30.聖夜の奇跡

 あれからしばらくの日が過ぎた。

 何も変わらない日々が続いていく。


 いやそれは嘘かもしれない。

 僕と梨央りおの関係は少しだけ変わったように思う。


 あの頃よりも一緒にいる時間が増えたような気がする。梨央から何かと誘われることが増えた。二人の関係性は変わらないままだけど、今日も梨央と一緒にでかけている。


 みらいとはもう会うことはなかった。やっぱりもうみらいとは会えないのだろう。

 でも未来みらいと交わした約束は、みらいと会えたおかげで守ることが出来た。

 出来たはずだ。


「もうすっかり寒くなったね」


 梨央が手に息を吐きかけながら、語りかけてくる。

 秋は終わり、もう季節はすっかり冬が訪れていた。

 冷たく吹きさらす木枯らしも、たまにちらちらと舞う雪も、もう季節が変わったことを僕達に教えるかのように突きつけてくる。


「学校ももう終わったしね」


 終業式があったのはつい先日のことだ。今日は十二月二十四日。いわゆるクリスマスイブということになる。

 始めは特に意識していなかったけど、街中で流れるクリスマスソングやきらきらと飾り付けられた風景は今日が特別な日だと僕に突きつけてきていた。


 当たり障りのない会話で、妙に緊張している自分をごまかしていた。

 梨央はどうしてこんな日に僕を誘ったのだろうか。特別な意味があるのだろうか。


 それともいつもの延長に過ぎないのだろうか。

 あの日、みらいが消えて梨央にしかられて、そして梨央と絵本を作ったときから、何となく梨央と一緒に遊びにいくことが多くなった。


 梨央から誘ってくることがほとんどだったけれど、僕から誘うこともあった。かといって何か特別なことがある訳ではなく、他の友達のように遊んでいるだけだ。


 それでも梨央は女の子だし、そして今日はクリスマスイブだ。

 二人で歩いている姿は、他の人からはカップルだと思われているのだろう。


「あ、ほら。雪が降ってきた。ホワイトクリスマスだ」


 梨央の声に顔を上げると、空から白い雪が舞い降りていた。

 ひらひらと舞うようなそれは、あっという間に白を増していく。少しずつ地面に降り積もっていた。


「まさか雪が降るなんて」


 道理で冷えると思った。

 手が少し赤くなっているような気もする。


一真かずま。手が赤くなっているよ」


 すぐに梨央が指摘してくる。今日は手袋をしていなかったから、余計に冷えるような気がする。


「雪も降ってきたしね。どこか暖かいところにいこうか」

「ん。それもいいけど、ちょっとだけつきあってくれる? 行きたいところがあるんだ」

「いいけど、どこいくの」

「秘密」


 口元に一本だけ立てた指をあてて、梨央は微笑む。

 なんとなく少しだけ女の子を感じて、僕の心臓が跳ねた気がしていた。


 梨央が連れてきたのは、海辺の公園だった。


 すぐそばに海が広がっている。夏場はたくさんの人が集まるけれど、さすがにこの時期にはほとんど人はいない。海風が冷たく僕達を突き抜けていく。


 でもここには僕達の思い出がたくさん詰まっている。

 子供の頃はいつもここでみんなで遊んだっけなと不意に思う。


「懐かしいね。この公園。梨央ともここでよく遊んだっけ」


 夏場は海に入ったりすることもあったし、それ以外の季節でも生き物を探したり、鬼ごっこしたり。いろいろと楽しく過ごしていた。


 未来の事故があったのも、この近くだ。だから強く記憶に残っている。


 今は季節のせいもあるけれど、記憶と違って人も少なくて、寂しげな風景を見せていた。


 遠くで波が寄せては引いていた。海自体は穏やかではあったものの、天気はどんどんと雪が勢いを増していく。いつの間にか辺りは一面の白に覆われてしまっていた。

 昨日までとがらりと姿を変えてしまったこの場所は、何か急に違う世界に来たようにも思える。


「そうだね。あたし達にとって、思い出の場所。ここで何度も遊んだよね。みなとや、未来も一緒に」


 梨央が告げた未来の名前に、少しだけ胸が痛む。

 未来はもういない。未来は消えてしまった。

 でも僕達の時間は止まらなくて、今も少しずつ進み続けている。

 僕達にとっては未来は続いているんだ。未来がいなくても。


「話をするなら、ここかなって思っていたんだ」


 梨央は僕の目をまっすぐに見つめていた。

 思わず僕も梨央から目を離せずにいた。

 心臓がばくばくと音を立てる。


 でもそんな音すらも、一面の雪が吸い込んで、辺りにはほとんど音がしない。

 もしかして梨央に告白されるのだろうか。クリスマスイブに男女で二人で会う。特別な感情がなければ普通はしないだろう。だからあり得ない話ではないと思う。


 そうだとしたら何と答えればいいのだろうか。

 僕は梨央のことをどう思っているのだろうか。

 梨央とは幼なじみで腐れ縁で、何かとずっと一緒に過ごしてきた。僕だって梨央に少なからず特別な感情を持っていると思う。


 でもそれが恋愛感情なのかどうかはよくわからなかった。たぶん僕がずっと未来のことを引きずっていたせいだと思う。

 未来に対する気持ちすらも、恋愛感情かと言われれば疑問が残る。

 未来のことは好きだ。あれは確かに初恋だったと思う。


 でもいま抱いている未来への気持ちは、恋なのだろうか。ただ未来を救えなかったことへの後悔が僕の時間を留めていただけのような気もする。

 じゃあ違う世界からやってきたみらいへの気持ちはどうなのだろうか。彼女のことを僕はどう思っているのだろうか。


 未来を救えなかったことへの後悔と、もういちど未来と話せたことへの嬉しさと。そして成長して綺麗になった彼女へと感じる胸の鼓動は、もしかしたら恋だったのかもしれない。わからない。

 でもみらいはもういない。もういちど失われてしまった。


 仮にその気持ちが恋だったとしても、僕の想いは叶うことはない。

 だからまだ僕はみらいへの気持ちを引きずっている。結局僕は何も変わっていない。未来への気持ちを引きずったままなのだ。


 そんな僕が梨央に何か答える資格があるのだろうか。


 梨央のことは好きだと思う。たぶん未来のことがなければ、僕は梨央と一緒にいたいと思っていただろう。だからこそ梨央に答えてはいけないと思った。

 そう考えてしまうと中途半端にこうして梨央と一緒にいて、彼女の気持ちをもてあそんでいたかもしれない。


 梨央からはっきりと気持ちを向けられそうになって、はじめて僕は梨央に正面から向き合ったのかもしれない。どこか後悔しながらもそう思った。でもそうだとしても、僕は梨央の気持ちに答えられない。答えることは許されていない。


 だからどうやって彼女を傷つけないでいられるか、そんなことばかり考えていたと思う。

 でも梨央は僕をじっと見つめて、それからゆっくりと口を開く。


「一真はさ、未来にもういちど会いたい?」


 梨央の言葉は僕が思っていたものと違っていた。


「え……」


 答えられずに言いよどむ。

 けどそれを答えだと思ったのか、梨央はすぐにまた言葉を続ける。


「会いたいよね。そうだよね。ね、未来も一真に会いたいよね」


 そう告げる梨央の目は、僕ではなくて僕のさらに向こう側を見つめていた。

 だから僕は振り返る。


 カーキ色のベレー帽。そこから肩まで伸びた少しカールした髪。大きな瞳の上に茶色のフレームのメガネ。柔らかそうな雰囲気の少女が立っていた。

 以前とは異なる茶色のロングコートが、時間の流れを感じさせた。

 いつの間にかみらいが、そこに立っていた。


「もどって、きちゃった」


 みらいは手にした本を音を立てて閉じる。

 みらいが絵本を描いた魔法の本が、確かにその手の中にある。


「やっぱりここにきたんだね。前に一真から未来の話をきいたあとから、なんとなくここに来たら会える気がして、いつもここに来ていたんだ」


 梨央がみらいをじっと見つめていた。

 みらいがここにいることを不思議にも思っていないどころか、梨央はまるでみらいが現れることを知っていたかのように告げる。


「もし未来が戻ってくるなら、この公園かなって思ってた。ここでいつもみんなと遊んでいたから。未来は思い出の場所に現れるんでしょ」


 梨央はじっとみらいを見つめていた。みらいが現れたことも特に不思議には思っていないようだった。それどころか、梨央はみらいがやってくることを知っていたのかようだった。


「うん。梨央の予想の通り。ひさしぶりだね。梨央」

「ひさしぶり。未来だって一目でわかったよ。あたしも未来に会いたかった」


 みらいと梨央は嬉しそうに。でもそれでいてどこか寂しそうに笑顔を漏らしていた。


「みらい……」


 彼女の名前を呼ぶと、胸の中が締め付けられるような気がしていた。

 もういちど会えた嬉しさと、なぜここにいるのかという困惑と、そしてどこかに覚えた切なさが僕の胸の中で複雑に絡み合っていた。


「どこしてここに? もうこの世界にはこれなくなったんじゃ」


 みらいが消えてしまったあと、僕は何回もみらいを探していた。でも結局どこにいってもみらいには会えなかった。

 この公園だって、何度も訪れていた。でもみらいの姿はなかった。

 なのにどうして今みらいがここに来られたのだろうか。

 なぜか胸の中が締め付けられるような気がしていた。


「この世界に戻ってこられたのは、二人が絵本の未来を作ってくれたから。私が考えた絵本と違う結末だったから。どっちの結末が正しいかわからなくなって、結末が決まっていないから、私はまだ願い事を叶えられていないってことになったのかな。魔法の本の力がまた少しだけ戻ったの」


 言いながら自分の持っている本を開いてみせていた。

 そこにはみらいが描いた絵本の結末が描かれている。

 だけど不思議なことに僕達へと向けた絵本の結末に重なるように、僕と梨央が描いた最後が浮かび上がってきていた。

 まるでどちらの終わりが正しいかを見比べているかのように。


「ずっと一緒に旅をしていた二人は素直に結ばれる。梨央はそれがいいって思ってくれたんだね」

「……うん。だってさ、一真と未来。お似合いな二人だと思っていたから。もしも未来がここにいるのなら、そうなって欲しいなって」


 梨央はちらりと僕の方へと視線を送る。

 ああ、そうか。僕がそう感じたように、梨央も絵本の主人公二人と僕と未来を重ねていたのだろう。

 ずっと一緒にいた二人がこれからも一緒にいる。梨央はそう望んでいたのかもしれない。

 強く胸の奥がうずく。自分の気持ちが揺れて崩れそうになっていた。


「私達似たもの同士だね。性格も好きなものも違うのに、おんなじこと考えていた」


 みらいはささやかな笑みを浮かべると、静かに息を吐き出す。

 しんしんと降り積もり始める雪は、みらいの上にも積み上げられていく。

 辺りが白く白く染まっていた。


「梨央は雪降る中で、二人がもういちど出会うように物語を紡いでくれたね。だからこうして雪の中、私はここにこられたの。物語と現実が重なって、もういちど魔法の本が力を取り戻した」


 みらいの言葉に梨央が無言でうなずく。

 みらいがもういちど戻ってこられたのは雪が降ってきたからだったのだろうか。


「でもね。せっかくだけど私が考えた結末の方がいいよ。だって、私はさ。やっぱり別の世界の人間だから。ずっと一緒にはいられないから」


 みらいの考えた結末は二人が別々の道を選んで、そして男の子は違う人と結婚する。そんな結末だった。

 それはつまりみらいと僕とは違う世界の人間だから、ずっと一緒にはいられない。そういう意味なのだろう。


「こっちにはいられないの? 僕はみらいと一緒に」

「それは出来ないの」


 みらいは僕の言葉にかぶせるようにして告げる。

 強い意志を感じさせる言葉は、たぶんみらいはもうどうしようもことを知っているのだろう。


「今日ここにきたのはさ。ちゃんとお別れをしにきたんだよ。私はもうこの世界にはこられないと思う。それにさ、私の世界にだって私を待っていてくれる人はいるから。一真くんと一緒にいられないのは残念だけど、でも仕方ないんだよ。私はもういない。それがこの世界なんだもん」


 みらいの言葉に僕は息を飲み込む。

 みらいは違う世界から来たことはわかっていた。だからいつかはお別れしないといけないことも、うすうすは感じ取っていた。だからこそ僕はみらいのことを好きなのに、大好きだったのに、踏み込めなかったのかもしれない。


 どこかで別れが来ることを知っていたのかもしれない。

 息が詰まるように感じていた。


 でもいま本当に別れを告げられようとして、もう気持ちが止まらないでいた。

 僕の心はブレーキが壊れてしまったかのように言葉を吐き出していた。


「いやだよ。そんなの。僕は、僕はさ。未来をずっと待っていたんだ。未来と一緒にいたい。未来と離れたくない。ずっとずっと一緒にいたいんだ。未来と」


 僕はいつの間にか泣き出していた。

 僕の心は、未来を亡くした時の気持ちと重なり合って、小学生の僕に戻っていた。

 子供の頃からずっと押し殺してきた未来への想いが溢れ出して、もう止まらなかった。止められなかった。


「いやだ。いやなんだ。もう未来を失いたくない。未来がいない世界なんて考えられない。未来がこの世界にいられないなら、僕が君の世界に行ってでも。僕は一緒にいたいんだ」


 あのときに言えなかった気持ちを僕は思いのままに吐き出していた。

 自分の言葉の意味なんてわかっていなかった。ただただ未来がいなくなることを否定することしか出来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る