11.美術館デート
三十分近く前についてしまった。
さすがにまだみらいの姿はない。駅前はそれなりに人がいるものの、それほど大きな街ではないから見落としたりすることもないと思う。
胸の鼓動がまた早くなってくる。
そわそわとして落ち着かない。
もう何分も待っているような気がしたけれど、時計をみてみたら十数秒しか経っていない。
この調子で三十分も待つのは、かなりしんどい。だけどだからといってよそで時間をつぶしている間にみらいが来て、待たせてしまったら申し訳ないし。そもそも他のところにいても気になってそれどころではなさそうだと思う。
強く意識してしまうのは、相手がみらいだからだろうか。それとも女の子に慣れていないせいだろうか。
「ああああ。心臓が壊れそうだ」
思わずため息をもらしてしまう。ばくばくとなる音が、外にも聞こえてしまいそうだと思う。
「何が壊れそうなの?」
「いやさ。もう胸がばくばくして、緊張していてさ」
かけられた声に思わず答える。
答えてから、慌ててそちらへと振り返る。
そこにはにやけた顔をしたみらいが立っていた。
ああああああ。聴かれてしまった。
「ふうん。緊張してるんだ。それって私とデートだからかな?」
ちょっと意地悪な口調で告げるみらいに、なんと答えていいかわからない。思わず顔を背けてしまう。
「ま、まぁ。そんなところかな」
「ふうん。私とのデートでそんなに緊張しちゃうんだ。なんで? 幼なじみだよ。私」
みらいはにやにやと口元に笑みを浮かべながら、回り込んで僕の顔をのぞき込んでくる。
恥ずかしい。ああああああ。
「そりゃ……みらいが可愛い女の子だからだろ……」
思わず本音をぶつけてしまうが、みらいは笑顔を崩さずに僕の顔をのぞき込んだままだった。
「なるほど。
「う、うるさいなー。そうだよ。未来と梨央以外には女の子の友達なんていないんだから、仕方ないだろ」
僕は手をふりながらみらいから少し距離をとる。
確かに僕は女の子に慣れていないけど、それを面と向かって言われるのは恥ずかしい。少しは格好つけたいと思うのに、ぜんぜん格好つかないじゃないか。
しかしそれからみらいの姿をみると、急にみらいの顔から笑みが消えていた。
「
「え? ああ。うん。梨央とは今も仲良くしてるよ。今も昔とぜんぜん変わらない」
「そっかー。そうなんだ。じゃあきっと、こっちの梨央ちゃんも変わらないんだろうね」
みらいは一人で何か納得したようにうなずいていた。
ただどこか憂いを残した表情に、僕は急激に何か吸い込まれるような気がして息を飲み込む。
「やっぱり、そうだよね。そうあるべきなんだ」
何かよくわからないことをつぶやくと、それからみらいは再び僕へと笑顔を向けていた。
「まぁ、とにかく。今日は私の日だよ。私に一日つきあってもらうからね」
みらいはにこやかに宣言する。だけど少し顔をそらしたみらいが覗かせている横顔が、どこか寂しげで悲しそうに見えたのはたぶん気のせいではないのだろう。
僕は胸が強く締め付けられるような気がする。
こうして二人でいられることに、うれしさと戸惑いが重なり合うようで、僕はもういちど息を飲み込んでいた。
「う、うん。わかった。どこか行きたいところがあるんだよね?」
「うん。美術館。一緒にみてみたかったんだ。だめかな?」
少しだけ気まずそうな顔をして言うみらいに、僕はゆっくりとうなずく。
「もちろん大丈夫だよ。そういえば、みらいは昔から絵とか好きだったよね」
「うん。観るのも描くのも好きなんだ」
みらいは朗らかに笑う。もうその表情には憂いの色は残ってはいなかった。
絵の話で思い出したけど、三人で作った物語は未来が挿絵を描いて絵本として仕上げていた。それなりにしっかりしたできばえだったと思う。あの時はお話を作っていたのは主に僕と梨央で、未来は絵を描く方がメインになっていた。
今にして思えばあのころにはすでに未来は絵を描くことが好きだったんだと思う。
「じゃあいこう」
未来は指し示して駅の方へと向かっていく。
美術館は電車で何駅かいったところにある。決して遠くはないけれど、歩いて行けるほど近くもない。
でも一緒に電車で揺られていくのも、楽しいと思った。「あんまり興味ないだろうけどごめんね」なんて言いながらも、みらいも楽しそうにしていた。
それから僕たちはすぐに美術館へと向かって、いくつもの絵を見て回っていた。
正直に言えば僕には何がなんだかわからない。さほど有名な作品があるわけではないみたいで、人混みもそれほど多くはなかったし、僕が知っているような絵もなかった。でもどれも綺麗な絵だなとは思ったし、心に訴えかけてくるような絵画もあった。
絵の見方なんて全くわからなかったけれど、隣でみらいが説明してくれたので、それを聴いているだけでも楽しかった。
「この絵はね。十九世紀の印象派の作品で、光や空気感をよく伝えているんだよ。ほらこの辺のタッチが素敵だと思わない。あまり細かく描いていないのに、魚の群れだってはっきりわかるし。この辺の光の差し込んでいる描写が、とても印象に残るの。そういうところが私はとても好きなんだ」
みらいは楽しそうに絵をみるたびに解説してくれていた。
この辺の展示は企画展ではなくて、常設されているものらしい。だからみらいは何度も見た事があって、すっかり覚えているとのことだった。
常設展示だからなのか、あんまり人はいない。そもそも美術館とはいっても、市立のさして大きなものでもないところだ。だからたぶん大して人気はないんだと思う。
それなのにみらいは何度も足を運ぶほど、絵画が好きなんだなと思う。中学生までは無料で、高校生だって格安の料金だっていうのもあるかもしれないけど、それでも覚えるほど足を運ぶというのは、それほど好きだからなのだろう。
もしも未来が生きていたのなら、このみらいのように美術が好きでそっちの道に進んだのだろうか。恐らくはきっとそうなんだろう。
やっぱりみらいは未来なのだと思う。違う世界から来ただなんて完全には信じられていないけれど、それでも彼女が未来なんだと言うことはもう疑ってすらいなかった。
未来は本当は死んでいなかったのかもしれない。
どこかでずっと事故の後遺症を治療をしていて、やっと戻ってきたのかもしれない。
違う世界から来たと言われるよりも、そっちの方がずっと現実的だろうとは思う。
だけどみらいが嘘をついているとも思えなかった。
「あ……。この絵は」
次の絵の前で未来が立ち止まると、恥ずかしそうにわずかに顔を赤らめる。
恋人同士が情熱的なキスをしている絵だ。まるで溶け合うかのように重なる二人の若い男女が、どこか夢見心地な表情を浮かべていた。
「えっと、この絵はたぶんパーティか何かの最中に、よその人から隠れて、その。たぶん、密会している様子、かな。えーっと、あ。女の人のドレスの質感がすごく綺麗だよね」
みらいは何か急に説明がたどたどしくなって、顔を背けていた。
たぶんキスの絵に恥ずかしくなってしまったのだろう。
正直僕も少しだけ恥ずかしかったけれど、それ以上にみらいの様子が気にかかってそれどころではなくなっていた。
デートで緊張しているのなんていっていたのに、みらいも本当は僕と同じように緊張していたのかもしれない。だからこんな絵に急に恥ずかしくなってしまったように思えた。待ち合わせよりもかなり早くきたのだって、きっとそういうことなんだと思う。
そうであってほしいという僕の願望もあるだろうけど、みらいも意識してくれているのは確かだと思う。
「つ、次いこうか」
他の絵と比べて早い時間ですぐに次の絵と移っていく。
こうして照れた様子のみらいは可愛いと思う。
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