第18話 右手は添えるだけ

 二万の道も一歩から。

 フラウアは、さっそく心棒を両手につかみ、粉を挽きはじめた。


 俺が奴隷として、フラウアがその主のお嬢様として。

 屋敷にいた頃は想像もできなかった光景だ。


「ぐっ……うっ……」

「がんばれ、フラウア」


 俺はただ、声援を送る。

 デニッシュに手出しするなと釘を刺されたから、とばかりも言えない。


 むやみな加勢は彼女の成長をさまたげかねない。

 これは、自分自身の殻を破る彼女の戦いなのだ。

 パートナーの俺が信じてやらなくてどうする、と思う。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 一周回し終えただけで、フラウアは額に汗を浮かべ、荒く息をついていた。

 やはり陽光の魔女シャイニング・ウィッチ、一筋縄ではいかない相手だ。


 けど、横で見ていて気づいたことはある。

 手出し無用と言われているが、アドバイスくらいはしてもかまわないだろう。


「フラウア、ちょっといいか」


 俺はフラウアのすぐ真後ろに立った。


「な、なに?」

「そのままで……」


 棒から手を放して振り返ろうとするフラウアを手で制する。

 俺は後ろから折り重なるように、フラウアの両手に自分の手を添えた。


「う、うん」


 俺一人で粉を挽こうとしたとき、彼女が支えてくれた。

 ちょうどその時と逆の態勢だった。


 フラウアの首筋がほんのりと赤く染まっていた。

 重ねた手が熱を帯びて感じる。


「えっ、ちょっ……近くない?」

「すまん。イヤだったか?」

「う、ううん……。イヤじゃない。全然イヤじゃないけど……」

「申し訳ないが、もう少しだけこのままでいさせてくれ」

「はうっ!? う、ううぅぅぅ……」


 フラウアの顔はもっと赤くなって、なんだか分からないうなり声を出した。

 いかん、不快なのはだいぶガマンさせてしまっているみたいだ。

 できるだけ早くアドバイスを終えないと……。


「どうもこの臼は両手に均等に力を込めて回そうとしても、ムダが生まれてしまうみたいだ。バネの仕掛けを活かして、こう、脇をしめる」


 俺はフラウアの肘に手を添え、フォームを矯正した。

 俺の手が触れるとフラウアの身体は、警戒するようにびくんと跳ねた。

 でも、真剣に俺の指摘を受け入れてくれている。


「そうだ。これで正しく力を臼に伝えられる。だいぶ粉ひきらしくなった」

「そ、そう? なんかこれ、胸が窮屈なんだけど……」


 言われてみると、フラウアの豊かな胸が押し上げられ、強調されていた。

 両脇をぎゅっと寄せた、グラビアアイドルか何かのポーズのようにも見えた。

 寄せた分だけ襟もとにすき間が生まれ、上から見下ろすと中の素肌が……。


「……ッ! きゅ、窮屈に感じるのは慣れるだけだ。そのまま、右手は添えるだけで左手に力を込めるんだ」


 俺は微妙に目を逸らしながら答えた。

 幸い、フラウアは俺の挙動を不審には感じなかったようだ。


「添えるだけ?」

「ああ。外側の手で押して、内側の手はバランスを調整する。そういうイメージだ」


 それは剣道の素振りにも似ている。

 長い竹刀を振るのに力を込めるのは、柄の部分を持つ左手だけ。

 それが基本だ。


 ……そう言えば、中学生の三年間だけ剣道をやっていたんだっけ。

 試合ではてんで勝てなかったけど、あのころは自分なりにけっこう真剣にやっていた。

 あのまま続けていれば、大人になってからの自分の未来も少しは違っていたのだろうか。


「分かった。やってみるわ」


 フラウアの声に、俺はつかの間浸っていた転生前の回想を打ちきった。

 手を放して、彼女の姿を見守る。


 再びフラウアは一人で臼を回した。

 さきほどよりも、ずっと早かった。


「おお!? あまり力を込めなくても早く回ったわ!」


 フラウアは目に見えてはしゃいでいた。


「早く! いまの感触を忘れないうちに早く麦を用意して!」

「ああ。任せろ」


 はやる彼女に釣られ、俺の息もはずむようだった。

 フラウアは三度、粉ひきを開始する。


「疲れてきたときこそ、フォームを大事に。余計に疲れるぞ」

「……分かってる!」

「さっきみたいに崩れてきたら、容赦なく指摘するからな」

「分かってるってば!」


 フラウアは懸命に粉を挽く。

 俺はそんな彼女を叱咤激励しながら見守り続けた。


 こうしていると、なんだか部活動の合宿みたいだ。

 旅のあいだフラウアとは寝食を共にしてきてはいるが、それはそれとして特別感がある。

 自分には縁のなかった青春をいまさらやり直しているようで、心が浮き立つものがあった。


 🥖🥖🥖


 俺たちは、粉ひき小屋に寝泊まりし、来る日も来る日も陽光の魔女シャイニング・ウィッチと向き合った。

 フラウアは驚異的な体力と気力で粉ひきに向き合い続けた。

 あの小さな身体のどこにそれだけの力があるのか、と驚かされるばかりだ。


 最初のころは、鎖につながれ強制されなければ、一日千回の粉ひきをやり遂げられなかった自分と引き比べても素晴らしい才能だ、と断言できる。


 しかし、二万回の粉ひきも漫然とやっては意味がない。

 一回一回前へ進み、昨日の自分を乗り越えてこそ粉ひきとしての成長できる。

 心配はしていない。

 フラウア自身に、とても高いモチベーションを感じるからだ。


 ある日俺は、フラウアの要望にしたがっていっしょにフォームを見直した。

 フラウアの姿を思い描きながら、心棒をつかむ。

 陽光の魔女シャイニング・ウィッチはセットしていない、からの臼だ。


「これが最初のフラウアのフォームだ」

「う、うぅ。……ヘタクソ過ぎる」


 フラウアは目をそらしたいのを、なんとかこらえている様子だった。

 俺は姿勢を変え、もう一度心棒をとらえる。

 

「そして、これがいまのフラウアの姿だ」

「……ッ。うまくなってる。私、天才かも!?」

「そうだな。間違いなく天才だよ、フラウア」


 頬を紅潮させるフラウアに、俺は心からのうなずきを返した。

 そして、改めて小麦を石臼に載せ、フラウアと交代する。


 🥖🥖🥖


 来る日も来る日も、フラウアは粉を挽きつづけた。

 その集中力は、見事なものだ。

 そして、その成長速度は著しいものがあった。


 ――道楽で粉ひいてるんじゃねえ。


 デニッシュの言葉をふと思い出す。

 道楽、か。


 確かにこのうえもない楽しみだ。

 日、一日とフラウアの粉ひきは成長している。

 いや、進化していると言ってもいい速度だ。


 フラウアはたしか十四歳だった。

 転生前の世界なら、中等教育を受けている頃だ。


 真綿が水を吸うように日々進化する彼女の姿は、とてつもなく瑞々みずみずしい。

 成長度だけでいえば、俺をしのぐスピードだ。

 これが若さというものか。

 まぶしくも、うらやましくもある光景だった。


 ――まったく、○学生は最高だぜ!


 そう内心賛辞を送りたくなる。


 🥖🥖🥖


 そしてとうとう――、


「……やったな」

「……ええ」


 俺たちは互いの顔をじっと見つめあった。

 そして、どちらからともなく拳を突き上げる。


「二万本達成よ!」

「やったな! おめでとう!」


 今回、俺は知った。

 パートナーが粉を挽くのを見ていること。

 それは、自分が粉を挽くのと同じくらいか、それ以上に精神力を使い果たすものだった。


 スポーツ界の監督やコーチに対して、ただ偉そうに座って指示出すだけで、楽そうでいいな。

 そんなふうに思ってた時期が俺にもありました。

 心の中、全力で土下座して謝りたかった。


 フラウアのどんな小さな疲労の兆候も。

 どんな些細な異変も。

 そして、どんなささやかな成長も。


 決して見逃さないよう、俺は片時もフラウアから目をはなさなかった。

 全力で粉を挽く彼女の姿に接しながら、気を抜くなんて許されないと思っていた。

 気持ちの上では、常に彼女といっしょに粉を挽いていたのも同じだ。


「ブレッド。あなたがいっしょにいてくれたから、あたしはここまでこれたわ」


 だから、フラウアがそう言ってくれたときは、心から報われたと感じられた。


「俺は何もしてない。ぜんぶフラウアが一人でがんばったことだ」


 けど、そう答えたのも本心だった。

 気持ちの上では、ともに戦ったつもり。


 だとしても、二万回の粉ひきを彼女一人でやり遂げたのは、紛れもない真実だ。

 本当によくやった、と心から賛辞を送りたい。


「大好きよ。今度は嘘じゃないわ」

「……あ、ああ」


 一瞬、ドキリと心臓が跳ねた。

 “粉ひきが”ということか、と一泊遅れて理解して、胸を鎮める。

 けど、高鳴りの余韻はなかなか消えなかった。


 言葉にせずとも、彼女の目を見れば分かる。

 二万回の粉ひきのあいだずっと、彼女は陽光の魔女と対話し続けていたのだ。


「少し分かったわ。あなたの見えている世界がどんなものか」

「ああ」

「あらためて、あたしを弟子にして。ブレッド」


 フラウアはまっすぐに俺の目を見つめて言う。

 この上なく真摯な表情だった。


「それは……難しいな」


 けど、俺は首を横に振らざるをえなかった。


「えっ……」


 フラウアの瞳が一瞬、ショックを受けたように揺れ、俺はあわてて言い足した。


「弟子じゃない。フラウアは俺の最高のパートナーだ」

「ほんとに……。ほんとにそう思ってくれるの!?」


 今度は俺のほうがまっすぐ彼女の目を見つめ、うなずきを返す番だった。


「ともに小麦の道を歩もう、フラウア。俺たちの旅はこれからだ!」

(二度目)



―――――――



お話はまだ続けるつもりですが、すみません。

明日は更新たぶんお休みします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る