第4話 オルタンシア教皇とのあれこれ

 早朝、ミモザは慌てて教会騎士団の白い軍服を着込むと中央教会へと駆け込んだ。

 ここアゼリア王国には二つの騎士団がある。

 一つは主に貴族で編成されている王国騎士団。黒い軍服に身を包んでいるのがそれだ。そしてもう一つが主に平民で構成されている教会騎士団。

 ミモザは聖騎士であるため実はどちらにも所属していない立場だが、その立ち位置は教会騎士団寄りである。それはミモザの師匠で前任の聖騎士であるレオンハルトが教会寄りであったこともあるし、単純にミモザが平民であるということもある。

 前任のレオンハルトはバランスを取るために爵位を与えられていたが、ミモザは特に与えられていない。これは取り立ててミモザが目に見えた功績を立てていないということもあるし、レオンハルトとの婚姻により伯爵夫人の立場をすでに持っているということも関係している。何せ女性で聖騎士になるというのも初めてのことだが、既婚女性というのが扱いを更に難しくしているらしい。通常の場合、既婚女性の地位はその相手の男性の地位に依存するからである。

 すでに伯爵夫人であるミモザに爵位を与えることに意味はないが、その地位はレオンハルトありきであるためミモザの地位としてはちょっと宙ぶらりんな印象が拭えない。

 とはいえ他に良い案も思いつかずそのまま放置されている、というのが現状である。幸いにもミモザが聖騎士になるにあたって一番真っ先に賛同を示したのがこの国の第一王子であるアズレン王子であったため、アズレン王子と懇意である印象がミモザにはつき、まったく貴族との関係性がないとは思われていないのがせめてもの救いだろうか。

 さて、手紙の送り主は中央教会の教皇であるオルタンシアであった。

「遅いですねぇ」

 ミモザが教皇の執務室へと入ると、彼は開口一番にそう告げた。

 紫がかった黒髪をオールバックにしてしっかりと固め、すみれ色の静かな瞳をしたナイスミドルである。

 彼はゆっくりと彼の守護精霊であるイグアナを撫でながらミモザのことを冷たい目で見る。

「私が手紙を送ってから一体何時間が経ったと思います? レオンハルト君ならば手紙を送ればすぐに駆けつけてくれたというのに君ときたら……」

 彼は嘆かわしいと言わんばかりに深く深くため息をついて見せた。

(あー……)

 ミモザはそれに若干うんざりしつつ「そのレオン様がオルタンシア教皇聖下はお優しい方ですからゆっくりで大丈夫だと言ったのですよ」とやんわりと返した。

 正確には「脱獄から発覚までにすでに時間がだいぶ経過しているようだから急いでも仕方がない。それよりも長丁場になった時のために食事と準備をしていけ」と言われたのだがそれは割愛する。

 彼は「レオン様」の名前にそれ以上反論できなかったのか、ちっと舌打ちを一つした。事実この場に居たのがミモザではなくレオンハルトだったならばこのような嫌味をオルタンシアが言わないのは明白な事実だ。

 ちなみに手紙が届いたのは早朝の五時、現在は八時だ。それなりに素早く駆けつけたし、よしんばここに着いたのが六時台だろうが七時台だろうが同じように言われるのは想像に難くない。

「それで? 任せた仕事が片付かず、ここに寄り付かなかった聖騎士君は自らの姉の不祥事には飛んで駆けつけてくれたわけですか」

 気を取り直したようににっこりと微笑むと、彼は責める矛先を変えた。その顔は笑っているが相変わらずそのすみれ色の目は笑っていない。

「あんなの片付きませんて……」

 うんざりとミモザは明後日の方向を向く。

 チロもミモザの言葉に同意するように肩の上でうんうんと頷いた。

 これが通常の仕事ならばミモザとてもう少し悪びれる。しかしオルタンシアの言っている仕事はただの『無茶ぶり』の類なのだ。

 この世界では電力の代わりに魔導石という結晶からエネルギーを得て人々は生活している。それでおよそすべての機械が稼働しているのだ。しかしそれは精霊の遺体からしか取れず、消費に対して供給が追いつかない状態でいずれ枯渇することが目に見えている資源であった。

 かといって他に代替となるエネルギーも存在せず、その問題は長年先送りにされていたのであるが、ここにいるオルタンシアがそれを食い止めるために精霊の養殖という産業に手を出した。

 それも秘密裏に。

 色々あってミモザはその共犯関係であり、さらにそれを手助けするように王家へ協力の打診をしてはどうかという提案と、試練の塔内部に養殖にちょうど良い空間を発見したという情報提供を行った仲である。

 そして今彼が言っている『仕事』とはこれ関連なのだ。

 試練の塔内部の空間、元は聖剣のあった領域であったため通称『聖域』での養殖は成功し、小型の精霊の養殖は軌道に乗った。まぁ、養殖を開始した当初は、聖域には普通の動物はいても野良精霊が一切存在しなかったことから、「本当にできるのか」とか「野良精霊の移送が大変だ」という文句がミモザに散々来たのだが、結果的に養殖は可能だったし精霊の移送も金の祝福の移動魔法陣で可能だったため今は過ぎ去った話である。

 そして最近中型の野良精霊に着手してその魔導石も順調に市場へと流すことができた、といったところで協力者である王子よりある提案が出たらしい。

 いわく、試練の塔内に自生する薬草を人工栽培できないか、と。

 同じ試練の塔内なら可能ではないかと言われたそれは、しかし難航していた。

 そもそもが何度も人工栽培を試みて失敗していた薬草のため、当たり前の結果と言われればそうなのだが、今回の栽培場所は同じ試練の塔内なのである。

 自生しているのは第4の塔、そして栽培予定地は第6の塔という違いはあれど、同じ塔内なら可能性は高いと言われ、なんとかして人工栽培の結果を出せとせっつかれている次第である。

 そして王子にせっつかれたオルタンシアがミモザのことも巻き添えだと言わんばかりに人工栽培の手がかりを探せと仕事を投げてきたのだ。

(レオン様を連れてくれば良かったなぁー)

 仕事の話だからと彼を家に置いてきたことをミモザは後悔した。

 そうすればオルタンシアはミモザを責めるような態度は取らなかっただろう。第一諸事情により彼には精霊の養殖に関しては秘密にしているためこの話題すらあがらなかったはずだ。

 要するにオルタンシアの当たりがミモザに対して強いのは、オルタンシアがレオンハルトに対して並々ならぬ好意を抱いているためその妻の座に収まったミモザが気に食わないからであり、ミモザに対して嫌味以上の手出しができないのもまた、レオンハルトが大切にしている妻だからなのである。

「モンペめんどい……」

「何か言いましたか?」

 ぎろり、と笑顔はそのままに瞳だけが不穏に光るのに、ミモザは両手を上げてぶんぶんと首を振った。

「なんでもありません」

 ミモザのその態度にオルタンシアは深く深くため息をついた。

「まったく、彼は本当にこんなののどこがいいんでしょうかね……」

「えーと、仕事は鋭意努力中ということで。それでステラが失踪したというのは本当なんですか?」

 オルタンシアの嘆きにこの話題は藪蛇だと悟り、ミモザは本題へと入った。それにオルタンシアは再び小さくため息をつくと、投げ出すようにして書類を机の上に差し出した。

 ミモザはそれを手に取り中身を見る。

「時刻は昨夜……、いえ、もう今日ですか。深夜の二時に発覚しました」

 報告書によると、発見者は巡回のためにステラの収容されている部屋を訪れ、もぬけの殻になっているのを見つけたらしい。扉の鍵は壊されても開いてもおらず、その他壊されている物もなかった。つまり彼女は密室状態から忽然と消えたのだ。

「移動魔法陣は……」

「使えるわけがないでしょう。刑務所全体に魔法は使えないように魔法がかけられているんですから」

「ですよねー」

 当然の返答にミモザは苦笑いした。そんなミモザを無視してオルタンシアは嫌そうに口を開く。

「同様の脱獄事件が実は過去に二回ほど起きています」

「それって……」

 ミモザは眉をひそめた。心当たりがあったからだ。

「保護研究会」

「ええ、保護研究会所属のロランとバーナード、彼らの脱獄も同様の手口でした」

 ロランもバーナードも一度ミモザがレオンハルトと共に捕らえた犯罪者である。彼らは倫理観無視のマッドサイエンティストだ。

 実はバーナードにはオルタンシアが犯した罪もついでに背負って亡くなってもらう予定だったのだが、罪を着せることには成功したものの、その当の本人は数ヶ月前に脱走してしまっていた。

(確かロランの時はエオが脱獄させたと言っていたな)

 ミモザは以前の会話を思い出す。エオはバーナードの脱獄に意味を見出していない様子だったが、ロランが望むのならばそれもやぶさかではないと言っていた。

 そして今回のステラの脱獄。

 ゲームの設定では、ステラはエオと駆け落ちした後から今作のストーリーは始まるのである。

(嫌な一致だ)

 ステラがエオと一緒にいるのであれば、ゲームと同様の動きをするのだろうか。

(いや、でも僕の遺体はないしなぁ)

 ゲームのステラは盗まれたミモザの目撃証言を追って事件に巻き込まれていくのだ。しかしその追いかけるべきミモザの遺体は存在しない。

(やっぱりゲームの展開は読めそうにないな……)

 しかし変則的な形ではあるが確かにゲームが開始したのだという予感が、ミモザの心臓を締め付けた。

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