第16話
夕暮れ時。
「よう、冷血女」
「……ドラゴン殺し。なんであなたがここに」
待合室の窓から夕陽が差し込んでいる。茜色に染まる中、ティティアはドアのない部屋の入り口にいるエリッセルを眺めながらニヤリと笑う。
「全部こいつから聞いた。で、頭は冷えたか?」
「……どうかしてたわ、私」
エリッセルは恥ずかしそうにうつむく。どうやら少しは正気に戻ったようだ。
「お前がリフィだな」
「あの、あなたは」
「ティティアだ」
「S級、冒険者……」
リフィはごくりと息をのむ。彼女の放つ強烈な気迫もそうだが、彼女の物理的な大きさにもリフィは圧倒される。
ティティアはでかい。身長は成人男性よりも頭一つ分は大きく、腕も足も巨大宮殿の石柱のように太い。そして女性としての部分もリフィと比べられないほどに豊満である。
「全部聞いたということは」
「ああ、この子供がセイルだってことも知ってる」
この子供、と言ってティティアはテーブルに突っ伏して寝息を立てるセイルを指さす。
「泣いて飯食ったら寝ちまったよ。まったく、本当に子供みてえだ」
そう言ってティティアは笑う。その笑顔は本当に優しく、まるで穏やかに眠る我が子を見守る母親のようだった。
「で、だ。お前たちが帰ってきたら話があるってよ。まあ、今はぐっすりだから、また明日だな」
話とはなんだろう、とリフィとエリッセルは考える。何か深刻な話だろうかと心の中で身構える。
「まあ、そう深刻に考えるなよ」
ティティアはそう言うと椅子から立ち上がる。その体躯は見上げるほどに大きく、その姿は伝説の巨人を思わせるほどだった。
「起こさないように運べよ。気持ちよく寝てんだからな」
そう二人に忠告するとティティアは壁に立てかけてあった大剣を背負い、リフィとエリッセルを脇にどけて部屋を出ていった。
「……すごい、人ですね」
「ええ。でも、いつもと違うわ」
違う。ティティアが勇者を前にしてあんなに穏やかなわけがない。いつもの勇者嫌いの彼女なら勇者であるエリッセルに問答無用で突っかかって来ただろう。
「まあいいわ。それよりもセイルを宿に運びましょう」
「そうですね。あ、私が背負っていきますから」
「……わかった」
「不満そうですねぇ」
「う、うるさい。私は、正気に戻ったのよ」
「本当ですかぁ?」
リフィはにやにやとしながらエリッセルの顔をのぞき込み、エリッセルはそんなリフィと目を合わせないように顔を逸らす。
「い、行くわよ。起こさないようにね」
「はいはい。さ、セイルさん、宿に帰りますよ」
「ん、んん……」
リフィはセイルを起こさないようにその背中におんぶする。よほど眠りが深いのかセイルはまったく目を覚ます様子はなかった。
そして、翌朝。
「村に、帰ろうと思う」
リフィに背負われて宿に戻り翌朝までぐっすり眠っていたセイルは、目覚めてからすぐにリフィたちを集めて今後のことについて話し始めた。
「で、なんでティティアさんまでいるんですか?」
「あ? 悪いか?」
「狭いんですけど」
「気にすんな」
「気にします」
「話が進まんから少し静かにしてくれ」
揉めるのは勘弁してほしいとセイルは思う。勇者だった時でもティティアを押さえられるとは思えないのに、子供の姿では絶対に無理に決まっている。本当に大人しくしてほしい。
「それで、村に戻るって」
「……俺の村は、魔物に襲われて壊滅した」
リフィは知っている。エリッセルもつい最近聞いた。ティティアは今初めて聞いたが動揺している様子はない。
「魔物に襲われて、なくなった。と言う話は聞いてる」
「実際には見てねえのか?」
「……怖かったんだ。俺は」
セイルは両手で顔を覆う。表情を見られないように、自分の恐怖を抑え込む様に。
「俺は村を飛び出した。その一年ほど後に村が襲われた。飛び出してから一度も村に帰っていない」
「……責められるかもしれないからか?」
「ああ、そうだ。ティティアの言う通りだ」
責められる。セイルは怖かった。お前だけどうして生きているんだと言われるかもしれないから。
「村のみんなが大勢死んだという話を聞いた。だが、誰が死んだかはわからない。もしかしたら、家族が生きているかもしれない」
「なら、どうして戻らなかったの?」
「戻れなかったんだ。俺が、臆病だったから」
村に戻って、村の生き残りに再会して、その時何を言われるのかとセイルは考えた。受け入れられるのか、それとも拒絶されるのかわからなかった。
どうしてお前だけ、なんであんたが、村を捨てた人間がのこのこと、お前が死ねばよかったのに。
「戻りたかった。でも、戻れなかった。村のみんなから、家族から責め立てられるんじゃないかと思うと、怖くて」
「逃げたんだな、お前は」
「ティティアさん!」
「事実だろう。なあ?」
「……ああ、そうだな。俺は逃げたんだ。勇者なのに、俺は逃げた」
「でもそれは、あなたが勇者になる前のことで」
「そんなもんは言い訳に過ぎないね。逃げたのは事実だ」
「ティティア、あなた何かセイルに恨みでもあるの?」
「ない。なんでそうなる?」
「さっきからセイルさんにひどいことばかりです」
「ひどい? 事実だろうが。こいつが逃げたのは」
ティティアの言葉には容赦がなかった。柔らかく相手が飲み込みやすいように言葉を選ぶことなどまったくしていない。
ただ、事実は事実だ。セイルは逃げたのだ。自分の故郷から目をそらしたのだ。
「いいんだ、二人とも。ティティアの言う通りだ」
「でも」
「いいんだ」
リフィは口を閉ざしてうつむく。エリッセルは少し不安そうに自分の胸のあたりの衣服をキュッと握りしめている。
「俺は逃げたんだ。勇者になった後、その恐怖はもっと大きくなった。どうして、どうしてあの時、俺は勇者じゃなかったんだ、なんであの時助けてくれなかったんだ、そう言われるんじゃないか、なんて考えてしまってな」
もしあの時、村を飛び出さずにいたら。もし村を飛び出さず、自分が勇者になっていたら。
けれど、そんなもしは有り得ない。もう過去は変えられない。
だから、帰るのだ。過去は変えられないけれど、未来はどうにかできる。
「俺は故郷に帰る。故郷に帰って、みんなに謝りたい」
「謝る相手がいなかったら?」
「その時は、生き残りを探して、謝罪する」
「勝手だな。そんなもんお前の勝手な都合だ」
「あの、この人黙らせていいですか?」
「やめろ、リフィ。絶対に無理だ」
「んぎぎ……」
ティティアを黙らせる。それができるとしたらエリッセルがギリギリできるかできないかだろう。力で対抗しようとしてもほぼ不可能だ。
「村がなくなって、村で暮らせなくなった奴は別のところで居場所を見つけただろうよ。そんな奴に昔のことを思い出させてどうすんだ? そんなことするよりでっかい墓でも建てて一生墓守でもしてた方がマシだ」
「セイルさん。やっぱりこいつ」
「……墓守、か」
セイルは天井を見上げる。
「それもいいかもしれないな」
かつての仲間であるランセルに敗北して、仲間たちを彼に預けて、勇者の力を譲り渡して、体まで小さくなってしまった。
「これは俺に対する罰なんだと思う。逃げ続けて来た俺に対する、試練なのかも」
「はあ? 何言ってんだテメエは。チャンスじゃねえか」
「チャンス?」
セイルはティティアを見つめる。ティティアはそんなセイルにニヤリと笑って見せる。
「最初からやり直せるんだ。普通、そんなことできやしない。これがチャンスじゃなくて何なんだ」
そう言うとティティアは立ち上がり、椅子に座っているセイルを両手で高く抱え上げた。
「力も何もかも失って最初からだ。最高じゃねえか、なあ?」
座って話を聞いていたリフィとエリッセルも立ち上がる。
「そうです、これはチャンスですよ!」
「そうだわ。絶対に、罰なんかじゃない。だって、あなたは頑張って来たじゃない」
ティティアに抱え上げられたセイルは三人を見下ろす。リフィとエリッセルは真剣な表情で、ティティアは何か面白いことでも考えているのか笑顔でセイルを見上げている。
「……ありがとう。本当に、ありがとう」
セイルは自分の人生が本当に正しいのかそれが不安だった。何も成し遂げることができなかった自分は間違っていたのではないかと思っていた。
「なんだ? また泣くのか? よーしよし、母ちゃんのおっぱいでも吸うか?」
「な!?」
「破廉恥よ!」
「冗談だよ。本当にやるわけねえだろうが」
ティティアは呆れたようにため息をついてからセイルを床に降ろすとその頭をなでる。
「こっからだろう。そうだろう?」
「ああ、そうだな。ここから、なのかもな」
セイルは目をこする。涙をぐっとこらえてニッコリと笑って見せる。
「まあ、何するにしても一人じゃどうにもならねえけどな」
「……まあ、そうだな」
その通り。今のセイルは7歳児だ。できることは限られているし、故郷の村があった場所に一人で行くことは難しいだろう。
「付き合ってやるよ」
「本当か?」
「ああ、長い人生だ。30年40年どうってことねえ」
「40年って、おばあちゃんになっちゃいますよ」
「なんだ知らねえのか? 竜人てのは長生きなんだ」
そう言えば、とセイルはティティアの顔を眺める。
ティティアと最初に出会ったのは18歳の頃だ。再会したのは24歳頃で、今は体は7歳児に戻ってしまったが実年齢は32歳だ。
歳を取っているはずだ。なのに記憶の中のティティアと今のティティアにまったく違いが見られない。
「すまんが、ティティア。キミは今年でいくつになるんだ?」
「あ? 45だ」
「45!?」
「私と同い年ぐらいだと、思ってたわ」
3人はティティアを改めて眺める。肌の艶、筋肉の張り、髪質。どこをどう見ても彼女は20代半ばにしか見えない。45歳なら当然あるべき顔のシワやシミもまったくどこにもない。
「そうね、確かにそうよね。それぐらいよね。でも、本当に竜人て年を取らないの?」
「取らないってか、若い時期が長いらしいな。大体300年ぐらい生きるらしいが」
「300年!?」
「ああ、500年生きた奴もいるらしい」
「それって、人間なんですか?」
「そうなんじゃねえの? ま、どっちでもいいだろ、んなこたあよ」
豪快である。普通は気にするところだ。
しかしティティアは気にしない。500年生きようが人間でなかろうが、彼女にとってはどうだっていいのだ。
「ま、そういうこった。だからあたしが見届けてやるよ。お前の人生を」
頼もしい。けれど、下手なことは出来ない。少しでも情けないことをするとぶん殴られるような気がする。
「で、でもいいんですか? セイルさんは元に戻りたいって」
「まあ、元に戻りたい気持ちは今もある。だが、方法がわからないしな」
「だから大神殿に行こうって言ったのよね?」
「はあ!? 大神殿だ? 絶対に嫌だね。あんな場所あたしがぶっ潰してやる!」
「……ダメそうだ」
「やめた方がいいですね」
ティティアはセイルについてくるつもりだ。こんな調子ではティティアを大神殿には連れて行けない。
「まあ、とにかく村があった場所に行きたい。手伝ってくれるか?」
セイルは三人の顔を見渡す。
「当たり前じゃないですか。私はセイルさんの仲間ですから」
「私も、あなたの仲間よ」
「勇者様は他に行った方がいいんじゃないか? それとも勇者の務めよりも大切なことでもあんのか?」
「そ、それは」
「やっぱりお前、セイルに」
「あーあー! そんなことより善は急げですよ! 目的があるなら準備準備!」
リフィが大声で会話を遮る。そんなリフィを見てティティアはにやにやし、エリッセルはなぜだか顔を赤くしてうつむいている。
そんな三人を見てセイルは少し不安になる。確かに戦力としては十分すぎるぐらいだが、この三人が仲良くやって行けるのか、それが不安で仕方なかった。
「んじゃ、よろしくなセイル」
「あ、ああ、よろしくな。ティティア」
仲間が増えた。セイルとティティアは握手を交わした。
「本当に縮んじまったなあ。かわいいかわいい」
「からかうのはやめてくれ。これでも中身は大人なんだ」
ティティアはセイルの手を握った方とは反対の手でセイルの頭をガシガシとなでる。セイルは髪の毛をティティアにくしゃくしゃにされながらも抵抗せず、少し恥ずかしそうにはにかんでいた。
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