第11話 みんな消えてしまえばいいのに

 「……あれ、なんで私、ベッドに……」

 目を覚ました。私は自分がパジャマに着替えてベッドで寝ていることに不信感を抱いた。意識を失う前の記憶が無かった。

 「おはよ。起きた?」

 「ひっ!?」

 ベッドのすぐそばで胡坐をかいているのは────創路さんだ。彼女に気付き、私は毛布を胸にかき抱いて出来るだけ距離を取った。

 「な、な、なんですか! ついに不法侵入の犯罪者ですか!? やっぱり私に近づいたのはそういう目的だったのね最低出てってバカぁ!」

 「ちょ、誤解────」

 「こら創路ぃ! あんた空矢にちょっかいかけてんじゃないでしょうね!」

 廊下からドタバタという足音が聞こえてきた。騒々しく部屋の扉を開けたのは────

 「に、西島さん……!?」

 「あっ、空矢! 起きたのね、よかったぁ! 倒れてんの見た時、あたしマジで死んでると思ったわ!」

 西島さんは大げさに胸を撫で下ろした。訳が分からない。どうしてクラリネットの西島さんが私の家に? 彼女は下の階に向かって「アイリー! 空矢、起きたよ!」と呼びかける。え、コンミスの宮本さんも?

 「あ、あなたたち、どうして私の家に……」

 「しばらく学校来てなかったから心配だったんだって。西島さんと宮本さんがあたしんとこに来て聞いてきて、家まで行ってみるかってなって、したらリツちゃん倒れてたんだ。マジ焦ったよ」

 「……なんで私の家知ってるんですか」

 滔々と説明する創路さんに対して放たれた言葉は、無意識に平坦で無感情なものだった。彼女は慌てて両手を振った。

 「や、前に一緒に帰った時逆方向に別れたから! 帰ってった方向辿ってきゃ家分かるかなって。ほんとそれだけ!」

 「ストーカー。ヘンタイ。だからって人の家に無許可で入るなんて非常識よ」

 「うっ……まぁそうだけどさぁ……」

 創路さんは重いため息を吐いた。「まぁまぁ」と西島さんが創路さんの隣に座った。

 「結果的に創路が踏み込んでくれたおかげで倒れてた空矢に気付けたんだかんね。言っとくけどウチらが来なかったら多分マジで危なかったよ、あんた。顔色が酷かったし汗もダラダラで」

 「……そうですか」

 「それでみんなであんたをベッドに寝かせて着替えさせて……ついでに家の掃除も軽くしといたよ」

 「ありがとうございました。ご迷惑をおかけして……」

 私が西島さんに頭を下げると、創路さんが「なんで西島さんには素直なんだよぉ」と不服そうに呟いた。

 「日頃の行いでは?」

 「ええー」

 「あんたら、ほんとに仲いいの?」

 西島さんからの問いに、私は「いいえ」、創路さんは「もちろん」と真逆の言葉を同時に答えた。

 部屋の外から声がする。

 「誰かー、手伝ってー。両手塞がってるの」

 「あっ、アイリだ。あいよー」

 西島さんがすぐさま立ち上がり、扉を開けた。お盆を持った宮本さんが現れた。

 「はい、空矢さん。おかゆ作ったよ。これ食べて」

 「……おかゆ」

 宮本さんはお盆を渡してきた。おかゆの中心には梅干しが載せてあり、付け合わせの漬物が小鉢に盛られていた。温かい湯気が私の顔をくすぐった。途端にお腹が鳴った。

 「ははっ、すごい音」

 西島さんが吹き出す。顔が熱くなった。

 「わ、忘れてください」

 「いいから食べな。せっかくアイリが作ってくれたんだから」

 「作ったなんてそんな……お湯でほぐして塩振っただけだよ」

 もう耐えられない。私は宮本さんの目を見て「いただきます」と手を合わせた。おかゆをスプーンで掬い、一口食べると一瞬で飲み込めた。

 「……おいしい」

 私の呟きに、宮本さんは心の底から嬉しそうな顔をした。

 「ほんとっ!? もっと食べていいよ、おかわりあるから! おやつもあるよ!」

 「でたでた。アイリのおもてなし癖」

 宮本さんと西島さんが笑い合っている間にも、私はがつがつとおかゆをかき込んだ。あっという間に中身が空になった。正直、まだ物足りなかった。

 「あの、すみません……おかわりは……」

 おずおず尋ねると、宮本さんは「はぁい、たくさん食べれて偉いね」と穏やかな笑みを浮かべ、お盆を受け取った。部屋を出てキッチンに降りていく。

 「じゃ、あたしお菓子持ってくるわ。創路ってタケノコ派? キノコ派?」

 「キノコ」

 「は? 異端じゃん仲良くできねー」

 西島さんも部屋から出て行った。私と創路さんが二人きりになった。気まずい沈黙が部屋の中を支配した。

 「あのさ。なんで学校来なかったん?」

 しばらく経って、やっと創路さんが本題を尋ねた。私は口をもごもごさせつつも、ここまで来たら黙ってられない、と意を決した。

 「母が亡くなったので、忌引きです」

 「……え」

 創路さんは息を飲んだ。空気が嫌に引き締まってしまった。

 「ずっと病気だったので、仕方無いです。色々とバタバタしていて、連絡を取れませんでした。学校には伝えているので、欠席にはなりません」

 「……聞いていいか、分かんないけど……いつ?」

 「試験の日の朝です。五時十三分に息を引き取りました」

 他人事みたいに言うな、と思った。拳がやけに痛かった。毛布を強く強く握っていることに今さら気づいた。

 「それ……ほんとなの?」

 がさっ、とレジ袋が落ちた音がした。西島さんの声だ。私たちは弾かれたように開け放たれた扉を向いた。お盆を持った宮本さんと、お菓子が詰まった袋を持った西島さんが、驚愕の表情を浮かべながら立ち尽くしていた。

 「お母さんが……亡くなったって……」

 二人は覚束ない足取りで部屋に入って来た。宮本さんはお盆をテーブルの上に震える手で置いた。西島さんは呆けたように私を見つめていた。

 「だからあんなに変な感じだったってこと……?」

 「じゃ、じゃあしょうがないよ。だってお母さんが亡くなったんだよ。そんな状態でまともな指揮なんてできるわけないよ」

 西島さんは宮本さんの言葉に耳を貸している様子ではない。わなわなと震え、私を非難するように見つめた。

 「……なんで来たのよ。試験に」

 西島さんは私に詰め寄るように一歩踏み出した。

 「それは……私は演奏家だから。絶対に本番に出なきゃいけないからです」

 「だからってあんな酷い指揮されちゃ、ウチらが迷惑なんだよ」

 「か、カノンちゃん。流石に酷いよ」

 宮本さんは西島さんの腕を揺さぶって彼女を責めた。私は何も答えられなかった。西島さんは私を見下ろしたまま続けた。

 「休めばよかったのに。アンタにはその正当な理由があるんだから。誰も文句言えないはずだよ。でもアンタはそんなボロボロメンタルでわざわざやって来てアンタのメンタルよりボロボロな指揮して、結局ウチらは単位すら取れなかった!」

 「カノンちゃん、やめてよ」

 「この際だから言うけどね、アンタのことなんてウチらみんな嫌いなんだ! でも音楽の才能はみんな認めてる! 指揮だってちょっと前までヴァイオリニストだったとは思えないくらいすごい! だからみんなアンタのこと嫌いだけど、それでもアンタの言うことが正しいと思って練習してきたんだ! それをアンタは裏切ったんだよ、分かる!?」

 「い、いい加減にしなさい!」

 バチン! と西島さんの頬が叩かれた。空気がもっと冷えた。宮本さんの荒い息だけが部屋にこだましていた。西島さんは叩かれた頬を手のひらで抑えた。絶句して宮本さんを見返した。

 「いくらなんでも空矢さんがかわいそうだよ! カノンちゃんにそこまで言う権利無い!」

 「そ……そうだけどさぁ、でもウチは────」

 「だったら、なんですか」

 私は西島さんを睨んだ。視界がぼやけていた。鬱陶しいな、と思って瞬きしたら熱いものが流れ落ちた。

 「母親が死にました。だから今日の演奏はありません。そうやって言い訳しろと?」

 「そうだよ。だったら、みんな納得する────」

 「そんなのダメに決まってるじゃない! 舞台から逃げることは許されない! 私が音楽家である限り!」

 たぶん、私がいきなり大声を出したから、西島さんと宮本さんは固まった。私のそんな姿、見たこと無いだろうから。私も。私も久しぶりで、喉が裂けそうだった。

 「自分が死んでも舞台から逃げるなって、音楽を鳴らし続けるって、音楽家であり続けるってお母さんと約束したの! それだけが、お父さんに振り向いてもらえる方法って、だから私は死んでも……お、親が死んでもやらなきゃダメなの! じゃなきゃ私に価値なんてない!」

 「そ、空矢……」

 「後日きっちり謝罪します。それでいいですか。嫌いならそれで結構ですから、関わらなくていいです!」

 私はベッドから這い出した。ふらふらし脳が揺れて頭が痛い。テーブルの引き出しを開け、生活費が入ったジップロックを取り出す。

 「宮本さん、いくらですか」

 「……え?」

 「食事代とお菓子代、いくらですか。レシートください」

 「い、いらないよそんなの! そんなことより空矢さん、聞いて────」

 私は一万円札をテーブルに叩きつけた。どんぶりがカタカタ鳴った。

 「これを受け取って、さっさと出て行ってください」

 「でも」

 「うるさい! 口答えしないで!」

 「言ってよ……!」

 西島さんが絞り出したような震えた声で言った。

 「どうしてウチらを見ようとしないの!? ずっと自分の殻にこもってさぁ! 最初からウチらを拒んでんのはアンタじゃん!」

 「は?」

 「あの時だって、遅れる理由があるなら言ってほしかった! なんで連絡先交換しないの!? もし連絡がついたとしたら、来ないでって、お母さんのところにいてあげてって言えた! 無理しないでって言えた! なんで来るの! どうしてウチらに『アンタはウチらを裏切った』なんて思わせるの!?」

 「うるさいって言ってるでしょう!? これ以上、私に踏み込んでこないで!」

 「なんで拒絶するの!? あたしは────」

 「もういいよ、西島さん。リツちゃんも。帰ろう」

 それまで黙って問答を聞いていた創路さんがついに口を開く。西島さんが叫んだ勢いで顔を赤くしながら、彼女をキッ! と睨む。

 「創路、いいの!? こいつ、ずっとウチの言いたいこと分からないままじゃん!」

 「それはお互いさまなんじゃない? 頭、冷やした方がいいかもね、二人とも。このままじゃずっと平行線だよ」

 創路さんの言葉に、西島さんは袖で目元をぐしぐし拭った。そして乱暴に鞄を手に取って部屋を出た。

 「これ、やっぱり受け取れない」

 宮本さんは一万円札を私へ押し付けた。そしてカバンから自分のノートを千切ってペンを走らせた。

 「あとこれ。私の連絡先。体調が戻ったら連絡してね。もう一回話し合おうよ。これからのこと」

 「……話すことなんてありません」

 私は宮本さんを見ることができなかった。彼女も部屋を出て、創路さんだけが残った。

 「あなたも出て行って。不愉快ですから」

 「リツちゃん。さっきはああ言ったけど、西島さんの言う通りだと思うよ」

 「何が?」

 「もっと人のことを見た方がいい」

 私は歯を食いしばった。枕を掴んで創路さんに投げつけた。彼女の顔面に直撃した。

 「あなたも説教ですか!? 何様のつもりよ! 上から目線で!」

 「……説教なんかじゃないよ。何様とも思ってないし、上から目線でもない」

 創路さんは床に落ちた枕を拾い上げ、ベッドの上に置いた。

 「言葉とか、そういうの、ちゃんと考えないと……取り返しがつかなくなるんだよ。あたしはそれを知ってる。リツちゃんには、後悔してほしくないの。分かって」

 「…………」

 私は何も答えず、ベッドに入って毛布を頭から被った。足音が遠ざかっていき、扉が閉まった音がした。私は耳を塞いで、目を強く瞑った。

 もう何も聞きたくない。もう何も見たくない。

 みんな消えてしまえばいいのに。

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