好きな人に結婚を申し込まれて舞い上がっていたら、初夜に「君を愛することはない」と言われました。

長岡更紗

01.白い結婚

「これは契約結婚だ。ミレイ、俺があなたを愛することはない」

「わかってます。白い結婚だということは」


 オルター様の言葉に、私は傷つくことなく頷いて見せた。

 ……なんて、嘘だけど。

 本当はちょびっとだけ傷ついているけど。


 オルター様は私より十歳年上の二十六歳で、城下の警備騎士をしている。

 伯爵令息だというのに、鼻にかけることなく誰にでも気さくで優しくて、多くの人から慕われる人で。

 私も、そのうちの一人だった。


『俺と結婚してくれないか』


 そう言われた時は、舞い上がってしまったけれど。

 これは、契約結婚。

 だから初夜の場で、愛することはないと宣言されてしまっている。


 私は子爵令嬢ではあるけれど、人の良すぎる祖父や父のおかげで、莫大な借金を抱える超貧乏貴族だ。多分、一般庶民の方がまだ良い暮らしをしていると思う。

 なのに子だくさんで、長子である十六歳の私を筆頭に七人の弟妹たちがいて、毎日お腹を空かせていた。


『俺と結婚してくれたなら、今ある借金はすべて俺が肩代わりしよう。その後の君の家族の生活も保障する』


 オルター様の言葉に、私は目を剥いてしまったわ。

 まさか、オルター様がそんなに私のことを好いてくれていただなんて! って。

 けど、現実は違った。


『だから君は、俺の悪夢を食べてくれないか!』


 そう、オルター様は悪夢を見続けているらしい。

 悪夢を食べるという“バクのスキル”持ちの私に、仕方なく提案したというわけ。


 この国では、十五歳の成人で教会から与えられる祝福がある。

 当たりのスキルを引き当てたら一発逆転、それだけでいくらでも商売ができて一生安泰。

 貧乏生活を抜け出せるかもしれないと期待していたけれど、私に与えられたのはまさかの“バク”で。めちゃくちゃハズレのスキルだった。

 弟たちには楽しい夢が見られると評判は良かったけど。

 その弟妹たちから話を聞いたオルター様が私に求婚してきたのは、彼が“悪夢のスキル”持ちだったから。


『俺のスキルは、人に悪夢を見せないと、自分が悪夢を見続けてしまうスキルなんだ。人に悪夢を見せるだなんてこと、俺はしたくない。十五の時からずっと、悪夢に悩まされ続けている』


 人に悪夢を見せる能力は、人を呪う系のスキルだ。

 正義の人であるオルター様が、人に悪夢を見せるなんてできるはずがない。教会のくせに、なんてスキルを与えるのかと。

 顔色がすぐれないのは、きっとスキルのせいね。かわいそう。


『君のスキルで、俺の悪夢を消して欲しい』


 懇願されて、私は迷った。

 もちろんオルター様の悪夢を消してあげたいのは山々なんだけど……


『私のスキルは、一緒のお布団で一緒に寝ないと発動しないんです……っ』


 仕方なく真実を伝えると、彼はこう言った。だから結婚をお願いしているのだ、と。全部弟たちに聞いて知っていたらしい。

 一緒に眠る口実を作るために結婚までするということは、本当に悪夢に悩まされているんだろう。借金の肩代わりまでしてくれるなんて、相当だ。そう思って、私は結婚を承諾した。


 オルター様は悪夢を見なくなる。私の家の借金はなくなる。相互利益で成り立った婚姻。

 そこには愛がないのはわかってる。


 でも、ほんの少しだけ期待してしまっていた。

 もしかしたら、愛し愛される夫婦になれるんじゃないかって。

 馬鹿みたい。そんなこと、あるはずがないのに。

 私は吐きたい息を堪えて、オルター様に微笑んで見せた。


「それでは、ベッドに入らせてもらってよろしいでしょうか」

「ああ……入ろう」


 二人でベッドに入るも、これから官能的な出来事が始まるわけじゃない。

 ただ、眠るだけ。


「あの、手を繋いでもらってもいいですか? そうでなくては夢に入り込め……夢に使い魔のバクを送り込めないので」

「わかった」


 オルター様の艶のある黒髪が上下に揺れて、布団の中で私の手を探り当てられた。

 温かくて大きな手でギュッと握られて、私の心臓が跳ねる。

 眠れるのかしら、こんな状態で……。


「では、ミレイ、頼む」

「はい、お任せください」


 オルター様はこのために私を買いとったも同然なのだから、ちゃんと役目を果たさないと。

 しばらくすると、オルター様の寝息が聞こえ始めた。

 私も眠らなきゃと思うけど、興奮してしまっているのか、なかなか寝付けない。

 オルター様の精悍な寝顔を見ながら、私は短く息を吐いた。


「覚えてないわよね……私のことなんか」


 六年前、十歳だった時。私は弟妹たちを広場に連れて行き、遊ばせていた。

 うちは貧乏な子爵家だって知られていたから誘拐される心配もなかったし、町は騎士が巡回してくれているから平和で安心もあった。

 必死に弟妹の世話をしていると、当時二十歳だったオルター様が声をかけてくれて。

 一緒に弟たちと遊んでくれた。私には『ちょっと休んでおいで』と飴をくれて。

 少し離れた木陰で、オルター様と遊ぶ弟妹たちを眺めながら飴を食べると、気遣いが胸に沁みて泣いちゃったっけ。


 あの日から私は、オルター様を見かけるたびに目で追ってしまっていたの。

 オルター様にとっては、とるに足らない出来事だったに違いないけど。


 だから結婚してくれないかと言われた時、本当はめちゃくちゃ嬉しかった。

 白い結婚だって、わかっていても。


「う……ううっ」


 オルター様が声を上げ始めて、額に汗が吹き出した。

 いけない、もう悪夢を見てるんだわ。

 早く眠らないと……!

 そう思えば思うほど眠れなくて、それから一時間後に私はようやく眠ることができた。

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