山道を妖精とぶらぶら歩く

与多法行

第1話 里帰り

 僕は現在、標高1200メートルの山奥にある実家を目指して山道を登っている。


「耕作お前、いつになったら帰ってくるんだ?『家を継ぐ』って大見栄切ったんだから、ちゃんと実家の管理しろよ?」


 実家のある山の裾野の町に住む二郎おじさんから、電話がかかってきてから一週間後。僕は重い腰を上げて、都会での生活にピリオドを打ち故郷に帰って来た。

 小さな頃から祖父や父さんの作るソバやうどん、団子やアワモチを美味しそうに食べる風変わりなお客さん達の姿を見て、料理人に憧れていた僕は地元大学を中退し、菓子職人になる道を選んだ。

 菓子の方を選んだのはウチの店が山奥にある茶屋であり、ガッツリと食事をしに来る客は少数で、小腹を満たす為にソバや団子などを頬張る客が多いハズで、ゆくゆく店を継ぐ時に有利だろうと考えたからだ。


「お菓子を充実させた方が、喜んで貰えるハズだよね」


 僕はそんな言葉を呟きながらLEDライトで足元を照らし、まだ暗い峠の山道を登る。実家までは何とか軽トラで登れる極狭車道はあるのだが、僕は軽トラを持ってない。人の車でガードレールも無い落ちたら終わりの狭い山道を擦らず行く自信がなくて徒歩を選んだ。夜明け前にふもとの親戚のおじさんの家を出発したが、まだ山の中腹だ。


「ん?」


 そんな山登りの途中、足元を照らすLED光の境界線がぼやけ始めた事に気がついた。

 足元がにわかに明るくなり振り返ると、僕が登る山道の反対側にある、山の尾根の一ヶ所が輝きだし、周囲にその輝きが広がっていく。


「日の出だ」


 視線を山の裾野に向けると、夜街の光粒が徐々に消えてモノトーンの家々が姿を現わした。そこから視線を上に移すと黒一色だった山に深緑と新緑が混ざる森が徐々に姿を見せてくる。そして山全体が緑の木々に覆われる頃には家々にも色がつき、あたりはすっかり明るくなっていた。

 僕は少しの間その景色を見つめた後、リュックのポケットから水筒を取り出し水を飲む。そして、『よしっ』と気合いを入れてから、再び山道を上に向かって歩き出した。


ピヒャ、ピピヒャ、ピピピピッ


 山鳥の声が響く落葉広葉樹の森を抜け、岩場に咲く可憐な花を横目に山道を登る。そうて僕は父が残した実家がある竜神村にようやくたどり着いた。

 村がある山の南斜面には廃屋や空き家が数軒あり、そこから少しだけ高い位置に実家である母屋がある。僕は足早にそこに向かう。管理されず草ボーボーな軽自動車がギリ通れる狭い道を抜けると、庭に咲いている赤いツツジと白いツツジが目に入った。


「ツツジの花も、もう終わりかな」


 梅雨明け最後のツツジの花を愛でてから、峠を見上げると茶屋が見える。茶屋は母屋よりも高い所にあり、距離は50メートル程離れている。僕はまず母屋に向かった。


「ただいま」


 一言つぶやいて母屋の鍵を開け中に入る。父の49日法要が終わってから1ヵ月。主をなくした母屋から返事が返ってくる事はなく、『シン』と静まりかえっている。


「まぁ、当然だよね」


 僕は背負っていたリュックを玄関におくと、母屋のアルミサッシを開けて網戸にした。そして空気を入れ替えるために扇風機を回す。


 ウチの母屋はいわゆる古民家。太い大黒柱と太い梁(はり)に支えられた大きな屋根を持つ和式住居だが、流石に家の外側は雨風を防ぎやすいアルミサッシに変えてある。

 山奥だがちゃんと電気は来ているので、蛍光灯は点灯するし電子レンジも使える。僕は母屋内に風を通すと、古道の道脇に建つ茶屋の様子を見に向かった


ガタンッ! ガタガタ!


 茶屋の立て付けの悪い木の雨戸を苦労しながら戸袋にしまう。茶屋の入り口と裏口の扉は、細い金属レールの上を動く、戸車付き木製ガラス戸である。僕はそれを開けて風を通す。


「フーッ、これで少しは過ごしやすくなるだろう」


 僕は腰に手を当て一息ついた。この茶屋はじいちゃんが若い頃、村から出て行く住人から譲り受けて改装したと聞いている。

 入り口から入ると土間があり、6人程座れる木製の長机とそれにあわせた木のベンチシートが設置してある。入って右手にある小上がりは六畳の板間で、壁際と窓側に4人用座卓が一つずつ。その奥のフスマの向こうには8畳敷きの座敷があり、8人用座卓が一つ置いてある。


 僕は、土間にある木製の長机の脇をすり抜け、奥の小さな厨房にある、水道蛇口をひねり、直接水を飲んだ。


「ぷはっ、やっぱりうまいな」


 水は山の湧水をホースで引き込み、タンクに溜めて使っている。滅多に濁ったりしないが、大雨だと濁る時もあるので簡易ろ過装置も一応ある。僕は口を手で拭うと、小上がりの上がり口に腰掛けた。


「さてと、やるからにはしっかりしないとね」


 今回突然の事態で、この限界集落である竜神村に帰ってきた僕。


「こんな誰もおらん村に、帰ってこんでいいぞ」


 これが父の口癖だった。僕が『祖父の時代から続くこの茶屋を守っていきたい』と言うたびに首を横に振り言っていたものだ。しかし、その時のうっすら笑みを浮かべた、嬉しそうな顔は忘れられない。これは3年前の話だが、この時すでに竜神村集落の住人は、父1人だけだった。

 僕はこの故郷が好きだ。自然がいっぱいで、食べ物もうまい。特に自家栽培している希少な野菜や地そば、山菜にキノコなどの山の幸、渓流の魚やモクズカニなども絶品だと思う。光ケーブルは来てないが、携帯電波は何とか届くし問題は無い。電気は母屋には来ているが茶屋にはひかれていない。茶屋には夏場の暑い時期だけ冷蔵庫を使うために家庭用発電機が置いてあるだけだ。


「あっ! そういえば仏壇に線香あげるの忘れてた。あとでちゃんと拝まないと父さんとじいちゃんが怒るな」


 ここの茶屋は、この峠道を登る登山客や、通行人が休めるように、祖父が作ったもので、メニューは粟餅とわらび餅とそばとうどんのみ。『こんな山奥の車で来るにも苦労する所客なんて来るわけないと思ってた』というのは二郎おじさんの言葉。そんな予想を裏切るかなりの数のお客さんが来ていた。ただ、結構風変わりなお客さん達だったが……。

 まあ、わざわざこの険しい山道を登ってきてくれるぐらいだからかなりの高評価だった事がうかがえる。


「茶屋を作ったじいちゃんには先見の目があったんだね。しかも、こんな山奥の茶屋なのに『ツケ』を使っていたのは驚きだよ。結構な利益も出しているし」


 さっき見つけたツケ帳簿には、支払い欄の横に金銀銅の文字記入がされていた。どうやらツケ払いの額が多い客に金、普通の客に銀、少ない客が銅となってるようだ。普通ツケが少ないのが金で多いのが銅だと思うのだが、そこは個人の感覚の違いもあるから仕方ないか?

 まあ、山奥の隠里とも言えるこの古い集落には、特別な金銭感覚があるのかもしれない。

 江戸時代。各地で街道が整備され、この集落も小さな宿場になった事がある。ただ、峠道を通る者が少なく、すぐ廃れたらしい。歴史はあるが歴史遺産などに登録される程でもない。急峻な峠道にあるただの峠の茶屋をわざわざ目指して山道を登ってやってくる一般の観光客はいないだろう。


「現在いる常連のお客さんをメインに経営方針を考える必要があるよなぁ」


 僕がそんなことを考えていると、視線の先にホコリが落ちてるのを見つけた。


「ん? おっと、綿ぼこりがあるな? こりゃ経営方針を考える前に掃除しないと」


 僕はゆっくり立ち上がり、まず茶屋の掃除を始めるのだった。

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