第2話
近くの大学に合格し、教師を目指すことを志していた裕は、いつも明るくて真面目な性格で、同級生にも近所の人にも好かれる人柄だった。
そんな彼が、高校を卒業したその日の夜、突然いなくなった。
家族がそれに気付いたのは、卒業祝いで宴会した翌朝のこと。部屋にはずっと着ていた制服が皺ひとつなく綺麗にされた状態でハンガーにかけられており、通帳や印鑑を含む最低限の荷物だけを持って出て行ったらしい。スマホは電源が切られており、その日のうちに解約されていた。
晶子おばさんが私の家に真っ青な顔で駆け込んできて事情を聞くと、私も外に飛び出し、心当たりのある場所をすべて探しまわった。
放課後に立ち寄ったコンビニ。
試合に負けると必ず反省会をした公園のベンチ。
雨の日に傘をさして待っていてくれた駅の改札。
どこを探しても見つからない。誰に聞いても居場所がわからない。
桜の咲く春になっても、何度季節が巡っても。
裕がまた私たちの前に現れることはなかった。
◇◇◇
病室で急に怒鳴ったことで、何事かと慌てて入ってきた看護師さんが私を外へ連れ出した。他にも患者がいる、落ち着いてくれと。自分でもわかっていたけど、どうしても気持ちが先走ってしまった。
母から自販機で買ったばかりの温かい缶コーヒーを受け取る。手のひらで転がしていると、母は言う。
「今夜、お通夜だって。お母さんはおばさんの手伝いに行くけど、美織はどうする?」
「…………」
「……裕くんもきっと、何か理由があって連絡できなかったのよ」
「裕は……どうして死んだの?」
裕が死んだと連絡をもらったとき、上京していた私には裕が今までどこにいて、どうやって死んだのか、「公園のベンチで見つかった」こと以外、詳細を聞かされていない。
まっすぐ見据えると、誤魔化しきれないと悟ったのか、母は躊躇いがちに答えてくれた。
「病院のすぐ近くにある公園のベンチで、雪に埋もれていたらしいわ。いつからいたかはわからない。救急車を呼んでくれた人が裕くんのこと知っていたから、おばさんのほうにも連絡がきたの」
「雪に……?」
「でも心臓は昨日の夕方には止まっていたって、お医者様はそう言っていたわ。もしかしたら、最後に会いに戻ってきてくれたのかもしれないわね」
母はもう少し晶子おばさんの傍にいるというので、私は一足先に実家に戻ることになった。
と言っても、病院から離れてはいるが、頭を冷やしながら歩いて帰るには充分な時間だろう。大きな荷物は車で来ている母に預け、スマホと財布だけをジャケットのポケットに突っ込んだ。
田舎だけあって、周囲は田んぼと畑だけ。雪の舞う冬の季節に田んぼの水を確認しに来る人はいない。一面真っ白な雪景色、とはいかないが、今日は一段と殺風景に見えた。
時折吹く冷たい風がやけに痛かった。まるで棘が刺さったまま頬を撫でられているようで、ひりひりする。都会と田舎では流れてくる風が違うというが、私には山に囲まれた田舎の風が優しいと思ってしまった。
ふと、足を止めた。車道との境界線が雪で隠れてしまっているが、滅多に車は来ないから大丈夫だろう。
「――裕が、死んだ?」
気付いたら呟いていた。受け付けられなかった事実を、ようやく落とし込もうとしているのか、自分でもわからない。
裕は両親に先立たれ、母親の姉である晶子おばさんがひとりで育ててきた。家が近所だった私の家族は、次第に晶子おばさんを手伝うようになった。近所に同い年どころか、子どもがいなかったこともあって、私たちは会える日は一緒に遊ぶ仲だった。
この関係がずっと続くと思っていた矢先、高校最後の年に裕が女の子と歩いているのを見て、ハンマーで殴られたような衝撃が走った。ずっと一緒にいたからこそ、自覚してしまった感情を否定したくて、思わず素っ気ない態度を繰り返した挙げ句、距離を取ってしまったのだ。
そしてぎこちない関係のまま高校を卒業して、裕は姿を消した。
晶子おばさんからいなくなったと聞かされると、私も一緒に周辺を捜し回った。心当たりがある場所は全部回ったが見つからず、警察に捜索願を出しても受理されなかった。
ポケットに突っ込んだスマホを取り出して、裕との最後の履歴を見る。五年前、失踪したその日の朝に送信されたメッセージは、たった一言だけ。
『忘れないで』
彼は、どうして出て行ったのだろうか。
あのとき見つけられていたら、裕はあんな寒い場所でひとり寂しく死ぬことはなかっただろうか。
あのとき私がメッセージに気付いてすぐ連絡していたら、こんなことにならなかっただろうか。
あのとき、こうしていたら――思い返したらきりがない。
言いたいことも言わせてもらえず、一方的に押し付けられたメッセージは謎だらけ。帰ってきたらちゃんと話そうと決めていたのに、五年ぶりの再会が、無言の帰宅なんて。
溢れて出てくるのは、後悔ばかりだ。
「――裕の、ばか」
ずっと一緒にいたのに、今となっては裕が何を思っていたのかさえもわからない。
スマホを仕舞おうとした途端、突然後ろからクラクションが聞こえた。振り返ると、雪で足を取られた軽自動車がすぐそこまで迫ってきていた。
咄嗟のことで身体が動かない。
そのまま、目の前が真っ暗になった。
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