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  • 短編への応援コメント

     月並みな感想ですが、考えさせられる短編ですね。
     語り手は「何も分からないくせに安全圏から好き放題言わないでほしい」と言っていますが、もし本当に「第三者で、事件には全く無関係で、その事件で人が生きていようと死のうと自分には関係ないと割り切ることができ、近親者を想定するようなこともなく、自分は正常な側だと信じて疑わない莫迦」が「好き放題」に本音を言ったとしたら、それで語り手は満足するのだろうか、するわけないよな、と思いました。
     本作で「莫迦」とされる「第三者」の本音を、僕なりにトレースして書いたところ、以下のようになりました。


    「顔も知らない人が自殺したと聞かされても何の感情も湧きませんが、この近所で亡くなったと聞かされてしまうと、良い気はしませんね。当人が死にたいと思うなら勝手に死ねばいいと思いますが、他人に迷惑をかける死に方は最低です。当人が苦しんでいたなんて関係ないです、亡くなっているんだから、その言葉がどれくらい本気だったかなんて確かめようがありませんし、興味も湧きません。確かなのは、生きている私たちが、何十人、何百人、時には何千人という規模で不快な思いを強いられ、物理的または精神的、あるいはその両面で迷惑を蒙るということです。
     他人に迷惑をかけない死に方が思いつかないなら、自殺なんてすべきじゃありません。死を選ぶ前に誰かに相談して引き留めてもらうべきですし、少なくともその努力をすべきです。誰にも相談したくないとか、誰に相談しても満足できなそうにないなんて、勝手な思い込みです。目の前に自殺しようとしている人がいて、止めない人がいる訳ないでしょう。シグナルを出せば大抵の人は相談に乗るし、相談すれば止めるはずなんですよ、良心のためにも、余計な罪悪感を抱えないためにもね。自殺する人が、面倒な思いをしてまで相談するのも、理解してもらえず傷つくのも嫌だからと、やる前から諦めているんです。はっきり言って、生きて問題を解決しようという『やる気』がないんですよ。
     仮に本当に誰にも相談できないように思えたとしたら、それはこの世界の誰ともきちんと信頼関係を結んでこなかったってことですから、自業自得です。勉強でも部活動でも仕事でも、何かに真面目に取り組んでいる人は他人からも一目置かれるものです。いくら不器用でも、一生懸命、真面目に生きていたなら、追い詰められたときに助けてくれる相談相手はいるはずなんです。そもそも人間が誰とも一切関わりを持たずに学校や社会の中で生きていられるはずがないし、関わりがあって信頼を得ていないなら、本人が信頼関係を築くのを拒んできた以外に考えられません。『誰も助けてくれない』と世間を恨む前に、『この人を助けたい』、『この人、最近元気ないな。何か困ってるなら力になりたいな』と思わせるくらい真面目に何かに取り組んでみろって思います。誰ともきちんと信頼関係を築かず、誰の幸せにも貢献せず、死ぬときまで他人に迷惑をかけるなんて、人として最低です。そんな人がいくら死んでも私の心が痛むことはありません。
     自殺者は他人の迷惑なんてどうでもいいというところまで精神が追い詰められているんでしょうけど、どうでもいいと思っている点ではお互い様ですから、その点から言っても私は何とも思いません。私たちのことをどうでもいいと思って、死んでまで迷惑をかけた相手に、どうして私たちが同情したり罪悪感を覚えたりしないといけないんですか。ネガティブな感情を抱くだけ損ですよ。
     人を自殺にまで追い込む社会が悪い? なら死ぬより先に『社会の不条理に抗議する』のが筋ってものです。ミャンマーの僧侶みたいに、焼身自殺で軍事政権に抗議するならまだ同情しますが、どうせそうじゃないでしょう。面倒くさがらずに遺書を書いたとしても、『私の声に耳を傾けてくれる人が誰もいない』と泣き言を書くのがせいぜいで、どこの誰のどんな権限で今の社会のどこをどんなふうに変えてほしいという具体的な話はちっともしないし、本人もそんなこと考えてないんでしょう? 政治家だってフェミニストだって環境保護運動家だって、色んな人から罵詈雑言を浴びせられながらそれを考え続けていますよ。自殺者がそれを考えず、誰にも相談しないのは、例によって『面倒くさい』からでしょう? じゃあ、私たちにはどうしようもないです。百歩譲って、自殺者の『遺言』がさらなる自殺を阻止するのに役立つならまだしも、そうじゃないんですから、生きている私たちにとっては自殺者それぞれの苦悩なんて考えるだけ無駄です。そもそも当人だって亡くなっているわけですから、その意味でも、個人的で抽象的な恨み言なんて、今さら言われてもどうしようもないです。
     自分から理解してもらう努力をせず、他人や社会の改善点を指摘することもしないのに、他人が理解してくれない、社会が自分の思い通りにならないと恨むなんて、ただの甘えです。人間はテレパシーを使えないし、生まれ育った環境も境遇もそれぞれ違いますから、伝わるように言葉にしないと思いが伝わることなんて絶対にないんです。皆、そういう社会の中で一生懸命、死にたくならないように頑張っているんです。恨み言だけ残して死んでいくなんて、支離滅裂な問題提起だけして質疑応答を待たずに退席するようなものじゃないですか。当人は論戦に勝ったつもりでいるのかもしれませんけど、生きている私たちがそれを相手にしないといけない理由なんてありません。生きている人同士でもっと建設的な議題を話し合うだけですよ」


     当然、ここに書いたことは日本の社会問題である自殺について無理解を晒すものでしょうし、自分は決して希死念慮を抱くこともないと思っていないと出てこない暴言ばかりでしょうし、そう言った意味で残酷で非人道的だと思います。保身に聞こえるかもしれませんが、僕自身は高校で仲の良かった同級生を自殺でなくしているので、自殺が話題にされたとき上のコメントのようにドライにはなれません。ただ、本作『シグナルドレッド』やそれに類する文章を読んだとき、似たようなことを考える人は一定数いるのではないか、というのが率直な感想です。通勤・通学の電車が「人身事故」で止まったとき、自分達と物理的に近しい誰かが自ら死を選んだという大惨事が起こったにもかかわらず、舌打ちする人はいても黙祷を捧げる人はいないじゃないですか。このドライさ、無関心さこそが、自殺大国・日本の病理を象徴しているように思います。
     書きたいことを書き殴っただけの、要領を得ない感想になってしまいましたが、小狸さんが今後も執筆活動を続けていく中で、「そう言えばこんなこと言われたことがあったな」と頭の片隅にでも覚えておいていただければ幸いです。

    作者からの返信

    あじさい様

    お読みいただき、また応援コメントいただきありがとうございます。全て、拝読いたしました。
    私も学生時代、近しい方を自殺で亡くしており、この短編を書く時には、その方を意識の外に置こうとしつつも、どうしても理性的になれない私自身とせめぎ合いながらの擱筆となりました。そんな中で、あじさい様のご感想はとても励みになり、また自分の創作に対する考え方を改める契機となりました。心の中に留め、今後の創作活動の礎の一つとしようと思います。
    ありがとうございました。

    小狸

  • 短編への応援コメント

    私は手を伸ばせない。でも救われて欲しい。
    こう思うのは単なるわがままで自己満足なのでしょうか。

    救われずに亡くなった命に対しては、あの世、彼岸、異世界などで救われることを祈るのみです。

    転生ものは救いかもしれません。勝手な感想ですみません。

    作者からの返信

    愛田 猛様

    お読みいただき、また応援コメントいただきありがとうございました。

    確かに、転生ものというのは(と、総括できるほど読んだことがあるわけではないのですが……)、一種の人の願望の結晶でもあるのかもしれません。少し手に取って読んでみようと思います。ありがとうございます。

    小狸