第30話
働きなさい。
「はた、らく?」
新生トート村に初の入村者がやってきた。それはリダと言う名のドラゴンだった。
「はたらく? とはなんでありますか?」
「うむ。ミラリエスの遊び相手じゃな」
「絶対に嫌であります!」
「ならばとぼけるのはやめるのじゃな」
「……働くであります」
リダはとても臆病なドラゴンだった。外には危険がいっぱいだからとずっと巣に引きこもっていたようで、そんなリダにブチギレた母ドラゴンがリダを強引に追い出したらしい。
「働きたくないであります……」
「ならミラリエスと遊んでいるが良い」
「それは絶対に嫌であります! 働いたほうがマシであります!」
こうしてリダは働くこととなった。とりあえず空を飛べるのでセイルはリダを森の警備隊長に任命し森の見回りをしてもらうことにした。
「ねえ、ヒマなんだけど? 何か面白いことない?」
そして問題の入村者第二号である。
吸血鬼の国から来たお姫様で問題児のミラリエスだ。
一応、アルウェンドラはミラリエスの母親である女王に連絡をした。そして、一応は返事が返ってきたようだ。
内容は簡単なものだった。
好きにしろ。以上である。
「好きにしろと言われてもなぁ……」
さて、どうしたもんかとセイルは悩んでいた。なにせ相手は吸血鬼だ。しかもその中でも危険な部類の吸血鬼らしいのだ。
「いくらセイルさんの頼みでもできることとできないことがあります」
とリフィはミラリエスの相手を拒否した。近づいただけで命の危険がありそうなヤバい気配をビリビリ感じるらしい。
「ちょっと私でも無理ね。倒せる気がしないわ」
とエリッセルからもやんわりと拒否された。上位勇者でも歯が立ちそうにないと思わせるのだからミラリエスは相当なのだろう。
「ああん? まあ、別に相手してやってもいいが」
「やっぱりやめてくれ。森が無事で済みそうにない」
ティティアにも相手を頼んだが、これはセイルの方から断った。ドラゴンを殺す実力を持つ冒険者と吸血鬼のお姫様の遊びはおそらく遊びでは済まないだろうとそう判断したのだ。
となると、さてどうしたものかである。
「とりあえず、食べ物でも与えておくか」
と言うわけでミラリエスには森で採れる果物や木の実なんかを与えて大人しくしてもらうことにした。
「おいしー! 血よりもいいかも!」
どうやら森で採れる謎の果物や木の実が気に入ったようで、なんとか大人しくなってくれた。
しかしこれで問題が解決したわけではない。一時しのぎである。
「ミラリエスの相手になりそうな奴を確保しないと……」
セイルは頭を悩ませていた。村の復興の他に余計な問題が増えてしまったからだ。
「難しい顔をしとりますなあ、主様」
「ライラ。どうだ、そっちの具合は?」
ライラ。元精霊の現神様である。シルフィールが神に作り変えたトート村付近に宿っていた精霊だ。その姿は獣の国にいると言われている獣人にそっくりで、白い狼のような耳と尻尾とイヌ科のような鼻が特徴的な神様である。
そんなライラはこの森の守り神である。森のことを一手に引き受ける管理人でもある。
「神樹の移動は順調だす。計画通りにいっとりますだよ」
神樹の移動。神樹は自分で移動することができる。その根っこを足のように使って動くことができるのだ。
「わだすのワガママを聞いていただいて申し訳ありません」
「いや、いいんだ。キミの声は森の声だからな」
森には今、住居や畑として使用するための場所を確保するために樹木の整理が進んでいる。本来は木を切り倒して場所を作ろうとしていたのだが、ライラがそれを止めたのだ。
木を切るなんてあんまりだ! どうか思い直してくだせえまし! とライラに泣いて止められた。どうやらライラは森の守り神になったことで木々の声が聞こえるようになったらしく、伐採されることを恐れた木々たちに懇願されたのだという。
と言うわけで切らずに移動ということとなったわけである。もし神樹が自分で移動できなかった場合は手作業で移動するつもりだったが、手間が省けて大助かりだ。
「しかし、田んぼや畑なんて作ってどうするだか? そんなもんなくても食うもんには困らんでよ」
そう、その通り。ライラの言う通りだった。
魔樹ディオディオンの浄化を行った際に変化した木々たち。神樹と名付けたそれらはとても不思議な樹木だった。それらに力を与えると望んだものが手に入るのだ。
例えば桃が食べたいと考えたとする。その場合は木に力与えながら食べたい物を念じるとそれが木に実った。動物の肉なんかも実るので、本当におかしな木である。
さらにおかしいのは衣服を念じると衣服が実る。さらには農具などの道具も力を与えて念じればそれも実る。
最近ではライラが獣人や不思議な動物を神樹の木の実から生み出しているらしく、セイルの見たことのない住人がどんどんと増えている。
ただ実らないものもある。それは人だ。人間はいくら念じても木の実から生まれないし、そもそも念じても木の実がならなかった。さらには吸血鬼や鬼人など人と近い種族も無理だった。
「……獣人は人じゃないのか?」
もしくはライラの生み出している獣人は獣人のような別の何かなのかもしれない、とセイルはなんとなく考える。本当に神樹は不思議な木である。
「まあ、人手は増えてますし、主様がしたいようにすればいいですだよ」
「ありがとう、ライラ。これからも頼むな」
「はいです。ところで、主様」
「なんだ?」
「主様は子供を作れる体なんだすか?」
「……いきなりなんだ?」
一瞬、何を聞かれているのかセイルは理解できなかったが、ライラの言葉通りとするとそう言うことだろう。
「いやあ、ミラリエス様が、子供が子供が、と言っとりましたし。どうもあの方はセイル様も狙っとるようで」
「俺を?」
「はい。まあ、まだ若いから無理だ、ってアルウェンドラ様が言っとりましたから、諦めたようですけんど」
どうやらだいぶおかしなことになっているようだ。
「人間は主様ぐらいでも子供ができるんだすか?」
「できる、こともある。個人差があるとは、思うが」
「そうだすか。うーむ……」
ライラは腕組みをして考え始める。
「主様は、あだすが女の方がいいだすか?」
「……女じゃないのか?」
ライラは首を横に振る。
「あだすは神だす。人間のように男や女はありません。精霊も同じだすよ」
「そう、なのか」
「はい。で、どっちがいいだすか?」
「……男で」
「わかっただす」
ライラはニッコリと笑って了解の意を示すと両手でポンポンと自分の体を叩く。
「……変わったのか?」
「はい。一応股間に」
見た目はあまり変わらなかった。ライラの顔はもともと中性的と言うか獣っぽいので男にも女にも見えたし、体も凹凸が少なくて男とも女とも言えた。
なので見た目は全く変わらなかった。だが、どうやら見えないところは変わったらしい。
「んなら仕事に戻りますんで」
「あ、ああ。うん」
ライラが去っていく。その背中を複雑な表情でセイルは見送り、その背中が見えなくなった後、セイルは自分の股のところに目を向けた。
「……もう成長しないほうが、いいのか?」
セイルは自分の体を見る。10歳児の体を確認する。
もしこのまま成長したら一体どうなるのか。もし女性を妊娠させることができるようになったらと、それを想像したセイルはぶるっと身震いし、慌てて最悪の妄想を頭から消し去った。
大人に戻りたいと言うのがセイルの正直な気持ちだ。ただ、大人になってもいいことがなさそうな気がする。
もし、ミラリエスが自分を狙っているのだとしたら。他にも警戒しなければいけない相手がいるのに。
「子供か。俺には、そんな資格はないよ……」
別に結婚したくないとか女性に興味がないとか子供が欲しくないとかそう言うことではない。ただ普通に、できるだけ普通に暮らしたいと言うだけなのだ。
セイルは良い意味でも悪い意味でも平凡な男だ。神祖に関わったことで少々おかしなことになってはいるが、本来はなぜだか勇者に選ばれた一般男性に過ぎない。その感覚も一般的なものである。少なくともセイルが生まれ育った国の一般的な感覚の持ち主だ。
セイルが生まれた国では重婚は許されていない。愛人や妾を持つのは貴族か金持ちぐらいで、普通は一夫一妻が基本である。
もし大人の体に戻ったら、とセイルは不安になる。
セイルはリフィとエリッセルの好意には一応気が付いていた。正直に言うと悪い気はしない。ただし相手が普通の状態ならば、である。
港町リッセルクで見せた二人の姿。あんな姿を見てしまった後なので、セイルは警戒心を解くことができなかった。そんなことはないと信じたいが、もしかしたら無理矢理、とそんなことを考えてしまうのだ。
二人に自分から手を出すことは絶対にしない。それは男として一人の人間として不誠実だ、とセイルは考えている。不倫や浮気を男の甲斐性だ何だと言う人間を見たことがある。そんな裏切り行為を正当化したり自慢する人間を見たこともある。セイルはそんな行いを恥じることなく平然と口にする人間が嫌いだった。
だから選ぶとしたら一人。二人に手を出して、ましてや複数の相手と子供を作るなんて絶対にしない。しかし、もし何かの拍子にまた二人の頭がおかしくなってしまったら、とセイルは危惧していた。
それに……、とセイルは昔のことを思い出す。自分が旅立つ前日のことを思い出し、心がズキリと痛む。
脳裏に浮かぶあの日あの時の光景。旅立ちの日の前の夜。姉と慕っていた近所の憧れの人。
セイルは彼女をを呼び出して、別れの言葉を告げた。秘めた思いは秘めたまま、そのまま村を出るつもりだった。
「ナニア姉さん……」
セイルはその場にしゃがみこんで地面に触れる。あの納屋はどこにあったのだろうか、と地面を触りながら考える。
そんなつもりはなかった。ただ本当に最後に彼女の、ナニアの顔が見たかっただけだった。けれどナニアはわかっていたのだろう。セイルの気持ちに気付いていたのだ。
セイルは思い出す。思い出すたびに胸が苦しくなる。
最後かもしれないから、とセイルはナニアに手を引かれて人目につかない納屋の中に連れ込まれた。そしてそのまま言葉を交わさず、ただただ夢中で、気づいたら朝になっていた。
朝になって、何もなかったかのように村を出て、そして本当にそれが最後になってしまった。
セイルは女性を買ったことは一度もない。娼館に行ったこともないし、女性に迫られてもすべて断って来た。
女性が嫌いなわけじゃない。ただ臆病なだけだ。あの時のあの人の顔を思い出してしまうのだ。
「子供のままの方が、いいのかもしれないな」
結局、年ばかりとって中身は未熟なガキなのだ。後悔と未練ばかりの情けない子供なのだ。
「本当に、情けない馬鹿だな、俺は……」
笑顔で送り出してくれた憧れの人。今でもはっきりと思い出すことができるナニアの少し寂しそうな笑い顔。
もう二度と彼女に会うことはできない。とっくに彼女より年上になってしまった。
リフィとエリッセルが自分を慕ってくれていることに気が付いている。けれど、こんな自分がその気持ちにこたえられるのか、とセイルは不安なのだ。
けれど、いずれはどうにかしなくてはならない。黙って気づかないフリをしてはぐらかして中途半端な関係を続けるなんて、そんな不誠実な人間にはなりたくない。
だけど、でも、今は。
「村を、どうにかしないとな」
セイルは自分の気持ちにフタをする。今はまだその時じゃない、と自分をだまして。
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