27.消えてしまいそうに
僕は何が起きたのかもわからずにただ歩き続けていた。
どこに向かおうとしていたのかはわからない。けどその場にいることもできずに、無意識のうちに歩き続けていた。
祭りの会場の方へは戻る気はしなかった。
賑やかな場所は、今の僕には耐えられそうもなかった。
漠然と歩き続けていた。
ときどき車が横切っていく。それほど車通りの多い場所ではなかったが、まったくこないという訳でもない。
でも僕にはそんなことはどうでもよかった。
空虚な気持ちのまま、何も考えずに歩き続けていた。
道路脇に花が飾られているのが見えた。でも僕にはどうでもよかった。
交差点を横切ろうとして、ふと顔を見上げる。
車が迫ってきていた。でも僕はもう何もかもがどうでもいいと思っていた。
何を思うでもなく、前へ進もうとして。
誰かに腕を捕まれていた。
目の前を車が通り過ぎていく。
どこかで見た風景だなと、何か思えた。
ああ。そうだ。ここは未来が事故にあった場所だ。
「
響いた声に、ゆっくりと振り返る。
「
「梨央かじゃないよ。ねぇ、もうこんなことしないって、約束したじゃない。なんで――」
梨央は僕の顔をみるなり、言葉を失っていた。
いったい僕の顔に何があるというのだろうか。僕はどうしてしまったのだろうか。
「一真、何があったの」
「何もないよ」
「うそ。だったら、なんで泣いているの。ねぇ、なんで」
梨央に言われて初めて僕は自分が涙をこぼしていることに気が付いた。
涙を袖でぬぐう。でもあふれ出してくる涙はそれでもぼろぼろとこぼれ続けていた。
気が付いてしまうと、もう涙は止まらなかった。自分が泣いていることを意識すると同時に声を漏らして泣き出していた。
「う……うう……うう……」
ほとんどうめき声のような嗚咽をもらすと、僕は息も出来ずにただ涙をこぼし続けた。
「今日は
「振られた……そうかもしれない……」
突然いなくなってしまったみらいには振られたといえば、そうかもしれない。
もちろん振られたのとは実際には違うだろう。でも梨央はみらいのことを覚えてはいなかった。そんな梨央にみらいのことを細かく話したとしても信じてはもらえないと思うし、僕にだってちゃんと説明は出来る自信はなかった。
それなら目の前からいなくなってしまったという事実からすれば、振られたのと大差はないような気もする。だからそんな風に答えていた。
「そっか。それは辛かったね」
梨央は何と答えていいのかわからない様子で、困った顔で僕を心配そうに見つめていた。
「ま、まぁ。そんなこともあるよね。でもさ、ほら。女の子なんて、その子だけじゃないと思うし。一真のことを見てくれる人も他にいるって」
慰めの言葉をかけてくる。
でも僕にはその声は届いていなかった。
もしも他に誰かいたとしても、その子はみらいじゃない。未来でもない。
不安が現実になったことに、僕の心は半分は壊れかけていたかもしれない。
未来を失って、どこか自暴自棄になって。それでも何とか生きていようという気持ちに、ぽっかりと穴が空いたような気がする。
どこかでこんなことあったなと思う。
ああ、そうか。前に僕が自殺未遂をしようとしたときと同じだ。
あの時も梨央が僕を引き留めてくれたっけ。
梨央は精一杯励ましてくれた。その言葉で僕はぎりぎりで踏みとどまることが出来たんだ。
でも今はその梨央の言葉すら届いていなかった。
「もしそんな子がいたとしても、その子は未来じゃない」
思わずつぶやいてしまった。未来もみらいももうどこにもいない。梨央にいっても仕方ないことなのに、僕は言わずにはいられなかった。
「もしかして未来が原因なの。未来のことを引きずっていたから、その子に振られたってことなの」
「そうだね。そうかもしれないな……」
ある意味で梨央の言う事は正しい。
みらいは別の世界から来たといっても未来なのだから、未来が原因であることには違いない。そして僕がいつの間にか泣いていたのも、みらいが消えてしまったからだ。
だから未来のことをずっと引きずったままでいることが原因なのは嘘ではない。ただ真実を話していないだけのことだ。
それでも梨央は僕の言葉をきくと同時に、強く目をつむって何か思い詰めるような顔を僕へと向けていた。
「一真は、いつもそうだね」
「え?」
梨央の言葉に僕は思わず聞き返していた。
いつもと雰囲気が違っていた。
ただその空気は、秋風のように少し冷たくて、いつも明るい梨央のそんな表情を見ていたくないと思った。
「なんで。どうして一真はずっと未来のことばかりなの」
梨央はどこか崩れそうになりながらも、僕をじっと見つめていた。
「ずるい。ずるいよ。未来はずるい。ずっとずっと一真の心を独り占めして。あたしだって、一真と幼なじみだよ。
「梨央……?」
梨央の言葉は激しさを増していく。その時、初めて僕は僕は目の前にいる梨央に向き合っていたと思う。それまでは梨央の言葉はまともには聞こえていなかった。耳では聞こえていたけれど、頭が聴くことを否定していた。
何もかも受け入れられなくて、ただ半ば梨央に八つ当たりするように答えていたと思う。
でもいま梨央はまるでガラス細工のように、触れれば壊れそうな表情で僕を見つめていた。
「一真はひどいよ。あたし達のことは見てくれない。ずっと一緒にいたのに。みんなで一緒に遊んできたのに。あたしだって、ずっと一真を見てきた。心配していたよ。でも一真は未来のことばかり。未来はずるいよ。だって、どうあがいたって死んだ人に敵う訳ない」
梨央の目端には、いつの間にか涙を浮かんでいた。
滅多にみない梨央の涙に、僕の心は何か強く引き裂かれるような気がしていた。
梨央を傷つけてしまった。
ずっと僕のためにそばにいて、励まし続けてきてくれた梨央に、僕は無遠慮に気持ちを投げつけてしまった。そのせいで傷つけてしまったんだ。
「でももう未来はいないんだよ。ちゃんと、未来以外の人のことも見てよ。あたし達だって、あたしだってさ。ずっと一真を見てきたんだよ。一真を心配していたんだ」
梨央は泣きながら、僕の顔を見上げていた。
不意に胸の奥が痛む。
チクリと刺したような痛みは、なぜか僕の心をとらえて離さない。
「梨央……」
彼女の名前を呼ぶ。
そうだ。梨央はいつもずっと僕のことを見てくれていた。
誰よりもずっとそばにいてくれて、僕を慰め続けてくれていた。
僕はそのことを知っていたし、その上でたぶん甘え続けていたのだろう。
ただこうして梨央を傷つけたことを自覚したことが、どこかみらいを失った痛みを打ち消していた。梨央の涙が、僕を現実へと引き戻していた。
死んでしまった人には敵わない、か。確かにそうかもしれない。
未来のことがこんなにも強く僕の中に刻み込まれたのは、未来を失ってしまったからだろう。もしも未来があの時に事故にあわなかったとしたら、僕の中にあったのは淡い恋心だけで、もしかしたら自覚すらしないまま消えてしまっていたかもしれない。
いやおそらくはそうなっていただろう。
未来が他の誰かと付き合いだしたりした時に初めて気がついて、僕の中では苦い思い出になっていたかもしれない。
でもたぶんその記憶はこんな風に引きずるものではなかっただろう。
僕が抱いていたのは、本当に淡いパステルカラーのような気持ちに過ぎなかったから。
みらいが再び現れて、淡い記憶が一気に鮮やかに変わったけれど、でもその本質は変わっていなかった。
幼なじみに抱いた、ほんの小さな恋心。
初恋は実らないなんて言うけれど、たぶん僕が感じた痛みはそれと同じようなものなのだろう。
梨央の言葉に少しずつ気持ちが整理されていく。
それで僕の痛みが消えてしまった訳ではなかったけれど、取り乱しかけていた心の中は落ち着きを取り戻してきていた。
同時に梨央を傷つけてしまったことに、あの時以来みていなかった梨央の涙に、彼女への申し訳ない気持ちがあふれ出してくる。
「ごめん。梨央。悪かった。梨央を傷つけようと思った訳じゃないんだ」
「ううん。あたしこそごめん。傷ついた一真に、八つ当たりだった」
二人共に頭を下げる。
まだ胸の中の痛みは残っているけれど、梨央の言葉は嬉しかったと思う。
僕のことを真剣に心配してくれる人がいるというのは、僕にとって救いになっていた。ここにはいないけれど、湊だって知っていればたぶん僕のことを心配してくれるだろう。
僕は梨央がぶつけてくれた素直な気持ちに、やっと自分を取り戻していた。みらいは確かにここから消えてしまったけれど、でも未来と違って命を無くしてしまった訳ではない。それならきっとまた会う手段もあるはずだった。
それに気が付かせてくれたのは梨央だ。
やっぱり持つべきものは友達なんだと思う。
梨央は涙を拭いて、それから照れたように笑う。
その笑顔に少しだけ胸の奥に痛みを残す。
その痛みの正体はわからなかったけれど、ただどこか心地よくも感じて、今は梨央への感謝を忘れないようにしようとだけ誓う。
「ありがとう。いつも僕のことを見ていてくれて。いつも僕が迷ってしまった時に、こうして引き戻してくれるのは梨央だったね」
「そうかな。だったら嬉しい」
「そしてごめん。もうこんなことはしないから」
「うん。でも、その言葉を聴くのは二度目だけどね」
もういちど照れたように笑う。
「ごめんって……」
「三度目はないからね。仏の顔も三度までだから」
梨央は言いながら笑う。
でも三度目はきっとないはずだ。
みらいはもうここにはこれないと言った。
だけど本当にそうなのかはわからない。まだみらいに会う方法は残されているかもしれない。
そしてもしも本当に会えなくなったのだとしても、みらいは命が失われた訳ではなくて、きっと元の世界に戻っただけのはずだ。
それなら僕は絶望する必要なんてないはずだ。
僕の気持ちはあちこちと揺れて、いつも行方不明になる。
それでも僕のそばには、こうして引き戻してくれる梨央がいてくれた。
そのことに深く感謝して、僕はもうこんなことはしないと、自分自身に誓った。
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