あの婚約破棄の記事は私が書いたんですよ

uribou

第1話

「ねえねえ、デスク」

「何だ、仕事しろ」


 ここは私ケイミー・アバスの勤務先である、『セレブ紙報』の編集部だ。

 『セレブ紙報』を知らない?

 月に二回刊行される、貴族や上流階級の皆さんに関わる情報を記事として掲載する新聞だよ。

 誰だ、ゴシップ紙なんて言ってるのは。

 あながち間違いじゃないけれども。


 私みたいな新人が配属されるのは、王族を相手にするマジセレブな部署でなく、はたまたスクープを追いかける花形部署でもない。

 かつてあった事件の続報を載せるために取材する部署だよ。

 地味(小声)。


「ギャレット・イーストレイク侯爵令息に婚約破棄された、エスメラルダ・モーブレー伯爵令嬢の取材は進んでるんだろうな?」

「もちろんですよ」


 ギャレット様がエスメラルダ様との婚約を破棄した事情は、ちょっと傍目からは理由がわかりにくいのだ。

 言い換えれば内訳を知りたい人が多い、注目の事件ということでもある。


 嬉しいなあ。

 私の記事が読まれちゃうよ。

 こんな仕事を私に回してくれたデスクには感謝だ。

 デスクは余ってる人員がいないからだ、なんて言うだろうけど。


「ちょっと面白いことになってますよ」

「記事に起こす前に聞かせろ」

「まずギャレット侯爵令息の方ですけれども」


 公開婚約破棄には通常、真実の愛がつきものだ。

 愛する人ができたから婚約者を切るという、覚悟表明というか自己陶酔というか破滅願望がセオリーで。

 でも……。


「ギャレット君に特定の相手はいないとされていたな」

「はい」

「間違いないのか? 相手の身分が低いから、公にしなかったんだという推測は?」

「ハズレです。ギャレット様には現在本当に親しい女性はおりません」

「じゃあ話し合って婚約解消でよかったじゃないか。どうして公開婚約破棄なんてことになったんだ?」

「一番ミステリーな部分ですよね。私の推測も込みですけど……」


 エスメラルダ様がこれまた尽くす女なのだ。

 伯爵令嬢でありながら、毎日自作のお弁当をギャレット様のために用意していたんだって。

 なんて健気。

 ただギャレット様の方は愛が重いと周囲にこぼしていたようで。


「エスメラルダ様が、びっちり刺繍したマントをギャレット様に贈ったこともあったそうです。その刺繍が魔法陣になっていて、ギャレット様が暴漢に殴られそうになった時に発動、暴漢を弾き飛ばしたんですって」

「表に出なかった事件だな。裏は取ってるな?」

「もちろん」


 憲兵に聞いたら一発だった。

 憲兵は色々知ってるので、仲良くしとくのは新聞記者の基本なのだ。

 いや、デスクから教わったことだけれども。


「刺繍の魔法陣か。製法は秘匿されてるはずだよな。エスメラルダ嬢すごくないか?」

「メッチャスペック高いですよね。ギャレット様は優秀なエスメラルダ様に対するコンプレックスもあり、またその優秀さをもっと別なことに向けろって思いもあり。話し合いじゃエスメラルダ様に諦めさせることができないから、公開婚約破棄に打って出た、ということかと思います」

「周りの話を総合するとってことか。わからなくはないが、エスメラルダ嬢にとっちゃ切ないな」


 面白いのはここからなのだ。


「見方によってはエスメラルダ様はすごくいい女じゃないですか」

「愛の重さの程度にもよるけどな。男は束縛から逃げたくなることもあるもんだ」

「逆にギャレット様について、様々な噂が噴出していまして」

「噂? どんなだ」

「かなり偏屈なんじゃないか、潔癖過ぎるんじゃないか、女性を愛せないんじゃないかという」

「ハハッ、ギャレット君も災難だなあ」

「で、クリスティン様がギャレット様をロックオンです」

「クリスティンってあれか、ザイルタスカー公爵家の地雷令嬢」


 デスクの言い分もひどいが、もっともなのだ。

 クリスティン様は高慢で贅沢で横柄で、七つの大罪の化身とも言われている。

 豊満な美人ではあるのだけれども、二二歳という貴族としては完全に嫁き遅れの年齢にも拘らず相手がいない。


「ええ? ギャレット君と年齢がいくつ違うんだ?」

「ギャレット様は一七歳ですから、五つ違いですね」

「ギャレット君も災難だなあ」

「これ記事にしていいですよね?」

「ん……クリスティン嬢のアポは取れるか?」

「私ではムリです」

「紹介状書いてやるから、インタビューしてこい。恋の成就には外堀を埋めることも必要だと匂わせるんだぞ?」

「ラジャー!」


 『セレブ紙報』も好意的な記事を書いてやるから、調子のいい話を聞かせてくれということのようだ。

 クリスティン様が調子に乗ったら、ギャレット様とイーストレイク侯爵家で防御できるのかなあ?

 デスクったらギャレット君も災難と言いながら、手加減する気はないようだ。

 ギャレット様哀れ。


「エスメラルダ嬢の方は? 新しい展開はあったか?」

「てんこ盛りです」


 婚約破棄されて大きなショックを受け、直後はわんわん泣いていたそうだ。

 ギャレット様を愛していたんだろうなあ。

 しかし何せエスメラルダ様はできる女なので、引きは多いのだ。


「婚約申し込みが殺到しています」

「ほお?」

「トールソーケル侯爵家次男バーナード様、スカンラン伯爵家嫡孫クリフ様、マットン伯爵家長男コーディ様が有力ですね」

「……うちの弟もか。事故物件ばかりじゃないか?」

「まあ」


 全員『セレブ紙報』の紙面を飾ったことのある方だ。

 束縛が強過ぎて離婚に至ったとか、賭け事好きですってんてんになったとか、校内飲酒で学院から停学処分を食らったとか。

 お得意様とも言える。

 毎度ありがとうございます。


「……さすがにエスメラルダ嬢が気の毒だな」

「記事は必要ですよね。どうします?」

「……傷物令嬢という考え方は過去のものになった。多くの縁談が来ているようだ、としておけ。決定するまで相手には触れるな」


 なるほど、そういう記事なら婚約破棄されたばかりだからと様子見していた令息が、食いついてくるかもしれないな。

 エスメラルダ様は重い女かもしれないけど、特に過失があったわけではない。

 デスクも同情的みたい。


「デスクは女性には優しいですよね」

「『傷物』って呼ばれるのは令嬢だけだからな。令嬢に同情的な記事の方がウケがいいということもある」

「エスメラルダ様には宮廷魔道士からもアプローチがあるんですよ」

「魔道研究所に来ないかという誘いか? それとも宮廷魔道士からの縁談か?」

「両方です」

「引く手数多だな」

「商売しないかとか、製作物を販売させてくれないかという話もあるみたいですよ。刺繍魔法陣の話をどこからか聞きつけた商人の希望です」

「マジで引く手数多だな」

「今までイーストレイク侯爵家の嫡男の婚約者で、付け入る隙がなかったですからねえ」


 才能のある方は進むべき道がいくらでもあるということだ。

 私もエスメラルダ様には幸せになってもらいたいなあ。


「ねえ、デスク」

「何だ。仕事しろ」

「デスクは親切ですよね?」

「ネタに繋がるならな」


 ウソだ。

 木っ端男爵家の娘の私が実家から捨てられた時、救ってくれたのはデスクだ。


「私はデスクにすごく感謝してるんです」

「アバス男爵家の記事はかなり反響があった」


 ありがちな話だよ。

 私の母が亡くなり、父が後添いを得た。

 継母との間に生まれた妹ばかりを溺愛し、私は疎んじられるようになる。

 貴族学院入学前に孤児院に放り込まれた。


「普通は学院を卒業させて、どこかに嫁に出すまでは面倒をみるのが当然だ。いくら邪魔に思っていてもな。それが貴族というものだからだ。アバス男爵家のお前に対する扱いはひどかった」

「我が家にはお金がなかったですからね」

「くだらん贅沢をしてたからだ」


 だから記事が面白くなったとデスクは笑う。

 けちょんけちょんに叩かれたアバス男爵家の記事を読んで、涙が出た。

 でも笑えた。

 新聞記者になりたいと思ったのは、その時が初めてだ。


 デスクはトールソーケル侯爵家の長男だ。

 デスクも実家と折り合いが悪かったんだよ。

 それでも実家に頭を下げ、私を学院に入れてくれるなど面倒をみてくれた。


「本当にありがとうございます」

「お前は実家を見返してやる、っていういい目をしてたからだ」

「デスク好きです」

「仕事しろ」


 苦み走った顔が好き。

 くたびれたような背中も好き。

 口では厳しいことを言っていても、実は優しいところが一番好き。


「結婚してくださいよ」

「……仕事中はそんな話するな。給料分は働け」


 お?

 絶対に結婚の話するなってことじゃないみたいだぞ?

 勝機は我にあり!


「いいじゃないですか。今日暇ですし。給料分は働いてますよ」

「……」

「お得ですよ? 私可愛いですし」

「……新人の割に根性があることは知ってる」


 認められてる部分があるのは嬉しいな。

 そうだ、私はデスクの背中を追いかけて新聞記者になったんだ。


「どうせ弟がエスメラルダ嬢を迎えられるはずはない。俺が推薦してやれば、お前にはトールソーケル侯爵夫人の道だってあるんだぞ?」

「ええ? バーナード様ですか? 勘弁してくださいよ」


 バーナード様には私も会ったことがある。

 弟だけあって、外見はデスクに似ている。

 デスクを暗黒面に落として、驕慢と堕落を足して三で割ったような人だ。

 お断りです。


 侯爵夫妻からは新聞記者なんかに身を落としてと、デスクは言われる。

 が、先代当主様のウケはいいのだ。

 一人で立派に身を立てていると。

 私も先代様には可愛がられ、大変お世話になった。


「……お前、本当に俺がいいのかよ?」

「デスクがいいんです」

「仕方ないな。ケイミー」

「は、はい」


 名前を呼ばれたのは久しぶりだ。

 いつも『お前』って呼ばれてたから。

 ドキッとした。


「じゃあ結婚するか」

「はい、デスク!」

「俺の名を呼べよ」

「ホレーショ……さん?」

「何だよ、その疑問形は」


 だって入社してから『デスク』としか呼んでなかったから。


「お前不器用なんじゃないか?」

「もう、名前を呼んでくださいよ」

「ケイミー」


 デスク……ホレーショさんに抱きしめられた。

 ジーンとするなあ。


「仕事の切りのいい時、結婚するか」

「もうちょっと色気のあるプロポーズの方がよかったです」

「柄じゃない。ムード込みのプロポーズは、『セレブ紙報』の記事になるようなやつらに任せておけよ」

「そうですね」

「そうさ。俺達には絆さえあればいいんだろう?」

「……あれっ? 今のは格好いいセリフですね」

「サービスだ」


 サービスだったらしい。

 ホレーショさんがいれば何でもいいや。

 だって大好きだから。


 デスクが仕事しろって言いだす前に、もう少しだけホレーショさんを堪能しとこ。

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