第21話

 祠が安置された大樹の裏側に平屋建ての木造家屋があった。その家屋はセイルたちの見たことのない造りで、屋根も柱もすべて木で作られており、建物は短い柱で支えられ床下には子供が這って歩けるほどの空間があった。そしてその家には壁がほとんどなく、向こう側まで風が吹き抜けるようなとても風通しのいい不思議な造りになっている。


「玄関はここじゃ。ああ、靴は脱いで入れ。穢れを持ち込んではいかんからな」


 そう言うと少女は玄関の中に入りその壁に杖を立てかけて靴を脱いで家の中に上がっていく。


 セイルたちもその不思議な家の中に入る。そして言われた通りに靴を脱いで玄関を上がる。


「脱いだ履物はちゃんとそろえるんじゃぞ」


 言われたとおりにセイルたちは靴をそろえる。それから少女の案内で廊下を進み、大広間へと案内される。


 大広間はセイルたちが先ほど見ていた壁のない場所だ。しかし、よく見ると部屋を区切る柱や何かをはめ込むような溝が天井や床に彫られている。


 そして、大広間の床も奇妙だった。何かの植物を編んで作った板のような物が敷き詰められていた。


 その大広間には大きな座卓が置かれ、その周りには人数分のクッションが置かれていた。


「まあ、座って待っておれ。ああ、床に座るのが慣れておらんなら椅子を用意するが」

「いや、問題ない」

「うむ。では茶の用意をしてくる」


 少女は台所の方へと歩いていく。その姿が奥へ消えてから三人は互いの顔を見合わせる。


「ここは、一体どこなんですか?」

「わからん。そもそもあれはなんだ?」

「わからないわ。とりあえず敵ではなさそうだけど」


 セイルたちは座ったまま家の中を観察する。不思議な作りの家だが特に怪しいところは見当たらない。


「見た目はかなり若かったな」

「若い? そうですか? かなりおじいちゃんに見えましたけど」

「おじいちゃん? 女の人でしょう?」

「二人とも一体何を言ってるんだ?」


 何かがおかしい。三人は同じ人物を見ているはずなのに三人とも見えている物がまるで違う。


「待たせたのう。まあ、ゆっくりして行け」


 三人が話し込んでいると奥からお盆を持った少女が戻ってくる。そのお盆には小さなポットと手の中に納まりそうな取っ手のないカップが四つ、そしてお盆の上に載っている器には見たことのないお菓子が載っていた。


 少女はそれらを座卓の上に置くと自分も腰を下ろしてカップにポットから何かを注いでいく。ポットからカップに注がれた液体は鮮やかな緑色で、注がれた液体からは湯気と共に何とも言えない爽やかで心の落ち着く香りが立ち上っていた。


「緑茶じゃ。海を渡った先にある遥か東方の地の一部で飲まれている物でな。各地を旅している際に持ち帰ってここで育てた物じゃ。口に合わんのなら別の物に交換するでの。遠慮なく言ってくれ」


 少女は緑茶の注がれたカップを三人に配ると客人より先に自分のカップに口を付ける。


「毒なんぞ入っておらん。気にせず飲め」


 三人は互いに顔を見合わせ、それからカップの中に視線を落とす。そんな三人を無視して少女は器に盛られた茶色の板のような物を手に取りバリバリと食べ始めた。


「あの、それは」

「せんべいじゃ。美味いぞ」


 何者なのだろう、と三人はせんべいなる物をかじる少女を眺める。いや、セイル以外の二人には少女ではなく別のものに見えているのだろう。


「……お前たち、わしが何に見える?」


 せんべいを食べる手を止めた少女は三人にそう質問する。セイルたちはその質問に正直に答える。


 セイルは少女に見えると言った。リフィは老人。エリッセルは自分よりも年上の女性に見えるとそう伝えた。


「なるほど。お前さんは正解じゃな」


 そう言って少女はセイルを指さした。


「わしの幻覚魔法に引っかからなかったようじゃのう。面白い、面白い」


 少女は茶をすすり、ホッと息をつく。すると幻覚魔法が解除されたのか、セイル以外にもそれが少女に見えるようになっていた。


 しかし、まだはっきりとその姿が見えてこない。少女であると言うことはわかるが、全体の印象がぼやけている。


「あの、一体ここはどこなのでしょうか? あなたは一体?」

「んー? 名前か? ならお前さんたちから名乗るのがスジというものではないか?」


 確かにその通りだ。人の敷地に入って来たのは自分たちなのだからこちらから名乗るのは当たり前と言えば当たり前だ。


 セイルたちは簡単な自己紹介をする。ただ、リフィとエリッセルはスムーズに自己紹介を済ませたが、セイルは何と言ったらいいのかわからず少々戸惑っていた。


「あー、なんだ。冒険者? のセイルです」


 さて、今の自分は何なのだろう、とセイルは疑問を抱く。すでに勇者ではないし、かといって冒険者とも言えない。今の自分は七歳児で、冒険者としてギルドに登録するには15歳にならなければ無理だ。中身が成人男性だからと言って見た目は子供なのだから当然登録などできない。


 もちろん大人だった頃のギルドカードは使えない。自分はセイルだと言っても信じてもらえないだろう。


「歯切れが悪いのう」

「申し訳ない。自分でもよくわかっていないんだ」

「うむ。まあ、いいじゃろう。今度はこちらが名乗る番じゃ」


 三人の自己紹介を聞いた少女は三人の顔を一度見渡してから自分の名を名乗った。


「わしの名前はアルウェンドラ。魔法使いじゃ」


 三人は驚いて言葉を失う。目の前の少女が突然おかしなことを口にしたからだ。


 少女は伝説の魔法使いであるアルウェンドラであると名乗った。そして、名前を知ったことで彼女の存在がはっきりとしたのか、セイルたちの目にその姿が見えるようになっていた。


 アルウェンドラを名乗る少女はメガネにソバカスの少し眠そうな目をした少女だった。背は小柄でリフィよりも低い。肌は健康そうな色をしており、髪の色は闇を思わせるような黒で、その髪を適当に切りそろえられ適当にひもで縛ってまとめていた。そして、その服装はセイルたちの見たことのない物で、下はゆったりとした長いスカートのような黒いズボン、上は白地に黒の斜線や黒い幾何学模様が描かれた袖口が大きく広がった長袖を着ていた。


 はっきりと視界に映ったアルウェンドラの姿を見てセイルたちはしばらく黙り込む。


「で、アルウェンドラって何した人なんですか?」

「おい、知らずに驚いてたのか?」

「いや、はい。なんとなく空気的に驚いたほうがいいかなって」


 そう言えばまだ説明していなかったか、とセイルは気が付く。もともとリフィはアルウェンドラのことを知らなかったし、エリッセルから神話の話は聞いたがアルウェンドラの説明はされていなかった。


「アルウェンドラは第三次魔王討伐の際に勇者と共に魔王を倒した伝説の魔法使いよ」

「へえ、そうなんですか。すごい人なんですね」

「すごい人なんてもんじゃないわ。今私たちが使っている魔法術式の基礎を編み出した人でもあるのよ」


 現在、魔法使いたちの使用している魔法は術式を用いたものが主流である。それ以外にも声や音を利用した音声魔法、肉体に紋章を刻んで魔法を使用する紋章魔法などが存在する。


「いや、ちょっと待て。たしかアルウェンドラは男だったはずだ」

「ん? ああ、それは間違いじゃ。わしは見ての通り女じゃよ」


 魔王討伐の伝説はいくつも存在している。その伝説の中のひとつに登場するアルウェンドラは男だったと伝わっている。


「わしが改変した。その方が隠れ住むのに都合がよかったからのう」


 アルウェンドラはお茶をすすり、空になった自分のカップにポットからお茶を注ぎ入れる。


「隠れ住むにも旅をするにも顔が知られていると面倒じゃからな。適当にジジイと言うことにしておいた」


 なんと言うか適当な人物である。その雰囲気に威厳や迫力はどこにもない。


「で、その。あなたはここで何を?」

「魔法の研究じゃ」

「一人でですか?」

「そうじゃ。わしは人間が苦手でのう。一人が気楽でいいのじゃ」


 アルウェンドラは話をしながらせんべいを食べている。人が苦手と言いながらセイルたちに対して警戒心を抱いている様子はなく、まったく緊張感が見られない。


「で、おぬしたちは何しにここへ来た?」

「何かに呼ばれて、です」

「何か?」

「はい。何かはわからないのですが、何かに呼ばれて」


 セイルの説明を聞いたアルウェンドラはお茶を飲む手を止めて何かを考え始める。


「以前に似たようなことは?」

「ありました」

「心当たりは?」

「いえ」

「呼ばれて行った先になにかあったか?」

「祠がありました」

「ふむ、なるほどのう」


 アルウェンドラはセイルに軽い質問をするとまた何かを考え始める。


「ああ、茶なら勝手に飲んでくれ」


 そう言うとアルウェンドラはパチンと指を弾く。すると冷めてしまったカップに入ったお茶から湯気が立ち上り始める。


「……どうします?」

「黙って座ってるのもなんだし、いただくか」

「大丈夫なのかしら?」

「大丈夫だろう」

「本当に毒とか入ってないでしょうねぇ……」


 しばらくお茶を眺めていた三人は意を決してカップを手に取りお茶を口にする。


「苦いですね」

「そうね。でもほんのりと甘いわ」

「なんだか体に良さそうな味だな。嫌いじゃない」


 三人は続いてせんべいに手を伸ばし、それをかじってみる。


「しょっぱくて香ばしくて」

「美味しいわね」

「ああ、少し硬いがいい歯ごたえだ」


 それから三人はしばらく外の景色を眺めながらお茶を飲みながらせんべいを食べていた。


「静かね」

「はい。なんだか眠くなってきました」

「すまん、俺もだ」

「子供は昼寝の時間ですもんね」

「……クソ、否定できんのが悔しい」


 セイルは体力的に子供だ。ここまで来るのにかなり歩いて疲れたのか、セイルはだんだんと目がうつろになりこっくりこっくりと舟をこぎ始めた。


「二人とも、帰る時間になったら、起こしてくれ……」


 そう言うとセイルはクッションを枕にしてその場に横になりすぐに寝息を立て始めた。


「子供ですねぇ」

「かわいい」


 二人はセイルの寝顔を穏やかな表情で眺めている。そんな中、アルウェンドラはブツブツと独り言をつぶやいている。


「……中身を見てみるかのう」


 セイルが静かに寝息を立ている。アルウェンドラもそれに合わせるようにゆっくりと目を閉じた。

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