第10話 遭遇

 さて帰ろうかとミモザは小屋から外へと出た。秋なだけあって暗くなるのが早い。もうすでに空にはうっすらと月が見え始めていた。

 のんびりとバラを眺めながら歩く。

(晩ご飯どうしようかなー)

 カフェに間借りさせてもらっている都合上、営業時間はカフェで客として料金を払って食事を取らせてもらうことが多いのだが、夜はさすがにどこかで調達する必要がある。最初ダグは食事の提供も申し出てくれたのだが、さすがにそれは申し訳ないので丁重にお断りしたのだ。

 キッチンを借りて何か作るか、それとも買って帰るか。

(一回戻ってレオン様に聞いてから決めるか)

 そう決めたところでふいに、人の気配を感じてミモザは立ち止まった。

 カークスではない。気配は前方から歩み寄ってくる。カークスならば背後から現れるはずだ。

(誰だ……?)

 足音は一つきりだ。二人ならばカップルかとも思うが、こんな時間に一人でバラ園に来るなど、

(たそがれに来たのだろうか)

 それはそれでその現場に遭遇すると気まずいなと思いつつも、進まないことにはバラ園からは出られない。仕方がなくミモザは歩行を再開した。

「おや、こんばんは」

 そして出会った彼はそう言ってミモザににこやかに挨拶をした。

「こ、んばんは……」

 その瞬間、突如としてミモザの頭を痛みが襲う。ミモザは思わず額を手でおさえてうつむいた。

「大丈夫かい?」

 そう言って駆け寄る彼は、若草色の髪を一つにくくって肩に流し優しげな若草色の瞳をした青年である。その顔立ちは整っており、いかにも貴族然とした美青年だ。

 彼の名はルーク・ナサニエル。

 この街を治める領主の息子であり、そして、

(ゲームの攻略対象……)

 乙女ゲームでステラと恋に落ちる候補のうちの一人である。


 ルークは父親の罪に苦悩する青年である。

 ミモザの目撃情報を追ってこの街を訪れたステラが、夜になる度にこのバラ園で出会う謎の青年だ。そして何度も逢瀬を繰り返すことで信頼が高まり、彼が悩みを打ち明けてくれるようになるのだ。


「わたしの母は病気でね、もう余命いくばくもないんだ」

 生垣のバラを見つめながら、ルークはそうゆっくりと語り出した。

 その若草色の瞳は物憂げで影を宿している。

「それはもう、諦めがついているんだ。けれどその病による痛みに悶え苦しむ姿を見ると、どうしてせめて安らかに休ませてやれないのだろうとやるせなくてね。父もそう思ったのだろう。様々な鎮痛剤を取り寄せては試すようになった。だいたいのものはすぐに使えなくなった。繰り返し使うと耐性がついて効きにくくなってしまったり、痛みそのものが増してその薬では抑えられなくなったりしてね。けれど一つだけよく効く薬があって……。シズク薬と言うんだが、知っているかな」

「いいえ」

 ステラは静かに首を振った。そのサファイアの瞳はルークの苦しみに共鳴するように揺らめいていた。

「どんなお薬なの?」

「とても高価で、希少なものだよ。試練の塔に生える珍しい薬草、シズク草から作られるものでね。人工栽培に成功していない上に治療薬ではないから国からの補助金も出ないんだ」

 通常、国に治療薬として認められている薬は税金から補助金が出る。そのため比較的安価で手に入るのだが、国に認められていなかったり、治療とは異なる、いわゆる必須ではない贅沢品だと見做されるものには補助金は出ない。シズク薬に関しては他の鎮痛剤に補助金が出ているためそちらを使用することを推奨されているのと、そもそも希少過ぎて安価にはできないという事情があった。

「父は母のために大量にその薬を取り寄せている。そのおかげで母は穏やかに眠れているけれど、そんなに高価な薬を大量に買える金は一体どこから出ているんだろうね?」

 くすり、と自嘲気味に彼は笑った。

「わかっているんだ、薄々。けれど確かめることが怖くてここまで見て見ぬふりをしてきてしまった。わたしは、なんて愚かな男なのだろうね」

「そんなことない!」

 ステラは声を上げた。その語気の強さに彼は驚いたように顔を上げる。

 目線の先ではサファイアの瞳が夜の闇の中でもかげることなく美しく輝いていた。

「辛かったのね、苦しかったのね……、そんなの当たり前のことよ」

 優しい言葉がルークの胸を打つ。彼女はわずかに微笑むと、

「貴方は偉いわ」

 その手でそっと慰めるように彼の手に触れた。ルークはその暖かさに目を見張り、そしてその涙腺は自然と緩む。

 それがこぼれ落ちないように、空いている方の手で目頭を押さえた。

「そんなに必要な薬なのに補助金が出ないなんておかしいわ! わたしが国に抗議してあげる!」

 憤然と彼女が言い放つ。そのなぐさめの言葉に思わず笑みがこぼれた。それが無理なことくらい、彼女だってわかっていて言っているのだろうと思ったからだ。

「ありがとう、その気持ちだけで嬉しいよ」

 彼はそっと彼女を引き寄せ、抱きしめた。彼女の体が一瞬強張り、しかしすぐに寄り添うように力が抜ける。そのことにほっと息を吐いて、彼は言った。

「補助を出す薬は厳選しないと際限がなくなってしまう。税金だって無限に湧いて出るわけじゃないんだ。せめてもう少し値段が下がらないとあの薬は難しいよ」

「でも……」

 彼は首をゆっくりと振る。

「嬉しいよ。本当に。君のおかげで勇気が出た」

 抱きしめていた体をゆっくりと離し、ステラと向かい合う。

「真実を確かめる勇気が」

 見つめたサファイアの瞳はきらきらと輝いていた。

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