第17話 失

 「カーカラック伯爵、ご支援のほど誠にありがとうございました」



 クレーエは中古品のぼろ布を継ぎはぎされた茶色く変色した白の魔法着に着替え、メーヴェも同様に中古品のぼろ布を継ぎはぎされ、返り血もしくは持ち主の血なのかわからないが、あちこちに血が吸い込まれた不気味な赤い魔法着に着替える。メーヴェの魔法着はサイズは合っているのだが、メーヴェの胸が規格外の大きさのため今にも魔法着が破裂しそうなのは言うまでもないだろう。

 カーカラック伯爵が旅の為に用意してくれていたのは、正統勇者一行の為の新たな装備品と武器、少額の路銀、小さなアイテムボックスである。小さなアイテムボックスにはボロボロの調理器具、穴の開いたテントが二つ、期限切れの調味料が入っていた。

 反対に没収された物は、正統勇者一行が装備していた装備品と武器、冒険者証、無限アイテムボックスとその中に入っていた全ての品物である。そして、馬車だけは返却をしなくてもよかったのは幸いであった。

 カーカラック伯爵が正統勇者一行の馬車以外の全ての持ち物を没収した理由は、正統勇者一行を罰したという正統な理由を皇帝陛下と領民に明確に示す必要があるからであった。正統勇者一行が魔王討伐に失敗したことは、本人たちが報告をするまでもなく、ネズミ算式に超スピードで広がっていく。そしてその情報は無作為の悪意が加えられ、情報の内容は激しく捻じ曲げられ新鮮な真実のまま運ばれることはない。そのことを理解しているカーカラック伯爵は、何も罰せずに正統勇者一行を送り出すことは、自殺行為と同じである。ましてや、自分一人が犠牲になるのならば正統勇者一行を手厚く送り出すことをしたのかもしれないが、カーカラック一族すべてに影響を及ぼす可能性があるので、やむを得ず持ち物を没収して粗悪な品を提供したのである。


 魔王から世界を守るために全ての欲望を捨てて戦ってきた正統勇者一行、たった一度魔王に敗れたことにより全てを失った。地位も名誉も財産も・・・。



 「スタートよりも酷い格好だ。ガハハハハハ」



 ミーランのバカでかい声が通路内にこだまする。



 「そうね、でも見た目は良くないけど心が詰まった温もりがあるプレゼントだったわ」



 カーカラック伯爵は、最初から魔王を討伐するのは難しいと考えていたのだろう。だからこそ、短時間で最善の策を準備していた。正統勇者一行は、カーカラック伯爵が用意した粗悪品の真意をすぐに理解していた。



 「初心に戻っただけです。何も案ずることはありません」



 一度贅沢をすれば贅沢の沼から抜け出すのは難しい。最高の装備、最強の武器、最高品質の道具を失った正統勇者一行がすがすがしい表情をしているのか俺には理解することはできない。今俺は最強の体を失い最弱の人間の体を手にした。今正統勇者一行の立場と非常に似ているはずだ。しかし、俺は正統勇者一行のようなすがすがしい表情がでることはない。俺は人間よりもひ弱な心になったのか?いや違う。正統勇者一行が失った物に比べたら俺が失った物はレベルが違うのだ。比べることすら無駄だ。小銭を失ったとしてもそれほど心情は揺るがない。しかし、大金を失えば心は激しく動揺するだろう。それと同じだ。正統勇者一行が失った物は小銭に過ぎない。しかし、俺は違う。俺はとてつもない大金を失ったのだ。俺の苦しみは誰にも理解できないだろう。



 「アル、元気を出して。私たちは多くの物を失ったかもしれない。けど一番大切な仲間を失わなかったわ。それだけで私たちは満足なのよ」



 俺が暗い顔をしているのにいち早く気付いたメーヴェは、元気な声で俺を励まそうと声をかける。メーヴェの太陽のように明るい笑顔には全く雲がかからない晴天のように晴れやかだった。それは俺のどんよりとした心に一筋の光が差し込むようにとても眩しく気持ちが良いものであった。



 「そうだな」



 俺はそっけなく返事をした。メーヴェの笑顔で心に少し平穏が訪れたが、簡単に気持ちを切り替えれるほど俺の苦しみは浅くはない。



 「アル、1人で抱え込まないで。私たちは仲間でしょ」



 俺の態度に敏感に反応したメーヴェは俺を正面から抱きしめた。すると大きな二つの物体が俺の顔を覆いつくし視界が無くなった。この心地よい感触はなんだ!以前俺はこの大きな物体を背中に押し付けられて魅了されそうになった。しかし、背中で感じた感触と顔で感じる感触は全く異なる感触だ。この感触を例えるのは非常に難しいと言える。それは、いままでに感じたことのない柔らかくて弾力がある張りのあるこの物体はスライムとは別次元のふわふわの物体であると言わざる得ないのである。水浴びを覗き見したときに望んだ夢が現実のものとなった。しかし、あの時、衝動的に感じた顔をうずめたいという気持ちは間違いだったと言える。

 今俺は大きな物体に顔をうずめられて、全身の自由を奪われたかのように体から力が抜けて動くことができなくなった。そして、さきほどまで抱いていた心の苦しみが泡のようにはじけ飛び、生まれたての赤子のように心がまっさらになった。怒り、苦痛など全ての負の感情が消え、心には平穏のやすらぎだけが漂っていた。

 あらゆる負の感情を消し去って戦意を喪失させる巨乳のあらたな使い方を俺は身をもって教えられたのであった。

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