第11話 15:30


 翌日。

 

 まもるは約束通りの時間より少し前から予備校のロビーに座っていた。

 今日は講義は入っていない。


 本当は朝からずっと待っていたい気持ちだったが、それではむしろ正くんに迷惑だと思い、約束の時間の5分前にここに到着するようにした。


 ロビーを行き交う人をなんとなく眺めながら、ただひたすらに待つ。約束の時間まで5分をすでに切っているというのに、時間の経過がおかしいぐらい進んでいかない。

 スマホを取り出しては時間を確認するが、さっきから1分も経っていないことに苛立ちすら覚えてしまう。

 

 でも、そんなたった5分のことが、永遠に感じるほどに長く思っている自分に対して、あの日、朝から夜までずっと待っていた正くんに比べればまだまだ「報い」は足りないはずだ。


 実際のところ、まもるは昨日の夜からほとんど一睡もできなかったのだが、そんなことを忘れるぐらいにこの「たった5分」が長いと感じている。


 15:28――。


 その数字の羅列が何を意味するのかすらだんだんと分からなくなってくる。

 「いつもの」正くんなら、約束の時間に遅れるどころか、自分が到着するより前に来て待っていてくれることが多かったな、などと都合のいいことを考えてしまう始末だ。


(「いつも」っていつの話だよ――?)


 まもるの心の中は整理がついていないようだと、葵自身も感じている。

 それでも、は決めている。


 そのうえで、お話ができるなら、これまでのことをちゃんと話そう、そう思っていた。


 15:30――。


 とうとうその時がやって来た。


 まもるは顔を上げて周りを見渡す。が、正一郎の姿は見えない。


(講義に入ってるのかもしれないから、もう少しまとう――)


 この時間の講義の終了時刻は15:25のはずだから、準備をして下りてくるまでにはもう少しかかるかもしれない。


 しかし、15:40になっても、正一郎は現れなかった。さっきまでの「5分」の長さとは裏腹に、つぎの「10分」はあっという間に過ぎ去った。


(続けて講義に入ったのかもしれない――)


と、思った時に、脳裏に別の自分が語り掛けてくる。


(どうして、来ない、とは思わないの? あなたが彼にした仕打ちを考えてみれば、前のようにあなたに会いに来るなんて、そんなこと考えられるはずないじゃない?)


 まもるは急に体が冷たくなったように感じた。

 たしかに、外の気温に比べて、このロビーはクーラーが利いていてすこし肌寒くはある。が、ここまで、震えを感じるほどの寒さではないはずだ。


 まもるは、すこし肩から降ろしていたジャケットをかけなおす。

 それでも寒さは収まらない。


 どうしようもなく体が震えてくる。


(どうしよう――。本当に来なかったら、どうしよう?)

(来るはずないじゃない。いつまで待っても無駄よ。もし、講義が終わってたとしても、別の出口からだって帰れるんだから、わざわざここを通る必要なんてないんだし――)

(――でも、正くんならきっと来てくれる。ちゃんとメッセージは読んでくれてたもの)

(読んだから来ないんじゃない? ここにいることは知ってるんだから)


 まもるの頭の中にいろいろな思いや考えが現れては消え、とうとうまもるは顔を上げてられなくなって、下を向いてしまった。


 自分の膝のスカートの上にぽたりと、雫が落ちる。

 そこでまもるは初めて気が付いた。自分が泣いていたのだと。

 体が震えているのは寒さのせいじゃなくて、ただ、泣いているからだったのだと気が付いた。


(ああ、私はなんてことをしてしまったのだろう――。正くんが許してくれるわけはない。だって、それほどに酷いことをしてしまったのだから――)


 もう、何も抑えることが出来なくなりそうで、嗚咽が漏れるのをひたすらに堪えた。

 さすがに、周りの受講生たちにもそろそろ気が付かれてしまうだろう。そうなれば、事務の人とか職員の人とかに声を掛けられて、余計に面倒なことになってしまう。


(ああ、そろそろ、限界だな――)


 まもるは、うつむいたまま立ち上がると、ロビーをゆっくりと歩き始めた。


(もう、だめだ――。もう、会えない。もう、帰ろう――)


 足を引きずるようにとぼとぼとした足取りで、玄関の前まで行くと、意を決して扉を開こうと力を込めた。



 まもる――!


 そう誰かが呼んだ気がした。ただの空耳、ただの妄想――。でも、もう一度だけ振り返ってみてもいいかな――。


 まもるは念じながら、後ろを振り返る。そして、どうしようもない感情が溢れてきた。

 そこに立っていたのは、自分が待ち焦がれていた男の子、まさしく、正一郎だったのだ。

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