12.指をからめて

「こっちの絵はね。いわゆる抽象画なんだけど、この線の表現がとても素敵なんだ」


 みらいの説明した絵は、とにかく雑多に線が描かれていた。僕でも描けそうな感じの意味不明な絵なのだけど、みらいはとても気に入っているようで完全に見入っているようだった。

 さすがに抽象画は僕にはよくわからなくて、思わずみらいの顔を横目で見つめてしまう。幼い頃から可愛い女の子ではあったけれど、こうして成長した姿を見るときゅっと胸が締め付けられるような気がしていた。


 しばらくはみらいの姿をじっと見つめていた。ただみらいは絵画の方を真剣に見つめていて、僕が見ていることには気がついていないようだった。

 でもみらいが絵画から視線を外した瞬間、僕が彼女を見ていたところを見られてしまった。慌てて視線をそらすけど、時すでに遅し。こちらをみて口元に微笑を浮かべていた。


 何を言われるかと思って身構えていたけれど、みらいはどこか困ったような様子を見せて少し上目遣いで僕を見ていた。


「ごめんね。やっぱり絵画なんて興味なかったよね。普通はそうだって、わかってはいたんだけど。でもさ、私が好きなのはこういうので。今の私を覚えてほしかった。だからこっちを優先しちゃった」


 寂しそうな笑顔を見せるみらいに、僕は何と答えていいかわからなかった。

 ただ「そんなことはないよ」とごまかすように告げただけだ。


 でもそれが本心ではないことはみらいにもわかっていただろう。正直僕には絵画鑑賞なんて高等な趣味はなかったし、なんか綺麗だなとか、変な絵だなとかくらいにしかわからなかった。

 だけどみらいが感じているものを見ているのは決して嫌ではなかったし、みらいと一緒にいるのは楽しいとは思う。


「まぁ、その。たしかに絵のことは何もわからないけどさ。でも決して嫌とかじゃないよ。ただ絵画を真剣になって見つめていたみらいがとても綺麗だなって、思わず見とれてしまっていたんだ」


 これは正直な気持ちだった。

 ただその言葉にみらいはあからさまに顔を赤くして、両手で口元を隠す。


「も、もう。何言ってるの。一真かずまくん。ちょっと見ないうちにお世辞がうまくなっちゃってさ」


 みらいはそのあと恥ずかしそうにして僕から顔を隠していた。

 でも特にお世辞を言おうとかなんとか思った訳じゃなくて、本心から思ったことだった。


「やっぱり人は成長するんだよね。一真くんも、私が知っている一真くんとは良くも悪くも違うんだ」


 少しだけ寂しそうな顔を見せて、だけどささやかな笑みを浮かべていた。

 その笑顔に僕は少しだけ胸の奥にしこりのようなものを覚えて、まるで締め付けられるように感じる。


 みらいが言うように、僕ももうあの頃の僕とは違う。もうサンタクロースを信じている訳でもないし、異性を強く意識するようにも変わった。


 目の前のみらいだって、確かに未来みらいの面影を残していて、彼女が未来であることはもう疑ってはいないけれど、だけどあの時の未来とは違うのだ。

 みらいとこうして一緒にいられることは嬉しいと思う。楽しいし、どきどきとする胸の高鳴りは初恋を取り戻そうとしているのかもしれない。


 でもやっぱりあの時の未来が戻ってきた訳じゃない。みらいはもうそこから成長して変わってしまっている。あの時の未来は絵が好きだったけれど、ただ少しばかり他の子よりもお絵かきが好きな女の子だった。だけどここにいるみらいは美術館にいくほど絵画に興味があって、本格的に絵の道を進もうとしているのだろう。


 きっと未来が生きていれば、みらいのように変わっていた。そういう意味ではみらいはやっぱり未来だ。

 でも何から何まで同じという訳じゃない。僕が変わってしまったように、みらいも変わってしまっている。みらいが覚えた違和感は、きっと僕がいま抱いている違和感と同じものなのだろう。少しだけ戸惑う気持ちを隠せずにいる。


 だけどたぶんそれはひさしぶりに出会った友達に感じるものと変わらない気持ちで、最初は溝があったとしても少しずつ埋まっていくものなのだろうと思う。


「まぁ、僕ももう高校生だしね」

「それもそっか。私だって、もう小学生じゃないんだもの」


 あの頃を思い出しつつも、でも今のみらいをずっと見ていたいと思った。

 たぶん僕の胸の高鳴りは、そういうことなんだと思う。


 やっぱり僕は未来が好きなんだ。


 気がついてしまった気持ちに、どんどん何かが溢れていくような気がする。胸の奥が熱くて息がまともに出来ない。

 そばにいるみらいは、僕が知っている幼なじみのままではなくて、ずっと綺麗に可愛く変わってしまった女の子で。意識しないでいる方が難しいとは思う。


 一緒にいて気を遣わないでいいのは、たぶん梨央くらいで。一人の女の子として僕はみらいを完全に意識してしまっていたと思う。

 みらいももしかしたら同じようなことを感じていたのかもしれない。無言のまま、僕達は気がつくと顔を合わせずにただ絵画へと視線を移していた。


 でも絵のことなんてほとんど見えてなくて、僕はただすぐ隣にいるみらいのことしか考えていなかった。


「つ、次の絵にいこっか」


 みらいがしぼりだすように告げた声に、僕は小さな声でうなずく。

 みらいが振り向いた瞬間、彼女の手が僕の手に触れる。


 ほんのわずか触れただけだったのに、僕の心臓は壊れそうなほどに跳ね上がった。

 あたたかいと思った。みらいの体温を感じられた。


 それなのにもうどうしたらいいかわからなくて、かちんこちんに氷漬けにされたような気分だった。

 みらいも思わず触れた自分の手を反対の手で押さえていた。


「え、えーっと。うん。その。えへへ。なんだろうね。恥ずかしいね。前は普通に手をつないで歩いていたのにね」

「あ、うん。そうだね」


 ぎこちないみらいの言葉に、僕はまたうなずくことしか出来ない。さっきは僕をからかってきていたくせして、みらいもいつの間にか僕を意識していたのだろうか。

 どうしたらいいかわからなくて、そのまま何も言わずに困惑するばかりだった。

 でもみらいはわずかに上目遣いで僕を見つめて、それから照れたように僕へと手を差し出す。


「で、でもさ。前みたいに手をつないでもいいかなーって思うんだよね。だってほら、私達幼なじみで友達だし。だから変じゃないよね。ね」


 何か言い訳するかのように告げるみらいに、そうなのかな、そうかもしれない、たぶんそうなんだよね、と僕も心の中で誰かに言い訳を告げていた。

 そうこれは昔みたいにしようとしているだけだから。だからぜんぜん問題ないんだ。普通のことなんだって、自分の中の何かを納得させようとしていた。


「う、うん。たぶんそうだと、思う」


 ぎこちなく答えると、みらいの手へと僕の手をのばす。

 触れたと同時にばくばくと心臓が高い音をたてていた。

 この音がそのままみらいに伝わってしまうんじゃないかと思って、心配で余計に心臓が強く打ち付けてくる。

 みらいは顔を真っ赤に染めながらも、ふれあった指先を絡めていた。


「……えへへ」


 照れたのをごまかすかのように笑う。

 このままの時間がずっと続けばいいのにと、僕は本心から思う。

 でもそんな時間は長く続かなくて、隣の部屋から他のお客がやってくる音がしていた。


 同時に僕達は手を離して、二人顔を背けていた。

 別に人がきたからといって手を離さなきゃいけない理由もなかったけれど、僕達にとっては誰かに見られるのはまだ恥ずかしかった。


 絵の前で背中合わせのようにして立っている僕達に、やってきたお客は怪訝そうな顔を浮かべていたけれど、少しばかり絵をみてからすぐに次へと向かっていた。


「い、いこっか」


 どちらともなく言い出すと、僕達は再び次の絵画へと向かっていく。

 ただそのあとは何となく二人ともほとんど声を発することもなくて、僕はただ絵画に向き合うふりをしていた。

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