第2話 情報屋 ダイ
「……話を戻すわ。奴隷市場を襲撃したのが勇者だとすると、当然、護衛五人に深手を負わせたのも勇者……。だけど、ニコちゃんも知っての通り、あそこの護衛はBランク冒険者たち。勇者が兵卒並の実力しかないのなら、護衛五人どころか一人にすら傷を負わせることは出来ない……」
数瞬、アタシたちの間を沈黙が支配したが、マスターが再び話す。
「へえ……。本来なら太刀打ち出来こっない護衛五人に深手を負わせたってのは、それが《勇者の力》ってヤツなんじゃないかい?」
アタシはおどけて冗談を言う。
「……それよ」
アタシの冗談に、マスターは真面目な表情をする。
「冒険者ギルドにいるお友達から聞いたんだけど、勇者に深手を負わされた冒険者たちはみんな『実力は確実に俺たちの方が上のはずなのに、勇者に傷一つ負わせられなかった』って……」
マスターが言った『お友達』というのは、マスターに情報を提供する協力者のことさ。協力者は王城内からスラム街まで、王都ナハリのあらゆる所にいる。マスターが王都随一の情報屋であるのには、そういう理由があるのさ。
一体どれだけのお友達がいるのかは、アタシもよくは知らない……。
ある時、マスターに「それだけのお友達を作るなんて、一体どうやったら出来るのさ?」と聞いたら「コミュ力♡」とだけ返ってきた。
と、まあ、それはさて置き……。
「つまり……、勇者にはアタシたちには分からない、未知の力でもあって、それによって傷一つ付けることが出来ない、ということにでもなるのか?」
アタシは疑問を口にする。
「その可能性は大いにあるわ……」
マスターは深刻そうに顔を曇らせる
「なるほど……」
この仕事、思ったよりも骨が折れるかも知れない……。アタシは、この仕事を受けたことをほんの少しだけ悔やんだ。
「仕事、出来そ……?」
アタシの心中を察してか、マスターが心配そうに聞いてくる。
「…………ハッ、アタシを誰だと思ってるのさ。【一人千軍】のニコさ」
アタシは、そう言うとニヤリと口の端を上げてみせる。
「その二つ名、久しぶりに聞いたわ。……そうね、そうだったわ。あなたに殺せないものはない……」
マスターはそう言うと、ニコリと笑む。
「さて……、殺るんでしょ? 勇者を」
マスターは笑みながら、でも真剣な口調で話す。
「当たり前さ。仕事は何でもきっちりとこなすのがアタシの流儀なんでね」
アタシもマスターに笑みを返す。
「情報屋として一応、聞いておくわ。どうやって勇者を殺すつもり?」
「……あー、それはこれから考えるさ。まあ、でも、とりあえず勇者に会ってみようと思う」
アタシはマスターに答えると、踵を返して灰色の銀貨亭の出入口へ向かう。
「それだったら、ズ・サ地区の霧と繭亭に行くといいわ。そこで度々、勇者が目撃されている。もしかすると、そこが勇者の
アタシの背中越しにマスターが話す。
「情報提供ありがとよ」
アタシはポケットから100G金貨を取り出すと、マスターに背を向けたまま後ろに放り投げる。一瞬の後、チャリンという音が聞こえてくる。音の大きさと聞こえてきた方向から察するに、アタシの投げた金貨はちゃんとカウンターの上に着地してくれたようだ。
「うっわぁっ! さっすがニコちゃん!」
というマスターの驚嘆を背中に聞きながら、アタシは灰色の銀貨亭を出た。
霧と繭亭――。
貴族や豪商、はたまた成功を収めた冒険者たちを相手にする高級商店が軒を連ねるズ・サ地区の一角にある高級宿。
五階建ての建物の屋根は黄色レンガが敷き詰められ、壁は白漆喰で出来ている。
灰色の銀貨亭との格差は歴然……。 へえ、勇者ってのは、こんないい所に住んでるのかい……。
アタシはズ・サ神が描かれた扉に手をかけると、ゆっくりと開き、霧と繭亭の中へと入った。
店内へと入った瞬間、焼けたパンと肉の香ばしい匂いが鼻をくすぐり、軽快な音楽が鼓膜を震わせる。広々とした店内は明るく、清潔感がある。夕方時ということもあり、数十あるテーブル席は裕福そうな客たちで埋まっている。皆が皆、ジョッキを片手に談笑をしている。
灰色の銀貨亭のマスター
ガヤガヤと賑やかな店内を、カウンターに向かって歩く。歩きながら、さり気なく店内を見渡して、客の顔を頭の中に叩き込んでおく。
カウンターの向こう側で、この酒場の主人がパイプをくゆらせながら陶製の食器を拭いている。
「霧と繭亭へいらっしゃい、お嬢さん。……それで、何かご用かね?」
酒場の主人はアタシが近づいてきたことを、拭いている食器から視線外さず横目で確認する と丁寧に、でも訝しむように尋ねてくる。
「あの、この宿にシロウという客がいると聞いてきたのですが……」
アタシは主人に顔を近付けると、耳打ちするくらいの声量で尋ねる。
「…………ああ、その客なら五階の一番奥の部屋だよ」
主人は、あたしの手を見ると何かを察したかのようにつっけんどんに言う。
「ありがとうございます」
アタシは感謝の言葉を伝えて、階上の方を見る。
「……せいぜい、勇者と楽しんできてくれ。ヴェルローの娼婦よ」
主人はアタシの方を見ずに、皮肉っぽくそう言う。
アタシは、それに応えずに階段の方へと向かった。
酒場の主人がアタシに言った『ヴェルローの娼婦』というのは、ズ・サ地区の一角にあるヴェルロー娼館の娼婦のことさ。
王都一の高級娼館であり、ここ霧と繭亭に泊まる客がそこから娼婦を呼ぶこともある。そして、ヴェルローの娼婦は、その証に手の甲に薔薇のタトゥーが掘られている。
さっき主人がアタシの手を見て、何かを察したってのはそういうことさ。
当たり前だが、アタシはヴェルローの娼婦じゃない。怪しまれずに勇者の居所を聞くための
手にある薔薇のタトゥーも当然、フェイクタトゥーってわけさ。
それはさておき。
さて、ここからが本番さ。
アタシはそのまま階段を上がり、五階へと向かう。賑やかな酒場とは違い、客室が並ぶ二階より上は静かなものだね。
足早に五階まで上がり、一番奥の部屋の前に向かう。部屋の前まで来たアタシは、ドアノブに軽く手をかける。
……施錠されている。ドアノブに触れた感触で、施錠されていることが分かる。さすが高級宿、セキュリティがしっかりしてる。
これが灰色の銀貨亭の客室になると、鍵なんていうご立派なものは付いていない。安宿と高級宿の差はこういう所にもあるわけさ。
まあ、それはそれとして。
次に、アタシはドアに耳をつける。
そうして、部屋の中の音を聞く。
……………………。
何人かの話し声がかすかに聞こえる。何を言っているのかまでは分からないが、この部屋の中に複数人いることは確実だね。
ここで扉を破って、勇者の部屋に突入……なんてバカなことはしないさ。
アタシは、この部屋の位置をしっかりと覚えると、部屋の前から離れる。
そして、階段まで引き返す。五階と四階の間にある踊り場に窓がある。
その窓を、音が立たぬように開ける。
窓を開けると、夕方時の冷たい風が吹き込んでくる。アタシは、その風を気にすることなく、次の行動に移る。
ポケットから小さな水晶を取り出す。水晶は魔力の輝きを放ち、キラリと煌めく。
ここに来る途中、魔法雑貨屋で買った
「浮かべ、その身よ」
アタシは魔法道具の効果を発動させる合言葉を口にする。
一瞬、水晶が強い輝きを放つ。その輝きがアタシの身体を包んだ瞬間、身体がフワリと宙に浮く。
宙に浮いたアタシは、開けた窓から建物の外に出る。そして、そのまま霧と繭亭の屋根へと上がる。
アタシが使ったのは
その名の通り、身体を浮遊させる効果がある。
とは言え、空中で自由自在に動けるというものではなく、せいぜい自分の背丈の五倍程度の高さまで浮かび上がるのが精一杯ではあるのだが……。でも、今のアタシにとっては屋根まで上がれれば充分なのさ。
「さて、ここで夜を待つとしようか」
屋根に上がったアタシは、そのまま腰を下ろして座る。
こういう高い建物の屋根の上っていうのは、案外人目につかない。眼下にある通りを行く人が、わざわざ上を見ることはないし、霧と繭亭にいる人たちも、自分がいる建物の屋根に誰かいるだなんてことは全く思わない。
ここで夜になるまで待って、勇者たちが寝静まってから侵入しよう、ってことさ。
アタシは夕日に照らされて紅く燃える王都の街を見渡す。
この建物よりも遥かに高い城壁に囲まれたこの街は無秩序に発展を遂げ、それは巨獣ビヒモットの胃袋の中のようであり、或いは、外の脅威を排した楽園のようでもあり……。
異次元の世界から来たとかいう、勇者には、この街はどんな風に見えているんだろうか……。
と、普段のアタシらしくもなく感傷に浸りながら、アタシは夜を待った。
…………ダメだね、夕日ってのは。
単なる暗殺者を、ロマン主義の詩人にしちまう。
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