感情識別装置

鶴亀 誠

感情識別装置

 「ごめんね」

 妻はそう言って息を引き取った。


 今まで研究に没頭し妻との時間を取って来なかった博士にとって、それは取り返しのつかないことだった。失ってから価値に気づくことがどれほど辛いことなのか、初めて知った。


 博士は悔恨の念にさいなまれた。

 妻の最期の言葉の意味さえ分からないのが悔しかった。


 博士は悩んだ。博士は自分の過去の行いをうらんだ。自分が妻を理解しようとしなかったことを。博士は苦しかった。



 しかし幸い、博士は世界的に有名で優秀な発明家だった。今までだって、世界のため、人類のためにずっと研究、実験、発明を繰り返してきたのだ。今はその才能を妻のため、自分のために使おうと思った。

 博士は寝る間も惜しんで研究に没頭した。そしてついに、博士の発明家人生で最高とも思える発明品が完成した。


 博士はそれを「環状色別装置」と名付けた。それは文字通り輪状、つまり丸眼鏡型で、色によって『感情』を『識別』するというものであった。要するに感情という目には見えないものを具象化する装置である。


 さっそく、博士は環状色別装置の機能テストをすることにした。


 まず最初は、装置を着けて公園に行ってみた。すると、ちょうどプロポーズの最中のカップルに出くわした。

 博士はそっと物陰に隠れ様子をうかがった。すると、声が聞こえた。

 「結婚してください!」

 「嬉しい!」

 しかし博士は少し不思議に思った。装置が示しているのは、どちらもオレンジ―幸せなのだが、男のほうは少しだけピンク―恥を、女のほうは少しだけ灰色―妥協を含んでいたからだ。


 次に、博士が道を歩いていると、真面目そうなサラリーマン風の男がガラの悪いやくざのような男に絡まれているのに遭遇した。どうやら狭い道で肩がぶつかってしまったらしい。

 「痛えじゃねえかコラ!」

 「すみません、前を見ていなくて…」

 やくざにつっかかられ、サラリーマンは必死に謝っていたが、博士はまたしても不思議に思った。サラリーマンは紺―恐れと同じくらいの赤―怒りを、やくざは完璧ではない濁りのある黒―邪悪を浮かべていたからだ。


 また今度は、母親がまだ幼稚園くらいの子供に何か言い聞かせているのを見かけた。

 「こら!悪い子はお化けに連れていかれちゃうよ!」

 博士は再び不思議に思った。母親には紫―嘘があったからだ。



 そうやってたくさんの人の心を見た博士は気づいた。こんなに複雑なのか。なんだか馬鹿らしくなった。理解できるわけがないじゃないか。

 それに、見えないほうが、知らないほうが上手くいくこともあるのだ。


 博士は思った。妻が言いたかったことの全部なんて分かってたまるか。


 そのほうがおもしろいし、幸せだ。自分で気づくべきなのだ。自分で考えて、納得するしかないのだ。それに気づけて良かった。今までで一番の発見だと博士は思った。


 博士は環状色別装置をゴミ箱に放り投げた。発明品で失敗は初めてだ。でも、いつもよりいくらか気分は良かった。

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