。
「うぇっ」
蒼空はゴミ袋に吐き出すと少し楽になったようだった。最近はこんな状態がずっと続いていた。症状は吐き気、頭痛、咳、その日によって酷い症状は違った。
自分でもネットで調べてみたりもした。つらさに早く楽にしてあげたいと治療を辞める人もいるぐらいらしい。見ているだけで私の心も折れそうになる。
「いつもありがとな」
そんな私を見て、少し落ち着いた蒼空が必死に笑ってそう言った。目尻が熱くなった。蒼空がこんなにも頑張っているのに私がこんな弱気じゃだめだ。蒼空の前では暗い顔はしない。そう決めた私は笑った。
それから蒼空は約束どおりに治療を頑張り続けた。決して、諦めることはなく前を見続けた。
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