隣の空き地
あべせい
隣の空き地
40男の渡南秋治が、少しばかりの空き地で白菜を収穫している。
同じ年格好の男性が近付き、
「もしもし、ご主人」
「なんでしょうか」
「この3坪ほどの空き地ですが、ご主人の所有でしょうか」
「い、いいえ……」
「しかし、いま、そこにできている白菜をとっておられた」
「食べ頃になりましたから。あなたは?」
「私、ならず建設で営業部長をしています多賀角路です」
「多賀さん、それで?」
「近く、こちらの空き地で工事を始めることになりました」
「そんなこと、突然いわれても……」
「どうして、ですか?」
「ここには、いろいろ……」
「いろいろ、何ですか?」
「来月で10年になるンですよ」
「10年? 空き地になってから、ですか?」
「そうです。もう少し待っていただければ……」
「10年の間、所有の意思をもって土地を占有すれば、占有者の所有物になる取得時効のことでしょう」
秋治、図星を突かれて、言葉に詰まる。
「だから、工事が始まるのです、この10年の間、所有者はずーッと取得時効を気にしておられました」
「この土地の所有者って、どなたですか」
「ご存知でしょう。所有者は変わっていません」
「じゃ、お隣!」
「そうです。あなたの家とこの空き地を挟んでいる左のお隣さんです」
「しかし、お隣さんは、10年前、家を新しく建て替えられるとき、敷地全体からこの空き地部分を外して、いままでより小さい家を新築された。ですから、この空き地は、建築資金の一部に売却されたのだとばかり思っていました」
「お隣さんは、将来何か商売をしたいと考えて、空き地にしていたと言っておられます。それで、これを受け取っていただきたいのです」
多賀が封筒を差し出す。
そのとき、家の中から声とともに、
「あんた、いつまでなにやってンの! 白菜一つとるのに、グズグズしてからに!」
女房の晴世が現れる。
「これは、奥さん。お邪魔しています。ならず建設の多賀です」
「ならず……。あんた、評判悪いわよッ」
「そうですか。そんな噂を流すのは、奥さんじゃないンですか」
「なに寝ぼけたことを言ってるの。お向かいの屋根の塗装、3年前にやったのに、もう雨漏りする、って怒っていたわよ」
「そんなはずはないでしょう。あれッ、お向かいの屋根のアンテナが倒れている。この間の台風で倒れたンだな。そのとき、アンテナが屋根のスレートを割ったンでしょう。ご依頼があれば修理すると、おっしゃっておいてください」
封筒の中の紙切れを読んでいた秋治、
「多賀さん、これは何ですか」
「書いてある通りですが……」
「請求書でしょう。請求しているのは、喜多夏絵……」
「あんた、貸してみなさい」
晴世、紙切れを奪い取り、読む。
「『赤塚新町4丁目25番5に隣接する、約10㎡の土地のレンタル料として、金20万円、請求するものである』ですって。多賀さん、こんなものを持ってきて、うちにケンカを売るつもり!」
「私は、所有者に依頼され、持参しただけです。中身については、立ち入りません」
「うちはこの空き地を借りた覚えなンか、ないわ」
「しかし、喜多さんは、無断で使われたので、本来は慰謝料も加算したいが、お隣の誼みで、それは我慢すると……」
「待ちなさいよ。うちがこの空き地をどうしたって、言うの!」
「夏はトマトや茄子、秋は白菜や水菜をつくり、春はバーベキューやお花見の場所として利用していた。もっとも、これは喜多さんの言い分ですが」
「冬が抜けている」
「ご主人、言いましょうか」
多賀、メモを取り出して読む。
「冬は、大掃除をすれば畳を干し、借りてきた臼と杵で餅を搗く。さらに去年からは、この土地の半分を軽自動車の駐車場にお使いです。きょうはその車が見あたりませんが……」
「車は持っていないわ。だれかが勝手にとめていたのよ」
「あなた方は、そのことに気付いておられなかった? ありえない。渡南さん、他人の所有地を貸し駐車場として使っていたのなら、大問題ですよ」
「あんた! 街の工務店が貧しい私たちを脅す気ィ! あなた、そんなインチキ請求書をいつまで持ってンの。突き返しなさいよ!」
「多賀さん、そういうことですから、どうぞ」
請求書を多賀に手渡す。
「この請求書は喜多さんにお返ししておきますが、喜多さんがこのあとどう出られるか……」
「その工事はどれだけかかるのよ」
「きょうは現場のようすを見にきただけです。ですが、この状態では……白菜以外にも、いろいろありそうでしょうから」
「そりゃ、少し野菜はつくらせてもらったわ。ただ遊ばせておくのは、もったいないからよ。最初は、だれかが何か言ってくるのかと待っていたわ。ようす見にね。でも、全く反応がない。1年、2年とたつうちに、これは何かの事情があって、所有者がいない土地になったンだと思ったの。悪い? どこが悪い?」
「……」
「あんたは無断で他人の土地で野菜をつくっていると思っているのでしょうけれど、10年前この土地は、石コロだらけで、これだけの畑にするのに、うちの人がどれだけ汗を流し骨を折ったか。わかる?」
「……」
「うちの人は、毎日のように、土をふるいにかけて石コロを取りだした。石コロだけじゃない。コンクリートの固まりもあった。あなた、そうでしょ!」
「うん。そうだった」
「焼け焦げた柱もあった。割れた瓦やビンの破片は、数え切れないほど出てきた。それらを全部片付けて、ようやく畑らしくするのに、仕事が休みの日しかできなかったから、5年もかかった。そうでしょ、あなた!」
「そうだった」
多賀が相槌を打つように。
「話半分として、世間並みの畑にするのに2年ほどかかったということですか。それはたいへんでしたね」
「その間、お隣の喜多さんは何をしていた?」
「……」
「黙って見ていたの?」
「……」
「喜多さんって、どういう人よ。多賀さん、何とか言いなさいよ!」
「お隣のことは、渡南さんがいちばんご存知じゃないですか。私どもは、先月工事のご依頼を受けて、その準備にとりかかっているだけですから」
「多賀さん、ここだけの話にしてくれる?」
「はア、まァ……」
「お隣さんは、ナゾが多いの。いまだに、家族構成もよくわからない」
「それは、ご主人と奥さま、それに犬が1匹とお聞きしています」
「あんた、ご主人に会ったことは? 奥さんには不釣合いの若い男よ。籍が入っているかどうかも、わからない」
「まだ、ご面識はいただいておりませんが」
「工事の依頼は、だれがしたの?」
「奥さまが、私どもの成増営業所に直接お来しになられました」
「犬は、どう?」
「先日、お隣におうかがいしたときに、鳴き声だけは聞きました」
「どんな鳴き声だった?」
「どちらかというと、1匹というより、1頭といったほうがいいくらいの……」
「土佐犬よ。怖くて、隣の玄関には近寄れない。うちの人が、一度、噛まれそうになった。そうでしょ、あなた!」
「そうだよ。あのときは本当に怖かった」
「どうされたのですか?」
「町内会の回覧板をもっていったンです。いつもはドアの外に立てかけて置くンですが、ドアが少し開いていたので、中に入れようとしてドアを開けたら、いきなり『グワンッ!』と飛びかかってきた。慌ててドアを閉めましたが、そうしていなければ、手首を食いちぎられ、片手をもぎとられていた」
「それ以来、『回覧板は寄越してくれるな』ということになって……」
「それはいつ頃のことですか?」
「奥さんが、行方不明になった前のご主人の失踪宣告して離婚が成立した、3年前あたりかしら」
「そうですか」
「多賀さん、こんな狭い土地に、いったい何を建てようというの?」
「ご依頼では、『シェルター』とお聞きしています」
「シェルター、って核戦争のときに逃げ込む、あれッ?」
「核シェルターというより、何か緊急事態が起きたときに避難できる建物、というご注文です」
「避難ね。いまの家だって、充分頑丈にできているように見えるけれど」
「シェルターは地下です。地上には、車庫にも使えるような建物という注文です」
「シェルターは地下室なの!」
「はい」
「ここに穴を掘る、ってわけ?」
多賀、無言で頷く。
「どれくらい、掘るの? 2メートル、それとも3メートル?」
「基礎もありますから、5メートルは掘り下げます」
「5メートル、ですって。あなた、たいへんヨ!」
「ここを5メートルも掘ったら、私の……アァー、あのときの苦労が……」
「どうされました?」
「多賀さん、工事はいつから始めるの?」
「明後日から始める予定です」
「あなた、頼みなさいよ!」
「すいませんが、その工事、1週間ほど遅らせていただけませんか?」
「どうしてでしょうか」
「実は、この空き地の下には……」
「多賀さん、前に白蟻が出たことがあって、この人、床下にもぐって、白蟻の防除剤を噴霧したのだけれど、そのとき白蟻のどでかい巣が見つかったの。そうしたら、この人、バカだから、その巣を取り出そうとしてどんどん横に穴を広げていった。すると、いつの間にか、人が寝起きできるくらいの大きな穴になったの。そうだったでしょう、あなた」
「あ、あァ。だいたいそうだ」
「だいたいじゃ、ないでしょ! その通りでしょ」
「そ、そうだ。その通りだ」
「この土地の下に、巨大な穴があるというのですか?」
「そうです。その穴は、家内が不機嫌なとき、私が逃げ込む隠れ家になっていて……」
「お話のようすでは穴というより、地下室ですね。そこには、ご主人の生活用品がいろいろと置いてある、ってわけですか」
「そうなンです」
「信じられない話ですね。まァ、素人が白蟻退治を口実に地下室を造った、ということでしょうか」
秋治と晴世、押し黙る。
「素人が休日のたびに、コツコツ穴を掘って、1年はかかったでしょう。掘り出した残土の処理のほか、素人ではコンクリート打ちはできないから、四方の壁、天井、床に厚めの板を張り巡らし、防水処理をしなくてはいけない。照明のための電気を引き込む必要もある。こんなことを、喜多さんが知ったら、請求書の金額がふえるでしょうね」
「多賀さん、そんなことまで言うつもり。ベッドやテレビはすぐに片付けます、って」
「ベッドが、この下に! 仕方ないか。では、3日だけ待ちます」
「3日ですか! 運びきれるか……」
「何言ってンですか。工事の開始を2日後から3日後にすると言っているのです。これ以上は絶対に譲れません」
「あなた、私も手伝うから。やりましょう。でもね、多賀さん」
晴世、不気味な笑みを浮かべる。
「何でしょうか?」
「ベッドやテレビ、DVDプレーヤー、パソコンは運び出すとしても、地下の部屋全体は運び出せない」
「そうで……!」
「わかりがいいのね。そういうこと。重機でこの空き地を2メートルも掘っていけば、この人が汗水流して造った地下室が現れる。地下室の天井は、特に頑丈な厚さ3センチの杉板……」
「いや、晴世、5センチの厚みがある輸入パインだ、カナダの松の板だよ」
「それが張ってあるけれど、重機はきっとそこに傷をつけるわね。傷を付ければ、器物損壊、損害賠償の対象になるわ。それとも、傷を付けずに、そォーと掘り出すのかしら。それだけ手間も時間もかかるわね」
「何を言いたいンですか」
「わかっているでしょう。あなた方だって、うちの人が掘った穴の分だけ、土を掘り出す手間が省けるでしょうに」
「そりゃ、地下室の空間分だけ、掘らずにすみます」
「だから、ここに地下室をお造りになる工事代金の一部を、うちの人の地下室を壊す賠償金として、こっちに回していただけないかしら」
「……」
「工事代金全部を寄越せなんて、図々しいことは言わない。3割で、どう?」
「奥さん、あなたね。ここは他人の土地ですよ。その下に無断で地下室を造って、その立退き料を要求するンですか!」
「そうよ。うちの人だって、他人の土地の下とは知らずに掘り進んだの。そうでしょう、あなた!」
「そ、そうだ」
「知らずに掘っていったら、いつの間にか、お隣さんの空き地の下に入っていた。これって、そんなにいけないことかしら?」
「わかりました。ただし、1割、1割です。もし、不満なら、あとは裁判だ」
「1割! ずいぶん値切るのね。それだけあくどいことをしてきたから、いまのならず建設があるということね」
「なにがあくどいですか。それはこっちの科白だ」
「いいわ、1割。その代わり、喜多さんが寄越す請求書は全てチャラ、チャラにするのよ。いいわね。そうでないと、裁判にするから。素人が裁判を怖がっていると思ったら、大間違い。この程度のもめごとで裁判してグズグズ長引いて困るのは、おたくでしょ」
「……」
「3坪の敷地に地下室を造る工事代金の相場は、300万円。その1割だから、30万。仕方ないか、あなた、これで手を打つ?」
「いいよ、それで。あんまり、追い詰めちゃ気の毒だ」
「でも、あなたの1年間の汗と涙の結晶が30万円って、安くない? まァ、いいか。あッ、そうそう。多賀さん」
「まだ、あるンですか」
「うちの人が、この空き地の下に地下室を造るとき掘り出した土だけれど、うちの裏庭に積み上げてあるの。元々は、お隣さんの土でしょ。これはお返ししたほうがいいのじゃないかしら?」
「残土でしょう。そんなもの、いりません。どうせ、捨て場所を探さなきゃならないンだから」
「そうよね。残土だって、立米いくらで業者に引き取ってもらうのだから、お金がかかるわよね」
「もう、お金は出ません!」
「あの土、うちがもらっておいてもいいのね」
「もちろん、どうぞ。お好きなようにお使いください」
「土に交じって、いろいろと出てきたわよ。木の葉から、石コロ、木の切れっぱし、陶器の破片……」
「土と一緒に出てきたものは、全て残土です。どうぞ、ご遠慮なく、処分してくださって、けっこうです」
「それじゃ、ここに一筆書いて下さらない。あとで、揉めるの、いやだから……」
「何か、出てきたのですか」
晴世、無言。
「金目のものが出てきたンですか。出てきたンですね。そうですね!」
「あなた、教えてあげたら」
「うン。あのね。さっきも言いましたように地下室を造ろうとして、横に掘り進んでいったンですが、気がついたら、お隣の喜多さんちの床下まで掘り進んでいた。それで、引き返そうとしたとき、土の中から、飛び出ているものが見えました。で、引っこ抜いたら、牛革の小銭入れでした。中を開けると、500円の記念硬貨が10枚。1998年開催の長野五輪を記念して造られた記念コイン。お隣の前のご主人はそれが自慢で、よく私に見せていましたから、よく覚えているンです」
「小銭くらいなら、いいじゃないですか。もらっておいてください」
「いいえ、いただけないものが、あるンです。オイ、私には、これ以上言えない。晴世、頼むよ」
「仕方ないわね。うちの人は怖がりだから。多賀さん、その小銭入れと一緒に、布がくっついて出てきたンですって。うちの人、バカだから、それもついでに引っ張ってみたの。そうしたら、それは、ズボンの裾で、お隣の前のご主人が行方不明になるまで、履いておられたズボンの柄にそっくり。さっきも話したように、お隣の前のご主人、10年前から消息不明で、3年前には奥さんが失踪宣告して、離婚が成立した。最近は若い男が亭主面して出入りしているようだから、奥さんにとってはいいことづくめみたい。そうそう、そのご主人のズボンの裾の中を覗いたら、白いモノが……」
「なンですか。白いモノ、って……」
「うちの人は、『足の骨ダ!』と思って、慌てて、土の中に埋め戻したの。間違いよね、きっと」
「間違いじゃない。あれは、絶対人間の骨だよ!」
「渡南さん、落ち着いてください。いまおっしゃったことはたいへんなことです。もし、それが人骨だとしたら、喜多さんの前のご主人の遺体ということになります。10年前から行方不明ということは、奥さんが殺して、床下に埋めた! シェルターというのは口実で、遺体を隠す石棺にするつもりかも知れない。タイヘンだ。工事どころじゃない!」
「そうでしょ。多賀さん、黙っていてあげるから、さっきの1割を、2割にしてくれない?」
(了)
隣の空き地 あべせい @abesei
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