第12話
なぜ、千時丸帝国の為政者たちともパイプがある九賀野財閥の令嬢であるわたくしが、こんな安っぽい着物を着て、庶民に紛れて蒸気機関車の下等車両に乗って長時間揺られて、遠路はるばるこんな田舎町に足を運ばなければならないの?
七菊は生まれて初めて乗った蒸気機関車の長旅で疲れ切って苛々していた。庶民たちの下品な話やら、子どもがぎゃあぎゃあと泣き叫ぶ声、布張りの硬い座席、頻りに蜜柑やら梅干しやらを勧めてくるお節介な隣の席の老婦。いつもは九賀野家の高級外車をお抱え運転手に運転させて場所移動をしている七菊にとって、蒸気機関車での長旅は苦行といっても過言ではなかった。安っぽい花菱柄の着物の帯から、その恰好に似合わない高級な金の懐中時計を取り出し七菊は時間を確認した。九賀野の屋敷を出たのが早朝五時頃、『
帝都よりかなり北に位置するこの集落の空気が七菊の肌を突き刺した。見渡す限り、田圃、田圃、田圃。所々に民家らしきものが点在していた。贅を尽くした大豪邸に暮らす七菊から見た片田舎の風景は想像以上に時代遅れで貧乏臭くて、自分に相応しくないこんな場所からは一刻も早く立ち去りたいという焦燥感に駆られた。凍える手で信玄袋の中から零から送られてきた地図を取り出し、家畜の臭いが漂う田圃道を無心で歩いた。三十分ほど歩き続けたところで、宿屋、小間物屋、飲食店、呉服屋などの商店が立ち並ぶ通りへと突き当たった。零が指定した『よもぎ医院』はこの通りの西の端に位置したところにあるらしい。這う這うの体で『よもぎ医院』らしき場所に辿り着いた七菊は、眼前に佇む建物を見て零に指定された場所と違う場所に来てしまったのかもしれないという不安に駆られた。なぜなら、その建物は明らかに廃墟だったからだ。木造二階建ての建物の屋根は半壊しており、雪見障子は木枠だけが辛うじて残っており、薄墨色の空から舞い落ちてきた粉雪が風に煽られて窓の内側に遠慮することなく入り込んでいった。霜除け庇がついた木製ドアに掲げられた板看板は劣化して所々文字が消えているが、よくよく目を凝らしてみると『よもぎ医院』と読めなくもない。七菊が足を踏み入れるべきかどうか躊躇っていると、建物の中から、
「どうぞー。遠慮しないでお上がりくださいよ」
という声が聴こえてきた。零の声に間違いなかった。
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