第23話 日常編揺らぎ【既製品】

 運命の人。そう聞いて何故人は自分にとって良いことばかりを想像するのだろう。


運命の人だから価値観が同じ。運命の人だから必ず分かり合える。運命の人だから愛し合える。運命の人だから離れることはない。運命の人だから幸せになれる。運命の人だから傷つけてしまっても平気。

 恵はベランダに出て、1月の冷たい風が煙草の煙をさらうように濁すのを眺めている。


憂を帯びた息が胸の奥を軽くしてくれると信じて流れる雲に息を吐く。
恵がベランダに出るのは悩み事がある時、悲しい時、好幸と電話をする時。
煙草を吸うのは吸いたいからではなく忘れたいから。

心の不安を和げたいから。
嬉しそうにツインソウルについて語っていた好幸とは違い、恵は暗然とする心に問いかけていた。

運命が時に人を縛るものになるなら、運命の人もまた、自分の心を縛るものになるのではないか?と。

 

 恵にとってはツインソウルだからどうとか正直関係なかった。何か保証がないと大切に出来ないのなら、それは愛していないのと同じだ。
保証が効くからといって、人の心をぞんざいに扱っていいわけじゃない。
限定品は大切に保管するけれど、既製品は大切にしないのなんて間違っている。
大切だと思うから大切にする。
そこに運命とか宿命とか、余計な付加価値を勝手に持ち込まないで欲しいと思った。
ツインソウルだと言われたことが嬉しくないわけじゃない。
好幸と話していたら楽しいし、彼は私の心の動きを、誰も気付かないような心の微震に反応して言葉をかけてくれる。純粋に彼となら一緒に居たいと思える。
けれど自分という人間を、私という本質を理解し、愛してくれるよりも先に第三者に私という本質を勝手に決められてしまうみたいで何故か悲しかった。


 女の子なんだから。妻なんだから。母親なんだから。運命の人なんだから。ツインソウルなんだから。私は私でしかないのに、その私でしかない私に自信を持ちたいのに、その私を受け入れて欲しいのに、私のままで居ることが許されない世界。常に誰かを演じていなければならない世界。誰かの決めた配役通りに振る舞わなければならない世界。


 魚嫌いの旦那のことを考えて、少なくなった料理のレパートリーの中から、栄養価が高くて尚且つ沢山食べられる献立を考え、仕事終わりに疲れた身体を引きずって買い物に行き、一生懸命に夕飯を作っても『ありがとう』『美味しい』の一言もない。



妻だから当たり前。誰もがやっていることだ。自分で選んだのだろ。
私が自分で選んだら選んだで、そんなことをする必要はない。やめておけ。母親だろう。

突き放したり、束縛したり。


 煙草の煙がしみたのかもしれない。
冷たい冬の風に目が乾いたのかもしれない。
理由は分からないでもいいから、早く温かい場所に入りたかった。


 恵との電話を終えた好幸は、電話口から聞こえてくる声に僅かな憂いを感じ取っていた。
電話でも、メールでも、恵の些細な心の動きが読み取れてしまう。
読み取れて、同じような気持ちになる。
同じような気持ちになると、自分まで苦しくなる。

 彼女には家庭があり、子供達は中高進学を控えた多感な時期。そんな時に、SNSで知り合った男性が運命の人だなんて言われても困るはずだし、迷惑だと思うこともあるかもしれない。
今になって一人浮かれていた自分が恥ずかしくなった。

 小さい頃からずっと人と距離を置いて生きて来た自分にとっては、人と上手く向き合えなかった自分にとっては、運命の人という保証が救いでも、彼女には足枷になるのかもしれない。
大切だと思うからこそ壊したくないと思う気持ち。
大切だと思うからこそ壊れないと信じる気持ち。
同じようで、全く違う気持ち。

好幸は幼い頃から本当に大切だと思うものは封を切らずに、そっと棚に仕舞い込む子供だった。ドラゴンボールの筆箱セット。下敷き。カードゲーム。使うのがもったいなくて、誰にも触れさせたくなくて隠すように仕舞い込んだ。
大切にするということは、綺麗なままで置いておくことだった。


その代わりに必ず二番煎じがいた。
既製品で何処にでもある筆箱や下敷きは、ぞんざいに扱っていた。
一番の身代わりになる二番。でもそれは結局一番ですらも大切にしていないことになる。
筆箱も、下敷きも使うものだ。
カードゲームはゲームなのだから他者と遊ぶ為にある。
なのに汚れたり、壊れたりして無くなることが怖かった。怖くてしまい込んでいた。


 信じる力の弱い子だった。確かなものばかりを求めては、その場しのぎの自己欺瞞で強くなったフリをしていた。

 今の自分は、恵が運命の人だという保証を大切にするあまり、彼女の現状や気持ちには目を向けていなかった。
彼女を信じていないに等しかった。

いつだったか、好幸と知り合う前に既に友達となっていた男性の存在を聞いたことがあった。一度だけ会ったこともあると言っていた現実の男性。
年齢は恵よりも年上だったと思う。
普通のサラリーマンでハンドルネームはフリード。ふざけた名前のやつだと思っていた。
暫くは音沙汰がなかったらしいのだが、恵が好幸と知り合い、mixiのマイページで二人がコメントのやり取りをしているのを見て、以前のように、少しずつコメントを入れるようになっていた。
やがて好幸との会話が中心になり、フリードからのメールに返信しなくなると、メールアドレスを【anatagasukidesu @】に変更して、突然恵にメールを送って来た。


遠回しで気味の悪いメール。そんなメールを送って寄越すようなやつにさえ好幸は嫉妬していた。
何故そんなやつとやり取りをしていたのか?
何故そんなやつと会おうと思ったのか?恵の心に隙があったのではないか?
疑いはあらゆる点を線で繋ぎ、虚偽を掴ませる。人を信じたことのない男の惨めな末路。

 けれど、自分のしていることも同じだった。
既婚女性と知り合い、仲良くなり、一緒に出掛け。彼女に対して想いを寄せている。
恵がちゃんとけじめをつけるまでは一線を越えないと決めている、だから自分は他の男とは違う。ちゃんと向き合っている。大丈夫だ。
そんなのは言い訳でしかなかった。


彼女を縛る権利などあるはずもないのに、ご都合主義の愛情が、彼女の心を閉じ込めてしまおうとする。


 あの頃から、何一つ変わっていなかった。大切なものを大切に出来ない子供。
大切なものを信じることの出来ない子供。自分のことを何よりも信じていない子供。

いつも世界の中心には、他の誰かがいた。
自分はそれの犠牲になる二番煎じだった。
自分が既製品の筆箱や下敷きだった。


【続く】

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