怒る男

佐藤柊

第1話 怒る男

「何やってんだよ!何でこんなミスがおこるんだ!こんなこともわからないのかよ!」

 男は部下の失敗に怒っていた。得意先がこちら側の不手際を理由に、今後の取引を解消すると通告してきたのだ。

「すいません。でも…」

部下は入社2年目の20代男性社員である。男より30歳も若い。

「お前の勝手な判断が招いたんだ!何でちゃんと確認しなかった!何故一言相談しなかった!どう責任取るんだよ!」

「でも、あの時は…」

「言い訳いらねぇ!使えねぇな!まったく!謝罪に行くの俺なんだからな!考えて行動しろよ!」

男は机をバンッと叩き、部下を下げた。部下の男は青い顔をして、体を縮めて廊下へ出ていった。

 男はため息をついて、取引先に何と言って詫びようか思いにふけった。


ガチャ!

「あなたですね?若い男性社員を怒鳴りつけ恐怖に陥れたのは?」

突然ドアから警察官が3人、ズカズカ入って来て男を囲んだ。

「は?」

「叱責傷害罪で連行します」

警察官は男の両脇を抱え上げた。

男はそのまま警察署へ連行された。



「名前と住所、生年月日は?」

警察署で男の取調べが始まった。男は素直に応じた。そして生年月日を言いかけると、警察官の眉がピクッと上がった。男は警察官を観察しながら続けた。

「昭和42年4月1日です。あの、私が連れてこられた理由はなんですか?」

「あなたは会社の部下に怒り、怒鳴ったことを認めますか?」

「は?」

「部下に怒った。そして怒鳴った。違いますか?」

「部下のミスで会社に大きな損失を出すとこなんです。そりゃあ怒りましたよ。それが?」

「犯罪です」

男が反論しようと身を乗り出すと、警察官は続けた。

「今年から『怒る人』を取り締まる法律が施行されました。あなたは怒って部下の方の心を傷つけた。この罪は叱責傷害罪です」

男は何が何だかわからない。

「そんな法律がいつできたと言うんだ!テレビでも新聞でも取り上げてないじゃないか!」

「この法律は秘密裏に施行されました。あなたは『怒り排除プログラム』のもと、施設で治療と再教育を受けます。それと…それ以上大きな声を出すと罪を重ねることになりますよ?」


 男は訳も分からぬまま、施設に移送されるまで留置所に入れられた。収容された鉄格子の一室には先客がいた。薄くなった髪を横分けにし、眼鏡を掛けた先客は、男より10歳ほど年上のように見える。

「あなたも誰かを怒ったんですね?」

先客は同じ境遇にあると察した男に話しかけた。

「あなたもですか。何なんですか?新しい法律だとか、治療とか再教育とか…」

男は混乱した頭をなんとか整理するため、情報がほしかった。

「政府が国民に黙って作った法律らしいですよ。」

「それって、まずいのでは?勝手に作ったってことですよね?秘密にする必要があったんですか?」

先客は深刻な厳しい表情を見せた。

「それは、発表すると反対が起こる。反対という意志は大きな怒りを作り、犯罪を誘発すると考えた。また、発表してしまうと捕まらないように怒りを抑制する人がでる。すると、そうした人々の抑圧された怒りが爆発した時、大きな犯罪に発展するおそれがある。政府はそう考えたらしいです。まったく、馬鹿な話です」

男はショックで口をつぐんだ。先客は正面の空の一室を指さした。

「向かいにいた人は、昨日施設に移送されました。夫婦喧嘩をしたとかで夫婦一緒に捕まり、奥さんとは別々になったそうです」

次に右隣を指し、声を潜めて続けた。

「隣は、気の毒に…怒った相手が自殺したそうで…。死刑になるようですよ」

「なっ…!」

男は驚いて声をあげそうなところを先客に抑えられた。

「死刑?本当に?」

「自殺されたら殺人。怒りで人を死に追い詰める人は、治療や再教育では無理だということのようです」

「まさか…」

「そのまさか、です。政府は狂ってる」

男は、自分が怒鳴った会社の部下に自殺でもされたらと思うと生きた心地がしなかった。

「失礼ですが、あなたは誰を怒ったんですか?」

先客は弱々しい笑顔を見せて力なく答えた。

「赤の他人です。電車の中で子供が騒いでたので注意しただけなんですけどね…」

その夜、男は一睡もできなかった。


 翌日、警察官が男のもとにやって来た。

「あなたの罪が変更されました。相手の方が自殺未遂をしたことにより、昭和自治区へ隔離されます」

男は青ざめた。

「自殺未遂?本当に?あの程度怒っただけで?」

警察官は冷たい目で男を見つめた。

「そういうあなたの自覚のないとこですよ。”あの程度で”とか、”昔だったらこのぐらい”とか、”自分の若い頃は”

とか、そういう認識が昭和以降生まれた人々にとってどれだけ迷惑か、どれだけ追い詰めてるかをわかっていない。新しい法律では、自殺未遂まで追い込んだ人間は、殺人未遂と同等になったんです」


 男は護送車に乗っていた。車両には男と同じような理由で乗っている者が20名ほどいた。皆、昭和生まれの中年から上の年齢である。手錠をかけられ、訳が分からず、情報を得ようとヒソヒソ話し声がする。

「俺が何したって言うんだ!俺は何も悪い事なんかしてやしない!こんな手錠なんかしやがって、ふざけんじゃねぇ!」

高齢と見られる男性が立ち上がり、大声で喚き出した。すぐに同行していた警察官が動き、男性を床に押さえつけた。

「自分はいつでも正しく、自分の言う事は全てにおいて間違ってないってか?昭和生まれ、特に70代に多く見られる現象だな。戦後に生まれ、高度成長の波に乗り、大人になってからはバブルの波に乗って、いい思いをした世代か。いつまで経っても今の現状を受け入れられない世代。70代は特に周囲との関係をこじらせる。あんた、もっと罪が重くなるぞ」


 やがて、大きく高い塀で覆われた強固な作りの大きな建物が現れた。車両が正面で止まると、頑丈で厚く重い門がゆっくり開いた。男と他の者たちは、車両に乗ったまま建物内へ入り、トンネルのように暗い通路をくぐり、入口と見られるドアの前で停止した。男は手錠をかけられたまま他の者たちと共に数珠繫ぎとなって、ドアに飲み込まれるように入って行った。発狂した高齢男性の脇には警察官が着いている。


 犯罪者となった者達は、全員同じ作業着に着替えさせられた。背中と右の胸の所にそれぞれ番号がふってある。「S4241」

男は生年月日だとすぐに気付いた。

「同じ生年月日だとどうなるんだ?」「そこ!喋るんじゃない!」

男は真一文字に口をつぐんだ。 

 全員が横2列に並ばされた。すると正面モニターがついた。そして画面にスーツ姿の若い女性が映った。

「私はこの昭和自治区の管理官です」

若い女性は無表情で話しだした。

「あなた方はこれからここで生活する事になります。そして様々な作業をして過ごします。それは政府から与えられた仕事です。ここに生かされていることを政府に感謝しながら日々努力して下さい」

「いつまでですか?」

男が思わず質問してしまった。警察官が険しい顔で近づこうとすると、モニターの管理官が止めた。どうやら画像と音声は両方から繋がっているみたいだ。

「いいでしょう。質問はなんですか?」

管理官の許可が出た。男は改めて質問した。

「私や、ここにいる人達は、新しい法律で犯罪者となり、ここに居るんですよね?裁判も無ければ刑期も知らされていません。いつまでここに居ることになるのですか?」

「ずっとです」

管理官の返答にその場がざわついた。

「死ぬまでってことか?」

どこからか声が上がった。管理官は蔑むような表情を見せた。

「勘違いしているようですが、ここは刑務所ではありません。あなた達に裁判を受ける権利はない。怒りの感情で人を死に追いやるような人間は、最も危険な存在だということです。それでも政府が与える労働をする事で生かされるのです」

男に怒りが湧いてきた。

「社会から抹殺されて、死ぬまで強制労働ってことか!そんなことが許されるのか!」

管理官は冷徹な目を男に向けた。

「ゴミが」

モニターの電源がプツンと切れた。



 電話が鳴った。秘書が素早く電話に出た。

「総理、昭和自治区管理官からお電話です」

総理大臣が受話器を受け取った。

「私だ…そうか20名…分かった。第一級監視対象の記録はキチンとつけろ。怒りの感情がどう変化するか記録を取るのだ。…フフ…そう、この国の言葉では ”心を折る” だな。では頼んだぞ」

総理大臣は電話を切ると、秘書に指示を出した。

「これからプライベートの電話をかける。外してくれ」

秘書は一礼して出て行った。

 総理大臣は秘書が部屋から離れて行くのを見計らって、机の引き出しを開けた。そして取り出したものを机に乗せた。

 黒電話だ。昭和の時代を感じさせる代物だ。総理大臣は受話器を取ると、0を3回まわした。

「こちら地球です…はい、計画は進んでいます。時間を掛けて、ゆとり教育と褒める子育てを浸透させ、『怒り』の感情を持たず、人の『怒り』に対する耐性のない人間への作り変えは、着実に成果を上げています。未だ『怒り』を持つ昭和世代が邪魔なので、新たな計画を実行中です。…はい、そうです。『怒り』は人間のエネルギーの源となり、それは反発を生み、やがて戦う強い力となります。人間の『怒り』を取り除けば、難なく地球を征服できるでしょう。現代の人間は我々に友好を示し、共存しようとするはずです。…はい、そうなれば地球は我々の物。有効に使えるようになります。…はい、承知しました。では侵攻準備を、…は、かしこまりました」

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