第17話 2万でたりるのかしら?

 黄金色に輝く陽光の魔女シャイニング・ウィッチを粉へと変える。

 それは想像を絶する戦いこなひきだった。


 一人では絶対に勝てなかった。

 フラウアと二人がかりでようやく挽ける。

 そんな相手だった。


「ま、ギリギリ合格点ってとこだな」


 デニッシュの言葉に、俺もフラウアも何も言い返せなかった。

 ぎりぎり……。

 まさに、ぎりぎりの戦いだった。


 どうやら俺は、知らず知らずのうちに慢心していたらしい。

 未知の小麦であっても、フラウアの屋敷のものと同じように挽きこなせる。


 どこかに、そんな油断があった。

 情けないかぎりだ。


 勝利した、という達成感とはほど遠かった。

 これは……また一から粉ひき修行のやり直しだな。

 そう自省する。


「さて、約束通り謝らせてくれお嬢ちゃん。すまなかったな」

「ううん。もういいわ」


 フラウアは小さく笑って返したが、デニッシュは頭を下げるのを止めなかった。


「お前さんはおまけなんかじゃない。腕は未熟だが筋のいい、立派な粉ひきだ。いや、それどころか……」


 デニッシュは顔を上げ、真剣な目でフラウアを見つめた。


「うちの愛麦あいばくを一人で挽きこなせるのはそっちの兄ちゃん。ブレッドじゃなくて、フラウア。お前さんのほうかもしれん」

「…………ッ」


 フラウアは意表を突かれたように、息を呑んだ。

 俺にとっても、デニッシュの言葉は衝撃的だった。


 けど、直感的に彼の言っていることは正しい、とも感じる。

 最後に陽光の魔女シャイニング・ウィッチを制したのは俺じゃない。

 フラウアの方だ。


 それを認めることは悔しい一方、嬉しくもあった。

 

「身をもって分かったと思うが、こいつはとんだジャジャ馬でな。いい男を見ると喰らおうとするのよ」


 喰らう……。

 まさに、その表現がぴったりだった。

 俺の精神も身体も、そのすべてを陽光の魔女は呑み込もうとしていた。


 それにしても……。

 いまだ転生してから鏡を見たことがないのだが。

 俺の外見はなかなかの“いい男“、なのだろうか。


 フラウアはまごうことなき美少女だから、それに釣り合う容姿の持ち主なんだとしたら、少し嬉しいかもしれない。


「だからこいつを挽けるのは俺みたいな枯れたジジイか……」

「女のあたしってことね」


 フラウアの言葉に、デニッシュは重々しくうなずきを返す。


「――なら、あたしやるわ」


 彼女の瞳には、揺らぐことのない決意の色が宿っていた。 

 しかし……。


「フラウア一人で陽光の魔女と戦うというのか。ムチャだ!」


 思わず俺は声を上げてしまった。


 一人で対峙したからよく分かる。

 あれは化け物だ。


 いくら筋がいいと言っても、フラウアひとりに任せられる相手じゃない。

 あまりにも危険すぎる。

 さっきやった通り、ここは二人で粉を挽くべきじゃないか?


「ブレッド。あたしはもう、あなたに守られているだけの女でいるのはイヤなの」

「そんなこと……」


 言いかけた言葉を、俺は飲み込んだ。

 フラウアの目は、怖いくらいに真剣だった。


 思えば、旅に出てからずっと彼女は自分の存在を負い目に感じていたように思う。

 いくら俺が感謝の言葉を口にしても、その思いはなかなか打ち消せないようだった。

 さっきのデニッシュのやり取りだってそうだ。


 そんな彼女が、粉ひきとして俺に並び立とうとしてくれている。

 いや、フラウアなら、もっと高みに飛びたつかもしれない。

 それなのに、その決意を否定する、なんて俺にはできなかった。


「けどやっぱり俺も挽いたほうが……」

「無理はいけねえよ、若いの。お前には将来さきがある」


 デニッシュにきっぱりと言われ、俺は押し黙るしかなかった。

 彼にはすべてを見抜かれているようだった。


「覚悟はあるんだな。お嬢さん?」

「ええ」

「自分で分かってると思うが、センスはあってもいまのお前さんはてんで素人しろうとだ。とても戦力とは言えねえな」

「ええ、知ってる。なら、何をすればいいの?」


 デニッシュは、軽く石臼の心棒に手をかけた。

 こともなげに言う。


「粉ひき2万回だ」

「なっ!?」


 驚きの声を上げたのは、俺ひとりだった。

 見れば、フラウアは傲然と腕を組み不敵に笑っている。


「あら? 2万で足りるのかしら?」

「なにぃッ!?」


 フラウアの細腕で一万回だと。

 あの暴れ馬のような陽光の魔女相手にか。

 ムチャだ、と思ったが……やはり口にはできなかった。


 思えば、俺の粉ひきとしての始まりも奴隷からだった。

 一日千回の粉ひきを鎖に縛りつけられることによって義務付けられ、粗末な食事と寝床だけを与えられた。

 来る日も来る日も、ただ粉を挽くことだけに費やした。

 あの日々があったから、いまの俺がある。


 それを否定してしまえば、あの頃のフラウアを責めることになってしまう。

 さらなる負い目を彼女に与えてしまうだけだ。


「吠えるねぇお嬢ちゃん。いい目だ。だが、粉ひき二万回。口で言うほど簡単なもんじゃねえぞ」

「ふん。あなたたち、ベテラン粉ひきの常識はわたしには通用しないわ」


 フラウアは余裕で笑っていた。

 傲岸とすら言える、屋敷でお嬢様をしていた頃の笑い方だった。


「シロートですもの」


 デニッシュも声を上げて笑っていた。

 そんな表情をすると、ずいぶん若やいで見える。


「あんたらが粉を挽いてくれるなら俺も他の仕事ができる。大助かりだ。けどな……」


 表情はそのままに、デニッシュの瞳が眼光鋭く光った。


「俺も道楽で粉ひいてるんじゃねえ。頼むから農家のみなが手塩にかけた小麦をダメにしてくれるなよ」

「……小麦(の風味)は死なないわ。わたしが守るもの」


 フラウアはあくまで強気に返す。

 デニッシュは小さく首を縦に振った。


 うなずいてくれたのか、やれるものならやってみろ、という仕草なのか……。

 いずれにせよ、次の瞬間には彼はくるりときびすを返していた。


「ブレッド。お前がお嬢ちゃんの粉ひきを見てやんな。ただし手出しは無用だ。そいつのためにもな」


 ひらひらと手を振り、小屋を出ていく。


 あとには俺とフラウア。

 そして陽光の魔女と石臼だけが残された。

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