シグナルドレッド
小狸
短編
良く中高生の自殺の報道がネットでされた後、門外漢にも拘らずこんなコメントを残す輩が存在する。
「誰かに助けを求めれば良かったのに」
冒頭は中高生の例を出したけれど、この文言が呟かれるのはこれには限られない。
特に第三者で、事件には全く無関係で、その事件で人が生きていようと死のうと自分には関係ないと割り切ることができ、近親者を想定するようなこともなく、自分は正常な側だと信じて疑わない
ここで問題なのは、「誰か」のところだ。
追い詰められて自殺に至る人間というのは――私もそちら側に行きかけ、死にかけた人間なので分かるが、誰かに相談できるような心境ではない。それに何より、そんな陰鬱で
お前が聞いてくれるのか?
画面の向こうのお前に聞いているのだ。
返事をしろ。
いつもそうしてニュースのコメント欄に乱文を書きなぐっているのだから、得意だろう?
しかしそんなものに意味はない。
相談する側もする側で、お前のような何の資格も持っていなければ、友人でも何でもない。学校や家庭環境に理解の無い人間に相談しようとは思うまい。その程度のことも考えられないのか。猛省しろ。
第三者は、まるでそれが大勢存在するように「誰かに助けを」などと言うけれど、その「誰か」は、かなり限定されるのである。
そして、大概そういう自殺者は、孤立していることが多い。
孤立。
昨今の想像力の欠如した人間に無理は言わない。
この二文字がどれだけ過酷か、なんて、どうせ分からないんだろう。
ちゃんと帰る場所があって、ちゃんと認めてくれる人がいて、ちゃんと受け止めてくれる誰かがいる――それが当たり前の恵まれた人間なんかに、帰る場所がなく、誰にも認めてもらえず、誰にも受け止めてもらえなかった、そんな自分のことなど、分かるはずもないのである。
それに――これは「助けを求める」に言及することになるが、人を助けることは、基本的に無償である。有償で、例えばカウンセリングや心療内科・精神科などがあるけれど、まず我々は、そこまで辿り着くことが大変なのである。
この世の中に、見知らぬ他人を助けられる者がどれだけいるだろうか。
私は限りなく少ないと思う。
少なくとも私の人生においては――そうだった。
私が知っている現実では、そうだった。
小学五年生の時、教室でいじめられ、殴られる私を見て、クラスメイトと先生は笑っていた。
あの光景は、未だに忘れられない。
自殺する――ということは、本人をそうさせるだけの何かが、その人物にあった、ということだろう。
それらを、受け止めることができるか?
そろそろ分かっていただけただろうか。
人を助ける――ということは、綺麗事ではないのである。
故に『誰かに助けを求めれば――』という文言が既に破綻しかかっているのが理解できるだろうか。
そんなことができれば。
そんな風に生きることができれば。
自殺なんてしていない、追い詰められていない。
何も分からないくせに安全圏から好き放題言わないでほしい。
私も、かつては助けを求めた。
手を伸ばした。
結果誰も助けてくれなかったし、誰も手を取ってはくれなかった。
皆、無視した。
皆、気付かなかった。
だから死のうと思う。
分かりやすいだろう?
きっと私が死んだ後で、同じように「誰かに助けを求めれば良かったのに」と、言うのだろう。
いや、案外私のことだ。誰も私のことなんて覚えていない、誰も何も言わないかもしれない。
もう、どうでもいいのだ。
私の居場所は、この世界には無かった。
そう思って、私は。
横断歩道を渡った。
信号は赤だった。
《Signal Dread》 is Dead End.
シグナルドレッド 小狸 @segen_gen
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます