立夏

第1話

 休み時間。


授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると、みんな各グループに集まり始める。


 今年から高校二年生となり、すでに二ヶ月がたっていた。いまだに、どこのグループにも入れていないのは私ぐらいだった。


 私の席は窓側の一番うしろの席でクラスの構造がよくわかる。


「もう、やめてよぉ」


「あははは」と大きな笑い声が聞こえ、不快に思いながら笑い声のする方向に視線を向ける。


 机の上に座り、足を組んでクラスの真ん中に陣取っているのは梨沙りさだった。


 梨沙はいわゆるこのクラスでカースト上位の一軍グループ。髪は明るく染めており、スカートは短く折って、メイクにピアスにすべてが校則違反だった。


 そこまでして、目立ちたいのだろうか。注目されたさからなのか、会話の声はいつもやたらと大きい。 根本的に私の苦手なタイプだった。


 梨沙を眺めていると自然と近くにいる蒼空に視線が移った。高身長に整っている顔、おまけに明るくノリのいい性格から男女共に好かれていた。今も蒼空を中心に周りにはたくさんの人が集まっている。


 そんな蒼空に梨沙はあざとく腕を回した。蒼空のことが好きなんだろうと、たぶんクラスのみんなが思っていた。


『何してんだよ!』


 私は机に頬をつきながら昨日のことを思い出していた。 昨日は逃げるように帰ってきてしまった。けれど、特に今朝からなにか言われることもなく、私の中ではなかったことにしようとしている。


「痛ったぁ。ごめん、暗すぎて見えなかったわ」


 そう言って、わざとあたってきた梨沙は私を馬鹿にするように笑っている。


「てか邪魔なんだけど?」


「......ごめん」


「梨沙、うける」


「そんなだっさいやつほっとこーよー」


 私は心にも思っていない謝罪をする。うしろではいつも梨沙と一緒にいる遥香はるか芽衣めいがクスクス笑っている声が聞こえた。


 このふたりは毎日「かわいい、かわいい」と梨沙の機嫌をとるのに必死だ。登校、移動教室、ついにはトイレまで常に梨沙と一緒。


 さっきまで蒼空たちと話していたのに。そう思って、梨沙が座っていた場所に視線を戻すがトイレにでも行ったのだろう。蒼空の姿はなかった。


「友達もいないのによく学校来れるよね。メンタル強すぎ。私なら絶対に無理だわぁ」


「それな。てか視界に入るだけでこっちは不愉快なんだけど」


「ひとりだけ浮いてるって気づいてないのかな?」


 梨沙たちは私の机を囲むように立って、私を見下ろした。次々と聞こえる罵声にもはやなにも思わなかった。しばらくして終わりを告げるチャイムが鳴る。


「ほんと、きもいんだけど」


 最後にそう言い残し、私の机にセットされていた教科書たちが地面に落とされる。


 梨沙はそんな私をおかしそうに横目で笑い、私の教科書を踏みつけて自分の席へと戻って行った。


 私はしゃがみ、落とされた教科書を拾う。クラスの人たちの視線が私に集まっているのを背中越しに感じた。拾い終わり、顔を上げると同じ列の森田葵もりたあおいと目が合った、がすぐに逸らされてしまった。


 葵は高校で初めてできた友達だった。でも私が梨沙の標的になってからは話すこともなくなった。さっき言われたとおり、私はクラスで浮いた存在だった。


 その後の授業でも梨沙たちが騒いでいたせいで、授業の内容はまったく頭に入ってこなかった。


 帰りの挨拶を終えると私は逃げるように教室から出ていく。


 そして、今日もいつからか日課になっている屋上に向かう。ドアを開けるといつもみたいに青空が、私を出迎えてくれた。


 下を眺めていると梨沙たちが帰るのが見えた。ここにいても、あの嫌いな笑い声が聞こえてくる。


 梨沙は門のところで先生とやら話をしていた。たぶん身だしなみのことで注意されているのだろう。


 それから私はなにをするでもなく、ただ空を見つめて時間が過ぎるのを待っていた。すると、下校を報告する放送が鳴り響き私は重い体を起き上がらせた。


「あっ」


 私は帰ろうと立ち上がって、カバンの中を確認した。やっぱり鍵を教室に置いてきてしまっていた。


 私は一度、下駄箱に向けた足を方向転換し、教室に向ける。誰もいない廊下に私の足音だけが響き渡る。もう部活の人たちも帰って、誰もいないだろう。


 そう思って教室のドアを開く。自分の机に目を向けると、なぜか私の机の前に立っている蒼空と目があった。蒼空は机の上に置いていた手をすっと、どけて同時に私から目線を外した。


 どうして教室にいるのだろうと、思いながらも私は自分の机に視線を向ける。


 私は一瞬目を見開いたが、いまさら気にしなかった。私の机の上にはペンでバカ、ブス、死ね、などの今は見慣れた言葉が書き並べられていた。


 梨沙たちはすぐに帰ったはずだ。そうなると私は蒼空を疑った。結局は蒼空もみんなと一緒だ。


 蒼空はずっと黙っている。早く鍵を取って帰ろう。そう思って近づくと、蒼空の片手が視界に入った。


「雑巾?」


 私は自分で確認するように言葉にした。握りしめている雑巾は濡れていて、手はよく見ると少し赤く染まっていた。


「あいつら油性で書くから取れねぇんだよ」


 無言に耐えかねたのか、蒼空はそう言った。すると再び私の机を吹き始める。机もよく見れば文字が薄くなっていることに気がついた。


「消してくれてるの?」


「まぁ、お前に見られたら意味ねぇけどな」


 雑巾を握る蒼空の手が少し痛そうに見えた。私がいない間ずっと消してくれていたのだろうか。


 一度、勝手に疑ってしまった蒼空に申し訳なく思った。

 蒼空は「疲れた」と言って、腕を休ませる。


「ごめん。あとは自分でやるから蒼空はもういいよ」


「それなら、ふたりでやったほうが早いだろ」


 そう言うと蒼空は廊下からもう一枚の雑巾を持って、濡らしてくると私に渡した。


 それからはただ淡々とふたりで机を拭き続けた。茜色に染った、教室にふたりの影が伸びている。久しぶりの空間になんだか少し緊張した。


 完全にまでは消えなかったが、よく見ないとわからないまでに字は薄くなった。


「手伝ってもらって、ごめん」


「いいよ。俺が勝手にやってただけだしな」


 蒼空は本当に迷惑でもなさそうに、笑ってそく言った。


「じゃあ.......私、帰るね」


 真っ直ぐに私を見る蒼空の視線から目を逸らし、背中を向ける。歩き出すと右手首をギュッと捕まれた。


「一緒に帰ろう」


「えっと」


「家の方向も一緒だろ」


「でも.....」


 断る理由が見つからないでいると、気づけば蒼空は普通に私の横を歩いていた。どうせ帰るだけだし、と私もこれ以上はなにも言わなかった。


 下駄箱に辿り着くと履き替える蒼空を眺めながら、私も自分の下駄箱に腕を伸ばした。


「うわ、なんだよこれ」


 下駄箱を開けると中から大量のゴミが崩れ落ちてきた。地面に落ちたゴミを見つめる。落ちてきたのはいちご牛乳のパックにパンのゴミや紙くずなどだった。


「これ、昼にあいつらが食べてやつじゃねぇかよ」


 しゃがみこみ、ゴミを拾い始めた蒼空が菓子パンの袋を見ながらそう言った。


「蒼空汚れちゃうから」


「そんなの気にしねぇよ」


 蒼空は近くのゴミ箱を持って来るとそこに全部詰め込んだ。


「こんなもんか」


 蒼空はあたり確認すると立ち上がった。


「あっ、制服が」


 蒼空は私の視線を辿って、自分の制服に視線を移す。ゴミで汚れてしまった制服を蒼空は手で払ったが落ちなかった。


「ごめん」


「お前が謝ることじゃねぇだろ」


 蒼空は優しくそう言った。


「......ごめん」


 けれど、他に言葉が見つから私は少し間を空けて、同じ言葉を繰り返す。


「大丈夫だって」


「でも」


「お前そういうとこ、昔から変わってねぇんだな」


 蒼空は私を見つめてそう言った。


「あいつらにされるがままでいいのか?どうし

 て誰にも助けてって、言わないんだよ」


「じゃあ、助けてって、言ったら誰か助けてくれるの!」


 蒼空の言葉に理不尽にカッとなった。これは完全な八つ当たりだ。


「みんな見てるだけで誰も助けてなんてくれない。私に助けてなんて言える人いないよ」


 誰かがきっと助けてくれる、そんなこと期待もしていない。誰かのために自分が犠牲になろうなんて、そんな漫画やアニメみたいな話あるはずもない。


「......」


 黙ってしまった蒼空に私は我に返った。


「ごめん。こんなこと言うつもりは」


「俺に言えよ」


 蒼空は私の話を遮るようにそう言った。私は目を丸くする。


「あはは、ありがとう」


 蒼空はこういう人だった。なんだか笑ってしまった私を蒼空は不満げに見つめる。


「美月」


「おいおい、お前らまだいたのか?もう下校時間はとっくにすぎてるぞ」


 なにかを言いかけた蒼空だったが、ドアの鍵を締めに来た先生に私たちは追い出された。


「一緒に帰るの久しぶりだな」


 ぼそっと、呟いた蒼空に私は一言「うん」と頷いた。私たちの家は高校から二十分程の距離だった。蒼空とは家が近く、小さい頃からお母さん同士仲がよかったので、昔は毎日のようにずっと一緒だったぐらいだ。


 昔から話すのがあまり得意ではなかった私にとって、誰とでも仲良くなれる蒼空に私は憧れていた。

 高校に上がる頃には親が離婚して、お母さんが家に居ない時間が増えた。その間は蒼空の家にお世話になったりすることが多くなった。


 お母さんが荒れ初めてから蒼空は私の話をよく聞いてくれた。自分でも気にしないようにと顔に出さなくても「大丈夫か」と蒼空だけは心配してくれた。


 高校に上がる前だったか。どうでもいいことで私たちは喧嘩をした。喧嘩なんてたまにしてたし、なんでもないと思っていた。けれど、その日からどうも距離ができてしまった。その少しの距離から高校に上がった時にはクラスも変わってしまって、話さなくなっていた。


 ある日、蒼空が何ヶ月か学校に来てないと私のクラスでも噂になっていた。今まで誰よりも蒼空のことを知っていたはずなのに、私はなにも知らなかった。でも昔は仲が良くても今はそうでもないなんてよくある話だ。それが男女であれば尚更。


 そんな過去を振り返ってるうちにあっという間に蒼空の家に着いていた。


「じゃあ、また明日な」


「うん」


 そう言って、私たちは別れた。ずっと、手を振っている蒼空に私もしかたなく、右手で小さく振り返した。


 そして、蒼空は私の背中が見えなくなるまで手を振り続けていた。また蒼空と話す日が来るなんて思っていなかった。


 私の家は蒼空と別れてから、もうしばらく歩かなければいけない。いつもはすごく長く感じる距離も今日は蒼空と話していたからなのか、家までが少し近いように感じた。


 しかし、家が近づいてくると、重りでも付いたように踏み出す足が重くなっていく。私は足を止め、自分の家を見上げる。いつ見ても思う、ボロアパートだ。


 好き勝手に生えまくっている雑草にアパートは元の色が分からないほどに色褪せている。


 住んでる人たちのポストからは大量に溜まったチラシやらでいっぱいだ。ここに住んでいる私ですらどんな人なのか見た事がない。


 近所の小学生からは「お化け屋敷」とも言われている。「ここ人、住んでるのかしら」とか話している人を前に家に入っていくのがすごく、恥ずかしい。


 私はあたりを見渡すとササッと、錆びている階段を登っていく。本当にいつ壊れてもおかしくないんじゃないかって、くらい変な音がなっている。


 階段を登りきると、一番奥の部屋まで行き鞄から鍵を取り出す。


「ただいま」


 返事が帰ってこないことを知りながらも私はいつものように口にした。


私の家は親が離婚してから今はお母さんとふたりで暮らしている。暮らしていると言っても、お母さんは私が学校に行ったあとに帰ってきて、私が家に戻る頃には仕事に行く。


 お母さんは夜の仕事ってやつだった。家で顔を合わせることなんてほとんどない。ないと言うよりも合わせないように、私はいつも屋上でお母さんが仕事に行くまで時間を潰していた。


 私は無造作に机に置かれた千円札に目を向けた。毎日、お金だけは置いて行ってくれている。ご飯が食べれるだけありがたいと思う。私は千円をポケットに入れると帰ってきた足でそのまま外に出た。


 携帯を見ると時刻は六時過ぎ、外も暗くなり初め、ちょうど街灯がチカチカと光りだした。


 私は家から近いコンビニに入る。コンビニに入るとほぼ毎日いるアルバイトのおじいちゃんが挨拶をしてくれる。


 私は適当におにぎりとアメリカンドッグに明日の朝ごはんのメロンパンを買って、コンビニを出る。そして残ったお金はちょこちょこと、貯金するようにしていた。


 家に着くと電気を付けて、ひとり椅子に座った。私は買ってきたものを机に並べると手を合わせた。


「いただきます」


 呟くように言って静かな中、食べ進めていく。そういえば、先生から電話に出るように伝えてほしいと言われていたんだった。きっと、お金が振り込まれていないのだろう。後でメモに書いておかなきゃ、そう思いながら最後のひと口を食べ終わる。


 すると、静寂だった空間をカンカンカンと荒々しく階段を登る音が近づいてきた。


 ガチャという音と共に現れたのはお母さんだった。どうして、いつもはこんな時間に帰ってこないのに。お母さんが中に入ってくると、タバコとお酒、それに知らない人の香水の香りが部屋を満たした。


「クソっ!なんなのよ、あの客。あいつのせいで私が怒られたじゃあない!」


 お母さんは鞄を地面に叩きつけた。この様子だと仕事で客と揉めたのだろう。


「お母さん」


 私が声をかけるとお母さんはゴミでも見るような目で私を睨みつけた。あっ、やってしまったと直感で思った。お母さんは私の髪をギュッと掴む。


「なに、あなたも私に文句でもあるの!」


「ごめんなさい」


「なによ、その目!こっちはあんたのために働いてるのよ!」


 お母さんは私の髪を引っ張って、押し返す。その勢いに私は地面に手をついた。


「あんたなんて産まなければ」


 殴られそうになったそのとき、鞄から携帯が鳴り、お母さんは振り上げた腕を止めた。


「はい、もしもし。えっ、春樹はるきくん。どーしたの」


 お母さんは携帯を見るなり、機嫌が少し良くなった。さっきまでと違いすぎる声に呆れてくる。また不機嫌になる前に私は机にある携帯だけを持って、家から飛び出た。


 これからどうしようか。私は行く宛てもなく、街灯が照らす薄暗い道を歩き始める。


 しんっと静まり返っている中、奥の方から楽しそうな声が聞こえた。


 小学校にもまだ行ってないであろう小さい女の子と、お母さんが前から手を繋いで歩いてくる。


 アイスを食べている女の子と手に持っている袋のマークからしてコンビニの帰りだろう。


「ちょっとだけ、ちょうだい」


「えー、一口だけだからね」


 微笑ましい会話に私は目を細める。その姿に昔のお母さんを重ねた。お母さんは優しかった。ご飯だって、毎日作ってくれて、小さい頃はよく一緒に遊んでくれた。


 原因は、お父さんだった。まともに働きもしないで、遊んでばかり。酔って、帰ってきた日には家で暴れて、小さい頃の私にでさえ、手をあげた。


 そんな私を庇ってくれていたのがお母さんだった。小さい子供ながら記憶にはっきりと残っている。それでもお母さんはお父さんの分もひとりで働き、家のこともすべてやってくれていた。


 けれど、浮気がわかって離婚。少なからずあんな男でも、お母さんは愛していたのだろう。だからお母さんは大分ショックを受けていた。それから少しずつ、お母さんが変わってしまった。お母さんも、もう限界だったんだ。


 だから、お母さんが今日みたいに私を殴ろうとしても私は文句を言えない。今まで私がお父さんから殴られるはずだった分をお母さんが殴られていたのだから。


 私が生まれてこなければ、お母さんは幸せだっただろうか。


 少し歩くと、目の前に見えた小さい公園に入った。懐かしいな、公園に来るのなんていつぶりだろう。私はブランコに重い腰を下ろした。


 軽く地面を蹴るとゆっくり、キィキィと一定のリズムで音を鳴らし、ブランコを漕ぎ始めた。


 私は空を見上げる。建物の明かりのせいで星があまり見えないけど、月だけが青白色に輝いている。


 昔となにも変わっていない風景に安心しながら、隣のブランコを見つめる。


 前はよくこの公園で蒼空と話してたっけ。そう過去を振り返っていると、いきなりとんっと、肩に置かれた手に私は昔の記憶から一気に現実に引き戻される。


 背筋がゾクッとした。まさかお化け、いや不審者のほうが現実的だけど、、、途端に早くなる心臓の音が聞こえ初めた。覚悟を決め、ゆっくりと振り返った。


「お前、なんでこんなところにいるんだよ」


「びっくりしたぁ」


 私は大きく息を吐いて、胸を撫でた。


「蒼空こそ、なんでこんなところに」


「俺はー、買い物の帰りだ」


 少し間を開けたあとに蒼空が言う。手になにも持っていないし、こんな時間に買い物?と思ったが、知られたくなさそうだったから、それ以上は聞かないことにした。


「お母さんとなにかあったのか?」


 蒼空が心配そうな顔でそう尋ねる。蒼空はどうしていつもわかってしまうのか。


「ちょっとだけ」


 蒼空はお母さんのことを知っているし、特に嘘をつく必要もなかったのでそう答えた。蒼空は隣の空いていたブランコに座った。


「早く帰らないとお母さん、心配するよ」


「俺はいいんだよ。お前を公園にひとり置いてきたって、言うほうがお母さんも心配する」


 さすがに、こんな時間に付き合わせてしまうのは申し訳ない。蒼空の顔を覗くと、蒼空はさっきの私みたいに夜空を見上げていた。


「お前、大丈夫か」


 蒼空の瞳が真剣なものに変わり、私を見据えた。なんのことかはわかっていたけど、私はとぼけた返事をした。


「なんのこと」


「梨沙たちのこともだけど、他にも」


「大丈夫だよ。そんなに気にしてないし」


「気にしてないと平気は違うだろ」


 納得の言っていない蒼空は心配げに私を見つめた。 どうして、蒼空はここまで気にかけてくれるのかと、思ったが特別な理由なんてないのだろう。蒼空は優しいから。


「誰のせいでもないよ。ただ私に生きてる理由がなかっただけだから」


 そんな人生ならって。これがたった十六歳の私が出した答えだった。蒼空にこんなこと言ってもな。そんなことでって、言われるだろうか。そう思っていると、私を見つめていた蒼空が口を開いた。


「なら探せよ」


「えっ?」


 私は思っていなかった返事に小首を傾げる。そんな私をよそに蒼空は話続けた。


「ないなら探せばいいだろ?」


「いや、でも探すって言ったって」


「じゃあ、お前は明日死ぬってなったら最後になにがしたい?」


「いきなり、なんでそんなこと」


 私がそう聞くと蒼空は「ほら」と話を続けた。


「生きる意味って考えても正直わかんねぇし。幸せだとか生きていたいって思ったときに自然と自分の答えが見つかるじゃねぇかなって。だったらお前が今やりたいことやってるうちにそう思うかもしれねぇだろ?」


 確か死ぬ前にやりたいことが今、自分が本当にやりたいことってなんかの心理テストとかで聞いたことがある。


「んー。でも、特にないというか」


「はぁ?いろいろあるだろ」


 蒼空はつまんなそうに言うと、眉間のシワを指で抑えながらなにかを考え始めた。


「たとえば、どっか行きたいとか食べたいとか最後にやってみたいこととか」


「そんなこと、言われても......。じゃあ、蒼空はどうなの」


 思いつかなかったから私は話を蒼空に振る。すると蒼空も今さっきの私と同じような反応をした。


「俺?えーと、美味しいもの食べて友達と遊んで」


「小学生みたいだね」


「うるせぇよ」と少し拗ねる蒼空に私は少し口角をあげる。


 もし明日、死ぬならか。心残りもないと思っていた私には考えたことのない質問だった。


「梨沙に言い返す...とか?」


「ははっ。死ぬ前にそれかよ」


 試しに、思ったことを言ってみると蒼空は笑った。蒼空と梨沙は仲がいいように見えるけど、私が言ったことに蒼空は特に怒ってもいなさそうだ。


「じゃあ、次は?他にもっとあるだろ」


 いつもの軽口めいた口調に戻った蒼空が話を変えるように言った。


「あっ、星空を見たいかも」


 私はもう一度、夜空を見上げる。何年か前にお母さんと言ったキャンプの星空がすごく綺麗で、もう一度だけ星を見たい。


「じゃあ、俺が連れてってやるよ」


 そんな本当に行くかどうかわからない言葉に私は「ほんと?」と言って頷く。


「他はねぇの」


 そう言われ、私は言うか悩んだが少し考えてから口を開く。


「お母さんと昔みたいに話したいな」


 最後に思い浮かんだことを言う。でも自分で言ってみたものの、やっぱり少し気まずくなってしまった気がする雰囲気をなおそうと顔を上げた。


「あー、やっぱり」


「いいじゃん」


 話を変えようと別のことを言おうとすると、私が最後まで言う前に蒼空がそう言った。


「無理とか、もしもの話だから考えなくていいだろ?」


 そうだった、もしもの話だから。別に深く考えなくてもいいんだ。


「たまに芸能人や俳優が急死とかニュース見るけど、人っていつ死ぬかわかんないよな」


 確かに死は不平等に訪れるものなのかもしれない。頑張ってる人ほどそうなってしまう人が多い気がした。


「まぁ、俺はギネスに載りたいから百歳まで生きるけどな」


「日本人のギネスは百十五歳だよ」


「そうなのか?じゃあキリよく百二十歳まで俺は生きる。てかなんでそんなこと知ってんだよ」


 そう言って、蒼空は笑うと脱線し始めた話を戻した。


「明日があるって、当たり前じゃなねぇんだよな」


 いつもみたいな表情と違って、真剣に話している蒼空の横顔がなんだか、少し大人びて見えた。もし死んでしまったら、そのあとはどうなるのかなんて誰にもわからない。生まれ変わるという人もいるけど、だとしたら自分が産まれてくる前は違う誰かとして、今とは全然、違う人生を生きていたのだろうか。


「だからさ」


 そう言って、空を見上げたまま蒼空は軽く漕いでいたブランコを止め、ただ真っ直ぐに私を見つめた。


「だから死ぬっていうのは最後なんじゃねぇの」


「······」


 今度は「そうだね」と答えられなかった。私の考えすぎかもしれないけど、蒼空は好きなように生きろ、そう言っているように聞こえた。けれど、「うん」と言うほど私には簡単ではなかった。


「学校でも言ったけど、なんかあったら俺に言えよ」


「ありがとう。でもそろそろ、帰るよ」


 そういえば何時だろう。そう思って携帯を覗くと、もうだいぶ時間がたっていた。随分、蒼空と話してたんだな。


「送ってく」


「えっ、いいよ。家すぐだから」


 流石に送って貰うのは申し訳がない。蒼空のお母さんも心配しているだろうし。


「これで帰りに誘拐でもされたら、どうすんだよ」


「この距離だし、さすがに大丈夫だよ」


 そう説得するが納得のいっていなかった蒼空がなにかを閃いたみたいに手を叩いた。


「帰ったら連絡しろよ」


 たしかにと思った。今どき携帯があるのだから。


「じゃあ、また明日。気をつけて、帰れよ」


「ありがとう」


 そう言って、お互い別の出口に歩き出す。私は少し、歩いたところで後ろを振り返った。空を見上げる蒼空の瞳は悲しく、揺れているような気がした。自分でもどうして、そう思ったかはわからない。気のせいだったかと私は再び歩き出す。


 私はいつも前向きで強い蒼空を羨ましく思う。私が持っていないものを蒼空は持っているから。


 昔から蒼空と一緒にいると私も蒼空みたいになれるかもと錯覚してしまうことがある。


 私は携帯を開くと無事に着いたと帰ったらすぐ送れるように文字を打った。


 そして私は行きよりも少し、明るくなったように見える道を見つめた。

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