ゲンキン契約

@Mrkyu

第1話

春はどうも眠り過ぎてしまう、俺は木造の途方もなくボロい下宿で相変わらず惰眠を貪っていた。16時頃だったか玄関を叩く大きな音が聞こえた。最初は無視していたが、余りに何度もノックするのでとうとう出てしまった。


「突然訪問イたしマして申し訳ゴざいません、私こういう者でゴざいマす。」戸板の向こうには黒一色かと思いきやシャツだけ鮮やかな黄色という服装の男が立っており、名刺を差し出してきた。右手でその名刺を受け取って目を通す、「スドウ……」名前に詰まっているとわかると「メヒと読みマす。」とすぐさま反応してきた。


「何か御用ですか?儲け話だったとしてもお断りですよ。」と少々冗談混じりで言った直後、スドウが表情一つ崩さずにこう言い放った「正しくその事でいいお話があるノですが…」。


「すいません、間に合ってます。」スドウが続きを言い終える前に玄関を閉めた。安眠を妨げた胡散臭い男の儲け話など聞いてやるものかと少々腹を立てつつ、またバイトまでの英気を惰眠によって養おうと再び畳に寝っ転がった。


日も暮れた18時30分頃、労働に向かうべく重たい体をゆっくりと起こした。全く、金が無いとは言え5月6日の振替休日にシフトを入れてしまうとは…なんて愚かな事をしてしまったんだ…と愚痴っていても金は手に入らない。


玄関を開けてすぐ人の気配を感じた、右端に目線をやるとスーツの男が体育座りをして待っていた。「どんなに待っても意味ないですよ」よせばいいのに声をかけてしまった。「貴方が何か紹介してイただけるまで待たせてイただきマすよ。」随分と健気な事を言うものだと思いつつ、サッサと鍵を閉めて職場へと向かった。


日付が変わりそうな時間にフラフラと下宿に帰ってきた、真っ暗闇に時たま見かける光が廃墟みたいな下宿の輪郭を怪しく写している。生気が失せた目で自分の住処を睨みつけるとやはりヤツがいた。あれからずっと待っていたのだろうか、玄関の横で地蔵になっている。鍵を開けようとヤツのすぐ横に立ったが特に何も言おうとはしなかった、ただ物欲しそうな顔でこちらを見ているのは変わりない。


玄関を開けて中に入ろうとしても、俺の跡をついていこうとせず地蔵を貫き通そうとしていたので声をかけてやった。「いい加減諦めてください、警察呼びますよ。」最終通告のつもりで言い放ったが、まだ諦めずこう続けた「お試しでヨろしいので、何か紹介してイただけマせんか?」。


まだ言うのかコイツと呆れつつあまりにも甲斐甲斐しく待っているので何だか情が湧いてきた。「…………ちょっと待っててください」玄関を閉めてシンクのカップ麺を手に取る。


「…コレで良いですか?」お地蔵様の目の前に「ヤングカップ」と書いてあるカップ麺を差し出してやると今まで見た事ないほど目が輝き始めた。「ありがとうゴざいます、必ずこの恩に報いるように頑張らせてイただきマす。」と言いながら両手で俺の手も包み込むように「ヤングカップ」を手に取った。一刻も早く眠りたい俺は特に気にする事もなく、扉を閉めた。


夜が明けて太陽もテッペンまで登り切ろうとしていた頃に目が覚めた、それでも体が重力を感じて幾分ダルい。携帯に手を伸ばし、面白い事を探そうと検索エンジンサイトを開く。


なんて事ない世界の情勢の中に気になる見出しがあった「ヤングカップ日本中から姿を消す、一体なぜ?」。何だか心当たりがあるような気がするので記事全文を読むと日本中の小売店・倉庫果てはメーカーに至るまであらゆる流通経路上からヤングカップが忽然と姿を消したらしい。面白い事に「ヤングカップ」だけが姿を消し他のカップ麺は手に入るらしく、コメント欄には「熱狂的なヤングカップファンの仕業に違いない!」といった冗談が投稿されている。


アホくさと思う一方、昨夜の出来事が何だか心に引っかかった、まさか自分のせいではないかと。そんな思案をしていたが突如として到来した空腹がそれらの思考を停止させ、飯の準備に取り掛からせた。「……なるほどな…」台所で積まれていたカップ麺の箱を見て心得た、「ヤングカップ」の箱だけない。


少々動揺したが腹がくちるとそれも忘れてしまうのだから食べ物は偉大だ。ネットサーフィンぐらいしかやる事が無いので、散歩でもしてやろうかと考えていた頃、部屋にノックの音が響いた。玄関を開けるとまたヤツが立っていた、ドラマでしか見た事ないジュラルミンケース右手に携えて。


「昨日は夜分遅くにゴ対応イただきありがとうゴざいマす。」夜まで粘着してきたクセによく言う。「本日はその礼金をオ持ちイたしマした。」とジュラルミンケースをこちらに差し出してきたので受け取ろうと手を伸ばすと、ケースを引っ込めてこう続けた。「コちらを受け取る前にゴ説明サせてイただきたい内容があるノデすが……中に入れてイただいてもよろしいデしょうか?」こちらの目をまっすぐ見て言うので、「……どうぞ…」つい中に入れてしまった。


汚ったない部屋の真ん中に鎮座しているちゃぶ台に2人向き合う。「私、ゴ紹介イただいた商品を買取りマして、お客様に販売スる商取引をしてオりマして。」用意したコーヒーを混ぜながらスドウは話を続ける。「今回、ゴ紹介イただいたヤングカップが大変ゴ好評イただのでその売り上げの一部を礼金としてオ持ちした次第ナのデす。」相変わらず目線をカップの中身に集中させている。


「だったら、そのケースの中身を渡してくれればいいじゃないですか。」スドウが口元に近づけたカップを置いて、こちらに目を合わせた。「そこなのデす、今の状態ではお渡ししかねるノデす。」と目線をジュラルミンケースの方にやったと思うと、どこから出したのか1枚の契約書が出てきた。


「コちらの商品紹介契約に同意イただかないとならないので、内容をゴ確認の上サインをオ願いイたしマす。」しっかりとした契約書だが、重要な事を確認していない。「本当にその中身ってお金なんですか?見せてもらわないと信用できませんよ。」と言うとケースをちゃぶ台の上に置き、開けた。


中には一面の札束が広がっていた、「‼︎……番号の確認はさせてもらっていいんですかね?」。「どうぞ」薄笑いを浮かべたような気がしたが、気にせず札束に手に取って目を通す。後になって考えればやめておけばよかった、全て番号が違うという事実は理性を吹き飛ばすには充分だった。札束を戻すとスドウはケースを下ろしてケースを閉めた。


冷静さを取り戻した時には契約書には自分のサインがあり、スドウに次の商品を催促されていた。勢いでサインを書いた自分のバカさ加減とこれからの不安に気づき、心臓の鼓動が聞こえ始めた。頭もフル回転を始める中である事に気がつく、謎のヤングカップ大量失踪事件とスドウの関係だ。


ヤングカップが世の中から消え失せたのは俺がアイツにあれを紹介してからだ、それに買い取るとか何とかとヤツも言っていたし…。「まだ決まりそうにありマせんか?」特にウンザリした様子もなく聞いてきたアイツに俺はこう返す「……畳なんかどうですか?」。「もちろん大丈夫デすよ、ありがとうゴざいマす。」というと玄関から青いツナギと目深に帽子を被った作業員が入ってきた。テキパキと手際よく部屋中の畳を持ち去っていく中、スドウも立ち上がり「今日はありがとうゴざいマした、また明日礼金のオ支払いにあがりマすのでよろしくお願いイたしマす。」と一言挨拶してから部屋を後にした。その夜は新聞が引かれた粗末な板の上に布団を敷いて眠った。明日全てがハッキリする。


その日はいつもより早く起きたように思う、まず先に携帯に手が伸びたのは変わらなかったが。「……マジかよ」液晶画面にはこう記されている「次は畳!止まらないモノの消失」、「物資の連続消失、いつまで続くのか」、「物質の連続消失事件について午後から官房長官が緊急記者会見予定」。


仮定が当たったようでいよいよ恐ろしくなってきたが、まだ自分の目で畳が無くなったのを見たわけでは無い。不安をかき消すべく祈る気持ちで下宿を出たが、希望は脆くも崩れ去った。


畳屋さんに夥しい人が殺到し、店先には「タタミが無くなったため、誠に勝手ですが臨時休業とさせていただきます。 店主」と書かれた張り紙が申し訳無さそうに張り出されている。もうこうなっては疑いようが無い、血の気が引き切った状態でフラフラと下宿に戻った。あまりに恐ろしい現実にしばらく震えが止まらなかったが、アイツに会って契約を解除すれば何とかなるのではという考えが俺を慰めてくれた。


17時頃ノックの音が聞こえた、玄関を開け部屋に客人を導く「どうぞ…」。流石に今までと様子が違うのがバレたか、スドウは挨拶も無しに部屋へと入って来た。ちゃぶ台を挟んで向かい合って座る、窓から差し込む夕陽が穏やかな緊張感を空間に吹き込む。互いに相手の腹は見えているあとはどうやって切り出すかだが、最初に口火を切ったのはヤツだった。


「良い商品をゴ紹介イただき誠にありがとうゴざいマした、オ陰様で過去最高の売り上げを達成できマしたよ。」目に気持ちの無い笑みを浮かべて言った。「お役に立てて何よりです…ところで」本題を切り出そうとすると空気が一気にヒリついた、だがこのまま聞かねばと一歩を踏み出す。「最近、カップ麺も畳も手に入らなくなって大変みたいなんですけど………なんか知ってますよね?」さぁどう出ると身構えていたが、その答えに拍子抜けした。


「はい、アレは全て我々の仕業デすからね。」とあっさり白状し、さらにこう続けた「いやぁ、ゴ心配をオかけシてしまって大変申し訳ゴざいマせん。それに関してもしかしたらと思いマして用意してきた物がゴざいマして」と言うと目線をちゃぶ台の下に下ろしガサガサし始めた。「契約解除申請書でゴざいマす、こちらの内容に同意イただければサインを」提示してきた紙には確かにそのように記してある。


今度こそ仕損じる訳にはいかない、申請書の1行1行に神経を尖らせ読み進める。お前のような者にそうそう見つかるまいという視線がスドウから感じられ、ますます精読に気持ちが入る。丁度、2/3読み終えたころこれまでの当たり障りの無い文言に紛れるようにこんな一行を見つけた「…甲の現住惑星を乙に譲渡することを誓約する…」。


甲とは俺のことで乙はスドウそして甲の現住惑星とは地球だ、つまるところコイツは契約を解除するなら地球をよこせと言っているのだ。「おい!何だよこれは‼︎」ヤツの目の前に申請書を突きつけてやった、この時はまだ勝者の気分に幾分浸れた。不都合な事実を突きつけられたはずのスドウだったが目が笑っていない笑みを浮かべてこう言い放った「バレてシまいマしたか…」。


想像と違う反応にやや戸惑っているとこう切り返して来た。「バレてシまったからには、仕方ありマせん……まぁ、サインの偽造など今時容易デすからその手でいくとシマしょう‼︎」申請書をひったくって玄関へと走り出した。一瞬反応が遅れたが、「待て、この野郎‼︎」と言いながらヤツの跡を追う。日が落ちて薄暗くなりつつある町を2人の男が駆けていく、差は一向に縮まないがここで諦める訳にはいかない。


いつのまにか河川敷までヤツを追って来ていたが、もう限界が近づいていた。金に目がくらんで地球を譲り渡した大バカ者になる事を覚悟しかけた時、スドウが突然立ち止まった。肩で息するほど速力が落ちていた、俺は膝に手をつきしばらく息を整える事に集中した。息が落ち着くのを待ってヤツが話し始めた。


「驚かせてシまい、申し訳ゴざいマせん。加えて我々の社会実験にゴ協力イただき、誠にありがとうゴざいマシた。」「…実験?…何の事だ?」丸めていた背をゆっくりと伸ばして問いかける。「現代人の判断能力と危機管理能力がどの程度か確認する実験でゴざいマす。貴方はその被験者という事デす。」「そんなの調べてどうする」と問いかけるとうっすらとではあるが心からの笑みを浮かべてスドウが答えた。


「これから貴方に降りかかる危機は前兆ともに到来シマす、もしそれに隙を見せたらかつて無い絶望と後悔に苛まれることになりマす…それをオ知らせスるために調査シているノデす。」

「おい、どういうこっ…」聞き返そうとすると突如としてめまいのような感覚に襲われた、周りの風景だけでなく自分の体までグニャグニャとねじ曲るような感覚に耐えられず気を失った。


目を覚ますといつもの下宿に戻っていた。まだ気持ち悪いがゆっくりと上体を起こす。床を手で触れて気がつく、畳だ‼︎触覚だけでは心許ないので視線を下ろすと確かにある。左右をキョロキョロと見渡すと外に飛び出る前と異なる点を畳以外に見つける事ができた。部屋からはジュラルミンのケースと礼金が消えた代わりにヤングカップが戻って来ていた。


はて、どういう事だ?と思っているとズボンの中の携帯電話がものすごい振動を始めた。電話に出だ途端この世の物とは思えない怒鳴り声で「今どこに居る‼︎‼︎」と聞こえきた、バイト先の店長だ。


「どこって…家ですけど…」上半身全体から血の気が引くとともに、今日はシフトを入れていたか頭の中でグルグルと思い出そうとする。「今すぐ来い‼︎ただでさえクソ忙しいんだ早く‼︎‼︎」怒鳴り声が大きくなり、こちらもセカセカと準備に入るが今1つ釈然としない。「わっわかりました、今すぐ向かいます。」と答えると電話が切れた、シフト入れてたっけと思いながら携帯電話の画面に視線を落とし、愕然とした。





















"5月6日" 19:04


end

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